30歳という節目の歳を迎えるにあたり、今一度キャリアを考え直す人は少なくないと思います。ただ、実際に行動に移すとなると、「もし失敗したら」という不安が頭をよぎり、二の足を踏んでしまう人も多いのではないでしょうか。
現在、G'sACADEMYやデジタルハリウッド大学などで教鞭をとるエンジニアの山崎大助さんは、もともとアパレル業界からキャリアをスタート。28歳の時にエンジニアを志し、その後はさまざまな企業を渡り歩き、“遅咲きエンジニア”として多方面で活躍するようになりました。
転職当初は、歳の差などから焦りを感じ、慣れない仕事に四苦八苦したという山崎さん。未経験の職種で結果を出すにあたり、どのように仕事に取り組んできたのか、話を伺いました。
28歳でアパレルからITの道へキャリアチェンジ
――山崎さんは現在、エンジニア養成学校などで教鞭をとりながら、書籍も出版されるなど幅広くご活躍されています。しかし、以前はまったく別の業種で働かれていたそうですね。
山崎大助さん(以下、山崎):ええ。学校を卒業後、最初に就職したのは大手アパレルブランドでした。店舗での接客から始まり、最終的には店長を務めました。当時は、売上を上げられるエースが店長を務めるのが一般的。もともと私はコミュニケーションが大の苦手でしたが、立て板に水のようには話せなくとも、ファッションの知識を地道に学んで誠実に接客することで成果を上げられたんですよね。この時の経験は自分にとって大きな成功体験になりました。
――ただ、その後キャリアチェンジされますよね。ファッション業界で順調なキャリアを歩まれていたように思うのですが、なぜIT業界へ転職することにしたのでしょうか。
山崎:時々の流行で価値が左右されず、なおかつ社内外に通用する技術を身に付けることで、「自分にしかできない仕事」をしたいと考えたからです。入社3年目で店長になった頃、ファッションの流行が変わり売上がぱったりと上がらなくなりました。それでも成果を上げるために働き続けたのですが、会社側にはその努力が認めてもらえず、責められてばかり。この時、何か武器を身に着けて会社に依存しない働き方をしたいと感じたんですよね。
妻からは「PCを使う仕事がいいんじゃないか」とも勧められました。2000年代前半は大学生でもPCを買うのが当たり前の時代になっていて、世の中的にもこれからはPCだという空気が漂っていましたから。
ところが、当時の私はまったくPCが扱えませんでした。ローマ字入力って何? という状態で、メールの送り方すら分からないところからスタートだったのです。入門書やタイピングソフトを買って、半年ほど必死に勉強をしたのですが、てんで駄目。これはもう実務で学ぶしかないと思って、転職活動をはじめました。この時、私は28歳でした。
――28歳からの転職で、これまでとまったく違う職種を目指すのは大変だと思います。
山崎:普通はそれまでの経験やスキルを生かして転職活動するものですよね。実際、転職活動では「営業としてなら採用する」と言ってくれた会社もありました。しかし、当時の私は具体的な職務内容こそイメージできていませんでしたが、意地でも「技術で飯を食っていきたい」と思っていました。それ以外の仕事では、また前職と同じように会社の一存で自分の立場が左右されてしまうのではないかと不安だったのです。
結局、1年くらいはどこにも受かりませんでしたね。就職情報誌で求人情報を探しては受けていたのですが、60社以上落ちました。最終的に採用されたのは、エンジニアではなく、PCの使い方を教えるコールセンターのインストラクターとしてです。当時は、とにかく業界に入ることを最優先に考えていました。結果的に私のコミュニケーション能力を買ってくれての採用でしたので、逃げずに苦手な接客と向き合ってきて良かったなと。
周囲と比較して自信を失うも、転職で状況が好転
――大変な転職活動を経て、ようやくIT関連の仕事につけたわけですが、入社してからはいかがでしたか。
山崎:半年間インストラクターとして仕事をして、結果が出なければ契約終了という厳しい条件でしたが、チャンスをもらえたことがとにかくうれしくて、がむしゃらに働きました。結果的に、実務を通してPCについての知識を磨き、3カ月くらいでインストラクターとして一人前になることができたように思います。
1年半ほど経ったとき、そろそろ次のスキルを身に付けたいなと思うようになりました。隣の部署が開発の部署だったので覗きに行ったら、HTMLやCSSなどを駆使してWebサイトを作っているところを目にしたんです。その時、人に教えるだけでなく何かを作れるようになれば、私が目指していた「自分にしかできない仕事」に近づけると直感し、そうした仕事を任せてもらえそうな知り合いの制作会社に転職しました。そこで初めてエンジニアとして開発に携わることになります。
――制作会社に入社してからは、目論見通りWebサイトの制作に携われたのでしょうか。
山崎:いえ、入社して分かったことがあります。私はHTMLやCSSが好きでしたが、Webサイトを作るセンスがまるでないということです(笑)。いや、実際はセンスというのは良い制作物をたくさん見ることで磨かれるものなので、その後もインプットとアウトプットを続けていけばよかったのかもしれません。ただ、とにかく当時の私は「いかに他の人と差を付けるか」ということを考えていたので、「センスがない」ジャンルで努力を続けても、オリジナリティのあるキャリアにたどり着けないと感じたんです。
じゃあどうするか。このままでは埋もれてしまう。ほかの技術や言語にいろいろと挑戦した結果、自分にぴたりとハマったのがPHPという言語だったのです。ほかの言語は分からなかったのに、PHPだけはいきなり分かり、PHPでちょっとした制作物を作ることもできました。やはり自分に合う領域を探すことは大事だなと思いましたし、それからはプログラミングに夢中になりました。
――その後は、受託開発を中心にさまざまな企業を渡り歩くことになります。そのなかで、若く経験も豊富なエンジニアと出会う機会もあったかと思いますが、彼らに対する「焦り」のようなものを感じることはありましたか。
山崎:それはやはり、ありましたね。大卒で入社して私と同じ歳だとすれば、7年くらいは先行されているわけです。また、新卒1年目でも、情報系の学部出身だったり、エンジニアとして優秀な人ってごろごろいるんですよ。
エンジニアとして働き始めた当初は、そういった人に早く追いつこうと必死でした。もちろん、会社は私の能力を分かったうえでポテンシャルを評価し採用してくれたわけですから、焦らなくてもよかったのかもしれませんが、やっぱり周りと比較してしまうものですよね。
――そのような状況をどのように乗り越えられたのでしょうか。
山崎:必死にもがいて分かったのは、自分のレベルにあった環境で仕事をすることの大切さです。一時期は、レベルの高い人たちに囲まれて仕事をしたほうがスキルも上がるはずと考えて、厳しい環境に身をおいたこともありました。ただ、私の場合は周りと比較ばかりしてかえって自信をなくしてしまったので、あまり成長につながりませんでした。
その後、ある程度自分の能力と見合った職場に転職したら、のびのびと働けるようになりましたし、不思議と前職ではできなかったこともできるようになったんですよね。転職しても一度でマッチする職場に出会えるとは限らないので、合わないと思ったら無理せず環境を変えてみるのはおすすめです。
一つのアウトプットがキャリアを切り開いた
――その後、2008年に大きな反響を呼んだ「AIR Note!」を個人で開発されます。開発の経緯について教えていただけますか。
山崎:2008年当時、私はソフトウェアの大手受託開発会社に所属し、グループリーダーとして仕事をしていました。仕事はチームでの分業制です。そんな時、AdobeがリリースしたFLASH制作アプリ「Adobe AIR」を目にして興味を持ち、初めて1人ですべて作ったものがAIR Note!でした。
AIR Note!はスケジュール管理やメモ帳など、日常的に業務で使用する機能を一つにまとめたソフトです。日頃から自分が仕事をしていて、「こんなソフトが欲しいな」と思っていたものを形にしました。まだ出たばかりの技術だったので、周囲からは「そんな技術使われるか分からないよ」と言われたりもしたのですが、「自分が欲しいと思っているんだからニーズはあるはずだ」と考えて1週間ほどでβ版をつくり、Adobeのギャラリーでソフトを公開してみました。
すると、大きな反響がありました。連絡先として明記しておいたアドレスに感想や要望などがどんどん送られてきて、さまざまなメディアで紹介され、広がっていきました。当時はまだ「Adobe AIR」を使ってつくられたソフトがほとんどなかったので、目立ったのも良かったんだと思います。
この時、私は気づいたんです。これこそが、「自分にしかできない仕事」だと。それまでの自分は技術的なレベルを上げさえすれば、個人としても仕事ができるようになるはずだと思っていたのですが、それよりも重要なのはアウトプットを通じて、自分を知ってもらうことだったんですよね。
――山崎さんのキャリアにおいて、大きな転機になったのですね。
山崎:そうですね。当時は今ほど勉強会もなく、アウトプットを意識する人も限られていたと思うんですけど、私はAIR Note!という形でアウトプットしたことで、目指していた方向に人生が大きく好転したと思います。
実際にその後は、AIR Note!の経験をもとに、自社サービスの開発をしている会社に転職しましたが、AIR Note!の名前を出せば、どこでも採用されるような状況でした。60社以上受けてもダメだった時のことを考えると嘘のようですけど、それだけアウトプットには説得力があるのだと思います。
――実際に作ったソフトがあるのは強いですよね。その後、山崎さんは毎年のようにサービスを開発し続けているそうですが、続けるために日頃から意識されていることはありますか。
山崎:継続的にアウトプットするうえで大事なのは、「欲しい」と思ったものはひとまず作ってみることです。ほとんどの人は、せっかくアイデアが出てきても、市場に似たようなソフトがないかどうかをまず調べます。その結果、「すでに似たソフトがあるから作る意味がない」と思って作るのをやめてしまうんです。それはもったいないと思います。車輪の再発明でも構わないから作ってみることが大事。そうすれば、自分を知ってもらうことにつながりますし、そもそも自分が「欲しい」と思っているということは、そこに既存のものにはなかった何らかの付加価値もあるかもしれません。
例えば、メルカリが良い例です。CtoCで物を売買するサービスはメルカリ以前にもたくさんありました。だけど、これまでのサービスになかった要素を押し出すことで、最後発から一気にほかのサービスを抜き去っていきましたよね。だからこそ、まずは自分の中のニーズに正直になってアウトプットすることが大切だと思います。アウトプットの評価はユーザーに委ねればいいんです。
異業種での経験は“遅咲き”の武器になる
――ここまで山崎さんのキャリアを振り返っていただきましたが、年齢を重ねてから未経験の分野に挑戦することの利点と不利な点があれば、それぞれお伺いしたいです。
山崎:やっぱり、学生時代からコンピュータ・サイエンスを学んでいる人に比べると、基本的な知識で圧倒的に差があるのは事実ですよね。いくら実務で学んでも、そこは一朝一夕には身に付かないので、地道にインプットを重ねるしかないのかなと思います。
一方で、利点としては前職での経験ですよね。例えば私の場合で言えば、アパレル時代に培ったコミュニケーション力はその後も大いに生きました。当時はお客さまの要望に沿って、洋服の素材の特徴などを丁寧にお伝えしていましたが、それはクライアントとの打ち合わせで、しっかりとヒアリングし、できることとできないことを誠実に伝えて後々のトラブルを防ぐことなどにも役立っています。
――なるほど。たとえまったく異なる業種のように思えても、生かせるスキルはたくさんあるのかもしれませんね。
山崎:そうですね。それと、私が講師を務めるG'sACADEMYの学生は、ほとんどがプログラミング未経験で別業種を経験してから学びにきています。一見するとスタートが遅く、不利に思えるかもしれませんが、社会人として経験を積んでいることはエンジニアとしての成長スピードを速めてくれます。
それは、社会の問題を把握しているからです。プログラミングは目的ではなく、課題解決の手段。社会人として経験を積み、解決したい問題が明確な人は、進む方向がハッキリしているので成長も速いのです。逆にただなんとなくプログラミングを学ぶことが目的では、なかなか「作る人」にはなれない。
――非常に納得感があります。最後に、年齢を理由にキャリアチェンジに二の足を踏んだり、努力が続かなかったりする人に向けて、アドバイスがあればお伺いできますか。
山崎:今、エンジニアには「掛け算」が求められているとよく言われます。技術だけでなく、これまでの経験と掛け合わせることで唯一無二の存在になれると。これはほかの業界でもそう変わらないと思います。何かやりたいことがあるのであれば、これまでの経験は決して無駄にならないと思うのでぜひチャレンジしてみてほしいですね。
取材・文:山田井ユウキ