昨日のパワーポイントは
なんとか出来そう。
表紙と目次まではわりと順調、次に目次の内容を書く段になって
手が止まってしまいました。
ん~・・・しっくり来ないし、
これは実際に人に聞かないとなぁ~と思って
今日か月曜日あたり、その人にメールしてお願いしようか~
何かをしようとするとき何かがしっくり来ないとき、進まないとき、
それは自分の中からのものではなく
何か既成の概念や一般的なものに
自分が囚われているときだということを
なんとなく、数回経験して、知っている。
そのことにお腹から気が付くと、何かがふっきれたように
あーこうしよー!とどんどん楽しくなってきますね。
自分ではないもの、価値観、概念、一般的なものに
どれほど自分が縛られて生きているのか・・・
その辺のことに注意を向けることの多い今日このごろ。
今ブログもこうして長々と書いているのは、そういう時期だから。
そして、写真の右下、銀色さんの日記を読むときもだいたい、そういう時期。
本当に、わたしにとって、お!って思うことがタイミングよくちりばめられていて
そこの箇所にこの間のポール&ジョーの猫ちゃんの付箋を貼ったりしています。
昨日、ある人から、とてもいい話を(メールで)いただきました。
○○をやってみませんか?ということ。
それは私の夢の一つとして描いていたものだったから、
一瞬、え!って驚いたほどだったのだけれど・・・
そのある人は、だいたいいつも、よくよく考えると
自分の都合で上手に人を使う、っていう感じがしていて、
もちろん誰かに何かを伝えるということは自分の想いとかだから
自分の都合といえばそうなんだけれど、
それは自分の意見として伝えるのならいいけど、
それをうやむやにしたり、無意識的にあなたのためだから、っていうことになり
それが叶わないと、ものすごく相手を責めたり、感情的になったりもする。
上手に使ってくるときもあるから、あぁ使われてしまった・・・
とその巧みな技に、あとからがっかりすることもしばしば。
もしわたしがその話がわたしの夢だったからと、
そのことに気が付いているのに蓋をして、乗ってしまったら・・・
それはそれは苦しい時代の幕開けだっただろうなと思う。
で、丁重にお断りしました。
断るのも、タイミングによっては、ものすごく感情をぶつけてくる場合もあって
どきどきしたけれど、
ついでに今自分がどんな活動をしているかも伝えるいい機会だと思って、
覚悟を決めて今これこれこういうことをしていますので
っていうことも書いてメールした。
まだ完全には諦めてない風だったけれど、そこは流しておいて、終結・・・よかった。
そんなことがあって、その後ちょうど銀色さんの日記にこんなことが・・。
被害者と加害者という部分で、
加害者は、被害者が感じているほどその出来事に関して感じていないという例で、
それは、加害者はその人の気持ちを知らないから、
被害を受けたと感じた人は加害者に、分かってもらえないかもしれないけれど、
できるだけその瞬間に言い続けていくことでしかないというようなこと。
銀色さんは言ったり言わなかったりだけれど、
伝えきれなかった時、同じようなことがまた起こることがあって、
ああ、前もここで言えなかったなと思うと。
「そのように、身近な小さなことから、人は想いを表現するという
とても大事だけれど困難な努力をしていかないといけないのだと思う。
それが「がんばる」ということだと思う。
がんばる、というのは、一生懸命に走るとか、懸命に努力するとかいう
表だった華々しい時だけじゃなく、
心を強くもって言うべきことを言う、というような地味な時にもあてはまる。」
あぁ~なんて分かるのでしょう~・・・今のわたしに・・・
ととてもありがたかったです。
さてさて、書いてちょっとすっきり。
長々とお読みいただきありがとうございました。
そういえば、銀色さんは息子さんのさくくんのことを呼ぶ時
「ぼ~ん」とか「ぼんちゃん」と呼んでいるみたいですが、
わたしは愛犬はなを「ぽんぽんちゃん」と呼んだり、「ぽ~ん」って
呼んだりしていますが(可愛すぎてなんて言っていいか分からないとき・・笑)
兄が自分の息子をかわいさ余って呼ぶ時も
「ぽんぽんちゃん」とか「ぽんくん」とか呼ぶのを聞いて
びっくりしました!それってどこから来たのかな・・笑
お昼にはお寿司が食べたいみこでした♪