年に数回、定期的に見る夢がある。
シーズンに一度くらい。
夢はくり返しやってくる。
重要な試験が近づいている。もしかしたら人生を左右するかもしれない重要な試験だ。
クラスメートの何人かが問題について話をしている。
彼らはすでに問題集を2周回ほどして、「あー、あれならこうだろう」と互いに頷きながら、答えを導き出している。
しかし、私はまったく話についていけず、途方に暮れるばかりである。
同級生たちとはかけ離れた、自堕落な生活を送っていたようなのである。
もう間に合わないと、ハラハラしたところで目が覚め、夢であったことに安堵する。
なぜ、このような夢を繰り返し見るのだろう?
もしかしたら、たが(箍)が外れると、どん底に落ちてしまいそうで、そうならないように生きてきた小心者の自分に対し、もう一人の自分が、過度の用心深さ、臆病さに警鐘を鳴らしているのかもしれない。わからないが。
先日、菅原道真公ゆかりの松山市内にある履脱(くつぬぎ)天満宮に参拝した際、受験シーズン真っ只中の絵馬に、志望校や資格試験の文字が書かれていた。
今この瞬間、人生の大きなターニングポイントに、ガチで向かおうとしている彼らの姿勢に、改めて感銘を受けた。
彼らの幸運を祈りつつ、遅咲きの梅の花を愛でながら家路についた。