「そろそろキャリアアップを見据えて仕事の幅を広げなきゃ」。働き始めて数年が経ち、日々の仕事をスムーズにこなせるようになった時、こんな焦りを感じた方も多いはず。
翔泳社でWebメディア「CodeZine」の編集長を務める近藤佑子さんも、入社3年目で仕事への向き合い方に迷いが生じたといいます。そこで、勉強会の企画やZINEの制作といった普段の業務とは別の「個人活動」に活路を見いだしたところ、結果的にキャリアへも良い影響があったそう。
今回は近藤さんにこれまでの取り組みを振り返っていただきながら、働きながらの個人活動が仕事の幅を広げることにどうつながったのか、個人活動をドライブさせるためのポイントなどについて執筆いただきました。
「なんだか最近モチベーションが湧かないんです」
今の会社に入って3年目、面談の時に口走ってしまった言葉です。与えられた仕事は一通りできるようになったけど、その先をどうしていくと仕事がもっと面白くなるかが分からない。別に会社が不満というわけでも、辞めたいというわけでもない。何か状況を良くする糸口を見つけたかったんだと思います。今思うととんでもないことを言ったもんだと思いますが、「正直だなぁ」と笑われた時には少し救われた気分でした。
学生時代は建築を専攻していたのに、建築を仕事にすることに関心が持てなかった。就職活動ではIT系の会社に行きたいと思っていたのに、ITエンジニアとしては一つ頭抜けた存在になれないだろうと、自分の方向性をうまく言語化できなかった。私が就職したのは大学院を卒業し、フリーランスの期間を経た27歳になってからのことでした。
思えば、昔から誰かがすでにやっていることは「自分がやらなくてもいいや」と思ってしまい、ちょっとずれたところで自分の居場所を探しがちでした。競争が苦手で、誰かと比べてしまって悔しい思いをしたくなかったのかもしれません。
そんな私は、IT技術に特化したWebメディアの編集者というニッチな仕事をすることになり、現在は編集長をしながら、ITエンジニアの間では多くの方に知っていただいているイベント「Developers Summit(通称デブサミ)」の企画のとりまとめをしています。
今の会社は気づけば9年目になりました。「モチベーションが湧かない」なんて言っていた私も、時が経つにつれてどんどん自分の役割や視座が変わっていき、どうやらしばらく今の仕事に飽きそうもありません。
仕事を頑張る以外に、これまでの何がよかったのだろうと振り返ってみた時、仕事のような遊びのような「個人活動の領域」を大切にしてきたことが、自分らしいキャリアに生かされていると思うようになりました。
そこで今回は、これまでの個人活動を振り返りながら、私がどのようにそれらの活動を推進し、結果的に仕事に生かすことにつながったのか、紹介したいと思います。
仕事での悩みを個人活動の原動力に
もともと学生時代からブログを書いたり、学外の活動に参加したり、就職活動に失敗して就職浪人をしていた頃にはフリーランスのように動いていたりと、「個人の活動を大切にしたい」と思い続けてきました。
だからか、今の会社に入るための最終面接で「なぜフリーランスじゃなくて会社員になりたいの?」と聞かれ、当時はうまく答えられなかったのですが、会社員になってみると、与えられた役割を持ちながら、たくさんの人と仕事ができる環境は、若い時の自分にとって圧倒的に学びが大きいものでした。ただ、会社員の世界でしばらく生きていると「モチベーションが湧かない」につながってしまう。この状況をなんとかしたいと思っていました。
そこで私が意識したのは、近藤佑子(@kondoyuko)の活動は「仕事の自分」「個人活動の自分」の両方があるということ。つまり、これまで積極的に行ってきた個人活動に今一度目を向けてみたのです。割いている時間やリソースの割合は、もしかしたら仕事が圧倒的に多いかもしれない。個人活動ではお金が得られていないかもしれない。それでも個人の領域を仕事と同様に大切にするという意識です。
こんな意識のもと、私がこれまでどのような活動を行ってきたのか、いくつかご紹介したいと思います。
勉強会参加とイベント登壇
IT系の勉強会には、入社直後に会社の先輩からの紹介で参加するようになりました。以来、細々と参加していましたが、参加の頻度を増やしたきっかけは「仕事で、もっとチャレンジさせてもらいたいな」と思ったことでした。
仕事の範疇でどうしたらいいか分からなかった私は、仕事でやりたいことから逆算し、IT業界のカジュアルな勉強会での登壇を「どんなに短くてもいいので年間10本行う」ことと、勉強会を通じてたくさんの方とつながり「会社内で一番のネットワークを持つ」ことを密かに目標に設定しました。
イベント登壇については、敷居を上げずになんでも参加するようにしました。最初から仕事や技術のことを話そうとするとハードルが高いので、趣味や個人活動のことなど、身近なところで話せるネタを探しました。技術者界隈には、エンジニア同士で勉強会を行う文化があるのですが、必ずしも高度な内容を求められる場所ばかりではないのです。
その結果、「登壇10本」の目標は半年ほどで達成しました。数字で目標を決めていたので「どうしようかな」と迷ったときに「やってみよう!」と思えたのもよかったと思います。
人のつながりに関しては、勉強会で名前の聞いたことのあるコミュニティにフットワーク軽く参加してみる、勉強会参加の際に登壇側に回ることで自分のことを覚えてもらう、などを繰り返したら自然と増えていきました。
とはいえ、社会人のはじめに、女性が主体となって活動している技術コミュニティに参加し、参加者同士で仲良くなる経験をできたことが大きかったと思います。ここでのご縁は、今でもやり取りを続ける大切な仲間となっています。会社外のコミュニティとしてまず何に参加したらいいのか悩んだら、例えば性別や出身地、もちろん関心のあるテーマなど「自分と同じ属性を持っている人が多いコミュニティ」に参加してみるのもいいかもしれません。
こうして社外のコミュニティに参加しているうち、「登壇内容を考えたり、聞いている方の反響をもらえたりするのが楽しい」と、参加すること自体が楽しくなって、どんどん加速していきました。
登壇内容も、ゆくゆくは仕事の話になり、結果として仕事の相談をいただいたこともありましたし、とりわけ自分の仕事を振り返るきっかけになったのがよかったです。「自分はなぜ、この仕事をしているのか」と、自分のなかで整理ができ、仕事に対するオーナーシップを持つことにもつながったと思います。
発信する側の経験をしたことは、結果的に著者や登壇者の気持ちが分かるメディア・イベントづくりにつながり、仕事において自ら提案・推進するシーンが増えていきました。そして大きな仕事も任せてもらえるようになったのです。相手の立場を知れたことで、いろいろな方の協力を得やすくなったのもよかったと思っています。
さらに、「今やってる活動は登壇ネタになるだろうか?」というのが現在も自分の仕事や活動の一つの評価軸になっており、自分の立ち位置を模索するうえで重要な基準になったのも大きな収穫でした。
個人主催イベント
勉強会に登壇していたら、今度は自分でも「勉強会を立ち上げてみたい」と思い、「IT技術を発信したい人のための勉強会」を作ってみたらどうかと思いつきました。これは、自分が普段仕事で取り組んでいるような「技術の発信」に関する勉強会は少ないし、エンジニア以外の広報の方などにも興味を持ってもらえるだろうと思ったのが発端です。また、同業の方とつながりたいという思惑もありました。
そこで、試しにソーシャルメディアに勉強会の構想を投稿してみたら、「参加してみたい」「協力するよ」とコメントをくださる方が続々と現れ、実現の推進力になりました。アイディア段階でも、とりあえず発信してみることの重要性を感じます。
勉強会という場ができたことで、ふとした思いつきを「じゃあこの勉強会で実現してみよう」と形にしやすくなりました。それまでであれば宙に浮いてしまっていた思いつきを実現し、自分が聞きたい話を聞くことができる自分主催の勉強会はインプット力とアウトプット力を鍛える重要なプラットフォームでした。
勉強会の内容自体も、セッション主体のもの以外にもワークショップやバーでの開催など、毎回企画をちょっとずつ変えていきました。こうして少しでも良いイベントになるよう試行錯誤することで、普段一緒に仕事をしているコミュニティ活動に熱心なITエンジニアに対する解像度も上がっていきました。
ときには、私が主催した勉強会に参加してくださったことがきっかけで、新たな活動を生み出されることとなったと聞くこともあり、その時はちょっとした世界の創造主になった気持ちでした。
また、コロナ禍の前までは、毎年自分の誕生日には自分で誕生日パーティーを主催していました。これは、誕生日をネタに自分の好きな企画をやる、というコンセプトで取り組んでいるもので、自分がバーテンダーをやったり、出し物をしてもらったりと徐々に趣向を凝らすようになりました。
ある時、歌舞伎町の有名ホストクラブがレンタルスペースとして貸し出されるという情報を見たとき「これだ!」と思って企画したのが「キャバレーゆうこ」というイベントでした。自らショーガールに扮し、DJや友人による出し物、プロパフォーマーによるショー、そして自分が歌い踊る演目を用意し、身近な友達からコミュニティ活動で出会った方、お仕事でご縁があった方まで幅広く70人以上に参加いただきました。
ケータリングや音響設備の手配、自分の出し物、ゲストとの調整、配布物の制作まで一人で行いましたが、自分の目指したい世界観に向けて作り上げていくこと、やったことないことをやれるということが、とても楽しかったです。
これらのイベントは、誰かから求められていることではなく、自分が「やりたい」と思ってやったことでした。しかし、結果的に、人の集まる場を作ること、盛り上がる場を作ること、回を重ねるごとにちょっとずつよくできるようにしていくことは、仕事において与えられた役割をこなす以上の価値を出していくモチベーションを高めることにつながったと思います。
同人誌の制作
近年、自分の興味を本としてまとめる同人誌(ZINE)を作る活動が盛んですが、エンジニア界隈でも「技術同人誌」を制作する動きがあります。私自身、そのようなムーブメントに興味がありつつ、編集者として仕事しているがゆえに「自分に何が発信できるのかが分からない」と悩み、なかなか挑戦できずにいました。自分が作るとなると「エンジニアと違って技術力があるわけでもないし」と積極的になれなかったのです。ただ、周りにいる方が本当に楽しそうに技術同人誌を書いていることが、私自身も「やってみよう」と一歩踏み出すことにつながりました。
テーマとして選んだのは、自分が関心を持ちつつも「よく分からない」「うまく説明できない」と思っている分野、Webサイトを公開するまでのさまざまな方法や、Webサイトが表示されるまでの仕組みなどです。「同人誌を作りながら勉強する!」という意気込みで作ることにしました。
いざ制作してみると、制作スケジュールはギリギリの進行になり、最終的に表現したいことの一部しか本にまとめられず、生みの苦しみを味わいました。ただ、限られた時間のなか、分かりやすく、初心者に寄り添った解説ができた自負があり、仕事で培ってきたことが個人活動にも生きたと実感しました。
そして、できた本を販売するなかで、普段技術は教えてもらうばかりの立場だったのが、何かしら自分の知っていることを伝えられるような立場になることができ、技術コミュニティの一員になれたように思えたのが、とてもうれしく感じました。
仕事をしていると「誰かのため」に仕事をしているような感覚になり、自分のやっていることが自分の人生にどれだけプラスになっているか分からなくなる時もありますが、作品としてまとめる過程で「自分ならではのこだわりや価値観」を改めて感じることができました。
また、当時は同人誌が盛り上がる一方、商業Webメディアを運営している立場としては「この先、自分の仕事はどうなっていくのだろう」と心配になることもありました。自分が同人誌を出す立場になったことで、「もっと多くの人に見てもらえる場所」としての商業メディアの立ち位置に気づくことができ、これまでよりも広い視野で仕事に取り組むことができるようになりました。
個人活動が「仕事の幅」を広げてくれた
これまでの個人活動から得た気づきをもとに、今度は仕事にフォーカスしてみると、仕事でもっと自分がやれそうなことが見えてきました。「いま企画しているイベントにはこんな可能性がある」「私達のWebメディアは、こんな課題を解決しうるのかもしれない」。そんな社外での活動を経て見えてきたことを社内で言っていたら、後述するように「編集長をやってみないか」と声がかかったのです。とても驚いたのですが、私が「こんなことができるんじゃないか」と思ったことを実際に取り組んでいく、またとないチャンスになりました。
これは決して、個人活動そのものが認められたわけではないと思っています。ただ、いま取り組んでいる仕事にはこんな意味があると気づかせてくれたのは、他でもない個人活動でした。そして、個人活動で得られた知見を社内にフィードバックしたところ、社内での仕事にも変化が生まれたのです。「モチベーションが湧かないんです」と言っていた自分からは、ずいぶん遠くに来たなと感じています。
振り返ると、これまでやってきた個人活動は、誰かが作ってくれたレールの上を歩むのではなく、自分なりの道を歩んでいくことにつながったのだと思います。アウトプットを通じて自分のやってきた仕事の意味を問うこと、自分のプロジェクトでたくさん実験できたこと。これらの経験が、誰かと競争して比較して凹むのではない、自分なりの仕事の仕方になったのです。
私は今、自分のキャッチコピーとして「踊る編集者」と名乗っています。自分が初めて技術同人誌を一人で作ったあと、そこで得た学びを、同人誌を制作した人たちによる勉強会で発表した際、「踊る編集者」というタイトルをつけたことがきっかけでした。楽しそうに同人誌を作っている人を見て「私は編集者だから」と距離を置くのではなく、楽しそうだからやってみる。踊る編集者は、阿波踊りから着想を得て「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」と、見る側から踊る側へと自由に行き来するような自分のあり方を表す言葉として、以降使い続けています。
編集者でありつつも、楽しそうだから自ら作り、発信すること。そうして半ば遊びのような領域で得た学びを仕事に生かしていく。「見る」と「作る」の両者の間で揺れ動くことが、自分特有の強みになったと思います。
たとえ仕事が「最もエキサイティングな課題」になっても
編集長への声がかかったのは、ちょうどコロナ禍に入りはじめた頃でした。慣れないリモートワークに戸惑うなか、編集長としての仕事の幅と量が増え、個人活動も以前よりやりづらくなりました。前より活発に活動できていないことに寂しい気持ちもありつつ、今抱えている仕事自体が最もエキサイティングな課題であり、自分にとってその仕事をこなすことが最も価値を発揮できると思えるようになりました。この考えに至ったのも、個人活動を通じて社内の課題に対する解像度を上げてきたからこそだと思います。
個人活動も、自分の中でステージの変化を感じています。淡々と文章を書いたり、英語の勉強をしたり、筋トレをしたりするような修行型の活動や、「踊る編集者」と自称しながらもちゃんとはやってこなかったダンスや、ふと思い立って始めてみたら昼夜を忘れて没頭してしまった洋裁など、何につながるか自分でも予想ができないような活動をしながら、なんとか走り続けています。
「仕事につなげよう」と意気込み過ぎると無駄なように思える、けれども単なる遊びとして割り切ってしまうのはあまりにもったいない。自分という人生の壮大なプロジェクトとして、仕事も遊びも個人活動もあるのだ。そう捉えることで、仕事も人生も面白くなり続けるんじゃないかなと、私は思います。
(MEETS CAREER編集部)