2023年夏 日本:ドイツ再発見:SSブログ
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遠い日本 [2023年夏 日本]

今日からぼちぼちとこの夏(2023年)の日本旅行について書き始めようと思う。最初の数日はいつものリズム(過去の旅行記や今のめぎ家の近況についてなどを日替わりで書くリズム)ではなく、日本旅行についてのみアップ予定。まずは行きの飛行機の話から。

ここはデュッセルドルフ空港。6月27日朝7時半過ぎ。
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並んでいる人がいっぱいいたが、めぎはサクッとチェックイン。今回ビジネスクラスを利用したため、並ぶ必要がなく非常に楽だった。

ライン川と暫しのお別れ。
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そしてまずウィーンへ。ここはブルゲンラント州のノイジードラー湖。
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そしてオーストリア航空成田行きに乗り変える。
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200ユーロエキストラに払ってお一人様席。これはとても良かった。
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今回日本行きを検討した時、うちのドイツ人が早々に行かないと決め、浮いたお金でビジネスを使いなさい(そうすればあまり疲れずに日本に着き、限られた日本滞在を最初からパワー全開で満喫できるから)と2000ユーロプレゼントしてくれた。コロナ&戦争&エネルギー高騰のためヨーロッパ=日本間の飛行機代がものすごく上がっているのだが、オーストリア航空で往復3200ユーロのビジネスクラスをゲット。ANAなど使ったら片道でその値段。いや、ANAだと日にちによってはエコノミー往復でその値段なので、3200ユーロでビジネス往復は本当に破格のチケットをゲットした感じだった。
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ヨーロッパ、しばしのお別れ…
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ビジネスにしたのは、現在戦争の影響でロシア上空が飛べないため遠回りとなっていて時間がかかるから。それでもウィーンまわりだとずいぶん短い。約11時間半の飛行(写真は離陸から10分ほど経ってから写したもので、11時間23分と出ている)。
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飛行マップを見ていると、本来の航路は黄色の点線で描かれていて、飛行機がそちらへは向かっていなく南回りをするらしいことが見て取れる。(今日の写真の多くは明るすぎて映り込みが激しく汚い画像、または暗すぎて手振れしてしまった酷い画像だが、めぎの個人的記録としてこのまま載せる。)
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本来の航路なら、ウィーンから10時間ぐらいなのかな。
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さて、程なく食事のお時間に。めぎはシャンパンを頂きながら、前菜を。これはパラパラで。スープがガスパッチョで、前の日の晩にうちのドイツ人が作ってくれたことを思い出しながら賞味。うん、うちのドイツ人のガスパッチョ、負けてない。
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ゆっくり頂いているうちに、トルコの黒海沿岸を飛んでいた。これってロシアとの境界ギリギリだわね。この時点でも黄色い点線はロシアの方へ伸びている。ソチの方へ飛べば飛行距離が短いと計算されているってことかな。
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トルコもまた行きたいなぁ…ホントはこの春に行こうと思っていたのだけど、その行きたかった地域で地震が起きちゃって行けなくなったのだ。
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それからメインディッシュ。日本食の照り焼きサーモンとやらもあったのだが、ウィーン発のオーストリア航空なのでシュニッツェルにした。まあまあだった。ここからワインを2018年のツヴァイゲルトにした。オーストリアのブルゲンラント州のワインである(めぎ家がウィーンからそこを訪ねて箱でワインを買ってきた話は以前書いた)。付け合わせのポテトサラダはウィーン風の味付け、つまりマヨネーズなしのビネガー味。
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食べ終わった頃にはコーカサス地方を飛んでいた。
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こういう地形なのね…
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ここでオーストリア航空ならではのサービスが。ウィーンのカフェハウスのメニューが提供されるのだ。めぎはフランツィスカーナーという名前のコーヒーにした。ラッテマキアートと似たような感じのもの。これにコニャックが入るとフィアカーという名前になる。デザートはムース・オ・ショコラで、さらにデザートワインのベーレンアウスレーゼを。美味しかった♪
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そしてこんな景色を見ながら…
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最後にチーズも頂いた。
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もうおなかいっぱい、何も入りません…フライトの途中でサンドイッチのサービスがあったが、めぎは飲み物しか頂かなかった。

それからめぎはいっぱい飲んだにもかかわらずまだ全く眠くならなかったので(ドイツ時間でまだ17時ごろだったし)、エンターテイメントに入っていた2022年ザルツブルク音楽祭の「魔笛」をドイツ語字幕をつけて見た。このオペラ、歌詞はドイツ語なのだがオペラの歌詞って歌を聞いてもなかなか聞き取れないので、同時字幕付きで見ると非常に勉強になった。そうか、そう歌っていたのか、だからこう面白いんだ~凄いなあシカネーダー(オペラの台本を書いた人)、凄いなあモーツァルト(この歌詞だからこういう旋律またはこういうオーケストレーションなのねと納得)と、なるほどなるほどのオンパレードで、時々眠りながらめぎはこのオペラを4回繰り返して見た。
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これは、どこまで来たかな~と途中で写したもの。あと5時間半か…
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まだ半分なのね…いや、半分はちょっと越したかな…ここまでくると、黄色い点線はもうロシアへは導いていなかった。
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ビジネスの良さは、食事ももちろんそうだがなんと言ってもフルフラットになること。眠るためにビジネスにしたのだ。それでもあまり眠れなかったが(ヨーロッパを昼出発だったというのもあるし、年末年始に乗ったトルコ航空と比べて座席が狭くて寝苦しいというのもあった…ぜいたくな悩みだけど)、眠くなった時にキッチリ横になれるのは本当にありがたい。
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そして、やっとここまで来た。
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あと1時間ぐらいというところでやっと最後の食事。オムレツもあったがあまり惹かれず、バナナブレッドを頂いた。これもまあまあでほとんど食べなかったのだが。フルーツやヨーグルトが美味しかった。
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あと30分になってからが長かった…
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そして無事到着。撮ってないけど、今はずいぶん色々なものがデジタル化されていた。入国審査も、税関も。めぎは入国審査後わざわざエキストラに頼んでスタンプを押してもらった。そうじゃないと、また数年後、いったい何年前に日本に行ったか忘れてしまうのだ…

そして9時半ごろ成田エキスプレスで東京へ向かった。
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その日、本当は到着後すぐ成田空港近くに住む知り合いに会う予定だったのだが、残念ながら直前に出張となってしまい、お流れに。で、東京駅からホテルに直行して荷物を置かせてもらったものの15時チェックインまで一人で時間つぶしをすることとなってしまったのがかなりしんどくて(ドイツ時間6月27日の朝6時45分に自宅を出てからホテルチェックインの日本時間6月28日14時45分まで、25時間の旅であった…今思うと、成田到着後すぐに人に会うという計画は無謀だったと反省している…)、夜にホテルのウェルネスサービスを利用し、80分の全身マッサージを受けた。それが本当によく効いて気持ちよく就寝出来、次の日から体も軽く時差もあまり感じずに過ごすことができた。
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遠いドイツ [2023年夏 日本]

今日も2023年夏の日本旅行のお話を。今日は一足飛びに帰りの飛行機、つまり日本からドイツへの飛行機のこと。最初に書いてしまうのは、昨日の日本行きのと比べておきたいと思うし、いつか迎える旅行記の終わりにこの話を書こうという意欲がたぶんないと思うので。

帰りは羽田発だった。第3ターミナル。
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初めての羽田第3ターミナルなので、ちょっとお散歩。グッチの広告、羽生君だったらよかったのにな~これはパラパラで。
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ANAのラウンジが使えたのだが、もう日本食にはほとんど興味がわかず、うどんやら寿司やらANA特製カレーやらあったのだが食べたのは唯一今まで食べなかったお赤飯のおにぎりと、妙に惹かれたサンドイッチ。この手のサンドイッチ、めぎはほとんど食べないのだが、とうとうパンが恋しくなったということかな。ドイツパンとは全く違うのだけどね。これもパラパラで。
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さて、行きは成田着だったのに帰りが羽田発なのは、帰りはルフトハンザだったから。
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めぎが飛行機を予約した3月当時、オーストリア航空の日本発着便数は非常に少なく、7月10日には日本発が無かった。それで同じスターアライアンスのルフトハンザが代わりに売られたのだ。スイス航空とANAも選べるようになっていたが、スイスはドイツより西側なので遠回りとなるので却下、ANAは高すぎて論外。ミュンヘン経由というのもあったのだが、若干高めでフランクフルト経由とした。まあ結果的にはフランクフルト経由も若干遠回りだったのだが。

その後オーストリア航空も便数を増やし、たしか6月から7月10日日本発の便ができたのだが、めぎは予約をそのままにした。というのは、これに乗ってみたかったから。
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↑これ、2階建てなのだ。ボーイング747-8である。

2階はビジネス専用。当然2階の席を予約した。
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窓側。席の横に荷物を入れる場所があって、その分スペースがあって広々。
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その代わり、隣が妙に近い。間に衝立もないし、お一人様仕様でもない。ハッキリ言えばカップルや友達同士用の席という感じ。でも、たまたまお隣になった紳士はとても控えめで静かな方で(ツアーでスペインに行くという日本の方)、お手洗いに行くタイミングなども上手く合い、快適に過ごすことができた。
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足元はこんな感じ。白い包みの中はフルフラットにした際に座席に敷くマットで、寝るときはこの細い部分に足を置く形となる。ちょっと狭苦しい。それに、そういう意味で本当にお隣が近い。まあ顔はそこそこ離れているのでいいのだけどね。エコノミーと比べたらずいぶん遠いしね。
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さて、乗客全員が乗り込み、搭乗する部分が離れていった…この瞬間、ああ、日本さようなら、という言葉が浮かんだ。
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そして離陸。
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前の席の若者が窓に張り付いて眺めていた。彼もめぎと同じ心境なのかな。
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ここからの写真は明るすぎて映り込みが凄いのやらブレブレばかりだが、記録として載せる。東京を離陸して、本当は黄色の線の方へ向かうはずなのだが、飛行機は反対方向を向いている。帰りも南回りなのかな…
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離陸から10分後ぐらいの撮影で、飛行時間は13時間22分と出ている。行きの11時間23分より2時間も長い。風の所為なのかな…
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結構揺れる中、食事が始まった。グラス半分ほどのシャンパンがこぼれるかなと思うほど揺れた。
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前菜が来る頃、飛行機はここだった。本来向かうはずの方向とはまるで違う方へ。北回りらしい。
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前菜は仔牛肉のローストビーフで、メインは牛すきのようなもので、これを見て以前のYAPさんのブログで紹介されていた「ご飯にたれが侵食しててむむむ」というのを思い出したのだが、この包み紙のおかげでご飯には侵食しないものの、お肉にたれをつけて食べるのが非常に面倒で、箸も無かったし、非常に食べにくかった。でも、味はまあまあ及第点。デザートはケーキに惹かれず、チーズとフルーツの盛り合わせにした。
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食事が終わると飛行機はここだった。北海道、さようなら…北方領土を避けて飛んでいるわね。
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ひと眠りして、ベーリング海峡を飛んでいる頃。
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この辺でようやく飛行機はヨーロッパへと向きを変えるようだ。
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次に目が覚めたのは白い氷の上。
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シェードを上げて外を写してみた。
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この氷の割れ目は昔からなのか、温暖化の所為なのか…
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飛行は半分を超えたかな…あと6時間を切った頃。
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このときだったか、途中のサービスとして飲み物とおにぎりとフルーツを頂いたのだが、暗いので写していない。お手洗いにも行ったのだが、2階には2カ所お手洗いがあるものの、1カ所は壊れてて使えず、32席(実際は25人ぐらい)に対し1カ所となり、ちょっと不便だった。お手洗い自体もビジネスでこれですかという狭さと設備だったし、ボーイング747-8はもうかなり古いという印象。安かろう…ということかな。

その次に目が覚めたのは、アイスランド近く。
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それからまた1時間以上飛び、デンマークの北端の西岸を飛んでいる頃、やっとあと1時間ほどになった。
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そんな間際になってから、最後の食事。このとき、めぎはドイツのソーセージを選んだ。パスタという選択肢もあったのだが、それよりはドイツ食の方に惹かれて。日本食は選択肢になかった。これ、結構美味しかった。特にマッシュポテトが美味しかった。ああ、ドイツに戻ってきたなあという気がした。飲み物はトマトジュース。
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そしてニーダーザクセン州の畑が見えてきた…
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こうしてデュッセルドルフを通り越してフランクフルトに到着。EU入国はフランクフルトで。EU国民はデジタルだが、めぎは有人の審査。でも、あっという間に通過。
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ラウンジで一休み。
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そして最後のフライトへ。
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到着!このとき22時6分なのだが、緯度の高いドイツはまだ明るい。
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明るいうちに着けた~と喜んだのだが、まず降りるためのタラップがまだ到着していないというアナウンス。次に、お預け手荷物が出てくるまでに1時間以上待つという事態になった。ああ、ドイツだわ~これは23時23分の撮影。
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こんな状態で待っていた…日本だったら即刻注意されるだろうが、人手不足のドイツ、ついでに夜中でさらに人出削減していると思われるドイツ(夜に働かせると賃金が高いから)、荷物を運ぶ人員も少なければこういう場所で見張っている人も全くいなくて、めぎもベルトコンベヤーに座って待機していた。最初はベンチに座っていたのだが、お手洗いに行きたくなり、その後座る場所を失ってしまったのだ。床に座っている人も多数いたし、上の写真でめぎの方を向いている男性はテーブルに座っている。こういうとき、一人旅って辛い。
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やっとやっと荷物が出てきて、タクシーに乗って帰ったのだが(夜遅く着く便だったのでうちのドイツ人は迎えに来ないで自宅で待っていた)、スーツケース2つをタクシー代の他に30ユーロ払って4階まで運び上げてもらい(高すぎた気がするけど疲れ切っててもうどうでもいいという気分)、最終的に自宅に到着したのは0時半頃だった。

以上で帰りのお話はおしまい。
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着いてすぐに食べたもの [2023年夏 日本]

今日も2023年夏の日本のお話を。
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7年ぶりの日本到着後最初に食べたものは、刺身でも寿司でもなく、牛タン定食。
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生の魚介に目のないめぎだが、かなり疲れててちょっと生ものはやめておこうと思ったのだった。でもお腹が空いたので何か食べねば…で、めぎの二度目の学生時代の思い出の味で、今回滞在中に一度は行こうと思っていたこのお店へ。牛タンはドイツにもあるものの、それは煮込み料理で味付けも全く異なり、香ばしい牛タン焼きが恋しかったのだ。また麦飯にとろろも好きなので、ぜひ食べたくて、泊まるホテルから最も近いこのチェーン店の場所を予め調べてあった(場所は八重洲地下街)。お昼にちょっと早いぐらいの時間にここを訪れたのだが、食べ終わったらもう満席で、待っている人もいた。こんな地下街のこんな場所にこんなに人がいるということにいきなり驚いた。思えばここはオフィス街でもあるし、これでも人が少ない方だったのだろうけど。
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しかし、めぎが食べていた頃(25年ぐらい前)のこの牛タン定食って、一番安いのが980円とか1200円とかそんな程度だったと思うのだが、今は2000円台だった(めぎが今回食べたものは3種類が味わえるもので、2800円だった)。日本は価格がこの20年固定されていると聞いていたけど、あれ?最近一気に上がったのかな?でも、一気に2倍になったってこと??

それからホテルのチェックインの時間まで大丸百貨店をブラブラ。文房具屋があって、そこでかなり時間を潰し、飛び出すタイプのカードとかレターセットなんかを購入した。カードはともかく、今はもうレターセットなんて使わないのだけど…なんか日本のそういうのの綺麗さ&可愛さに惹かれちゃって。

そして、各階に喫茶店があることに気づき、その一つに適当に入ってこんなのを食べた。一番左端に写っている熱いお茶を何度も継いでくれる日本のサービスにかなり感動した。
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そのとき窓の外を見る形のカウンター席で、こんな景色が見えた。ああ、日本だな~とこれまた感動した。
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日本では、目に入ってくるものすべてが物珍しかった。単純に、行き交う人々を見ているだけでも楽しめた。当たり前のことだが、道行く人々がみんな小さくて足が短いのだ。思えば自分もこのサイズなのだけど、普段めぎの目に入ってくる人々が大きいので、そのことを忘れていたのだと気がついた。
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日本でよく「外国人が多いでしょう」と言われたのだけど、めぎの目には日本人=外国人なわけで、そりゃ多いわよ、と思ったりした。そのぐらい、7年間という時間は感覚に大きな影響を及ぼしていた。

こんなのとか、面白くて。この格好も凄いよなあ…
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自分がどこにいるのか、もう土地勘も失っててずいぶんこういう案内図にお世話になった。
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夜はホテルの部屋で、大丸の地下で買ったもので済ませた。ちょっと元気が出てきて生ものを食べる意欲が湧き、これだけで800円ぐらいした赤貝のお刺身と、いくらだか忘れたけど白身魚のカルパッチョの乗ったサラダと…
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1700円のお寿司。魚屋の鮨と書かれてた。日本円で考えると結構高いな~と思いつつも、円安で11ユーロぐらいだったわけで、ずいぶん安く感じた。
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初日は頑張って夜10時ぐらいまで過ごし、就寝。
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東京で泊まったホテル [2023年夏 日本]

今日も2023年夏の日本のお話を。

今回の日本で最初の2泊と最後の3泊を過ごしたのがこのホテル。正確に言うと、この建物の一番上、27~34階にホテルがある。
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場所は、昨日も載せたこの写真の東京駅の日本橋口を出たところ。
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この地図の真ん中下、サピアタワーというのが建物の名前である。ホテルのホームページはこちら
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その角部屋を予約した。
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眼下に東京と電車とビル解体工事が見える部屋。
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宿をどこにするか、随分検討した。最初は温泉付きビジネスホテルを探したのだが、駅から若干離れていたり(梅雨時なので駅直通を優先)、部屋が凄く狭かったり(遠路日本まで行って狭苦しい思いはしたくない)、眺めが無かったり(同じく遠路はるばるやってきて何も見えないのは楽しくない)。日本もコロナ後ホテルの値段はババーンと上がったようで、7年前の予算(1泊70~100ユーロ程度)では駅近では全く見つけられない。円安&Booking.comのめぎのステイタスのおかげでこのホテルを割安&割引で予約し、ちょっと奮発して一泊200ユーロ程度で角部屋で優雅にザ・東京の景色を満喫することとしたのだった。200ユーロ払えば3万円のところに泊まれるわけで、本当に円安様様である。一泊に200ユーロというのも数年前までの相場を考えてみれば凄いことだが、今はウィーンでもザルツブルクでもまともなところなら一泊200ユーロ以上するわけで、ヨーロッパの人間として見ればそんな散財というわけでもないし、東京のど真ん中のこんな景色の部屋なのに格安だとさえ言える。これで温泉付きだったら申し分ないのだが、温泉と景色を引き換えにしたと言えるかな。それだけめぎは東京の景色が見たかったのだ。
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シェードもあって、電動で上げ下げできる。
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バスルームからも外の景色を楽しめる。写真はシェードを下げて写したもの。洗い場が湯舟と分かれていないことだけが残念な点だったが、非常に快適なバスルームだった。このホテルだからというわけではないが、シャワーの出がとてもいいのにお湯が柔らかくて痛くないし(ドイツに帰国してから硬水のシャワーが痛かった)、アメニティも色々あって(歯ブラシやブラシや体を洗うためのタオルやモンダミンまで!)、ああ日本に来たんだなあと実感。ついでに言えば、水が柔らかすぎて、髪がふにゃふにゃになってドイツにいるときのようにはどうもまとまりがつかなくなったのも、ああ日本だなあと実感。
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めぎが泊まった部屋と同じカテゴリーの角部屋がこの映像に出ている。最後に2泊したのがちょうどこの映像の部屋だった。3分50秒ぐらいからホテルの話が始まる。一年前は同じ部屋が22,441円で泊まれたらしいが、今は正規料金で35,000円ぐらい。ちなみに映像の字幕を日本語に変えられるが、その日本語はとっても変…でもまあ意味は分かるだろう。映像で線路を隠すように目の前に見えているビルが、めぎが泊まったときには解体工事が行われていたわけで、こうして東京は日々姿を変えていっているのだなと実感する。



建物の別の側からは東京駅を眼下に望める。その側の部屋には(どうしても一泊のみ角部屋が取れなくて)最後の3泊の1泊目に泊まった。鉄道ファンならそちらの方がお勧めかも。
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そう言えばロビーを写すのを忘れたのだが、吹き抜けの明るい造りで、真ん中にジオラマがあった。
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なかなか精巧な作りで楽しめる。
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でも、なんと言っても魅力的で楽しいのは部屋から見える東京の景色。
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夜には部屋を真っ暗にして夜景を楽しんだ。
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ガラス越しなのでどうしても光が屈折して入り込んでしまい、クリアな夜景撮影とはいかなかったけど。
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真夜中でもこんなに明るいんだよな~流石東京だな~としみじみした。
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自分もかつてはこの東京でこの光の向こう側にいる人と同じように夜中まで仕事していたんだよな…あの時の同僚はそう言えば○○さんと××さんという名前で…などと昔のいろんなことを思い出しながら夜を過ごした。このときに思い出さなかったことも無意識のうちにたくさん掘り返されたようで、後で(ドイツに帰ってからも)この東京のパノラマが瞼に浮かんだ時にふとすっかり忘れていた記憶の断片が湧き上がってきたりする。そういう時間、過去の自分を顧みる時間を一人で十二分に満喫できたのが、今回の旅で最も大事なことの一つだったように思う。もうすっかり忘れていた自分、でもそれがめぎの根底にあるのだ、しかしそれは根底であって、その上に何とたくさんの層が分厚く蓄積されたことか…というようなことを自覚できたから。根っこは変わらないと言えば確かにそうだし、しかしその後に積み重なって培われたことで根っこが他の地に順応して何か変わってしまったと言えばそれもまた確かにそうなのだ。
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ホテルで食事を取りながら [2023年夏 日本]

今日も2023年夏の日本の旅のお話を。

東京で泊まったホテルでとっても楽しみにしていたのは、バイキングの朝食。会場は東京の街並みを上空から楽しめるTenqoo(テンクウ、つまり天空)というレストラン。いいネーミングね。朝食は朝6時からなのだが、東京駅が見下ろせる人気席はその朝6時に争奪戦。めぎは6時半頃行き、そのときに空いている場所へ。
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↑この朝食会場、お一人様用の席が充実してて、ああ東京だなあと感じた。一人の人はビジネスマンのほか、若い女性が結構多かった。すっごく面白いなあと思ったのは、日本人のお一人様はこんな風に外の景色を見る形で座るのに対し、欧米人のお一人様は窓ガラスを背にして座っている人が多かったこと。窓の外の景色より人々を見る方がおもしろいのかもしれないな。ボルネオでのうちのドイツ人もそう言えばそうだったもの。また、日本人のビジネスマンは超特急で食べ終わって去っていくのに対し、欧米人のビジネスマン風の人たちは、ここで結構な時間を過ごしてコーヒーを飲みながらPCで仕事したり新聞を読んだりしている人が多かった。PCの画面が人に見られないように窓を背に座っていたのかもしれないな…

さて、朝からこんなに色々な和の料理があるなんて、めぎにとっては夢のよう。ご飯と汁物の位置が反対なのは、おいしそうな和朝食を目の前にそんなことまでもう全然気が回らなかったから。
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麦入り納豆というのが美味しかった。
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洋食も充実しているのだが、そんなものを食べている場合ではないのがそのときのめぎ。洋食コーナーから取って来たのはサラダ(青じそドレッシングというさっぱりした和風ドレッシングがあるのに感動!)と生魚のマリネ(これは日代わりのようでサーモンの日やカツオのたたきの日もあった)と…
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食後のデザート。
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カップルできていた人たちの女性の方が、あなたはいつ召し上がるんですか、と思うほどずっとこうやって撮影していた。
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このホテルの朝食についてはYouTubeにたくさん映像が出ている。こうやって朝食バイキングを訪ねてはビデオを撮っている人がいるのね。これを見ればどんなところか分かるので、めぎはバイキングの場所などは一切撮っていない。上に挙げたように、自分が食べたものだけ記録として撮った。



泊まった人の場合も載せておく。15分26秒ぐらいからが朝食の話。なるほど、若い女性はこんな風にリフレッシュのために一泊訪れたりするんだな…話は逸れるが、このパジャマが肌に心地よかった。購入したいなと思ったほど。



話はさらに逸れるが、今やVlogの時代で、めぎも今後ブログをどうしようかなとちょっと考えさせられる。こんなところでしたよ~こうやって行けますよ~ここはこういう文化ですよ~などと情報提供をするようなブログはもう必要がなく(そういうブログは実際どんどん減っているし、情報はビデオで見た方がずっと分かりやすい)、ブログは写真などの作品を紹介する場としてか、個人的な考えや体験したことについての自分の思いを綴る場所として残っていくのだろう(残るとすれば、の話だが)。字には字の良さがあって、10分も20分も映像を見るよりは(若い人たちが早回しにするという気持ちもよく分かる)テキストの方がパッと読んですぐに自分にとって必要な情報を見つけ出せるし記憶に残りやすいので、情報提供のブログもあり続けてほしいと願うが、今の若い人たちは情報を全く違う形で探し当てるのだろうな。必要とする情報そのものもめぎと彼らとでは違うように感じるし。とにかく、めぎのブログは、以前多かったドイツの情報を知りたくて検索して辿り着くというのがどんどんなくなってきていることは確かだ。日記として記録を残す場と位置付ければ何でもありだが、私なんぞのただの記録をオンラインで発信して何の役に立つのか、という基本的な問いが生じる。そして、そういうブログを書く場所をプロバイダーが今後もずっと提供し続けてくれるのか、かなり怪しい気がする。めぎはまだ50代だし、今後に備えてビデオ撮影も始めようかなぁ…そう思いつつも、今回もビデオは一切撮って来なかったけど。それに、めぎなんぞの撮った映像を一体だれのために発信するのか?というブログと同じ問いが生じてしまうし。

さて、朝食会場であるTenqooというレストラン、お昼以降は本格的なフレンチレストランになる。滞在2日目の夜、めぎは友人のとある大学の教授さんにここでディナーをご馳走になった。というのは、滞在2日目は彼女の勤める大学の講義とゼミで講演を行ったので。その話はバサッと割愛するが、印象に残ったのは、1)学生たちのおとなしさ、2)その中でくらいついてくる数名の学生の積極性、3)男の子たちが非常に繊細、4)大学のお手洗いが全てウォシュレット付き、5)それほどハイテクなのにお手洗いに手拭き用の紙がなく、乾かすマシンもないことなど。日本って、ハンカチが必需品な国だったのね。ディナーをホームページから予約していたので、スパークリングワインがサービスでついた。最初の塩味のクレームブリュレみたいなのと前菜の真鯛のマリネがとても美味しかった。
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魚料理に関してはあまり思い出せない。メインは鹿肉で、これがとても美味しかった。こういうディナーの〆にお茶漬けがあるところが日本だわね。どれも写真がピンボケだが、めぎの個人的な記録だということでご勘弁を。今回の旅では特に食事の場合お手軽にスマホで撮ることが多かったのだが、会っている相手との話に集中していたし老眼で画面があまりちゃんと見えていない所為で確認も適当だしで、ピンボケ写真がかつてないほど多かった。
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グラニテもデザートも量がこんなにちょっぴりで、流石日本。
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めぎよりずっと若い教授さんは久々に小さいお子さん無しで大人のディナーを楽しめて嬉しそうだったし、めぎも久々にアカデミックなお話ができてとても楽しかった。このレストラン、美味しいし、夕刻は撮ってないけど眺めも抜群なので、機会があれば皆様もぜひ。

そして次の日の朝。連日とろろとお豆腐が美味しかったな~
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解体工事を見下ろしながら [2023年夏 日本]

今日も2023年夏の日本の旅のお話を。

先日来書いているめぎが東京で泊まったホテルの部屋からは、ビルの解体工事が見えた。
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最初はせっかくの東京の景観がこれで台無し、なんて思ったのだが、この日、約束の時間までまだ一時間以上あるし、とちょっと眺めていたら、こんな風に瓦礫の入った大きな箱がクレーンで持ち上げられてどこかへ消えて行って…
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空になって戻ってくるのに気がついてから、じ~っと見入って夢中でたくさん撮影してしまい、気がついたら一時間過ぎていた。
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ここから4枚ずつのパラパラで。

重機で壊した瓦礫が箱の中に溜まるとこうして持ち上げられていき…
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宙をぐるっと回って遥か下のここへ下ろされ、…
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鎖のロープがつけ返され、中身を下ろし…
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こうして空にされてからまたロープを付け替えて持ち上げられ…
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こうしてぐるっと宙を回ってこの高みへ戻っていくのである。
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これを何度も何度も見た。そして何枚も何枚も撮った。ビデオを撮るべきだったのかもしれないが、ただただこの瞬間を撮りたくて撮っていた。かつて誰かが汗水たらして建てたこのビルを、今この人たちが汗水たらして解体していっている。そしてまた誰かがここに別のビルを建てるのだろう。そんなことをこの国はここで数十年おきに繰り返しているのだ。ひょっとするとほんの20年とか30年おきに。ひょっとしなくても50年ぐらいも経てば。今めぎがいるこのホテルだって、30年後にはどうなっていることやら。

しかしまた、そのおかげで生計を立てている人たちがいるわけだ。だから、この歩みを止めるわけにはいかない。この気の遠くなるような、しかし日々確実に進んでいく作業。一瞬一瞬壊すというのを仕事として、日々の糧を得ている人たち。そのおかげでどこかが潤い、誰かが巨額に儲けているという実態。

ここからまた一枚の写真で。

ゆっくりと確実に壊されていくビル。一枚目と次の写真との時間の差は18分。空になった別の箱が戻ってきた。
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中に入ってクレーンの鎖を取り外した人たち。この人たちはこれを一日に何回繰り返すのだろう。
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また瓦礫でいっぱいになった箱が吊るされ、下ろされていった。
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この次の日のチェックアウト時にはここまで作業が進んでいた。
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もう一度、別の写真で比べてみる。6月28日の15時頃チェックインして写したもの。
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7月7日14時近くに写したもの。その間に数階分作業が進んだようだった。
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これを見てめぎが感じたことを書き表すのは難しい。いや、めぎはまだ、何をどう言いたいのか、自分の心の中のざわめきが何なのか、つかみ切れていない。ゆっくりと、しかし一瞬一瞬確実に壊されていく作業。その横をひっきりなしに通る15両などの長い編成で恐らく人でいっぱいのたくさんの電車。みんなめぎと同じ一つの命。ただただ儚さを感じ、とてつもなく苦しかった。
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移動中のことなど [2023年夏 日本]

今日はこの夏(2023年6月末~7月始)の日本でのお話を。非常に取り留めなく雑感の羅列だが。

6月末のこの日、めぎは千葉県で仕事だった。デュッセルドルフは千葉県と姉妹協定があり(市と県の姉妹協定ってどうも不思議なのだが、そういうことになっている)、めぎの勤める学校は千葉県のある学校と交換交流をしている。コロナ後そろそろ交流を復活させる運びとなり、段取りのためにその学校を訪ねたのだった。

で、千葉県で仕事なので、成田空港から札幌に移動することとした。当日朝に東京駅のホテルをチェックアウトして荷物を預かってもらい(めぎはスーツケース2つで日本入りし、1つは東京専用、もう1つは札幌に空港から宅急便で送ってあった)、身軽に移動。これは仕事後成田空港まで移動中に写したもので、成田近くの佐倉市という町のどこか。その昔、蘭学が重要だった時代に「西の長崎、東の佐倉」と言われたほど蘭学の中心地となったところらしい。それでここにオランダの風車が作られたのだとか。あと2週間ほどしたらヒマワリがいっぱい咲いたらしいが、めぎが行ったときはどんより曇りだったせいもあって寂しい景色だった。
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さて、仕事の合間にお昼は一応頂いたのだが、やっと自由になって夕方お腹が空いた。移動は夜に差し掛かるので空港で何か食べようと思っていたのだが、成田空港の国内線乗り場にはあらら~意外、ほとんど何もない。日本の空港って色々レストランが並んでいるイメージだったのに…海外からの乗り継ぎの人たちだって、搭乗を待ちながらまずは美味しい日本食を、と思うんじゃないかなぁ…唯一あったのがこんな立ち食い系で、仕方がないのでそこでかき揚げうどんを頂いた。何もないと言ってもまあおにぎりなど売ってたしこういうのが食べられるのが日本で、いいなぁ便利だなぁと思いながら美味しくいただいた。
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その日は東北地方から北海道にかけてかなりの雨が降っていて、搭乗も遅れた。
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飛び立つ前。日本の航空機がいっぱい。ああ日本だな~ここでピーチという格安の飛行機もあったのだが、めぎがANAを選んだのは、年末年始のボルネオ旅行でマイルが貯まり、この飛行機代が無料になったから。
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このときの飛行機はものすごく揺れた。揺れるので熱い飲み物(スープ)は提供しないとのこと。ちょっと残念。冷たい飲み物も蓋つきで提供された。

やっと着き、JRで移動し、ここは札幌駅。
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めぎは札幌を出てからもう30年以上なので、そしてその間に札幌を訪ねたのはたぶん全部で20回程度でしかも前回は7年前なので、どこが何やらもう全く分からない。表示を見て地下鉄乗り場を探す。東京もそうだったが、マスク姿が多いわね。ヨーロッパにはもう全くいない。閉じ込められ閉め切られる飛行機の中やコンサート会場などにも全くいない。そうそう、最近相次いで知人がコロナにかかったという話を聞いた。かかってももう自己隔離とかないので、普通の風邪と同様の扱いだけど。
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札幌の(「大通」かもしれない)地下鉄乗り場のこういう仕切りは、めぎ、初めてかな…7年前にもあったのか、もう思い出せない。こういう風に仕切りができたところ、この7年でものすごく増えたわね。
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色別に色々表示されてて、とても便利に親切にキッチリしていると言えばそうなんだけど、美的にかなり難だわねぇ…
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ドアの前を開けて整列して待ち、降りる人が下りてからきちんと並んで順番に乗る、というようなことはドイツでは全く指示もされないし、学校などで習いもしないし、躾でそう教えられもしない。そうあるべき、と言うか、その方が気持ち良いし理に適っているんだけど、とにかくそうじゃないのが普通だから、こうみんなが律義に守ってキッチリ並んで待っているのを見て、かなり違和感を感じた。この国はいったい誰に(何に)こんなに統率されているんだろうって思うのだ…ドイツでは、電車の乗り方ぐらい個人の判断に完全に任せられていて、なんて自由なんだろう…そう、ホントにそう思ったのだ。7年というのはそういう時間なのだな。「当たり前」が逆転する。

さて、日本に来てからここまで数日間、ほぼ雨に当たらずに過ごしてきたのだが、とうとう札幌で大雨にぶち当たった。地下鉄の駅から両親の家まで3分ぐらいなのだが、そこで滝のような雨に当たったのだ。6月28日から7月10日までの間で雨にたたられたのはこの日の夜の札幌でのみ。梅雨だから東京で雨の中歩かないで済むように東京駅直結のホテルにしたのに、梅雨がないはずの札幌でこんな目に遭うなんて。しかも、そこにはめぎは住んだことが無いし、夜に一人で来たことも無かったので、あれれどこだっけ…?と遠回りして探す羽目にもなって、あーあタクシーにすればよかった…しかし、これまた親の家の住所を覚えてなくて、タクシーに乗っても行先を言えないし、電話して聞こうにも、めぎは電話を持っていなかったのだ。日本ではスマホのSIMを入れ替えていたのだが、それはデータのみで電話をする機能はなかったので。

で、ようやく着いたのが夜9時半頃。飛行機が遅れなくても8時過ぎになる予定だったので、そして空港で夕食を食べるつもりだったので「食事はいらない」と言ってあったのだが、実際はかき揚げうどん以外何も食べられずに到着。ここで北海道のビールを頂き、空港で買ったおにぎりで夕食。
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それとフルーツを頂いた。白桃と「あじうり」という果物。白桃はまだ出始めで甘みが理想より若干足りなかったが、あじうりは懐かしい味でとても美味しかった。
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7年ぶりに会った両親には申し訳ないが、本当に疲れ果てていて、お話もそこそこに就寝。それが想像できたので本当はホテルでしっかり寝てその次の日のお昼以降にシャキッとして札幌入りする案もあったのだが、夜のうちに行けば次の日の朝から一緒に過ごせるから、と予定を変更したのだ。結果的にはそれで大正解だった。
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7年ぶりの両親の家で [2023年夏 日本]

今日は今夏(2023年7月初め)の日本でのお話を。

7年ぶりの日本、つまり両親に会うのも7年ぶり。めぎはLINEをしないし、父はスマホもPCも使わないし、母はスマホもPCもあるがZoomなどができるほどは使いこなしていないしで、顔を見たのはこの7年間にたった一回、数年前のお正月に妹夫婦がZoomをセッティングしてくれたときのみ。歳を取ったと聞いていたけど、さて。どんな感じかしら。今両親が住んでいるところにはめぎは住んだことはないので、その場所が懐かしいということは全く無いが、久々の札幌、久々の両親、ドキドキ。その場で見るもの聞くものすべてを目に焼き付けるように、めぎはものすごく集中していた。この先もそう簡単には来られない日本、今回はどんな小さなことも逃さない、というが如く。これは一晩明けた朝、父がチラシを確認・仕分けしているところ。これが朝の日課なのだそう。
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↑ドイツには朝の新聞配達という制度が無いので、そして新聞を配達してもらってもチラシは入って来ないので(チラシは郵便局が一週間に一度まとめて持ってくるが、それにはスーパーのチラシぐらいしか入っていない)、こういう風景はとっても異文化。

朝はちょっとゆっくり、8時過ぎの朝食。朝からこんなにたくさん用意させて申し訳ない…特別なものは要らない、日本の普通の朝ご飯というものが食べたい、と言ったのだが、一通り揃えなきゃ、とかえってプレッシャーになったのかもしれないな。母はあれやこれや用意して熱々を出そうとするから、そしてやっと座ったと思ったらお茶やら出し忘れやら気がついてまた席を立つから、ゆっくり座って一緒に味わう暇もない。でもおかげさまでめぎは上げ膳据え膳で本当に美味しく、ゆっくりといただいた。
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それから午前中は父と色々とおしゃべり。おしゃべりと言っても、父の趣味のテニスのことから父方の親戚のこと、そして将来のお葬式やお墓のことまで話はあれやこれや。父は本当に聡明で、短い時間にテキパキと重要なことを話していく。めぎがそれを望んでいるのだろうと察しているところが本当に聡明だと思う。

で、その間に母がデパートまで買い出しに出かけ…というのは近くにスーパーがあるのだけどそこで買えない新鮮なお刺身を仕入れたいとのことで…お昼は簡単に買ってきたもので。こんな立派なものを買ってきて済ませられるなんて、ホント日本って便利だわね。札幌だなあと思うのは、お稲荷さんや巻きずしの中身の色。お醤油の色が濃いわね。北国だなあ。
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母はその後、買ってきたお刺身を仕分けして、一部は2日後の妹も集合しての団欒に備えていた。
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それからめぎは、日本で受け取るために予めネットで色々発注して両親宅に届けておいていたものを段ボールから出し、ほぼ空で札幌に届けてあったスーツケースに詰める作業に取り掛かった。そこで母が、めぎにあげると言って着物と帯を出して来た。ありがとう…
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午後4時近く、母がデパートで買ってきたお菓子とともにお茶にした。
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お茶を頂きながら、両親は野球を見ていた。野球、久々だなあ…そんなスポーツもあったなあと思うほどご無沙汰だ。もう選手もだれ一人分からないし、球団の名前も随分変わったし、そもそも試合のトーナメントの方法もめぎが昔知っていたのと変わったようで、何もわからない。ただ、野球中継のアナウンサーの語り口調と言うか声のトーンが、昔と似たような感じで懐かしく聞こえた。ああ、日本だなぁ…両親はピッチャーがこうするべきとか采配がどうとか、議論している。そうか、こうして二人で過ごしているのね。めぎが子どもの頃は、父は仕事にかかりきりで母とあまり折り合いがよくなくて、こんな風に二人でテレビを見てあーだこーだ議論しているのを見たことが無かったからとても新鮮だった。
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それからまた父の趣味のテニスの話になり、北海道の大会のシニアクラスで優勝して名前が載ったという資料を見せてくれた。これは2位までしか名前が載らないので、3位になったときには悔しかったとのこと。
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その昔、めぎが小さい頃、父には趣味も何も無くて仕事しかなくて、将来年金になったらすることもなくぼけるんじゃないかなんて聞かされていたのだが、定年になる数年前から定年後に備えてテニスを始め、しっかり習ってトレーニングもして大会で80にして優勝を争えるようなレベルになったのだから、そういう意味でも父ってホント聡明だよなと思う。

それから時間が過ぎ、晩御飯。
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お刺身さえあれば他は何も要らない、と言ってあったので、母が新鮮なのを買いに行ってくれたのだ。甘エビ、北寄貝、ヒラメ、ツブ貝。北寄は湯通ししていない本当の生で、だから赤じゃなくて黒っぽい。ツブはコリコリ。ああ、幸せ。お母さん、ありがとう。
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そして、生のイカを買ってきて皮を剥いで作ってくれたイカ刺し。透き通るようで甘くておいしかった。
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お酒は国稀。父がお正月など特別な時に飲んでいるお気に入り。右側の細い透明な便は、夏なので冷やすために使ったもので、でも父は常温が好きなのでそのまま。ちなみに普段の晩酌はパックの黄桜辛口一献だとのこと。年金暮らしの現実を垣間見る。
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そして食べ終わった後の食器洗いは父がしていた。これも、現役時代には考えられなかったこと。人って変わるのだな。歳をとっても状況に応じて変われるというのが素敵。めぎもそうありたいな。
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80のお祝いに両親を訪ねたのだが、めぎのためにこんなに色々してくれて、どっちが祝われているのやら。両親健在でこんな経験ができて、本当にありがたいことだった。
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札幌の実家3日目の朝 [2023年夏 日本]

今日は今年2023年7月初めの日本でのお話を。

札幌での3日目の朝、前日と同様、たくさんの料理が並んだ。お母さん、ホントありがとう。
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朝食後、父が新聞を読んでいた。
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母が片づけをしているキッチンをちょっと覗くと、可愛い色の鍋(というのかな?)が並んでいた。母が若いときからずっと使っているものだというが、めぎには全く記憶がない。水色のがあったような気もするが…それが火にかけられるものとは知らなかったな…
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この家はめぎが住んでいたところではないため、どこに何があるのか全く分からない。食器も見覚えのないものがほとんどだ。今回(と言うか7年前もその前も、つまりいつもだけど)めぎは上げ膳据え膳で全く何もせず、キッチンにはこのときぐらいしか足を踏み入れなかった。
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戸棚の大きい方のは、めぎがいたときにもあったものかもしれない。でも、あまり自信がない。そのぐらい、この家のことは分からない。ただ、右の奥に見えている薄青緑色の茶器は知っている。めぎが高校生ぐらいの頃、働き出した母がどうしても欲しくて買ったものだ。欲しくて何度も売り場に見に行ってとうとう…という話を聞いた記憶が残っている。懐かしいな。
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この花器もその茶器と仲間なのかな。仲間、という言い方はおかしいが、テイストが似てるなあと感じたので。
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その後、昔の写真が見たいなと言うと、父が自分の昔のを出して来た。色々説明してくれて、父も懐かしんでいるのが分かる。
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昔の写真はかなり整理し、母の若い頃の写真はもう処分して全くないとのこと。両親の結婚式の写真は父が辛うじて救って取っておいてくれてて、懐かしい親戚の若い顔などとても興味深かった。親自身の若い頃の写真も、親戚の写真も、子どもにとっては今の自分や昔の自分と重ね合わせて新たに色々感じたり発見したり理解できたりすることもあり、非常に重要なのだ。自分自身の子供の頃の写真より重要かもしれない。取っておいてくれてホント良かったわ。

下の写真は、父がどこに写っているのかもわからないが、当時の小学校の様子が分かる貴重な写真だと思う。学年の終わりに教室で、保護者も一緒に写っている写真なのだ。制服があったのね。そうか、父はこういうところで教育を受けたんだ…
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それからこちらは小5の時の写真のようだが、あ、ここ、知ってる…
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同じアングルでは撮っていないが、2014年に両親がめぎ家と妹夫婦と6人で支笏湖畔の温泉に招待してくれたときに、宿のすぐそばで写したのだ。
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この赤い橋がとても印象に残っている。ここ、父にとって懐かしい場所だったのね。
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橋の向こうの緑の部分にも、なんとなく当時の雰囲気が残っている。
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全員そろって一緒に行った温泉としてめぎにとっても非常に印象に残っている場所。共通点が分かってなんだか嬉しい。

美幌峠は思い出せないが、川湯温泉にはめぎもうちのドイツ人と妹と3人で一緒に泊まったことがある。
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こういう風に昔の写真を見て改めて思うのは、父にはめぎの知らないたくさんの他の思い出があるということ。当たり前のことなのだが、親子って、絆が深くて下手すると世界で一番理解しあっているように錯覚しがち。でも実は、めぎは父を「父」としてしか知らないし、父もめぎを「娘」としてしか知らない。もちろんそれでかなりの部分を知っているし、性格など変わらないところも多々あるし、どういう人でどういう風に考えてどう行動するかかなり推測もできるわけだが、でも、お互いに全く知らない面も実はあるのだということを、もっと慎み深く認知するべきだだわね。他人と同様、親でも子でも、一人の人間として全く別の人格で、ほんのちょっとしか知らない人なのだ。でも、その「ほんのちょっと」が濃くて、中身いっぱいぎゅうぎゅうなのよね。
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恩師のうちで [2023年夏 日本]

今日はこの夏(2023年夏)の日本でのお話を。

札幌にいた間に1泊、恩師の家を訪ねた。お目にかかりたいと連絡を取ったらゆっくりおしゃべりできるように泊まりにいらっしゃいとお招きくださり、たぶん25年ぶりぐらいに会うのにいきなり宿泊しに訪問することとなったわけである。有難いことである。
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亡くなった友人の建築家の方が設計してくれたという話で、非常に立派な家だった。これは玄関前のメダカさんの棲み処。
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中に入ると北海道所縁の美術が並ぶ。
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あ、この言葉、先生が好きだった言葉。よく聞いたものだったな~
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この恩師というのは小学校3~4年の時の担任の先生。大学や高校でもなければ、卒業年次でもない。でも、めぎのその後の人生にとって大きな分岐点になった先生で、その理由はいくつもあるのだが、最も大きなものは、めぎの文章を書く能力、要旨を掴む能力などの国語力がこの先生のおかげで養われたこと。この先生の授業で最も思い出に残っているのは「モチモチの木」で、最後のおじいさんの言葉を学級目標にしていたことを覚えている。

大きな庭を望む窓辺の足元には明り取りのガラスが敷き詰められていて…
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地階の廊下の美術品を明るく照らしていた。
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その地階にはめぎが泊まった客間と…
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大きなお風呂があって…
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そのお風呂から…
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お庭の一角が眺められるようになっていた。
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吹き抜けの2階へ上がると…
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素晴らしいスピーカーの音楽視聴室。音楽を聴きつつお食事もできるという風になっていた。
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キッチンは1階にあるようだったが、2階も小さなキッチン付き。左側にはレコードがぎっしり入っている棚と、その棚を活用したお洒落な階段があって、屋上にも出られるようになっていた。
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その階段も屋上からの景色もうっかり撮り忘れたが、これは2階の大きな窓からの眺め。大倉山の近くで、テレビ塔が見える。
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この建物、外から見るとかなり無機質で圧倒的で正直なところあまり好きな雰囲気ではないのだが、中に入ると明るく木がいっぱいで印象がガラリと違うのだった。先生のおうちに来たのだけど、ちょっと美術館に来たかのような、また、お洒落な和風モダンの宿に泊まりに来たかのような、そんな雰囲気もあった。今回日本で行く暇がなかったけれど、古民家を改装しているところってこういう感じかもしれないな、と想像した。

ここでの話はしばらく続く。
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広い庭を散策 [2023年夏 日本]

今日は今年(2023年)夏の日本でのお話を。札幌で一日、めぎの小学校時代の恩師の家を訪ねた話の続き。

大きな家は、恩師が父親の代からここに家があって昔からずっとここに住み、後になって二世帯住宅に立て直したもの。
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家の前には広い広い庭がある。
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自分で石を運んで少しずつ少しずつ作り上げたのだそう。
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凄いな~
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でも、やりがいがあっただろうな。
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めぎが訪ねたのは7月初め、ちょうど札幌で紫陽花が咲き始めた頃だった。
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可愛いわね~
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いろんな種類の花がいっぱいあるそうだが、どれもちょうど終わった時期。
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足元にはクリスマスローズ。下を向いてて、言われないと全然気がつかないけど。
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花の後に実がなるものも多い。でも、実を採り入れるにはどれもまだまだという時期だった。熟すと採り入れて、手作りジャムにしているそう。
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前回の記事で、恩師は皆鬼籍に入られた、という寂しいコメントがあったが、めぎの場合もそろそろそういう知らせが出始めた。特に小学校の時の先生は必然的にその可能性も高いわけだが、今回訪ねた先生は新任で赴任した学校の2クラス目の担任がめぎのクラスだったというめぐりあわせで、つまりかなり若いときに受け持っていただいた先生。だから嬉しいことにまだまだ若くお元気。めぎが20代終わり頃に入った2度目の大学時代の恩師より若いほどだ。それから、小学校の先生としてはずいぶんお金持ち、というコメントもあったが、上に書いたようにこの家と土地は親の代からあったことと、この先生は校長になった上、途中から市立小学校から教育大付属小学校の教師に転職し、日本全国の国語科の教授法を牽引し、最後には大学教授となった方で、著書も多い。だから確かに、普通の「小学校の先生」というイメージとは少し違うかも。

日々の仕事で手一杯で、時間があると研究などではなく旅行や写真やブログにこんなに時間を費やしているめぎとは、努力の向きや仕方が違うんだろうなぁ…めぎなど、家一軒買えずに一生を終える予定だからね。
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メダカさんがいるという鉢が数個あって、綺麗な花が咲いていた。
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花は無いが足元にもいろいろあるので、踏まないように気をつけながら進む。
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下だけでなく上も見ないと進めない…
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梅がなっていた。
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これは何の実だったかな…一つ一つ名前を聞いたのに、もう忘れちゃったわ…恩師は本当に楽しそうに一つ一つ教えてくれて、昔の小学校時代の授業をふと思い出した。そうね、こんな風に、教師自身が楽しいと感じていたら、生徒にも勉強の楽しさが伝わるんだわね。知識として覚えていなくても、心の触れ合いが人の心を豊かにし、対象への愛情が生まれる。そうすれば、いつかその人の人生の中で花開くときが来るだろう。それが教育というものなんだろうな。
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側面の塀の下にも植物が植えられ、地下の和室と浴室から眺められるようになっていた。
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ドイツのめぎのバルコニーにもあるFrauenmantel(女性のマント)みたいなのが咲いていた。
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また別の時期に訪ねてみたいなぁ…春に行ければ一番いいのだけど、イースター休みはまだ札幌は花が始まってないし、秋休みの北海道はもう紅葉が終わり頃だし、めぎが定年しない限り無理だわね。
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 [2023年夏 日本]

今日は今年(2023年)夏の日本でのお話を。かつての小学校の担任の先生の家を訪ねた話の続き。前回の庭の話はこちら。その前の建物の話がこちら

先生のおうちには、こうして下に降りて外で出ていくところがあった。
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すると、裏の細長い畑に出る。近所の家と家の間にあるという感じ。
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いろんな野菜が育っていた。まずは普通の野菜から。
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ちょっと振り返ってみる。ここまででもう十種類を超えていた。
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こんな風に葉っぱがいっぱいのところに…
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なにやら隠れている。いっぱい説明していただいたのだけど、もう何がなんだか分からない…
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そして、まだまだ続くのだった。
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なんて素敵な暮らしかしら。お世話は大変だろうけど、どうやったらうまく育つか、そうしてうまくいかなかったか、野菜と対話しながらの暮らし。いいなあ。

もう名前を思い出せないが、名前を聞いたことのなかった珍しい野菜も色々あって、それをこの日御馳走してくれると言っていっぱい摘んでくれた。裏の畑から取ってきた野菜で夕食。ああ、夢だわねぇ…
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めぎの親にもお土産を持たせてくれた。
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野菜だけでなく実のなる木もいくつかあって、毎年ジャムづくりをしているそうだ。
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それに、秋には漬物造りも。思えば今はもう10月、そろそろ仕込みをする頃なのかしらね。こんな大きな樽でいくつも漬物を作るのって、めぎの祖母の頃にはあったけど、もう何十年も見てなかったわ。
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こういうクマの木彫りも懐かしかったな~子供のころ祖母の家にあったような気がする。いや、自宅にあったのかもしれない。もうどこだったか思い出せない。クマがサケを咥えていたような気がする。あれ、どこに行ったのかな。
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先生のおうちでの夕餉 [2023年夏 日本]

今日は今年(2023年)夏の日本でのお話を。

めぎが訪ねた小学校の時の担任の先生のおうちでは、晩御飯の支度が始まった。
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めぎと先生がかつて時間を共にした小学校を訪ねて出かけている間、奥様がお一人でいっぱい用意してくださっていたのだが、最後は先生も一緒に準備するとのことで、その間めぎはこのCDを聞いて待っていた。このとき聞いたのは8番。7番を聞くつもりだったのが、そのCDは8番から始まり、その8番が終わる頃料理の支度が終わったのでそこで終了。
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次々と並ぶお料理。
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さっき畑で採ってきた野菜も並ぶ。上の3つがその野菜のお浸しで、左からニラ、みず(青森や秋田の方の野菜)、明日葉。下の3つは春に知り合いが採ってきて送ってくれたという山菜で、左からワラビの漬物、ウドの漬物、ワラビのたぶんお浸し。
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畑の作物は他にも。キュウリとエシャロット。
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その他、自分で燻製にしたというチーズや漬物。その上にうっすらぼけて写っているのはツブ貝と、フキとワラビの煮物。
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お刺身もたくさん。上はマグロで、真ん中がエンガワで、下の左がサメガレイ、右がソイ。
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そして、ぜひ食べさせたかったのがちょうど市場で売られていてよかった~と聞いたヒメマス。
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最初はサッポロクラシックで乾杯し、その後お酒が2種類。それでおちょこも2つ。両方ともなみなみと入っている。
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そのお酒2種類と、後で飲んだ北海道産のワイン。もうこの辺りから既にかなり酔ってて写真がぶれてきている。簡単にスマホに切り替えたのだが、かえってちゃんとカメラで撮った方が歩留まり良かったかも知れない。
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お料理を頂きながら、料理の話やかつてのクラスの人たちの話、お互いの近況や暮らしのこと家族のこと、旅のこと、そして音楽のこと…話は尽きず、いつの間にか暗くなり、かなり酔い、すっかりブレブレだが奥様の得意料理だというジャガイモ料理を頂き…
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ワインも頂き…(このツヴァイゲルトという品種のブドウの赤ワインは、めぎがよく飲むオーストリアとハンガリーの国境地帯のブルゲンラントのツヴァイゲルトとはかなり味が違って面白かった。ブルゲンラントのは太陽いっぱいの濃い味で、北海道のは同じく太陽が少し弱い分非常に工夫して繊細に作り上げたドイツの赤ワインに似た味がした。)
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さらにスープも頂いた。
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めぎが最後のスープを頂いている頃だったか、先生がもう眠気の限界に達し、引き上げていった。最後は奥様が食べ終わるまでめぎに付き合ってくださり、お風呂の用意までしてくださって(しかも後片付けも全てしてくださって)、めぎは本当に上げ膳据え膳でお風呂でまったりゆっくり寛ぎ、地下の客間でぐっすり。
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今思い出しても、なんと素晴らしいおもてなしを受けたのかと恐れ入る。あんなにたくさん用意してくださったのに、全部食べきれなくて申し訳ない。またお話も話したようでいて話し切れていないような、ある意味、一日では足りないほどたくさんのテーマがあり、全てを短い時間に詰め込み凝縮したので未だ消化しきれないような感じ。きっと何年もかけてまた新たに気付くこともあるのではと思う。
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先生の家での朝 [2023年夏 日本]

今日は今年(2023年)夏の日本でのお話を。めぎの小学校時代の担任の先生を訪ねた話の続き。

まるで旅館に泊まったかのようなおもてなしを受けて、地下(と言っても家が斜面に立っているから地下と呼ばれているだけで、窓もある)の客間に泊まらせていただいた先生の家の朝。
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こんな床の間もあるし(映り込みが眩しくて、写真としてはまるでなってないけど)…
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こんな書き物机や火鉢もある。数日ここに籠って小説を書く、論文を書く、なんていうのが似合いそうな雰囲気ね。
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時間なかったけど、朝のお風呂もきっと気持ちよかっただろうなぁ…
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本当に高級旅館の如く至れり尽くせりだった。
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身支度を整えて、上へ。
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お庭を上から眺める。
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さて、めぎが寝ているうちに1階のリビングのような場所では朝食の支度が進んでいた。奥様はいったいいつ寝たんでしょ…先生も起きて前の晩に食べきれなかったお手製の燻製のベーコンなどを焼いていた。
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朝食、とても美味しかった。
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それから、前の日の晩に夕食を頂いた2階の音楽視聴室へ移動。食後に出されたヨーグルトには、庭で採れたフルーツで作った自家製ジャムが3種類。キウイとハスカップとあともう一つは何だったっけ…ああ忘れてしまったわ…
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忘れたと言えばこの机の木材の名前。日本からうちのドイツ人に毎晩今日は何したと写真を送っていたのだが、ここの家から送った日にはすぐにそのテーブルの木材は何かと聞かれたので、先生に尋ねたのだ。それで、うちのドイツ人にFichteだとよ送ってあるのだが、それは聞いた木の名前のドイツ語訳を送ったのだけど、今Fichteと見ても日本名が分からない。ネットを見ればトウヒだとすぐに出てくるが、「トウヒ」と聞いた気はしないし、トウヒの仲間の名前を見ても、あれれどれだったかな…アカマツだったのか、それともエゾマツだったのかなぁ。アカマツだとRotkieferと出てくるので、Fichteを送るはずはないしなぁ。やっぱりトウヒだったんだろうか…
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ホント、ちゃんと書いておかないとだめだなぁ。日本語もすぐに忘れてしまう。
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ただ、このときに聞いたお話はよく覚えている。この木材、先生が若い頃に木材屋さんで見つけて手に入れてきて、でも大きくて家の中に入らず、物置だったかに入れて、いつの日かテーブルとして日の目を見る日のために自分でやすり掛けしていたのだそう。ところが、後年になって家を改装した機会に中に設置するつもりでテーブルにするよう発注したら、磨いていたのは裏側だと言われたんだって。先生からはそういうコントのような話もよく出てくる。先生が磨いたというその裏側も写真を撮っておいた。
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そして、このテーブルの足の部分がとても素敵。ホント、拘りが凄いなぁ。デザインを考えた人も、それを実現した人も凄いなぁ。
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それからちょっとして、この機会にめぎに会いたいという方が訪ねてきた。奥様の姪御さんで、かつてめぎと一緒にヤマハのジュニアオリジナルコンサートで作曲してコンサートに出ていたという方。めぎは8歳ぐらいから15歳まで、学校よりヤマハの記憶の方が強いほどその活動に没頭し、ピアノを弾くだけでなく作曲して演奏するという経験、それもオーケストラと共演するという経験をし、札幌から東京やら浜松やら合歓の郷と言うヤマハの当時のリゾートやらさらにイギリスや(西)ドイツにまでコンサートに出に行ったのだが、思うところあって音楽の道に進むのをキッパリと辞めた。で、もうすっかり記憶の彼方だったその当時のことを、その方の名前とともに突然思い出した。その方は音楽の道に進み、今はピアノとエレクトーンの先生をしていらっしゃるという。1時間ほどその当時のことや近況などを色々とお話。かつて入り浸っていた中島公園のヤマハセンターも今は無くなってしまったそうで、本当にその当時のことって全て終わったんだなぁと今更ながら実感。
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付け足して言えば、めぎが今、音楽が多少なりとも理解できてうちのドイツ人と議論できるのは、そのヤマハの教育と経験の賜物である。当時教わったことは今も忘れないし、当時分かっていなかったこともその経験があるからこそ今理解できるし、大きなコンサート前の高揚感とか舞台裏とか楽屋のニオイとか、支えているスタッフのこととか、子どもながらに、否、子どもだったからこそ骨の髄にまで染みついているのだ。それは、アルバイトとは言え子役の頃から学生時代まで10年以上もオペラ座の公演に出ていたうちのドイツ人の経験と比べるとずっととるに足らないものだが、阿吽で通じるものがあるのは確かだろう。その道に進まなかったという点も含めてね。

そして、実は、この小学校の担任の先生と言うのは、そのめぎのヤマハの活動に一役買った方なのだ。ヤマハで何かに選ばれて、それが何だったかもう覚えていないのだが(小さな支部コンサートだったのか、重要なレッスンだったのか)、学校の運動会と重なり、さてどうするとなったところ母がこの先生に「休ませてください」と話しに行ったのだ。先生はその時のことをよく覚えている。運動会を休むって、あなたいったいどういう…と思い、新米だった先生としては何と判断してよいかもとっさに分からず困ったそうだが、母の熱意をひしひしと感じ、これはきっとそうするのが正しいのだと判断し、許可したのだという。めぎはその後高校1年ぐらいまで何度も学校を休んだり早退したりしたのだが、その最初のきっかけとなったのがこの先生で、母は今もその点について感謝しているし、先生にとっても忘れられないエピソードの一つとなっているようだった。

思い出話は尽きないが、この日は仙台から実家へ妹が来ることになっていたので、それまでに帰宅する約束。お暇する時間となった。
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この先生がいなかったら今のめぎは無いと言っても過言ではないほど、たくさんの影響を受けた先生。本当は恩返しすべきところ、結局今回もお世話になりっぱなし。こんな素晴らしい経験をさせてくださり、感謝の言葉もない。めぎの拙いことばでは書ききれないし、このブログに書き切れることでもないし、ひょっとするとめぎには先生の思いが全部は分かり切れていないのではないかという危惧もある。感じたことを少しずつ咀嚼し、消化できたことから少しずつ、めぎはめぎの生徒に伝えていくべきなのだろう。どうぞお元気で、またいつかお会いできたらいいなと願っている。
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再び実家で [2023年夏 日本]

今日は今年(2023年)夏の日本でのお話を。今日の写真は全てスマホ撮影。

小学校時代の担任の先生の家で一夜を過ごしてきためぎは、お昼過ぎに再び実家に戻ってきた。戻ったときは妹はまだ到着しておらず、母も買い出しに出かけてて、その間に父と二人で空港へ送ってしまうスーツケースと東京で泊まるホテルへ送る荷物を発送に出かけた。
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歩きながら、その機会に近くの葬儀屋の場所を教わって「葬式の手配はここでできる、その時にはこんな風な葬式と墓で…」というような現時点での父の考えを聞いたりした。
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その内容は、以前若いときに聞いていたのとは違っていた。状況が変わってきたので、現実を見て臨機応変に変更したのだ。葬儀のことに限らず、その他様々な近況やら親戚のことやらなにやらについて極めて具体的で実際的で現実的な父の言葉を聞きながら、ふと、かつて子どもの頃の進路の相談の時に極めて現実的で身も蓋もないほどの事実を突きつけられたことを思い出した…父は子どもの頃めぎのしていることに口をはさむことは全くなかったが、ここ一番の最も大事な時にハッキリとめぎの進路を現実に基づいて…めぎと父の双方の可能性と不可能性の両方を冷静に鑑みて…決定するという大役を果たしたのだった。
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今のめぎの極めて現実的かつ実際的・実用的な性格は、多分に父から受け継いだものなのだろう。事実を受け入れるのは時に厳しく辛く、冷静さ、ある意味冷酷さも兼ね備えていなければならないが、現実を受け止め、その現実に即して臨機応変に修正していけば、道はちゃんとどんどん開ける。当時の進路の決定の先に今があるわけで、めぎは父に本当に感謝している。
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この時の父との時間は特に心に残っている。言葉よりその話し方のトーンとか、父の佇まいが今も目に浮かぶ。淡々と語っているようでいて、でもしっかり準備しておいたらしくキッチリ必要な話を順番に切り出し、大事な点を網羅し、限られた時間を決して無駄にしない姿勢がそこにあった。だらだらと一緒にいるよりぎゅぎゅっとエッセンスを凝縮した建設的な時間を過ごした方がずっといいとめぎは思う質なのだが、会うのが7年ぶりである上に今回の滞在期間は非常に短く時間が確かにものすごく限られていて、親にその短い時間にキッチリ話をするという配慮をさせて申し訳なかったな…とちょっと思う。
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でも、自分が最も生きやすく最も自分の力を発揮できる場所を選んでいったらドイツ暮らしになったので、そして、自分が最も無理なく心地よく実家で過ごすにはと考えて決めた時間がこの時間だったので、その判断は親の期待や希望には代えられない。めぎはそういう人間で、本当に申し訳ないことだ。その現実を受け入れて文句ひとつ言わず臨機応変に対処してくれた父は、ホント凄い。
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めぎはバルコニーライフがものすごく大事な地で生きていて、ここにはこの生活がある。かつて一つの生活を一緒に送っていた我々が、めぎは別の新しい生活を送り、親は娘が巣立って行った後の(跡の)生活を送る。今やめぎはここでは全くのお客さんであって、分かち合えるのは思い出だけだ。この現実を受け入れ、それぞれがそれぞれの人生を全うするというのが、恐らく人間にとって最も難しい試練なのではないかな…ちょっと大袈裟に聞こえるけど、そう思った。そういう意味で、父はただ娘を喪失しただけの人生ではなくめぎの知らない自分の人生を謳歌してて、それがとても素敵だと感じた。
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そうこうしているうちに妹も到着し、母も買い出しから戻ってきた。買ってきたものでお昼ご飯。こういうおにぎりや巻きずしが手軽に変えるのって、いいな~
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ああ、デパ地下でこういうサラダが売っていたわねぇ~懐かしいな。
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おやつもあったがめぎは手をつけていない。めぎ的には日本でドーナツを食べている場合ではないので。早く消化して、晩御飯に備えねばね。
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家族団欒の夜 [2023年夏 日本]

今日は今年(2023年)夏の日本でのお話を。

実家での2回目の夜。この日もめぎの希望に合わせてくれてお刺身と生魚のカルパッチョがメイン。ご飯もウナギ混ぜご飯。
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デパートで買ってきた出来合いの串焼きも並んでいた。こういうのが日本ってホント充実しているわねぇ。
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そして揚げ茄子などの煮びたしも並んでいた。これはめぎにとって母の味。嬉しかった。
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ナスなどの野菜を揚げて煮びたしにすることはドイツでもできるけど、ナスは日本の小茄子と全然違う大ナスで味も食感もまるで違うし、シシトウも日本食材店にでも行かないと買えないし、そもそも揚げ物をして出汁を作って…というところまではとてもじゃないが料理嫌いのめぎはやりたくなくて、ドイツに来てから自分で作ったことは一度もない。大好物だったお刺身も含め、和食はもちろん大好きでドイツ暮らしで失ったものの筆頭にあげられるが、無きゃ無くても生きていけるし、めぎにとってはそれより重要なものがドイツにあったということなのだろう。

この日の飲み物はイタリアの赤ワインだった。
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それは正直なところめぎ的にはいつでも飲めるのでわざわざ日本で飲まなくてもいいのだが、母はきっとお気に入りのかとっておきのを家族みんなで飲みたかったのだろう。そういう気持ちはとてもよくわかるし、その気持ちが嬉しかった。一週間ぶりのヨーロッパの味。うん、この味が今めぎが属しているところの味。このワインが、今回の日本旅行の全ての食事の中で最も慣れている味だった。ある意味、凄いことだわね…
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その他、アサリのワイン蒸しもあったし…
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フルーツとチーズとサラミなどもあった。チーズやサラミやオリーブはヨーロッパにもあるものだけど、日本で作られたこれらの味はやはりちょっと違う。日本の食べ物だなあと感じた。キウイも、こういう甘く大きく柔らかいのはドイツでお目にかかったことがない。
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家族団欒とタイトルをつけたが、この「家族」にはめぎの夫も妹の夫も参加しておらず、実家の家族団欒であって、両親にとっても子供の頃のめぎたちにとってもかつて約20~25年ぐらいこの4人が家族だったんだよな…この夜はその当時に戻ったような束の間の懐かしの家族団欒だった、ということに改めて気づく。両親だってかつては自分の親の家族に属していたのが、めぎや妹が生まれていつしか自分の家族は夫または妻と娘2人となり、親も兄弟もその次に続くものになったのだろうと思う。そして今は、めぎにとって家族と言えばうちのドイツ人だし、妹にとっても彼女の夫のはずだ(そうなのかどうかは聞いてないので知らないけど)。その少なくともめぎにとっては一番の家族である、でもここでは「外様」の夫たちを除いた家族の集いは、ある意味両親への一番のプレゼントだったかもしれない。めぎもその一夜の家族の団欒を心ゆくまで楽しんだ。
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一年前の日本旅行記を再開 [2023年夏 日本]

この5月のザルツブルクの話を書き終えたので、以前に途中にしていた旅行記を再開しようと思う。2年ぐらい前から複数の旅行記を同時進行して日替わりで書いていたのが、去年のクリスマスから中断して全部中途半端になっている。一気に全部復活させる気分ではないので、徐々に始めることとし、まずは一年前の日本のことから。

日本での話は、まず東京で仕事しつつ過ごし、次に札幌に行って実家で過ごし、そこから恩師(この5月にザルツブルクにいらした恩師)の家に遊びに行き、それからまた実家で妹と合流したところまで書いた。今日からその話の続きに入る。この日はめぎが札幌を離れる日。この3日前に来た日は大雨だったのが、この日は朝の光が美しかった。
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リビングにはめぎや妹の写真が飾ってあった。
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めぎと父の写真の前に置かれたこれは、両親の80歳の誕生日祝いにめぎが贈った写真集。あれからもう一年。あのときはみんな元気だったのに、うちのドイツ人はもう日本のような遠くまでの大きな旅行なんてできるかなどうかな状態だし、お世話になった伯父が一人亡くなったし、色々状況が変わってきた。このときの何の心配もなかった幸せな時間が愛おしい。
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父が細かく書いている日記代わりのメモ。めぎのブログのような役割かな。
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別の棚には母が毎日お茶を上げている母方の祖父母の写真。40年ぐらい前の写真で、ずいぶん色褪せて来ている。かつてこうして生きていたのよね…
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めぎが写真を撮っている間に、母が最後の朝食を用意してくれていた。普通は食後に用意するコーヒーを、食前に飲むめぎの習慣に合わせて用意してくれている。
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サラダやお味噌汁には、恩師が持たせてくれた畑で採れた野菜が使われていた。
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小さなお皿に色々なものがのる日本の食卓。めぎにとっては本当に貴重な朝食だ。こういう時間を持てたこと自体がどれほど貴重なことだったか。
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限られた時間に精一杯濃密にもてなしてくれた両親に感謝。この後めぎは妹と妹の家へ向かった。
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北海道から仙台へ [2023年夏 日本]

今日は一年前、2023年夏の日本旅行のお話を。

ここは千歳空港。
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北海道から妹夫婦の住む仙台へは、ピーチという飛行機を妹に勧められて購入。それも、セールを狙ってチケットを取るという地元民のやり方を教わって。あそこに見えているピンクの機体。
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離陸し、まもなく北海道を去る。さようなら…次に来るのはいつかな…
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この2023年は7年ぶりの日本。7年もいないと日本はずいぶん変わっていた。もうインバウンド並みのめぎ。この日は妹の指示通りに動く。

米どころ宮城にやってきましたわ~と思って撮ったのだが、これって田んぼ?畑?ドイツと違って一角が凄く小さい。この一角10~20個分がドイツの一角という感じかな。
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今回仙台に寄ったのは、妹夫婦が家を購入したから。わ~大きな家ね~凄いなぁ。
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仙台を訪れるのは2014年以来で、義弟のご両親に会うのもそれ以来(こういうとき、義弟の身内はめぎの身内として「両親」と書くべきなのかかも知れないが、この記事では「ご両親」としておく)。すぐ近くに住んでいるということで、まず最初にそのご両親が妹宅に来てくださって、ご挨拶。
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この家は不動産屋のご両親のつてで格安で手に入れた中古物件なのだが、ちょうどリフォームしてバリアフリーにしたところで住まないうちに手放されたピカピカ新しいもので、使われている資材もよいものだし、場所的にも仙台でかなりいい立地で、なかなかこれ以上のものはないと思われる素晴らしい物件なので、息子夫婦に紹介したとのこと。

そんな話を聞きながら、その時にはバリアフリーなんてまだまだ先の話のような気がしていたが…
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このたった半年後にめぎ家もバリアフリーにしてよかったねぇという状況になったので、ホントいつ何が起こるか分からない。まあめぎ家はバリアフリーにしたのではなく床の張替えをしたらたまたまそうなっただけなのだが。それに、所詮エレベーター無しの4階に住んでいるので、歩けなくなったらどうしようもないのだが。

ここも2階への階段があるけど、座って上に運んでもらえる器具を取り付けられそうな感じね。
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でも、日本の家って玄関に段差があるし、そこから道路までもスロープじゃないし、ここも歩けなくなったら外に行くのはやっぱり難しそう。
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でも、家の中でなんとかなれば、あとは外部のサービスを使って(使えればだけど)どうにかこうにかなんとか生きて行かれるだろう。起き上がって自分の食べ物を自分で用意して自分で食べられるうちは、自分の家で過ごしたいわよね。そのためのバリアフリーと思えば、それはホント素晴らしい。

浴室がとても広々。ああ日本のお風呂だわね。
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冬場だったら湯船につかって温まってゆっくりしたのかもしれないが、夏で暑かったし、めぎはホントにすっかりドイツ化しちゃって、折角お風呂を用意してくれてもシャワーしか使わなかった。このシャワー(ここに限らず札幌の実家でも)、日本ではお馴染みの造りだが、ドイツと違って座って使わなければならないのがめぎにはどうも使いにくい(ドイツでは立ったままシャワーを浴びる)。慣れって面白いわね。ただ、こういうお風呂用の腰かけって凄く低くて、もし足腰悪くなったら、お風呂でこれに座ったり立ったりするのは結構しんどいんじゃないかと思うのだけど、どうなのかな。

裏は空き地になっていた。今は何か建ったのかな。
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広々として立派なお家だった。
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妹宅のお庭散策 [2023年夏 日本]

今日はちょうど一年前、2023年夏の日本旅行のお話を。旅の中盤、仙台の妹夫婦の家を訪ねているところ。

妹夫婦の家には小さいけれど庭がある。
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ちょうど紫陽花が咲いていた。6月末から7月初めの日本旅行、東京ではもう終わっちゃってて、札幌ではまだ咲いていなかった紫陽花。仙台がちょうど見頃。
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庭の植物は前の持ち主が植えたものなので、何か分からないものもあるという。一年を通して、ああこれが咲くのか、これがなるのか、と楽しんでいるところらしかった。
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庭にテーブルを置いている。ドイツだったらここで晩御飯を食べたりするところなんだけど、ここでは残念ながらそれはしにくそう。
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日本は蚊も多いしね。
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狭くてもこんなに大きな木が育つというのが庭の素晴らしさ。いいなぁ~
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こういうタイプの紫陽花ってドイツでは見かけない。可愛いなぁ。
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これは何の実なのかな。
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義弟がこだわって作ったというウッドデッキがあったのだけど、撮り忘れちゃった…
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居酒屋で夕食 [2023年夏 日本]

今日は一年前、2023年夏の日本旅行のお話を。前回までの話は、仙台に住む妹夫婦の家を訪ねているところ。

仙台での夕食は、居酒屋で仕事帰りの義弟と待ち合わせ。場所はこちら



まずはビールで乾杯。
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まずは突き出しとかお通しとかそういうものが三種類。一つはもう食べかけだけど。
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今日の写真は全てスマホでの撮影。薄暗い中で撮ったため色が悪いが、食べ物だしたいした写真じゃないから要らないかなと当時思ってRAWデータを消してしまったので、調整もあまりできない。いつももたいした写真でないが、今日はそれに増してただどんな物を食べたかの個人的記録でしかない。

魚料理が美味しいとホームページに書いてあるお店だが、外国帰りの姉が来るんでということで特に色々用意していただいていたようだった。
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今はウニが獲れないと聞く。去年のこのときも既に高騰していると聞いた。
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枝豆も嬉しい。ドイツに枝豆ってないからね。
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そしてここは、いろんな種類の日本酒をおちょこ一杯ずつ楽しめる。何種類も頂いた。
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家族経営のお店のようだが、途中でみなさんあいさつに来てくださった。働くこの手が印象的だった。でも、この辺りから既に手振れブレブレである。
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次の日本酒。ピント合ってないし。
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お魚のお店だけど、仙台に来たのでということで牛タンも用意してくれていた。
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これも牛タンだったんじゃないかな。もううろ覚えだけど。
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たぶんこれが最後のお料理で…
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これが最後のお酒だったのではと思う。
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スマホしか持たずに行って食事とおしゃべりに集中。義弟の仕事の話をいっぱい聞いて、日本のサラリーマンの大変さを感じたなぁ…義弟は建築系の営業なので、それはそれは色々と。接待で凄く高いお店とか凄く美味しいお店とかで貴重なものや珍しいもの美味しいものを食べることは多々あるようだけど、でも、それって本当に楽しめる&味わえる時間じゃないしねぇ。このときは美味しかったし、楽しかったな~義弟にしてみたら、このときもドイツから来た義姉の接待だったわけだけど、寛いで味わうことができていたらいいな。これから新しく購入した家の支払いもあるし、身体に気を付けて頑張ってほしいな。
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いいお店だった。ああ、でも、ホントブレブレ…
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仙台の朝 [2023年夏 日本]

今日は一年前の2023年夏の日本旅行のお話を。仙台の妹夫婦の家に一泊しているところ。

朝はちょっとゆっくり、7時半頃起きたかな。妹が朝ご飯の支度をしながら…
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めぎに桃を切ってくれた。日本ならではの桃の味。ドイツの桃はもっと野性的。それも凄く美味しいのだが、日本のは独特の水分が多くて繊細で優しい味。夏に来ないと食べられない特別な味。
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立派な朝食の出来上がり♪
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食後のコーヒーはマイセンの器で。これ、妹の結婚祝いにうちのドイツ人が贈ったもの。新しいのを買ったのではなく、わざわざネットオークションで古いのを手に入れて贈ったところがドイツ人だなぁって思った記憶が蘇る。あの時うちのドイツ人は、マイセンは古いのじゃないと意味がないって言っていた。とは言っても何百年も前のものではないけど。
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そしてそろそろお暇する時間となった。短い滞在だったけど、来てよかったな。
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そして仙台駅へ。ちょうどこの日から義弟も泊りがけの出張に出かけるとのことで、一緒に出てタクシーでやってきた。ついでに妹も一緒に来て、帰りに整体に寄るって言ってたかな…
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時間があったので、上に出てちょっとおしゃべり。
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また仙台を訪ねることっていつかあるかなぁ…
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色々な植物が植えられていた。
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これで仙台のお話はおしまい。忙しい平日に対応してくれた妹夫婦のおもてなしに感謝。
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後半の日程へ移動 [2023年夏 日本]

今日は一年前、2023年夏の日本旅行のお話を。7年ぶりの日本滞在13日間のうち、仕事の3分の1、家族との時間の3分の1を経て、今日から残りの3分の1、友人たちとの時間に入る。

妹夫婦の家をお暇し、仙台駅のホームへやってきた。
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こういうのがホームにいっぱい書いてあるのが日本。ドイツの場合は、ホーム数カ所の電光表示板にある程度。↑上の写真にも、次に乗る人はここに並べ、その次の人たちはこちらに並べという赤やら緑やらの線があるし、ホント日本って至れり尽くせり。規律正しくキッチリ整っているといえばそうだし、幼稚園みたいだねと(ドイツ人に)言われればちょっとショックだけどそうだなとも思う。ドイツは非常にアバウトで、車両2~3台ぐらいにAというエリアが割り当てられてて、長いホームにFぐらいまでがあるという感じ。次の電車が何両編成でどのアルファベットの辺りに止まるか、1等車がどこにあるかは電光表示板で確認できるが、どこに乗車口があるかは到着するまで全く分からない。だから、早くそこに来たから最初に乗車できるとは全く限らない。でも、あまりそのことに目くじら立てたりもしない。そもそもそんなに混むこともないから、だいたいみんな座れるってこともあるのかもしれない。そういう目で日本のこの場面に遭遇すると、激混みの普通電車ならともかく、新幹線の指定席車両の場合はこんなにキッチリ並ばなくたってみんな座れるんじゃない?もし乗車に順序をつけるなら奥の座席の人から先にどうぞという方がいいんじゃない?と思うんだけど。

乗る新幹線がやってきた。
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とっても空いていた。
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仙台、さようなら…
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そして東京で次の新幹線に乗り換える。
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有名な素早いお掃除チームの動きに感動。仕事と全く関係ないのに客に礼もするし、凄いね。
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乗ったのはこだま。
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多摩川だったかな…
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そして小田原で降り、ここまでやってきた。ここで友人と待ち合わせ。2泊3日の温泉の日々が始まる。
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続く。
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温泉宿一つ目 [2023年夏 日本]

今日は一年前、2023年夏の日本旅行のお話を。

約2週間の滞在中の仕事の期間と家族との期間を終了し、最後の友人たちとの期間に突入しためぎの日本滞在。その一泊目は箱根塔ノ沢の環翠楼。ホームページはこちら
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めぎにとって箱根の温泉は凄く大事な思い出の場所。まず、昔々東京に住み始めた頃、当時勤めていた会社の同期の女の子たちと一緒に泊まりに来た思い出の場所。その時の滞在ははつはなだった。彼女たちとは今でも交流がある。次に、母と妹と3人で泊まりに行った懐かしい場所。そのときの滞在は玉庭だった。それから、2度目の大学時代の友人と紫雲荘にも泊まったことがある。別の面子でもう一か所どこか行ったのだが、その場所は思い出せない。その後、ドイツに来て一年目が過ぎる頃、このままドイツに残るか日本に帰るか悩み、一人で2泊してゆっくりとどうしたいか考えた場所が強羅環翠楼。当時は極貧だったのに自分のために大枚をはたいてそこに泊まって、自分と静かに対話をしたのだった。その強羅環翠楼にはその後うちのドイツ人と年末と梅雨の時期に2回訪れ、一人でも1度、さらに妹とも1度訪れている。だから、環翠楼と言えばめぎにとっては強羅環翠楼なのだが、そこは今回見送った。部屋食じゃなくなってしまっていたからだ。めぎにとって温泉旅館は、古い木造の建物であることと並んで大事なポイントは部屋食なのだ。それで、部屋食が叶う塔ノ沢の環翠楼を選んだのである。

和宮さまが泊まったところに一度泊まってみたかったしね。
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中は本当に昔のまま。
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木々に囲まれた風情が素敵。
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古いステンドグラスもあるし。
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昔はこういうところでみんなが一緒に使ったのね。
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今は各部屋に洗面所があるからもう使われていなくて、ただのオーナメントになっているようだった。
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そういうのを全て改築してしまうのは簡単だ。その方がもっとたくさんの部屋を作れて、儲かるのかもしれない。でも、こういう無駄をそのままにして、博物館のようになっている宿ってめぎは好きなのだ。本当にタイムスリップした気分になれるし、この維持費のためにめぎの宿代が使われるのだと思えば高くても喜んで払えるから。清潔で快適だけど風情良さげに作った新しい建物の裏には、がっぽり儲けている誰かがいるはずで、その人たちにめぎはお金を支払いたくないのだ。
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とは言え結構なお値段なのだが、この頃から円安が始まり、めぎはずいぶん助かった。この当時は1ユーロが155~158円ぐらいで、以前の130円ぐらいだった頃と比べてすっごくお得になった気がした。一年後の今はさらに円安が進んでて、1ユーロが175円ぐらいにまでなり、その後165~168円ぐらいになっている。今年日本に行った方がよかったかもね。

まずはここで一泊。嬉しいな。
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続く。
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温泉宿一軒目 温泉と食事 [2023年夏 日本]

今日は一年前、2023年7月の日本でのお話を。

箱根の温泉2泊の1軒目、元湯環翠楼で泊まった部屋は温泉の露天風呂付き。
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崖の下の部屋でちょっと不気味だけど、隠れ家みたいでゆっくりできた。
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お食事はまともに撮ったのはこれだけ。ザ・和食の部屋食で、最初はビール、その後日本酒なども頼んでゆっくり味わった。
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温泉の部分は翌朝明るくなってからもう一度撮影。
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見上げると林。
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木漏れ日がキラキラ。
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朝食も部屋食のザ・和食。めぎのこの拘りに、外国帰りなんだから好きなところ予約して良いよ~と付き合ってくれた友人に感謝。
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おしゃべりばかりしてて写真はあまり撮っていない。部屋の中も一枚も撮っていない!でも、ブログのことも忘れたそんな時間がとても楽しかった。
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結構お高めの宿なので円安でめぎは助かったが、一時帰国するとこうやって会いたい人やらやりたいことがいっぱいあって、お金もかかるし毎日予定いっぱいで忙しいことこの上ない。そんな中、温泉で部屋食にするとひたすらそこにいるしかないので、凄くゆっくりできる。2泊も温泉というのは他のスケジュールをかなり詰め詰めにする結果となったが、このときはとてもゆっくりできて幸せだった。

元湯環翠楼はこれでチェックアウト。同じ宿に2泊すればもっとゆったりできるからかなり迷ったのだが、2軒とも捨てがたくて1泊ずつとした。
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日本だからみなさんの方がよくご存じかも知れないが、場所はこちら。



すぐそばに川。
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橋から建物を見てみようと思ったら、木々の中に埋もれてた。
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この通りを反対側に渡れば建物の入り口ぐらいなら写せるのだが、カーブになっているところに結構なスピードで車が来るし、タイミングを待っているとじりじり暑くて諦めちゃった。
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この後次の宿に行って荷物を置かしてもらい、そこからちょっと観光と言えば観光らしきことをしたのだが、その話はまもなく始まる夏旅が終わってから。
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タクシーで山寺へ [2023年夏 日本]

今日は2023年初夏の日本でのお話を。

先日から昨年末以来途中半端で止まっていたドイツ東部の旅の話を再開したが、2023年の日本の旅のお話は今年になってからも夏休み前まで書き続けていた。その時の日本旅は、最初の3分の1が仕事、次の3分の1が家族と恩師を訪ねる旅、そして最後の3分の1が友人との時間で、今書いているのはその前半部分、友人との箱根2泊温泉旅行のお話をしているところ。箱根の1泊目の話はこちらこちら

一夜明けて、チェックアウト後すぐ近くの2泊目の宿に荷物を置きに行き、そこでタクシーを呼んでもらい、近くだけどあまり行く人のいないらしい山の中にあるお寺へ行ってみることにした。これはそのタクシーから撮った写真。
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タクシーは結構なスピードで登っていくが、山道は細く、対向車とのすれ違いはできない。上から車が来ないことを祈っててくださいね~と運転手さんに言われる。
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程なく、紫陽花が綺麗に咲いているところで降ろされた。
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そこから先は歩いて行くのだという。帰りは歩くように言われ、運転手さんは、登ってくる車がないうちにと急いで発進していった。
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わ~紫陽花だ~とはしゃぐめぎ。友人はあまり紫陽花には興味を示さなかったけど。
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なにしろここからこんな石段が待っていたからね…
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場所等については次回につづく。
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石段のところ [2023年夏 日本]

今日は2023年初夏の日本でのお話を。

前回こちらに書いたように、箱根の温泉に泊まって、タクシーで山寺へ向かう途中の石段まで来たところ。さあ登りましょ、と思うのだが、そこには色々立っててつい色々撮っちゃって進めない…
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綺麗だなあ…
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こうした方が綺麗かなぁ…
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似てるけどまた違うのがあれこれと。
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凄く魅力的なところで、ここに来ただけでもかなり満足。
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さて、そろそろホントに登りましょ。
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正確な場所については次回に。
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お寺に辿り着く前に [2023年夏 日本]

今日は2023年初夏の日本でのお話を。

箱根塔ノ沢で一泊し、その近くの山の中のお寺に登って行っているところ。像がたくさん立っている石段を登り終わったかなあと思う感じのところに、さらに色々像があった。
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場所はこちら。スクロールすると下の方に箱根塔ノ沢の温泉街がある。かなり山の中であることがお分かりいただけると思う。



めぎの持っていた一昔前の箱根のガイドブックに「紫陽花寺」と書かれていたので来てみたのだが…
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今は椿寺となっているようだ。
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像のお顔が色々で、このお寺の性格がちょっと読めない…
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とにかくここは今はもう紫陽花寺ではなく、椿寺に変身しようとしているようだった。
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戸堀の備えて身軽に行ったので、カメラはAPS-CのZ50でレンズは24㎜単焦点の一本。なので、↑上の写真をトリミング。これだけ写っていればめぎ的には十分だ。
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紫陽花があるとつい撮っていたが、非常に数が少なかった。このときは椿の時期ではなかったしなぁ。
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狭い空間に色々所狭しと立っていて、その種類が様々で、このお寺の性格がどうも読めない。こんな山の中だからもっと渋いのを想像していたのだが、そうでもなさそうだ。
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もう少し続く。
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椿寺になった経緯 [2023年夏 日本]

今日は去年2023年夏の日本でのお話を。箱根の山寺を訪ねているところ。

タクシーで途中まで運んでもらい、そこからかなり傷んでいる階段を滑らないように気を付けながら登り、辿り着いたのはこちら。
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阿弥陀寺という。
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場所はこちら。



かつては紫陽花寺としてガイドブックに載っていたのだが…
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今は椿寺になっていた。
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その時は訳が分からなかったが、今色々ネットで調べてみたら、まずは紫陽花寺となった経緯がこちらに載っていた。1604年創建の古いお寺で、和宮にも所縁があるのに、相当に貧しかったようだ。和尚は琵琶の名手で、この日も琵琶のコンサートが行われることになっているようだった。めぎがここに辿り着くと、たまたまその和尚らしき人が外にいて、琵琶のコンサートに来てくれたのかと勘違いされたのだ。違うと分かると次には、椿を寄付しないかと問われた。紫陽花を見に来たつもりだった当てが外れて困惑していためぎは、申し訳ないけど断った。今調べてみたら、和尚がなんとかこの貧しいお寺に人に来てもらおうとまずは紫陽花を植え、車を通そうとつるはしで道を作り、琵琶を練習して優勝するに至った話や、石段の整備には一千万円がかかるためクラウドファンディングをやったという話もこちらに見つかった。ところが今度はコロナ禍で頓挫し、椿プロジェクトを始めたようなのだ(こちら)。和尚さん、頑張ってたのね…
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絵馬ぐらい書いて来ればよかったな。椿だって5千円で、31ユーロ程度なんだから、寄付したってよかったのにな。
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石段以外にも色々手を入れた方がいいと思われるところがあった。
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どうせなら苔でこの配管を隠してしまう方がいいかも。でも配管が傷むだろうし、難しいわね。
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ネットで調べていてこんな記事も見つけた。永代供養をしてくれるようなのだ。それもたった3万円で。200ユーロですわよ。ドイツでも一番安くても2000ユーロはかかるのに。これ、いいなぁ…誰かがドイツから日本まで運ばなきゃいけなくなるけど(そうすると結局2000ユーロかかっちゃうけど)、めぎの最期、こういう手もあるなぁ。でも、今のご住職の後はこのお寺、どうなるのかな。
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轉法輪を回してみる [2023年夏 日本]

今日は去年2023年夏の日本でのお話を。箱根に一泊し、タクシーで途中まで運んでもらって山の中の崩れそうな石段を上って阿弥陀寺という椿プロジェクトをやっている紫陽花寺だったお寺を見学しているところ。
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場所はこちら。



これはトリミングだが(このとき単焦点レンズ一本しか持ってなかったので)、どうしてこういうのを貼るのかな。ごちゃごちゃに見えるんだけど、どんな意味があるのかな。
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お寺の中が見えるようになっていたのだが、ここで琵琶コンサートをするのかな…?随分いろんなものが置いてあるなぁ…
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ドイツから見た日本のお寺のイメージって、何も無くて、そこには畳と仏像ぐらいしかなくて、そこで瞑想をするようなイメージ。現実はずいぶん違うんだなぁ…

こんなのがあって、ガラガラと回せるようになっていた。
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名前が書かれていた。轉法輪(転法輪)って言うのね。仏の教え(法)を人から人へと転がるように広めていくことを言うらしい。ここには「てんぽうりん」とフリガナがあったが、ググると「てんぼうりん」と出てくる。読み方も宗派によっていろいろあるのかな。
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こんな風に注意書きがある上、回そうとしたら住職さんらしき方が寄って来てさらに口頭でも注意された。
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壊れたら大変なんだろうなぁ…自分で直さなきゃいけないのかもしれないね。
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何はともあれ、すっごく重くてほとんど回せないのを頑張って半回しして、ほんの少しで申し訳なかったけどお賽銭も入れてお参りし、ここを後にした。
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さて、帰り道だが…
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来た時のタクシーの道ではなく、石段をずっと下まで降りて行ってみることにした。20分ぐらいで降りられるのなら、大丈夫そうかな、と。
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続く。
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山を下りる [2023年夏 日本]

今日は2023年夏の日本でのお話を。箱根の塔ノ沢で一泊して、山の中のお寺を見て、帰るところ。

住職さんに聞くと、タクシーで登ったところではない山の中の道を下れるというので、行きとは別の道にチャレンジすることにした。湯本駅まで20分だというし。茶の花と言うのは塔ノ沢にあった食堂らしい。つまり塔ノ沢まで15分とのこと。
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今いるのはここ。



こんな道へと踏み出す。
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ちょっと降りて来たところで振り向いて。道は階段や石畳があるようでいて雨で流れた泥が斜めに溜まっていて滑りやすく、降りるのはそう簡単ではない。例えばうちのドイツ人はここには連れてこられないな。
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所々に色々立っていた。みなさん、この道を守っているのね。
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道はこんな感じが続く。蚊がいっぱいいそうだけど、そうでもなくて助かった。
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ただ、まだ半分ぐらいしか来ていないと思うのだが、既に15分経過している。滑って転ばないように気を付けていると時間がかかるのだ。長い間整備していないのが分かる。ご住職としてはこれをもっと上りやすく降りやすくしたいのだろうな。でも、それにはかなりのお金がかかるし、定期的に手入れしなきゃいけないから、今の状況では確かにかなり難しいのだろうな。
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下りはまだまだ続く。
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