高田稲荷(『江戸名所図会』より)
水稲荷神社は、『江戸名所図会』に描かれた当時、「高田稲荷」とよばれていました。
中央付近の小高い丘の上にあるのが、水稲荷神社(高田稲荷)で、ここは現在の早稲田大学9号館裏のあたりです。
右上の山は、高田富士で、水稲荷神社(高田稲荷)とともに、昭和38年(1963)に西早稲田3丁目の現在地に移転しました。
堀部安兵衛の碑
堀部安兵衛助太刀の場所の碑です。
元禄七年(1694)二月十一日のこと、安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で、枡酒をあおると高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し相手方三人を切り倒した。
この果し合いの場所は、現在の西北診療所のあたりといわれています。
この決闘で助太刀をした安兵衛の活躍が江戸中で評判になり、後に講談や芝居の題材となりました。 安兵衛は、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹後、終始あだ討ち推進派として活躍。元禄十五年吉良邸に討ち入ったその功績が称えられ、明治四十三年(1910)に安兵衛の石碑が旧高田馬場、現在の茶屋町通りの一隅に建立されました。その後、昭和四十六年に現在の水稲荷神社の現在の場所に移されました。
御神楽殿と御神輿蔵
御神楽殿では神社のお祭りの時に「戸塚囃子」(新宿区指定無形民俗文化財)が披露されます。
水稲荷のご神木
元禄十五年(1702)霊水が湧き出たとされる大椋の根元です。
その水で眼を洗ったところ、眼病がたちまち治ったとされ、江戸市中で大評判となりました。
神社の由来のひとつとなり、長い間、ご神木として人々の信仰を集めたものです。
昭和二十年(1945)5月、戦災により社殿をはじめ神木の“椋”も焼失しましたが、大椋の根元だけは残り、現在もこのように大事に保管されています。
冨塚古墳
社殿の真裏の小高い丘は、戸塚の町名の起源ともいわれている「冨塚古墳」です。
元々、早稲田大学9号館裏にあったものがここに移されました。
浅間神社
安永九年(1780年)先達日行青山藤四郎翁により築かれた江戸市中最大最古の冨士塚の麓に御鎮座、御祭神は木花咲耶姫尊、石長姫尊です。
三島神社
水神社
御本社とご縁の深い水の神様である「水神様」をお祀りしています。
大国社
鳥居をくぐった右手にあり、大国主命をお祀りし、元来、産業の神様ですが、転じて身体健全、金銀融通の神様です。
高木神社
元々、早稲田大学構内にあったものを移しました。その御縁があってか近年特に早稲田大学入学御祈願の霊験が顕著と評判です
北野神社
天神様即ち菅原道真公をお祀りしており、牛込天神町から御遷座されましたが、早稲田大学創立者大隈重信は日々拝礼し特に信奉厚かった社で、高木神社共々早大受験生は必拝の御社です。