子どものやる気を引き出す方法とは?スピリチュアルな見解|miena[ミエナ]

子どものやる気を引き出す方法とは?スピリチュアルな見解

こんにちは、ミエナです。

今回は、「子どものやる気を引き出す方法」について書いていきます。

子どものやる気を引き出す方法とは?スピリチュアルな見解

Q.あなたは、子どものやる気を引き出したいですか?

勉強やスポーツに、子どもが熱心に取り組んでくれたら嬉しいですよね。高い集中力を発揮し、優秀な大人に成長して欲しいと、親であれば誰しも望むことでしょう。

「子どものやる気を引き出す」という親の課題は、きっと人類が誕生した太古の昔から存在していたでしょう。

もしかすると、石槍を持った原始人でさえ、子どもがマンモス狩りの練習にやる気を出さず、親が呆れていたかも知れません。また、古代エジプトでも、親の望むように、子どもがやる気を出さないことは、いくらでもあったと思います。

つまり、「子どものやる気を引き出す」こと自体、人類が未だ解決できないことなのです。

Aさん
子どものやる気を引き出すことに成功した人もいる!!

上記のAさんのように思う人もいるかも知れませんが、それは、親が子どものやる気を引き出したのではなく、勝手に子どもがやる気を出したが「真実」でしょう。

親の教育云々ではなく、たまたま子どもが出会った事柄やスポーツが、その子のビジョンと一致したのです。

無いやる気を引き出すのは、神様でも不可能である

「子どものやる気を引き出す」のは不可能です。

断言します。これは、子どもだけでなく、大人も同じであり、他人からやる気を引き出されることはありません。仮に、一瞬だけ興味関心を引き出すことに成功しても、持続しないのです。

人のやる気を引き出すことは、神様にもできない

算数が嫌いな子どもに、算数を好きにさせるのは、神様でもできません。人間は、自らの「やるべきこと(人生課題)」や使命を持って生きているために、それとは関係ないことに対し、やる気を出さない権利があるのです。

人は本質的に「やりたいことをやる権利」、「やりたくないことをやらない権利」を魂に有します。この権利は、神様でも侵害できないのです。

「やる気を引き出す」のではなく、「やる気になれること」を探そう

やる気を引き出そうとすれば、徒労に終わるでしょう。

疲れるのは、親です。神様でも出来ないことに、お金をかけたり、時間をかけたり、労力を費やすのは、親自身の人生における大きな損失となります。

そのため、「頑張って、子どもにやる気を出させよう!」とは考えないことをオススメします。親の徒労が積み重なれば、それは、絶望に変わり、絶望が子どもへの叱責や暴力に変わります。

これは、親子ともに不幸な道を歩む序章となりうるのです。

しかしながら、全ての物事に対し、何の興味関心を示さない子どもはおりません。何かしらには、熱心に取り組み、自らの才能を開花させて、大きく成長していきます。

その「何か」が、子どもの経験不足より、今は子ども自身で見つけられないだけなのです。そのため、子どもがやる気の出るものに出会うには、様々な経験をさせてあげる必要があります。

親が、子どもの「やる気」に関与できることは、「引き出すこと」ではなく、「きっかけを与える」ことしかないのです。

「こういう大人になって欲しい」という真摯な願いが、子どもを無気力にすることも…

そもそも人類の歴史を紐解くと、いつの時代でも親子関係は「親が上、子どもが下」です。これは、21世紀になった今でも同じでしょう。

ただ、スピリチュアルには、魂に優劣はありません。

実際に…

子どもは親を見て、様々なことを学ぶ一方で、それと同じくらい、親も子どもから学びます。

そして、「親が子どもに何かを教えることで、子どもは一人前になる」という考えも真実ではなく、子どもは、勝手に親の背中を見て学びます。

むしろ、何かを教えるよりも、「親の背中」の方が、学習の吸収力が高いのです。

例えば、親がしっかりマナーを持っていれば、子どもは教えずとも、マナーを身に付けます。反対に、子どもをマナー教室に通わせても、親がマナーを守らなかった場合、子どもはマナーを身に付けません。

このような親子の関係の中で、無理に親の権限を発揮するのは、「親の希望に子どもを合わせる」教育になってしまいがちです。

「親の期待する子どもの将来像」と「子どもの持つ将来のビジョン」が異なることが多いために、「こういう大人になって欲しい」という真摯な願いさえ、子どもに言わずとも、自制することが大切だと思います。

子どもへの「強制」が、子どもの自己否定を生む結果に…

子どもは、やりたくないことをやらされ続けると、自己否定を始めます。

子どもの自己否定は、「子どもが持つ自分の未来像のイメージ」と異なることで強制されることで起こるのです。

そして、この「強制」を助長するのが、他人との比較や競争です。比較や競争は、一時的に、子どもの意欲をかき立てることもありますが、継続して意識させると、誰かに負ける度に自己否定するようになってしまいます。

学校という場は、比較や競争に溢れていますので、子どもの自己否定感を煽る場所とも言えます。学校が、子どもに対し、様々な機会を提供し、子どものビジョンの具現化を促す場でもあるために、学校制度の全てを否定するわけではありませんが、不登校児童が増える現代で、「どこまで、子どもに強要させるか」は、重い課題としてあり続けるのです。

将来の夢へのやる気を、勉強に転嫁させよう

子どもは、将来の夢を持っています。子どもが話す将来の夢は、ときに、本心からやりたいものであり、ときに気まぐれでもあります。経験値が少ないために、やりたいことに未だ出会ってない可能性があり、将来の夢を語っても迂闊には鵜呑みにできません。

そのため、子どもの言う将来の夢を大人が真に受けすぎるのも、正しいこととは言えません。しかしながら、子どもの語る「将来の夢」は、少なくとも現時点では、やる気が引き出される要素であるため、とても重要なワードであると言えます。

例えば、子どもが「消防職員になりたい!」と話したら、「じゃあ、理科を勉強しなきゃね」と問いかけてみてください。事実、消防職員になるための消防庁採用テストでは、化学は必須ですからね。

そもそも消防職員になりたい子どもは、「火を消して、街のヒーローになること」と「理科を勉強すること」を、脳内の紐付けができていないことが多いですから、消防職員と理科の勉強を結びつけることで、理科に興味を持つ可能性があるのです。

また、例えば、子どもが「将来、大きなビルを建てる建築士になりたい」と言ったら、算数の勉強の必要を教えてあげてください。子どもが自らの未来のビジョンを具現化ないのは、知識不足があるためで、大人が今ある勉強と関連付けることで、将来の夢へのやる気を勉強に転嫁できるのです。

ただ、それでも勉強しない子どもも多いでしょう。

この場合、子どもが未だ本気で、なりたい職業を見つけていない状態ですので、様々な体験学習、職業見学を通じ、自分の未来像を具現化させる必要があります。

こういうときにオススメなのが、キッザニア(KidZania)です。様々な職業体験ができますので、子どもが、自らの魂に刻まれた理想の未来の自分像を頭に思い描きやすくなるのです。

最後に

子どもが、自己否定に入ってしまえば、本来、やる気の出るはずのことにさえ、やる気が出なくなります。

一番に避けなければいけないのは、子どもの自己否定であり、親が「やる気を引き出させる行為」の弊害と起こります。

やる気が出ること(やりたいこと)は、子どもが18歳くらいになるまでに見つかれば、大万歳ですので、ゆっくり見守った上で、様々な経験をさせてあげることが重要です。

大人でさえ、やりたいことが見つからない現代…

子どものやる気を早期に引き出し、偉大な人間に育てるという「不可能」にチャレンジするよりも、子どもとの楽しい時間を共有することに、エネルギー(時間・お金・労力)を割く方が、明るい未来が訪れる可能性は上がるのではないでしょうか。

ミエナ
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