Bobo Stenson『Goodbye』(ECM)
personnel;
Bobo Stenson(p), Anders Jormin(b),
Paul Motian(drms)
recorded at Avatar Studios, New York , April 2004
キース・ジャレットのライヴ盤の、ポール・モーシャン以外のメンバーを北欧ジャズミュージシャンに変え、同じECMのスタジオ録音(と言っても、ノルウェーやミュンヘンではなく、ニューヨーク録音なのですね)にすると、コレまた全く別モノのジャズになってしまうのでした。
本作は、3人の空間を活かしたアンサンブルを重視した演奏がコンセプトになっておりまして、ボボ・ステンソンのピアノはあくまでも、その中からはみ出ないように演奏しています。
キースのスタンダード・トリオがもつ、丁々発止の演奏とは真逆の美学ですね。
で、このアルバムによるポール・モーシャンの演奏と、「ディア・ヘッド・イン」でのそれを比べると、実は同じ事やっているような気がするんですよね。
モーシャンのドラム好き演奏は基本的に、バンド全体の推進力。という考えが明らかに乏しい。というか、ハードバップを演奏している時からそんな事を考えていないように聞こえます。
今となっては、モーシャンのような考え方のジャズミュージシャンは多くいますが、かつてはとても少なかったです。
それよりも、彼の関心事は空間設定と言いますか。
バンド(モダンジャズではコンボと言いますが、最近はスッカリ使われなくなりました)の各メンバーの音が空間のどこでどのようになったら最適なのかを考えつつ、音を出していると言いますか。
つまり、気持ちいいグルーヴを作り出すとか、そういう事に関心が薄くて、常に考えている人のように思えます。
よって、ハードバップをこよなく愛するジャズファンには、モーシャンは不評だったりします。
なんだか、ヘタクソに聞こえてしまうのでしょう。
が、そういう「ヘタクソ」な演奏を死ぬまで続けていたのがモーシャンという人であり、そもそもの発想が、異なっていたのではないのでしょうか。
恐らくですが、キース・ジャレットやチャーリー・ヘイデンが彼を加えてトリオやカルテット編成の演奏をしたのも、その独特の発想による所が大きかったのでは。
さて。
コレまで語った事を踏まえて本作を聴くと、ピアノ、ベイス、ドラムズが必要最低限の音を発して組み上げられた繊細な構築物のような演奏で一貫していて、モーシャンの発想がもう、トリオのアンサンブルになってしまっているんですね。
演奏のみならず、作曲、アレンジでも貢献する、アンドレス・ヨルミン。
こういうミニマルな演奏は、それこそ、50年代のマイルズのクインテットであったり、ビル・エヴァンズがスコット・ラファーロ、そして、ポール・モーシャンと組んでいたトリオからあったのだ。と言えば、それはそうなんですけども、ここでの演奏はそれを更に緻密に推し進めたもので、このトリオにたすでに大ベテランとなっていたモーシャンが起用されているのは、上記の「ジャズ史」をキチンと踏まえたものだと思います。
ECMのこの手のジャズは苦手な方も多いでしょうし、決して、万人向けな音楽だとも思いません。
とても聴き手を選んでしまう、かなりシリアスなジャズだと思うのですけども、ジャズという音楽の広がり、多様性を知る上でも非常に興味深いアルバムだと思います。
最後にオーネット・コールマンの曲を演奏して、「シリアスすぎてごめんねごめんね〜」な演奏をしているのもなかなかよろしゅうございます。