【最優秀受賞のことば】信越放送 SBCスペシャル 78年目の和解~サンダカン死の行進・遺族の軌跡~ (2024年民放連賞テレビ報道番組) | 民放online

【最優秀受賞のことば】信越放送 SBCスペシャル 78年目の和解~サンダカン死の行進・遺族の軌跡~ (2024年民放連賞テレビ報道番組)

湯本 和寛
【最優秀受賞のことば】信越放送 SBCスペシャル 78年目の和解~サンダカン死の行進・遺族の軌跡~ (2024年民放連賞テレビ報道番組)

「怪物と闘う時は、自らが怪物にならないように気を付けろ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」F・ニーチェ『善悪の彼岸』(1886)より。

オーストラリア人の元捕虜の息子であるディック・ブレイスウェイトさんの著書『Fighting Monsters』のタイトルの意味を尋ねたとき、妻のロビンさんは穏やかに、そして少しうれしそうに微笑みました。

番組は、アジア太平洋戦争末期の1945年に、現在のマレーシア・ボルネオ島で起きた「サンダカン死の行進」(The Sandakan Death Marches)と、その遺族の歩みを追ったものです。ジャングルを横切る日本軍の無謀な移動命令が発端となり、オーストラリアとイギリス両軍の捕虜2,434人のうち2,428人が死亡し、落伍した者は銃殺されました。日本軍も兵士の約半数にあたる8,500人ほどが餓えや病気で亡くなったとみられ、地元住民や台湾からの捕虜監視員、インドネシア人労務者などが命を落としました。

私の大伯父は現地で戦病死しており、私自身も遺族の一人です。凄惨な歴史がほとんど語られてこなかった一方で、取材を通じて、大勢の遺族が戦争の痛みを抱え続けている現実に直面しました。

どのような視点から、事実をどう描き、どう伝えるべきか。2015年に取材を始めて以降、迷いは常にあり、自信をもって「これが正解だ」と言い切ることはいまもできません。当初制作した番組をいま振り返れば、理解が不十分な箇所があります。惨劇の「加害者」である「日本人」という立場で「和解」に関する番組を作ることは適切なのか、その点を問われたこともあります。戦争というテーマと向き合えば、否応なく自分自身が何者であるのか、そして相手は何者であるのかというアイデンティティ、そして近代特有のナショナルな要素がつきまといます。その束縛からの距離感をどう取るのか、そして何を背負うべきなのか。この点については、これまでに多くの論争(そして政争)が続いてきました。

国を越えた和解の取り組みは、2015年にオーストラリアで取材し、翌年亡くなったディックさんが、著書の中で願った遺言でした。死の行進から生還した父を持つディックさんは、なぜあのような悲劇が起きたのか、日本を含めて多くの関係者を訪ね、埋もれていた資料や証言を集め、亡くなる直前に1冊の本にまとめました。娘のクリオさんによれば、日本に怒りを込めて書いた草稿もありましたが、捨ててしまったといいます。書くプロセスは「自分の気持ちを確かめていくプロセス」であり、「怪物との闘い」であり、その結果としての「和解」の希求だったのです。

今回の受賞は、遺族・関係者による和解の取り組み自体も評価していただいたものと感じています。当初2020年夏に予定していた和解の旅は新型コロナの流行によって、3年の遅れを余儀なくされました。日本側の中心を担った古井貞熙さんが、その間に亡くなられたのは痛恨の出来事でしたが、オンラインで打ち合わせを重ねられたのは、ディックさんや古井さんの強い思いがあったからです。

地元ボルネオのシンシアさん、元捕虜の息子のリチャードさん、古井さんのいとこの馬場さん一家をはじめとして、それぞれが被った辛い記憶や率直な思いを共有し、カメラの前で語ってくださった方々にも、あらためて感謝を申しあげます。また取材の過程で、番組でご紹介しきれなかった大勢の方々にお世話になりました。重ねてお礼を申しあげます。

それぞれが被った具体的なストーリーを同じ場で共有し、理解し合うプロセスは、分断と対立が続く時代に向き合うヒントを示しています。日本の300万人、アジア太平洋の2,000万人以上の犠牲から得た教訓を忘れずにどう生かしていくのか。彼我を超えて「背負うべきこと」の一つは、未来へと向けられています。


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