エムスラント 2018年5月:ドイツ再発見:SSブログ
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バート・ベントハイム [エムスラント 2018年5月]

今日から先週末の小旅行のお話を。ギリシャの話はそれが終わってから再開の予定。

5月の普通の週末を利用して小旅行をすることにしたのは、3部リーグのサッカーの試合を見るため。その日程に合わせ、その地方をちょっと見ることにしたのだった。目指したのはドイツ北西部、エムスラントという地域。エムス川という川の流域で、オランダとの国境地帯である。その辺りはMoor(モーア)と呼ばれる土壌の地域で、日本語に訳すと泥炭地。底なし沼のような水気の多いドロドロとした地域らしいのだが、ここ50年ですっかり埋め立てられて沼のような景色は殆どなくなったと言う。で、今回その沼のようなところが残っている地帯を探す旅に出た、という感じ。うちのドイツ人がどうしてもMoorを見たいと言うので。

とは言え、まずはちょっと小さな町に立ち寄った。デュッセルドルフから北上し、NRW州を出た辺りにあるBad Bentheim(バート・ベントハイム)。そこにこんな古城が立っている。
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サギがお出迎えしてくれた。
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こんなところを入っていく。
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石に十字架が掘られていたり。
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城壁の隙間から覗く。
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さて、ここまで来たものの、これ以上入るのにはお金がかかる。お城の中を見学するつもりはなかったのでここまで。このお城は19世紀頃に改装されたもので、つまりうちのドイツ人には新しすぎて興味なし。
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城壁から見下ろすと・・・
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羊さんが!
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のどかねえ。

さて、めぎたちがこの町に来たのは実は朝食を食べるため。朝8時頃うちを出てきて、コーヒーしか飲んでいなかったのだ。で、ここで結構ガッツリと。
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ベントハイマー・モッペンというクッキーのようなものがこの町の名物らしい。ザルツブルクのモーツァルト・クーゲルのように、ここバート・ベントハイムにはベントハイマー・モッペンがある、それも、モーツァルト・クーゲルより栄養豊富だ、というようなことが書かれていた。
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そのベントハイマー・モッペンやチョコレートやケーキなども売られているパン屋&カフェという感じのところだった。
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つづく

撮影: D600 + 70-200mm(F4)
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国境の小さな町 [エムスラント 2018年5月]

現在、ドイツ北西部のエムスラント地方の話を連載中。

人口1万5千人のバート・ベントハイムという小さな町に、結構立派な銅像があった。
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ビスマルク。
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説明板を見ると、ドイツ語の横にオランダ語。
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英語の説明はなく、ドイツ語とオランダ語のみ。ここに訪れる人達の大多数がオランダ人なのだろう。お城の見学に訪れていた人たちの話す言葉もオランダ語だったし、このビスマルクの近くでお茶をしている人たちもオランダ人だった。

城の入り口から城までは綺麗な公園になっていた。
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ヴィルヘルム2世の訪問のために美しい入り口から城までの空間が整備されたようなのだが、第一次大戦が始まり、訪問は取りやめになったのだとか。
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なんだか考えちゃうわよねえ。
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これは駐車場近くにあったマルティン・ルター教会。
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この教会には・・・
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この地方の砂岩がたくさん使われていた。
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このお花、あと1~2日だったわね・・・残念。
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こんな誰も知らない田舎にこんな立派なお城があるなんて。ドイツの中ではかなり貧しい地域だと思われているけれど、なかなかどうしてどの建物もこんなに綺麗に整備されているなんて。ドイツって侮れないなあと感じた旅の始まりだった。
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撮影: D600 + 70-200mm(F4)
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ドイツのリニアモーターカー実験線跡 [エムスラント 2018年5月]

現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。

エムスラントというドイツ北西部の地域では、その昔リニアモーターカーの実験が行われていた。これは実験線跡。
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簡単に歴史を言うと、80年代に建設され、実験が行われ、その後観光客を乗せた試験運行がなされていたようなのだが、2006年に事故を起こし、2008年に費用云々で路線建設を断念し、2011年にリニアモーターカーの計画そのものが断念されたようである。
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実験線が残っているところにこうして近づけるというのがおおらかな感じ。
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エムスラントというのは泥炭地で、それ以外にはただ自然があるだけ。
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こんな景色とリニアモーターカーの跡が妙にアンバランスで、なんとなく不思議な感じがした。
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その近くには軍隊の演習場もあり、演習中は通行止めだがそれ以外の時期は入れるようになっていて、それもなんとなくおおらかに感じた。
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こんな並木道はドイツ全体ではかなり少なくなっている。昔ながらの景色が残っているというのが、取り残された場所という感じだった。
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そこをツーリングしていた人々。
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こんな方々も。
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つづく。

撮影: D600 + 70-200mm(F4)
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菜の花畑とエムス川 [エムスラント 2018年5月]

現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。

ドイツ北西部のエムスラント地方では、泥炭地を探してウロウロ。うちのドイツ人が予め調べてこのあたりにあるんじゃないかというところへ行ったのだが、自然はいっぱいなものの沼や沢はすっかり埋め立てられててなかなか見つからず、代わりに綺麗な菜の花畑を発見。
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そう言えば日本では菜の花をお浸しなどにして食べるけど、ドイツでは菜の花を野菜として食べる習慣がない。あのちょっと苦味のある春の味、懐かしいな・・・
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昔はこの当たりも泥炭地だったはずなのだけど、すっかり整備されてしまっている。
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こんな舗装道路の近くにはないんじゃないの?ということでちょっとこんな道に入っていったが・・・
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程なく軍隊の演習地にぶち当たり、立入禁止だった。
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その当たりでカッコウの鳴き声を聞いた。綺麗だったな~
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しばらくウロウロしたけど見つからず、とりあえず泥炭地探索はやめてもう一つの目的地へ。
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Papenburgという町のMeyer Werftという会社で、この中で巨大な大型客船を作っているのだとか。これはこちらから。
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中を見学するにはちょっと離れた町に車を置いてそこから申し込んでバスでここに来なければならないとかで、せっかくここまで来たのだけど中には入れなかった。
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まあ、うちのドイツ人は、たまたま偶然その大型客船が完成して出てくるところに遭遇できれば良いなあなんて、ものすごくロマンチックすぎてありえない夢を抱いてきただけだったので、船が見られるはずもなかったのだけど。
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普通見たいものがあれば事前に色々調べてくると思うのだが、うちのドイツ人はかなり偶然に頼るタイプ。いや、日々の仕事や生活では入念に調べて熟考するタイプだが、旅に関しては冒険を好むと言うか、場所さえその場で探検して見つけるのが好き。この時の旅ではめぎは3部リーグのサッカーの試合のチケットとホテルの手配をしただけで、あとはうちのドイツ人にお任せ。なにしろめぎはエムスラントなんて地域の名前も知らなかったし、そこに泥炭地があるなんてことも知らなかったし、エムス川の存在だって特に認知していなかったし、そこに何があるか、そこで何が見たいか、何のイメージも持ち合わせていなかったのだ。それに、4月から5月初旬にかけてとても忙しくて、旅の予習などできる余裕もなかったし。だから、うちのドイツ人の行きたいところへ好きなようにあちこち車を走らせ、めぎは頼まれるがままに地図を見たりスマホで最新の地図を確認したりするだけ。この川のポイントも、あっちの方から見えるんじゃないかとぐるぐる探して見つけたのだった。こういう、ある意味特別な目的のない旅も意外とおもしろい。

それにしてもこのエムス川の水、ずいぶん汚いのねえ・・・
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こんな珍道中はまだまだつづく。

撮影: D600 + 70-200mm(F4)
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泥炭地発見! [エムスラント 2018年5月]

現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。

昨日ご紹介した造船所のあるPapenburgというところからほんのちょっと西へ移動すると、そこはオランダ。
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エムスラントに広がる泥炭地はオランダにもまたがっているため、もしかしたらオランダで見つかるのではないかと。
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そこにはBourtangeという要塞の跡があって、それはまるで函館の五稜郭のようなのだが、見学料が結構高めだったし、中を散歩しただけではお堀の面白さも見えないしということで、中には入らなかった。この写真はこちらから。
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そして、その辺りは畑ばかりで、作物を売っている屋台くらいしか見当たらず、結局諦めてすぐにドイツに戻り、最後の当てのところへ行ってみることにした。
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その当てのところというのは、その名も泥炭地ミュージアム。
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リニアモーターカーの実験線跡を探してアウトバーンを降りたときに泥炭地ミュージアムという看板があるのに気づき、泥炭地が見つからなかったらそこに行ってみようなどと冗談で言っていたのだが、本当に見つけられず、結局そこへ向かったのだ。
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そのミュージアムはなかなか良さげだったのだが、このときもう夕方の4時過ぎで入ってもゆっくり見られないねということで、次の日に朝一で来てみることにした。

・・・で、そこからこの日の宿泊地へ向かったのだが、その途中に突然泥炭地を発見!!
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これよこれよ~~
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おお~~綺麗ね~~~きゃあきゃあ♪
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泥炭地と言うとドロドロの真っ黒いぬかるみを思い浮かべてしまうけど、水のある風景はとても美しかった。カエルも鳴いていたしトンボもいたので、水そのものは綺麗なのだろう。
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長い年月をかけてこの植物が泥炭になるのだと思うと、自分の存在がこの植物よりずっとずっと取るに足らないもののように感じた。
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撮影: D600 + 70-200mm(F4)
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メッペンという町 [エムスラント 2018年5月]

現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。

ドイツ北西部のエムスラント地方で泥炭地を探してウロウロした一日を終え、この日の宿の町へやってきた。Meppenという人口3万5千人ほどの町である。これは市庁舎。
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なぜメッペンに来たかと言えば、3部リーグで今年結構活躍していたメッペンの試合を見るため。本当は4月後半のメッペンvsロッテを見たかったのだけど(ロッテは日本で有名なチョコレートのロッテではなく、ドイツの小さな町の名前で、昨年やはり3部リーグで活躍してて試合を見に行ったところ・・・その話はこちら)、その試合は金曜日で、仕事で断念せざるを得なかった。で、メッペンで行われる今季最後の3部リーグの試合がこの5月最初の週末で、日曜日の13時半からの予定で、そのチケットを取ったのだった。
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チケットを取ったときには、土曜日ではなく日曜日の試合だということで、日曜日の午後に試合を見てから帰ると帰宅するのがちょっと遅くなって月曜日からの仕事に響くかな、でもまあ仕方がないな、まあなんとかなるかな、などと思っていた。そんな事を考えたほど、試合が日曜日に行われるということがめぎとしては明らかだった。金曜でも土曜でもなく日曜日なのね、と何度も確認してチケットを手配したはずだった。それなのに・・・このメッペンに向かう途中、車の中でブンデスリーガ(1部リーグ)の結果速報をラジオで聞いていたとき、「3部リーグのメッペンは3対0で勝利した」という一言が流れたのだ。へ??
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ビックリしてスマホで試合結果を確認すると、あれれ、本当に今日試合が行われていて、3対0と出ている・・・まーーーーっぢーーーー!!??慌ててチケットを確認してみると、それにもちゃんと5月5日土曜日13時30分からと印刷されている!
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えええええええでもでもでもでも、2ヶ月前あんなに何度も日曜日だと確認して買ったのに・・・どどどどどどうして!!???と憤っても、試合が3対0で終わってしまったのは覆しようもない事実。サッカーのチケットを取ったのはめぎで、日程もめぎが確認して取ったのだが、それ以降全く日程確認などしていなかった。この前日にうちのドイツ人にサッカーは何時から?と聞かれたときに、もう一度確認すればよかった・・・きゃああああああごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・うちのドイツ人は爆笑しながらいいよいいよと言ってくれたけど、こんなサザエさんのようなことをしてしまうなんて、めぎはいったい・・・おおおおおおーーーーーーん!

で、我々、何のためにメッペンにいるんでしょう???と思いながら、地ビールで乾杯。あ、メッペンには地ビールはなく、近くのSteinfurt(シュタインフルト)のだけど。これ、美味しかった~~♡めぎの情けない気分を大いに晴らしてくれた。
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何の催しなのかわからないが、市庁舎前の広場ではステージの準備がなされていた。その前でスタッフらしき人たちがビールを飲んでいるのもドイツらしさかしらね。
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うちのドイツ人が食べたのは、この日の朝最初に寄ったバート・ベントハイムという町縁のベントハイム豚のステーキ。上に目玉焼きが乗ってて肝心の豚肉が見えないけど。
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めぎは豚のシュニッツェル。大きい~~2枚もある~~でもジューシーで美味しかった。
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ビール2杯目は別の種類のにしてみた。1杯目のほうが美味しかったけど、それは1杯目だったからかも知れない。
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近くにメッペンのサッカーチームのTシャツを着た若者がいた。ホント、心痛かった・・・ああ、サッカーの試合、見たかったなあ。
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撮影: Nikon1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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夕食後の散歩 [エムスラント 2018年5月]

現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。

メッペンというドイツ北西部の小さな町で、夕食後ちょっと散歩にでかけた。これは最近ドイツ中で見かける貸し電動スクーター。デュッセルドルフのは緑だが、ここは水色。
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世の中はエコのつもりだろうけれど、電気を生み出すためにどれほどの自然破壊が行われているかと思うとちょっと複雑。先日ご紹介した菜の花だって、ドイツ的にはエコエネルギーの資源として栽培されているのだ。つまり、本来の泥炭地を潰し、菜の花畑にしちゃったというわけで・・・カエルやトンボもいた自然が潰され、それによって泥炭を生み出す特別な自然が消え失せ、モノカルチャーな景色になってしまったのは、菜の花は綺麗だったとは言え、やっぱり残念なこと。

さてさて・・・メッペンは世界的にもドイツ的にも無名の町だけど、そんな町にも歴史がある。これはHubbrückeで、訳すと巻き揚げ橋とでも言うのか日本語がわからないけれど、船が通るときに部分的にエレベーターみたいに巻き揚げられて船のマストが通れるようにするようだ。元々あった橋を2007年に新しく作り直したらしく、まだ真新しい。
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原理はこんなイメージ。下の画像はこちらから。
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残念ながら船が通るところは見られなかったけれど。
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このとき19時半頃。まだまだ明るく、夜はこれから。この川はハーゼ川と言って、この先でエムス川に合流する。
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川の景色、綺麗ね。
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それからこちらは聖ヴィトゥス司教座聖堂。もとは13世紀のロマネスク様式で、19世紀にこのように改築されたのだとか。
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ちょっと中に入ってみたかったけど、残念ながら閉まっていた。
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それから小学校の横を通り・・・
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そこにお堀があった。その昔中世にはこのメッペンはミュンスター司教の領地で要塞があったらしい。
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・・・というようなこれまた行き当たりばったりの探検的散歩をし、この日は結構疲れてこれで終了。早いけど宿に戻って就寝。次の日は朝一で泥炭地ミュージアムに行くつもりだったしね。もうサッカーの試合はないから、ミュージアムを見たら帰宅できるし、とうちのドイツ人は結構喜んでいた。3部リーグの地域に根づいた小さなスタジアムの試合を見たいというのはめぎの希望で、うちのドイツ人的にはそれほどの思い入れはなく、二人分40ユーロのチケットも日にちを間違った以上はめぎが負債を背負うわけでうちのドイツ人は損をするわけでもなく、試合を見損ねてがっかりしているのはめぎだけという感じ。うちのドイツ人はこの日、念願の泥炭地の沢を見ることが出来て大満足だった。

で、日曜日は10時からの開館とともに泥炭地ミュージアムに入りたいといううちのドイツ人の要望で、朝食は8時。小さなホテルなので日曜祝日の朝食は8時からというところに一番乗り。なかなか充実した朝食だった。ホテルはこちらで、一泊二人で80ユーロだった。
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撮影: Nikon1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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朝の泥炭地 [エムスラント 2018年5月]

現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。

ドイツ北西部エムスラント地方のメッペンという町を出て、まずやってきたのは昨日見つけた泥炭地。その場所は、こんな田園風景のところで・・・
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畑に沿って道があり、その道に沿って泥炭の柔らかな土でちょっと盛り土がしてあって・・・
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反対側に沢があった。
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この前日にも感じたが、これが長い長い年月をかけて泥炭になるのだと思うと、人間の営みってちっぽけだなあという気がしてくるのだった。
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この綿のような花が可愛かった。日本語でワタスゲっていうのかしら?
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ちょっと行くと、群生しているところに出た。
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ちょうど綺麗に綿ができているところに出会えたなんて、この偶然に任せた適当な旅にしてなんてラッキーなのかしら。
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朝の泥炭地と言っても、もう早朝の光はなくあまり面白くないが、しばらく我を忘れてあれこれ写していた。カエルの合唱が凄かった。姿を見ることはできなかったけど。
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我々人間にはこのカエルたちの住処を奪う権利なんてないはずだよなあ・・・と思いながらここを後にした。
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撮影: D600 + 70-200mm(F4)
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1920~30年代の暮らし [エムスラント 2018年5月]

現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。

ドイツ北西部のエムスラント地方にある泥炭地ミュージアムに、開館10時きっかりにやってきためぎたち。そう言えばミュージアムの建物の写真は取っていない。こんなところである。写真はこちらから。ミュージアムのホームページはこちら
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入ると、まずは歴史の説明などのある建物を見学。昔の映像もあって、泥炭を作る様子が興味深かった。
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人々の服装や、当時の働く女性たちの力強さが印象的。映像は3種類くらいあって、昔の映像に典型的な早回しのような映像をゆっくりと見た。
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外に出ると、ミュージアムの広大な敷地を回れるようになっている。めぎたちのいたところは1番で、そこから5番の場所へ向かった。
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そこには、1920~30年代にこの地方に住み着いた人たちの暮らしが再現されていた。これは映像にも出てきた靴。これを履いて泥炭と踏み固めていた。
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中はかなり理想的に再現したものとあって、集めたものが何でも置かれているという感じだが、当時の生活がよく伺えた。
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泥炭地ミュージアムで展示物を撮影するつもりはなかったので、狭い家の中で撮影するには全く不向きな70-200mmの望遠レンズしか持っていなかったが、色々と興味深いものが置かれていて、そこに明るい朝の光が差し込んでいて綺麗だったので、1mまで寄れるというのを一生懸命活かして撮影。

朝日の差し込む窓辺。
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当時の水道とシンク。
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当時の調理器具や調味料入れなど。
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そこにあったこの戸棚には、うちのドイツ人が「あ!これ、うちにあったのと同じ!!」と声を上げた。60年代に住んでいた家にこれと似たようなのがあったという。よく見ると、上に乗っているラジオとか、Dr. Oetkerの缶とか真ん中のパン保存容器とか、懐かしいものがいっぱいの様子。いやはや、うちのドイツ人ももう本当に生きた歴史の一人になったということね。いや、めぎだって、懐かしの昭和のものを集めたミュージアムにでも行けばああこれこれ知ってる~懐かしい!となるはずで、以前昔の暮らしを伝えてくれたような祖父母の代にめぎたちも入ってきたんだなとつくづく感じさせられた。
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コーヒーミルは今も使っている人も結構いると思うけど、このWolfはなかなかいないわよね。Wolf(狼)という名のこの道具は肉をミンチにするためのもの。めぎ家はこれを特にレバー団子スープを作るときに愛用している。
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天井からこうしてハーブを吊り下げるのはうちのドイツ人がよくしていること。
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左上の壁にあるのは玉葱入れ。芽が出ているところが妙に現実的。
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そうそう、4枚目の写真で右手前にボケて写っているバックみたいなのは、開くとこんなのが入っていた♪
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この頃の暮らしと今の暮らし・・・今は褐炭生産のような重労働をしなくても良くなって、何もかも便利になったけど、どちらが人の一生として充実していたと言えるのだろう・・・ふとそんなことを思った。

撮影: D600 + 70-200mm(F4)
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昔の暮らし [エムスラント 2018年5月]

現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。

泥炭地ミュージアムの中にあった1920~30年代のドイツの暮らしを再現した家のつづき。ここは寝室。
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足元には湯たんぽ。
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ベッドの下にはブーツを脱ぐ道具とおまる。
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そして、宗教も寝室に同居。
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電気もあったのね。
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メーターは1951年のものだった。
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朝起きたらこういうので顔を洗っていた暮らしは実はほんの少し前のことなのに、今ではもう考えられないわよね。左上には櫛が置かれ、小さな鏡も。
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石板とランドセル。
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手芸道具のこういう入れ物はうちのドイツ人も同じタイプのを使っている。
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こうしてどうにかこうにか70-200mmのレンズで家の中を写し、外へ。

外にはパン焼き窯。
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ちょっと魔女の宅急便を思い出した。
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撮影: D600 + 70-200mm(F4)
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ベントハイマー豚など [エムスラント 2018年5月]

現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。

昨日までご紹介した1920~30年代の家の展示を見て外に出ると、コッコッコと賑やかだった。
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そのすぐそばに豚さんが寝ていた。
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こんなふうに転がっていて、うんともすんとも。
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その近くの納屋に入ると、子豚さんたちもお昼寝していた。
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めぎのシャッターの音に気づき・・・
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何だぁブーブーと起き・・・
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みんな一斉に食べ始めた!
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しっぽが可愛い♪
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食べ終わった豚さんたちから順に水を飲みに行った。
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この斑の豚さんたちの名前はベントハイマー豚。この旅の最初に訪れたバート・ベントハイムに由来する種類の豚で、前日の夕食に食べたもの。こうして豚さんたちは大きくなって、あのステーキになるのね・・・

近くには鶏さんの雛たちも。
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なんだか、焼鳥さんになっちゃいますよ~という感じだったけど。
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納屋には燕も出入りしていた。これはトリミング。
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納屋を出てしばらく歩いていくと、羊さんたちも。
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泥炭地の沢が広がっていたところを埋め立てて何をしたかと言えば、牧畜が主だったのね。
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よしよし・・・きみたちも美味しいラム肉になっちゃうのかな・・・
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撮影: D600 + 70-200mm(F4)
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泥炭地ミュージアムにて [エムスラント 2018年5月]

5月初旬の週末の旅のお話は本日最終回。

泥炭地ミュージアムには広大な敷地があって、泥炭地のかつての姿を見ることができる。
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めぎは今回記事の中でずっと泥炭地という訳語を書いてきたが、それが本当に合っているのかよくわからない。ドイツ語でMoorというのだが、辞書にはその訳語として湿原というのも載っている。湿原の植物の死骸が泥炭となり、泥炭の土壌の地域を泥炭地と言うようなのだが、ドイツ語ではそれを全部ひっくるめてMoorなのだ。
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泥炭を乾かせば炭としてエネルギー源となるわけで、20世紀初頭には難民を使ってたくさんの泥炭が生産された。最初は映像で見たような手作業だったのが、そのうちには機械も導入されていった。
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大きな機械が別棟に展示されていた。
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泥炭生産の様子を伝える貴重なフィルムも。記録って大事だなあ・・・これがなかったら、人々の労働の様子はもうすっかり忘れ去られていただろう。
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機械は大きくて結構な迫力があったのだが、例によって広角レンズを持っていなかったので、スマホで撮影した。でもこれじゃなんだか大きさが伝わらないわねえ。
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この銅像が普通の人の大きさ。この頃はビールを飲みながら仕事していたのかなあ・・・
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泥炭生産は政策として勧められ、それに伴って湿地は姿を消していった。その後泥炭そのものが見捨てられ、生き残りを模索したこの地方はリニアモーターカーの実験地になり、そんなあれこれで地域の活性化を試みたか少なくともお金が流れてきたのだろうが、結局はどれも上手く行かず、今はドイツ国内でも殆ど忘れられた土地として地の果てのような扱いとなってしまった。
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だからほとんど誰もいなくて、観光客も来てなくて、めぎたちは広い敷地を独占して楽しんだ。このすぐ近くのバート・ベントハイムのお城にはたくさんのオランダ人が訪れていたし、オランダのあの五稜郭みたいなBourtangeにもいっぱい人がいたが、この泥炭地ミュージアムには誰もいなかった。いたのは動物たちだけ。
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まあ、朝一で来たからかも知れないが。早起きはホント三文の徳なのだ。誰も来ないようなところを再発見して歩くのが好きなうちのドイツ人には大満足の旅だった。
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これ、ワラビよね?ドイツにもワラビがあるんだ!食べる文化はないけれど。
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最後に、やっとやっとカエルの姿を発見。見えます?
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↑上のをトリミング。カエルさんたち、元気でね。
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最後の写真を写したのが11時50分。これで旅を終え(何しろサッカーはもう終わっちゃったし・・・おんおん)、サクッと一時間ちょっとでデュッセルドルフに帰宅。日曜日の午後は自宅でのんびりゆったりと過ごした。以上でエムスラント地方のお話はおしまい。

撮影: D600 + 70-200mm(F4), Xperia Z5
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