ちゃんと勉強してみたいことはあるけれど、今は「お金」も、「体力」も、「時間」もなくて……。
そんな悩みを抱えながら日々の仕事に向き合っている方も少なくないでしょう。
新しいことを学ぶのはいつだって尊いもの。しかし、その尊さは「自分のリソースをどこまで投資するか」という選択とコインの表裏でもあります。
社会人になってからの学びを人生やキャリアの血肉にできている人は、どんなアクションを重ねてきたのでしょうか?
今回お声がけしたのは、リクルートやアマゾンジャパン、LINEなど名だたる企業で活躍されてきた人事のプロフェッショナル、青田努さん。
青田さんは、絵やデザインについて学びたいという「ずっと蓋をしていた思い」に40代後半で向き合い、一念発起して美大受験にチャレンジ。「中学校を卒業してからはほとんど絵を描いてこなかった」ところから1年間みっちりと絵を勉強し、2024年春、多摩美術大学に見事合格しました。
そんな青田さんに今回の美大受験を振り返っていただきながら、「社会人の学び」についての考え方を伺います。
青田努さん。リクルートおよびリクルートメディアコミュニケーションズに通算10年在籍し「リクナビ」の学生向けプロモーション、求人広告の制作ディレクター、自社採用担当を務める。その後、ドリコム、アマゾンジャパン、プライスウォーターハウスクーパースなどで人事マネージャー(主に中途採用領域)を経て、2015年より日本最大のHRネットワーク『日本の人事部』にて、人事・人材業界向け講座、人事の交流会・勉強会組織、HR Techメディアなどを立ち上げる。2017年にLINE入社。人材支援室副室長を務めたほか、マネジメント層の成長支援プロジェクトのリード、採用・タレントマネジメントなどさまざまなプロジェクトを推進。LINE在籍中の2021年にCast a spell合同会社を設立。
高い成果を求められる限り、「学び続ける」のは当然
──今回は「社会人の学び直し」をテーマにお話を伺いたいのですが……青田さんは40代で美大を受験するにあたり、「リスキリングを意識していたわけではなく、常にスキリングを続けてきた感覚がある」とnoteに書かれていましたね。
青田努さん(以下、青田):学び直しやリスキリングというのは学びを中断している前提の言葉だと思います。ただ僕はこれまで働いてきたなかで、学びを中断したという感覚がないんですよね。社会人として高い成果を求められる環境にいる限りは「学び続けるのが当然」ではないかな、と。
──たしかに、これまでも働きながら大学院に通われるなど、「学び続けて」おられます。そもそも、青田さんの「学び」に対するスタンスや考え方は、年齢を重ねるごとにどう変わってきましたか?
青田:新人の頃は実務に取り組むこと自体が勉強だと思っていましたが、20代中盤くらいからは、キャリアカウンセラーのトレーニングに参加したり、グロービスの単科授業を受けてみたり、実務の延長線上で何かを学ぶようになりました。
34歳の時、社員100人規模のゲーム会社に転職し人事総務マネージャーになって、自分のレベルがこの会社の人事のレベルを決めると痛感したんです。また、経営者との距離がそれまでよりも、近くなりました。そこで、マーケティングや経営戦略などより広い視点から人事を学ぶため、早稲田大学ビジネススクール(大学院経営管理研究科)に通い始めました。
その後、何社かを経て30代後半の頃には人事担当者向けの講座を企画するなど、どちらかといえば学ぶ場や仕組みをつくる側に回りました。当時は講座や交流会などを運営しつつ、さまざまな企業における人事の取り組みなどの知見を吸収していましたね。
40代前半でLINEに転職した後も、マネージャー向けの研修を企画・運営したり、採用について体系的に学べる勉強会を催す会社を副業として立ち上げたりしました。
……こうしてこれまでを振り返ると、働くことと学ぶことを常に並行してきたんだな、と感じます。
社会人経験があるから、「レベル1」に戻っても大丈夫
──そんななか、40代後半で美大受験にチャレンジされるわけですが、そもそも、どうして美大に行きたいと思ったのでしょうか?
青田:仕事に関係なく、純粋に「違う生き方がしてみたい」と思ったからです。というのも、副業で立ち上げた会社で夜や週末など週平均10時間程度稼働したら、ありがたいことにそれだけで生計が成り立つようになりました。そして、週5日働かなくとも生きていける人生があるなら、もう一度学生生活にフルコミットできるかもしれないと考えました。封印していた「美大で学びたい」という気持ちが沸き上がってきたんです。
子どもの頃は鳥山明先生の作品が好きで、漫画家になりたいと思ったこともありました。でも、「その道は(絵を仕事にする人は)学生時代から進路を決めているんだろうな……」とおよそ30年前に諦めていましたし、中学校を卒業してからは趣味でもほとんど絵を描いてこなかったんですよね。
──そこからの行動力がすごいのですが、2023年1月には学力試験のみで入学できる美大の学科を受けられたそうですね。ただ、結果は惜しくも「補欠合格」だった。
青田:はい。ただ、繰り上げ合格まであと1人(あと2点)、というギリギリのラインでしたから、「来年も同じ学科を受験するなら少しだけ受験勉強をしながら週2、3日働いて過ごそうかな」程度に思っていました。
でも、その直後に僕が昔採用した美大卒の後輩と話す機会があり、その時に「実際に手を動かしたうえで美大に入学すると、学びの吸収量が違いますよ。あと1年あるならこれからでも頑張れば実技で合格できますよ」と言ってくれたんです。その言葉を聞いて、たしかに(来年までの)1年間本気で向き合えば、実技試験を受けられるかもしれないな、と。
そこから考えをガラッと変え、実技試験をパスできる画力を付けるために、美術予備校の門を叩きました。
結局、都内の大手美術予備校は年齢などを理由に軒並み入校できなかったのですが、唯一快く迎え入れてくれた、すいどーばた美術学院に、2023年の4月から受験が終わるまでの10カ月間通いました。
──絵について専門的な勉強をするのは、その時が初めてだったのでしょうか?
青田:そうですね。だから、久しぶりに自分が“レベル1”に戻る感覚を味わって、初めは少し苦痛でした。「こういう構図がカッコいい」「こういうデザインの絵を描きたい」と思っても、いざそれを自分で再現しようと思うと手が追いつかない。
予備校では1日かけてデッサンなどの課題をこなすのですが、完成した作品はクオリティに応じて上段・中段・下段と、位置を分けて教室の棚に置かれるんです。当然ながら、僕の作品ははじめは下段に置かれることがほとんどでした。クラスメートの多くは18、19歳なのですが、自分の目から見ても明らかに全員に負けているのが分かりましたね。つくづく、実務の延長線上で学んでいた時は「レベル1」じゃなかったんだな、と思いました。
──集団のなかで「レベル1」の感覚を味わうと、自分も含め、恥ずかしさを感じたり、劣等感を抱いてしまったりする人も多そうですが、青田さんはいかがでしたか?
青田:僕は「自分より若い人に負けるなんて恥ずかしい」というプライドは持っていても損だと思うタイプなんです。これは意識の高さ、というより単なる損得勘定です。そのようなプライドは成長を阻害してしまいます。長期的に考えると、これまでにできなかったことができるようになったり、知らなかったことを知れたり、いまひとつ理解できていなかったことが腑に落ちたりする経験って自分の得になるはずでしょう。
──プライドを守るより、痛みを伴ってでも新しいことを学ぶほうが「得」だと。
青田:はい。それに「痛みの見積もり力を養う」という視点からも、あえてレベル1になるメリットは少なくありません。未経験の領域に飛び込んだ時、初めのうちは痛みが大きいのは当然です。でも、その痛みが自分にとってどれくらい痛いのかは、ところどころで転んでいないと分からない。本当はかすり傷程度なのに、かすり傷すら付けるのが嫌だからそもそも走らない、という人も見かけます。いきなり大勝負に出て派手に転んで大ダメージを受けないためにも、「ここで転んだらこれくらいの痛さだろうな」という感覚は身に付けておくに越したことはありません。
──青田さんの場合、痛みは感じつつも、そこまで大きなダメージではなかった?
青田:そうですね。むしろクラスメートが受けていたダメージより軽かったようにも思います。というのも、これまでの仕事や学びの経験を通じて「優秀な人の手の動かし方を“完コピ”すれば、一定のレベルまでは到達できる」と知っていたので、たとえダメージを受けても過剰に悲観しなかったんです。それに、「社会人としてここまでやってこられた」という自分に対する基本的な信頼もあったので、仕事以外の領域でボロボロになっても根本的な自信は失わずに済みました。それはこれまで自分を磨いてきた社会人が学ぶメリットというか、“2周目の特権”かもしれません。走り続けて転び慣れている人は、新しいことを学びやすいと思いますよ。
お金に対する抽象度が高いと、チャレンジが不安になる
──美術予備校に通われていた期間、仕事と絵の勉強を両立させるのは大変ではなかったですか?
青田:正直、大変でした。入学するまでは予備校の授業って週5だと思っていたのですが、実際は週6で(笑)。通い始めた当初はただでさえいろいろなことにキャッチアップしなければいけない時期なのに、副業の仕事も入っていましたし、ちょうど書籍の執筆期間とも重なって、週1の休みの日に丸2日分くらい働いていましたね。受験直前期にも大学教員として週3コマ講義をしていました。
ただ、幸い体力はあるほうでしたし、「HP(ヒットポイント)を使うことをやってると最大HPは徐々に上がっていくけど、HPが減らないことをやってると最大HPは徐々に落ちてくる」というような法則も感覚的に分かっていましたから無事走り続けられました。
──いま体力の話も出ましたが、社会人が新しく何かを学ぶにあたって必要となるのが「時間」「お金」「体力」の3つの基盤です。それらに余裕がないからチャレンジできない、と尻込みをしている人はどうすればいいのでしょうか?
青田:副業できる方ばかりではないと思うので、特に「お金」の基盤は作りにくいですよね。
ただ、「お金」のみに不安を抱えている方の場合、自分がいくら稼げていればOKなのかをいちど試算してみるといいと思います。僕は、仮に65歳まで働いて100歳まで生きるとしたら、65歳の時点でいくら蓄えがあればその後不安のない生活を送っていけるのかを試算して、1年ごとにおよそいくらの売上と蓄えが必要かをスプレッドシートにまとめています。
もちろん、必要な金額感は人によって違うと思いますが、死ぬ時に余るお金のために働いてる人って案外多いんじゃないか、とも思うんです。それに、「お金」の抽象度が高いまま新しいチャレンジをしようとしても不安が募るだけですよね。稼いでいたい金額を把握すれば、逆にお金を稼ぐことに使わなくていい時間も算出できる。そうすれば、次のステップをより具体的に考えやすくなるのではないかと思います。
学ぶことは、「主観のOKライン」を磨くこと
──青田さんは2024年の受験で見事、第一志望の多摩美術大学統合デザイン学科に合格され、春から大学に通われています。久しぶりに大学生になった気分はいかがですか?
青田:純粋にいま、2周目の人生を生きている感覚があります。
──受験生として美術予備校で学んだ日々は、青田さんのキャリアや人生を豊かにしてくれたと思いますか?
青田:そうですね。クラスメートの皆さんの頑張りをアリーナ席から観客として見るのではなく、同じステージで見られたことも含め、予備校に通った10カ月は青春そのものでしたね。そのなかで、課題に対していい評価をもらえることが増えてきたり、徐々に思った通りの構図で絵を描けるようになってきたりもしたので、成長の実感が得られたことも大きかったです。
──若手ビジネスパーソンのなかには「キャリアアップに役立たない学びには意味がない」と捉える人も少なくないようですが、そのスタンスを青田さんはどう思いますか?
青田:実務の延長線上にない、趣味色の強い学びは仕事の役に立たないんじゃないか、という意味合いですよね。そんなに構えなくていいんじゃないかと思いますよ。最低限の生計を成り立たせるために仕事の役に立つことを追い求めるのも大事ですが、そこをクリアしたら今度は、すぐには役に立たないようなことをいかに楽しめるかが人生を豊かにする鍵になってくると思います。
無駄を避けて最短距離を求めてしまいがちな人もいるかもしれません。もちろん、仕事においては周囲からのニーズを効果的に満たしていくことも必要ですが、仕事から少し離れて何かを学ぶ場合、「自分の主観のOKライン」を持つことが重要なのではないでしょうか。
──「主観のOKライン」とは?
青田:例えば、自分がすごくおいしいと感じるお店でもレビューサイトだと低評価だったりすることってありますよね。その時に「本当はおいしくなかったんだ」と思うのではなく、自分の舌を信じて「おいしかった」と思えるかどうか。これが主観のOKラインです。
客観のなかでしか生きられないと、人はあまりハッピーになれないのかもしれません。仕事でも、人生でも、主観的に満たされるものと客観評価があってこそ満たされるもの、2つのバランスが大事ですよね。
──そうしたスタンスのうえで、「何かを新しく学びたい」と思いつつどんなジャンルを学ぶべきか分からない人の場合、何から始めればよいと思いますか?
青田:「やりたいことが分からないから動かない」という人は多い気がしますが、実際は、動いていないからやりたいことが分からないんだと思います。動いてみた結果、はじめは興味がなかったことでもやっているうちに楽しく思えたり、逆にやっぱり苦手だと気づけたりすることってよくありますよね。だからまずは食わず嫌いせずに、興味の赴く方向へ動いてみるのがいいと思います。
──青田さんは「好き」というモチベーションがあったからこそ、どんなに大変でも絵の勉強を続けられたのだと思いますが、忙しいなかゼロから新しいことを学ぼうとした時、「本当に自分はこれを学びたいんだろうか……」と当初の意思が揺らいでしまう場面も出てくるかもしれません。
青田:あくまで個人の感覚ですが、好きなことより得意なことを続けたいタイプの人は意思が揺らぎやすいのかもしれません。仕事ならば、好きよりも得意をモチベーションにするのは賛成です。得意なことが嫌いな人は少ないと思いますし、得意なことを好きになっていくほうが大勢のなかで価値を発揮しやすいので。
でも仕事から離れたところで学ぶなら、得意・不得意関係なく「好き」だけで飛び込んでもいいんじゃないでしょうか。
それに、たとえ続かなかったとしても、自分のなかにその分の空きスペースができた、と捉えればいいだけです。その分のリソースを、また次のチャレンジに生かせますから。
取材・文:生湯葉シホ
写真:小野奈那子
編集:はてな編集部
制作:マイナビ転職