45年前(1979年)の春、初めて大阪へ撮影に連れて行ってもらった時の写真です。今回が最終回、国鉄、近鉄、南海電車~最後にちょっと鉄道模型の話が入ります。
いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。
”大阪へ写真撮影に連れて行ってやる”とオヤジの一言から始まった撮影行、これで3話目になります。前2回の記事は↓
国鉄大阪駅での撮影、急荷2032レだったと思います。多分最後尾のマニ1両(大荷6運用)が大阪止まりで、DD13 196が連結されて切り離す所?ホームには茶色いマニから降ろされたと思われる荷物が山積みです。またしても先頭のゴハチを撮っていないんですが😅、DD13をホームからしっかり撮れたのも最初で最後だったと思います。列番などは写真の順番(撮影時間帯)と到着番線から推測できたもの、当時は何も分からずでしたが兎に角夢中で撮っていました😁。
特急雷鳥9号が入線、乗務員室と乗降ドア間に機器室があるクハネ581が先頭でした。
しんがりは機器室が無くなってドア同士が隣り合うクハネ583、スリットタイフォンは581系のイメージが強いんですがクハネ583にもあったようです。逆に前2話も含めクハネ581のスリットタイフォンには1度も当たらなかった😅。4017M(2枚とも)
夢中で撮影している間辛抱強く待っていてくれたオヤジですが、”今日は知人宅へ泊ろう”と言い出します。暇なので電話をしたら行くことになったという話でしたが..ハハァ~、真の目的はこっちだったかな?😁。
翌日は難波から名古屋まで近鉄特急に乗車し、そこから新幹線で帰ろう という話でした。丁度発売されて間もない鉄道ファン誌’79-4月号に近鉄特急が特集されて、ビスタカーはあるし種類は豊富だし面白い とハマっていたのを知っての提案だったと思います。(代わりに知人宅で心置きなく呑ませろよ、もあったか?😅 写真は上記鉄道ファン誌の1ページです。表紙~新車ガイドは201系試作車900番台で45年経った今も時折開くことがある号です。)
その知人さん宅は南海沿線だったので難波へ..先ず近鉄の撮影です。8000系ク8522はあずき色1色..私には今もこの塗色がしっくり来ます。
こちらは8600系ク8118か?電照式の行先表示が付けられていました。通勤形にもデフロスタが装着されていたんですね。それまで見たことのない台車構造でしたが、シュリーレン台車というのはどこかで見て知っていたと思います。
特急電車もやって来ます。18200系でしょうか?近鉄特急の前面は左右対称クロスデザインが多かった、自分のイメージの中で何となくホルモン(マキシマムザホルモン)のロゴと被ります😁。
登場したばかりの30000系ビスタカーにも出会うことが出来ました。
今は首都圏のグリーン車など珍しくなくなった2階建ですが当時は近鉄特急が唯一の存在、是非見たり乗ったりしたかった車両でした。VISTA CARのロゴがテカっていたのを一撮しています。30000系はリニューアルされて今も生き残っていますが1階席が中央ドア左右に掘り込みで行き止まり~前後車両へ貫通していないのは何か違うんじゃないか?、”本物”のVISTA CARは先代の10100系だ と子供心に思ったのを覚えています😁。
続いて南海難波駅へ..ちょっと斜めになった特急四国のヘッドマークを掲げるのは1000系電車でしょうか?形式の詳細は詳しくないですが同スタイルの電車が今も大井川鉄道で走っていますね。左側は席取り合戦スタンバイ状態かな?😅。
ステンレスカーも見られました。ジャンパ栓の配置が面白いと思います。右奥に見える緑色の電車は京阪と同じ塗分け?😁。
ここから南海電車に乗ってどこかへ行き1泊だったんですが、私としては10100系を見れていなかったのが心残りでした。お邪魔した家に近鉄の時刻表があってどの列車にビスタが入るか書いてあった..拝借してオヤジが呑んだくれている間に何とか出会うチャンスは無いか?と調べていた記憶がありますが、名阪ノンストップには運用されていなかったんですね~。’79年春と言えば10100系が終焉間近で”V9”と称された3連×3併結運転があったのはずっと後で知った話、是非乗ったり撮ったりしたかったんですが叶いませんでした😞。
翌日予定通り難波から名阪甲特急で近鉄名古屋へ、11400系の増結車ク11520系だったと記憶していますが乗車メモが見当たりません。そろそろ終着~という所で車両基地が見えて来て..居たっ!、慌てて車窓から1押しだけ出来たこのボケ写真が最初で最後の10100系VISTA CARということになりました😞。
こんな思い出、思い入れがあった車両なので近鉄10100系は模型で導入しようと思っています。KATOさんから発売予定の3重連セットを予約しています。小田急NSEに続く連接構造なのでDCC化など大変そうだな~😅。(模型記事はAmebloへのUpになります。)
名古屋から0系新幹線で帰りました。上野、東京駅での駅撮りしか経験が無かったところに初の大阪、見たことが無い列車ばかりで写真の質はともかく😅最初で最後の撮影になったのも多数です。今思えば知人宅で一杯🍺が真のメインイベントだったんだろうね~..とは思いますが、楽しい思い出を作ってくれたオヤジに感謝です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
鉄道模型記事についてはAmebloの方へUpとさせていただきます。
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こんにちは。
今日はNゲージ鉄道模型 KATO の457系及び改造車455系の整備=Detail upを行いました。先日”ドデカライトケースを何とかする”記事を書いた編成です。
品番10-1154,1155及び4314-1(サロ455)、6連×2でそれぞれ単独運転も併結運転も可能としています。10-1000番台ですから品番的にはそうムチャクチャ古くありませんが、簡易サスペンション機構と碍子付きパンタグラフ採用など多少手直しが入った程度で、構造的には品番422~427の頃のまま、かなり古い感じがします。なので既に色々と弄っています。
(編成表や実車写真も掲載しています。)
これをさらに弄って新しい仕様にできるだけ近づけよう が今回の目的です。どーにもならない所もありますが..。
上の写真は2本並べましたが今回整備したのは右側の6連です。クモハ455同士の並びですが3本のジャンパ栓ケーブルを付けました。
製品のジャンパ栓表現の下から斜めに0.4mmの穴をあけ、ケンタカラーワイヤー#27を挿し込んで表現しました。ジャンパ栓”開”表現には出来ませんし、この穴開けはかなりキワドイ作業でしたが、雰囲気は出たかなー と思います。 KATO品に無理矢理TOMIXのTNカプラーを付けているので、スカートとボディーの間に隙間ができています。ここは以前改造した時のままですが、もうちょっと何とかなるかなー..。
インクジェットプリンターによる自作サボと号車札、銀色のドアレールインレタも入れました。設定は上野-仙台の”急行まつしま”写真のクモハ455は仙台方先頭の12号車としています。 ドアレールインレタはサザンライツ製を使ってみました。初使用ですが”クリアーコートなしでも使用可能”との記載に興味がありました。はて耐久性はどうかな?
今回靴摺りは止めてドアレールだけにしましたが、ドア1か所に2本なので1両で8本、6両で48本..転写作業は大変でした。元々出っ張って表現されているドアレール上に転写するので、位置合わせが非常に微妙、失敗も結構発生しました。
窓から思いっきり見えてた”ドデカライトケース”も6両編成中3両全て目立たないように加工しました。記事に書いた時からちょっと仕様変更、黒い遮光テープを貼った0.3mmプラ板を貼りつけるようにしています。遮光テープだけにした部分が剥がれてめくれて来たりしたので..。
写真12号車の右上端、トイレ小窓にも同じくサザンライツのHゴムインレタを入れました。 KATO製品とサイズがピタリは合わないので微妙ですが、表現が無いよりあった方がいい..と思います。ドアレールと共に耐久性はどうだろう? 床下には循環式処理タンクパーツも付けました。
下に写るTOMIXのトイレタンクパーツを加工の上貼り付けるのですが、6両分で在庫切れです。TOMIXのパーツ販売サイトにも在庫が無いようです。参ったな。別のパーツ導入を考えようかな。
手前は唯一オリジナルで残るモハ456-13、クモハ457-13とのユニットです。
奥はモハ454-40、クモハ455-40とのユニット、違いはパンタ下の通気口の有無です。
モハ454はTOMIXの屋根パーツを買ってきて貼り付けて457→455系化した改造車です。 今回パンタ塗装だけは奥の未対応編成分もやりました。
ドアレールインレタなどを入れている最中の写真、最初1~6号車のつもりでいましたが、1981年頃、モハ456-13を含む編成は”基本編成”で東北本線限定運用だったらしいので”まつしま”の7~12号車へ変更しました。もう1編成を付属編成として1~6号車、磐西に入る”ばんだい”とする予定です。サハシ455が抜かれてからは基本、付属編成とも同一車両構成だったのでいつまで別運用が組まれていたか分からないのですが、基本を”まつしま”にしておいた方が無難だよなー と。
というのは1983年の急行”まつしま9号、ばんだい9号”を再現したいからです。
唯一乗車した記憶が鮮明にある455系急行列車、単身赴任したばかりの父の家へ行くのに上野-白河間の乗車でした。12~7号車がまつしま、6~1号車がばんだいだった筈ですが何号車に乗ったかなー。満員だったのを覚えています。 黒磯までの165系”なすの”に乗る機会は多かったのですが、交直流455系急行は多分初、黒磯の電源切換など楽しみだった記憶があります。写真が無いのが残念でしたが..。
夜到着して翌朝は雨、でしたがソワソワして撮影へ。写真は新白河に停車中の28号機、以後長く続く白河界隈でのED75撮影第1号でした。
模型でも記憶のある編成を再現しようと思います。
あと6両、付属編成の方を整備して記憶に残る455系急行を再現するつもりですが、循環式タンクパーツを何とかせねば..
最後までご覧いただきありがとうございました。
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こんにちは。
今日はNゲージ鉄道模型、難しかろうと書いていた自作2ハンドルの制御装置で簡単にDCC運転出来ちゃうことが判明しました。運転の楽しみ方が拡がりそうです。
一昨日書いたDCCの”Jump制御”(記事後半に書いています。)
と、2週間ほど前に書いた2ハンドル制御装置
の話がつながった形です。
きっかけは”漸進主義”記事で久々にJump制御を実際にやるのに説明書を引っ張り出したところ、”KATOのECS-1を使うとリアルな運転が出来る” と書かれていたんです。 品番22-050、速度計や圧力計などが付いた2ハンドル制御装置、1989年の発売でした。欲しかったけど当時高くてとても手を出せず、類似の制御が出来るよう自作したのが2番目のリンク記事に書いた2ハンドル制御装置です。
ってことは、自作制御装置をJump制御に使えるんじゃない?
やってみたら...
難なく出来ちゃいました。
DCC歴13年、こんな楽しいことが出来るのに気付いていなかった...😅
ED75 768+ED75 734 24系寝台特急”あけぼの”編成をJump制御してみます。 ライトもDCC制御と同じく停止状態で点灯してくれます。方向を換える際、いくらか電圧がかかっていないとライトの向きが変わらないようですが、支障はありません。
例により緑のコネクターで2ハンドルコントローラと繋ぎます。Jumpモード(デジタル表示器 JUMPの下に● 点灯)でED75 734のアドレス7734を設定しています。
更にMU(総括制御)モード(MUの下に● 点灯)にはED75 768のアドレス7768を設定しています。 これにも気づいていませんでした。
”JP1”と書いたシールを貼りましたが、
スペースの都合、付属のJUMPコードを真ん中で切って、間にコードを挟んで延長しています。デスク上に出て来た”JP1”と書いたコネクターに繋がってるよ という表示です。
↑リンクになっています。ご覧いただければ幸いです。
アナログ車の運転では4V位かけないと動きませんでしたが、DCCでは2V位で起動、滑らかに加速して行きます。 2ハンドルでDCC運転が楽しめるようになったのは大きいなー..
気付いてなかっただけ、つなぐだけで簡単に出来ちゃったんですが...
また、動画からも分かりますが運転中アンペア計が殆ど振れないんです。
察するに、DCC機器は制御電圧を”信号”としてのみ受け取り、2ハンドルコントローラーからの電力を直接走行に使用していない ということなのでしょう。
直流信号をDCCシステム内に入れる訳じゃないってことは、[DCC1台にパワーパック1台]×2、複数台も大丈夫です。左上に2ハンドルを接続、右に別途パワーパックを接続してそれぞれJump制御をやってもOKでした。
1つ足りないので2ハンドルの方へ譲っています。2台あったNo.255パワーパックの1台を潰してハンドルのみ流用したんですが、何かの拍子に折っちゃったんですよね。このハンドルだけ手に入ればいいんだけどな。
DCCを導入した頃を思い出してJump制御をやってみたお陰で2ハンドルを使えることに気付きました。DCC運転に”復活”するとは思わなかった。加速率、減速率の調整や、約30年前の製作、見栄えも含めて少し弄ってみようかなー とか思います。
一昨日Upした写真ですが、DCCの面白さにハマってすぐにコントローラー2台体制に..Jump制御はあまり突っ込まずに止めてしまい、まっしぐら だったんでしょう(笑)。
なお、Jump制御には大抵の直流2線式模型用パワーパックが使えると書いてあります。他社品もOKのようですね。ただライト用高周波を出すものや、常点灯システム回路で正常に動作しないことがある、回路の機能をカットして接続するように とのことです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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こんにちは。
今日はNゲージ鉄道模型、ホームの延伸が終わったばかりですが、早速一部バラす羽目にあってしまいました。関連してDCC初導入の頃の話と共に書いてみたいと思います。
バラすきっかけを作ってくれちゃったのがこのKATO WX310ダブルクロスポイント、ED75 759+マヤ34が通過しようとしているヤツです。
ホームの延伸も終わったので運転していた所、脱線が多発するようになったんです。前側(写真左側)2軸脱線しています。原因は矢印部 ポイント不完全転換です。レバーが左一杯迄振れきれずに止まってますよね。このポイントは他にも調子悪いところがあったので..
やれやれ..とバラしました。延伸ホームの一部を撤去して、ポイントが乗る部分を高架道床ごと外して原因チェックです。通常のポイントはDCC基板を内蔵としているので配線不要ですが、ダブルクロスだけはDS-52という基板を別において配線する必要があります。
赤黒がポイント制御用配線、青白がホームと高架道床下に付けたLED照明の配線、どちらも3本づつです。コネクターを外して線路を一部外してリード線が車両に当たって倒さないよう神経使いながら、狭いところから出して来るって結構大変なんですが、高架道床下にリード線を埋め込んでいるのでこうするより仕方ありません。
不完全転換の原因は裏蓋の内側に貼った絶縁テープにありました。矢印の部分が浮いて可動部が引っかかっていたようです。一部カットし、浮かないようにしました。
↑リンク記事になっています。ご覧いただければ幸いです。
これで修復、整備完了。問題なく切換るようになりました。
しかしこのダブルクロス、結構ボロボロです。ネジが緩くなっている箇所もあるし..
そろそろガタかなー。
セッティングを元に戻します。無事に通過してくれるようになりました。ひとまず良かった。
写真の新幹線でも脱線を起こしまして...台車部にカバーがある分復旧が大変でした。
ダブルクロスは今12本使っていますがまだ1本も取り替えたこと無し、写真の2008年より前から使っている生抜きもある筈です。なので予備を1本買っておくことにしました。調べたところ品薄になりつつある感じだったので..レイアウト上ダブルクロスが補充出来ないはショック大きいですから..。
ダブルクロスの脇に見える緑の四角い基板がDCCポイント制御DS-52です。ダブルクロスは4本もコイルが入っているので内臓という訳には行かず です。
さて、2008年の上の写真(6月の撮影だったので丁度13年前)はDCCを始めて間もない頃のレイアウト、今と随分違いますよね。
今は大規模になってますが、最初から目指してたわけでは無いんです。
写真は既にDCC制御器が2台になっていますが、本当に最初の導入時って...
(ホビーセンターのページから上記リンクが削除されているようなので貼っておきます。)
ページを見て検討し、最少限からまー試してみっか から始まったと思います。
最少限とは..
■右のDCS50Kコントローラ1台
電源や付属コードと共にD101セットとして売られていました。今は後継のD102セット(DCS51K)です。
■DCCデコーダを載せた車両
デコーダーは自分で載せますが、DCCフレンドリー車両もあります。ex.E5系新幹線 FL-12の扱いに注意ですが簡単です。2台(2編成)あるとDCCの楽しみを実感できます。
これだけです。
左横にパワーパックを置いてますが、DCS50Kと繋いで運転することが出来ます。
緑色の専用コネクターで接続します。D101/102セットに付属しています。これでパワーパックでDCC運転が出来るようになります(”Jump制御”と言います。)から、都合2編成を別々に動かせます。
久しぶりに実際Jump制御をやってみました。
上の写真は6503表示 左のEF65 1103をDCS50Kで制御できる状態です。
そして”Jump”と言う押しボタンを押すと表示もJUMPの下に●が点灯し、6526と表示が変わります。上の写真右側EF65 526をJumpモード=パワーパックで制御できることを意味します。JUMPを押した状態でアドレスを変えれば任意の車両を動かせます。こうしてDCS機器で1編成、パワーパックで1編成を別々に制御でき、すれ違いも並走も続行運転も何でもOKです。DCC機器で総括制御設定をすれば重連運転も出来ます。
今から13年前、最初のスタートはこんな感じだったと思います。初期投資は安くないけど、問題あったら元(パワーパック)に戻りゃいいや とも思っていました。この辺性格てきとーです。
ポイントも最初からDCC化しなくてもOKです。EF65が並んでたデスク上の作業線は今もKATOのポイントスイッチ制御です。DCCをやる前からあったものを有効活用しています。
こうして始まったDCC、いざやってみると
こりゃー面白い
と車両増、線路増、ポイントのDCC化など順次手を出して行き..
13年かかってこうなりました(笑)。
昨日のホーム延伸もそうですが、私は計画を立ててそこへ向かって実行 ってあまり得意ではありません。先ずここまでやってみよう、上手く行ったらその次..と段々拡げて行く..
仕事でこれやって失敗したこともありますが(汗)、最初から壮大な計画を立てない分気楽に進められる気がするんですよね。まして模型は趣味の世界ですし。
DCCは始めてすぐ面白さを感じてから夢中で突っ走った感もありますが..(笑)。
第一次南極越冬隊長、西堀栄三郎さんの著書”南極越冬記”に、こういうやり方を”漸進主義”と表現されていました。共感しますねー。”悪く言えば調子に乗ること”とも書かれていましたが😅、西堀さんもこの方針を取られたそうです。
今後とも何か思いついた方向へ進んでいくんだろうな と思います。
KATOのHPからDCCへのリンクが消えていた、そもそも内容が古いまま更新されない、
DCC撤退の方向?という心配もあって書いてみました。
国際規格ですからDCCそのものが無くなることはまずあり得ないですけどね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
鉄道.comへ
こんにちは。
今日はNゲージ鉄道模型、本線の線形変更から始まったプラットホームの延伸工事、長くかかりましたがようやく終了しました。
延伸部の屋根付きホームにも照明が入りました。電圧調整器を2つ付けて1面づつ光量調整するようにしています。車両室内灯とのバランスであまり煌々とは光らせていません。
直流、交流、新幹線とごちゃ混ぜですが(笑)、長編成列車を中心に並べてみました。
左から
ED75 74+ED75 1009 +コキ50000×18 (計20両編成)
113系 15両編成
E5系 + E6系新幹線”はやぶさ、こまち” 17両編成
485系特急”はつかり” 12両編成
EF81 412 +24系25型15連寝台特急”富士” (計16両編成)
ED75 129 + ED75 82 + コキ50000、104等×18 (計20両編成)
反対側から見るとこんな感じ..どれも余裕を持って停まれています。113系はほぼ15両全てホーム屋根にかかります。485系12連はちと余裕あり過ぎ感?
新幹線17両編成が余裕を持って停まれる 当初の目的はクリアです。左の1,2番ホームで全長2m60cm位になりました。右側の3,4番ホームはもうちょっと長いかな。
最初の写真からも分かりますが、ホーム下にもLED照明を追加しています。
ED75重連 寝台特急ゆうづるや、ED79快速海峡など完全に駅の下になってしまって、暗くてよく見えず運転に支障があったので..。
こちらは電圧調整せず、煌々状態です。12Vの電源を引っ張りました。プラ板と角棒でカバーを作っています。
増設したKATO 23-100島式ホームA(屋根付き)には2mm幅の超極細テープLEDを入れます。以前やったのと同じですが、左右+-計4本伸びていたウレタン被覆線を2本にし、左右のテープLEDを屋根部で繋ぐ仕様に変更しました。
以前施工時の記事;
上から下へ伸びる線は少ない方が見栄えがいいのと、
写真のようにプラ板でカバーを付けるので屋根裏に這わした線は見えなくなります。
プラ板貼付け作戦は落ちやしないかと心配していましたが、前回施工から10か月経っても大丈夫なので踏襲します。
ホーム床板の下に銅板を引き通して、これも自己流で銅板を付けたユニジョイナー(写真右)でホーム全体に電源を引き通します。
左右銅板を曲げた部分とジョイナーの銅板が接触することで導通、なので上下を固定する”爪”が付いた製品の床板を使うのが必須になります。床板が浮く方向の力がかかりますからね。
この床板、沢山穴が空いていてベンチやら吸い殻入れやら付属品をゴテゴテ付けないと穴が残っちゃう..密度高すぎですが現状しゃーない。床板を取り換えたい気もあるんですが..
自分で必要な個所に穴を空ける仕様だったらなー..。ホーム1面にベンチが15~16か所って、多すぎでしょ?(汗)
もう1つ、いままで片側だったホームへの給電部を両端の2か所に増やしました。
ホーム仮設の時工夫したのと同じもの、床板に銅板を貼って、ホーム下に付けた銅板と接触させることにより給電します。
というのは、自前の導通ジョイナーで連結する箇所が9か所にもなり、給電部から遠い位置では照度が落ちる傾向があったので、両端2か所にして暗くなるのを抑制できました。3m50cmほどのリード線を2本引き通すことになっちゃいましたが...
レピーターや方面表示板など一部テストで付けています。がちょっとイレギュラーな付け方、本来右の2つ穴のところに左の方面表示が来るんですが...設定より内側に付けないとカメラ搭載車が擦っちゃうので内側へ寄せる付け方をしています。ベンチなど床置きも含め少量の接着剤を使っています。
電灯は入れたけど、ホーム上のベンチ等の塗装、駅名設定などは入りません。これから..ということになりますが、どうもこの手の作業に身が入らないんですよねー😅。
ここまで長かった感じです。ホーム周辺の線形変更などが伴い重たい作業でしたが、線形がシンプルになり、作り直した箇所の構造もしっかりしたような気がします。
この単線鉄橋を付けられなかったのだけ心残りなんですけどね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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