11月16日
朝6度、薄晴れ。
作曲。
日中、10度、曇。牡鹿が角と前足で地面を掘ってそこに寝そべるのを目睹す。やはり山道に残る楕円形に掘り返された跡は牡鹿の寝床であった。
映画『里見八犬伝』
夜8度、曇りて星月無し。
朝6度、薄晴れ。
作曲。
日中、10度、曇。牡鹿が角と前足で地面を掘ってそこに寝そべるのを目睹す。やはり山道に残る楕円形に掘り返された跡は牡鹿の寝床であった。
映画『里見八犬伝』
夜8度、曇りて星月無し。
朝、9度、曇。明け方雨。
作曲。豊かな自然の中でDJをして遊ぶ動画がYouTubeには多くあるので、これはきっとクールなことなのであろう。窓外の木々や空を眺めて作曲する我が日々はクールな生活なのであろう。注文していたマウス到着す。無事に動く。
日中、半陰半晴、13度。アモ子と二時間の長散歩。
夜、8度、満月皓々たり。
剰語
ロバート・ケネディジュニアの今後の働きぶりによっては、これは外圧となって日本の医療業界の利権にもメスが入るやもしれぬ。ただし、常に光と影はセットなり。規制や利権だらけという影を消せば、おそらく何か光も消えるであろう。それを受け入れられるか否か。どんな想像もつかぬ光が消えるやも知れぬ。芸能界からパワハラセクハラをなくしてコンテンツがつまらなくなったのは、想定内なり。
朝、快晴、4度。里は雲海の底。
作曲。
日中、快晴、14度。アモ子散歩中白骨見つけたり。鹿の背骨の一部と肋骨の一部と思わるる。あたりを探したれど他には見当たらず。だいぶ古いもののようなり。
夜8度、雲間に月朧なり。
朝、8度、晴れ。
作曲。
日中、13度、半陰半晴。
黄昏、景色良し。
夜8度、月明るし。
剰語
授業中フラフラ歩き回る子はわかりやすく変わってる子なれど、こどものくせに授業を集中して聞き、しかも一度聞いたらほとんど覚えてしまい試験の成績もいい子というのも変わり者なり。されど、こちらの子がなにか手当してもらえることはほぼ無し。何事も光と影はセットなり。家で予習復習やって試験ができるのは道理なれど、家で何も勉強せずに試験ができる子というのは他の「影」あり。周りの人がこれに気づく可能性はほぼ無し。気づく可能性があるのは親だけなり。
朝、9度、曇。里は雲海の底。夜のうち雨降りしようなり。三日前のマイナス3度と比べれば暖かき心地す。
作曲。
日中、15度、秋に戻りたり。落葉松の葉、降り注ぐ。
夜、6度、月皓々たり。
朝、薄晴れ、4度。
山道のところどころに楕円形に土を掘り返した跡あり。牡鹿の寝床なりや。
日中、晴れ、13度。
夜、9度、星無し。
剰語
現代の芸術音楽とも呼べるものを聴く。絵画でいえば抽象画なり。メロディらしいメロディのないものなり。しかしアンビエントやヒーリングといった商業的にジャンルが確立された、聴き心地の良さを求めたものではなく、「なんだこれは!?」というような何かがそこにはあるように思えるなり。商業的に成功した後の坂本龍一氏が取り組んでいたものと同じ方向性のものと思われるなり。芸術的な映像と一緒にパフォーマンスされるところも同じなり。
メロディがはっきりしている音楽は、絵画で言えば何が描いてあるかはっきりわかる具象画であり、さらに歌詞がついているということは絵に文章が書いてあるのと同じで漫画のようなものかもしれぬと思いけり。