旅行4日目、早朝に秋田を新幹線で出発。目指すのは続100名城登城39城目、岩手県の九戸城です。
九戸城について
歴史
九戸城の築城については、九戸光政によるものだとか、九戸信実によるものだとか、九戸政実が築いたとかいろいろな記録があり、結局いつ・誰が行ったのかはっきりしません。いずれにしても、九戸城は築城以来、南部氏の一族である九戸氏の居城でした。
しかし、天正19年(1591年)、南部氏宗家の家督争いに端を発した武力衝突が豊臣秀吉に対する反乱とみなされ、九戸城は秀吉が派遣した奥羽諸侯の軍による攻撃を受けました。女子や下級武士の助命を条件に降伏開城しましたが、約束は反故にされ、城主政実を始め城内にいた者は女子供も含めてことごとく惨殺されたと言われています。
九戸城は南部氏の城となり福岡城と名を改めましたが、地元の人々は悲劇的な最期を遂げた九戸氏への思いから、福岡城ではなく敢えて九戸城と呼び続けたということです。その後、慶長2年(1597年)に南部氏が本拠地を盛岡城に移り、寛永13年(1636年)頃には廃城となりました。
構造
九戸城は現在の二戸市内を流れる馬淵川の河岸段丘に築かれた平山城です。おおまかに正方形の本丸の南側と東側をL字に折れた二の丸が囲み、さらにその外側には若狭館・石沢館・松ノ丸・三の丸が配置されています。各曲輪の間は空堀によって区切られています。
見学ガイド
現在は二の丸・本丸が城址として保存・整備されています。復元された建物はありませんが、柱跡などいくつかは平面表示されています。堀や土塁、石垣が残り、特に本丸南側の空堀と石垣は必見です。
東北新幹線の停車駅である二戸駅から城址まで徒歩35分程度です。
いざ登城
早朝に秋田駅から新幹線に乗車、盛岡で乗り換えて二戸駅へ。
駅東口にはバス停やタクシー乗り場があります。今回はちょうどよい時刻の便がなかったので歩いてしまったのですが、バスを利用するなら『呑香稲荷』バス停が近いようです。
駅からしばらくは平坦な市街地の道が続くのですが、そろそろ九戸城も近いかな、というあたりで突然このような急斜面に挟まれた川に行き当たります。城の西側を流れる馬淵川です。写真右手の黄色い橋が駅から歩いてきた道とほぼ同じ高さで続いていますので、川の周囲だけ急に土地が低くなっていることが判ります。
見下ろしたら崖の途中に神社っぽいものが埋まって(?)います。岩谷観音堂、と書かれているのが見えますが、門は閉ざされているようです。橋の状態からすると、『まだ開門時間前』というのではなく長い期間人が渡っていないように見えますね…。
二戸駅前より徒歩35分(朝からけっこう疲れた…w)、九戸城跡ガイドハウスに到着しました。まだ開館時刻前だったので先に城址を観に行きます。ちなみにガイドハウスがあるのは三の丸だった場所です。
城址公園の全体図はこのとおり。図の赤線が見学順路のようですが、工事中だったり、ちょうどこの日が地元のお祭りだった影響であちこちが通行止めになっており、結局二の丸と本丸しか回れませんでした。
ガイドハウス前の登城口です。本来ここには登城口はなかったのですが、ガイドハウスから城内に入りやすいように道が作られたのだそうです。
二の丸西側の斜面下を通って、大手方面に向かいます。
大空堀
九戸城址公園南側の車道に出ました。幅が広いのでかえって判りづらいですが、ここは深田堀(大空堀)の跡です。
九戸城二の丸南側の斜面は『切岸』、つまり自然の地形そのままではなく、もとはもっと傾斜の緩かった斜面を削ってほぼ垂直な壁にしたものです。
二の丸
大手口
二の丸大手口です。現在は舗装された真っ直ぐな坂で、往時とはかなり違う姿なのかもしれません。
二の丸大手口を内側から。東西48m×南北5mの大規模な枡形虎口があり、大手を入るとすぐ西(左)に曲がって進み、本丸南東隅付近から二の丸に入るという構造だった…とのことですが、現在の状態からかつての姿を想像するのは難しいです。発掘調査で土塁基底部は確認されているということなので枡形の形状は判っているのだとは思いますが…作業車両などの入口としても使われているようなので、枡形の復元は難しいのかも知れません。
二の丸
二の丸は本丸の南側と東側に接するL字型をしています。写真は二の丸東端から本丸方向を向いています。この領域では刀傷のある人骨が埋葬されているのが見つかっているそうです。
ちょうどこの日はお祭りだったので、多数の提灯が飾られています。
二の丸の東部は一段高くなっています。斜路と柵は城の構造を反映しているものでしょうか?手元の古図ではこのあたりに土塁のような物が描かれてはいるのですが。
二の丸と石沢館を隔てる空堀です。二の丸搦め手門から降りられるようです。
…と思ったのですが、搦め手門は補修工事か何かで通行止めになっていました。
搦め手は二の丸への出入り口のうち『裏口』にあたるもので、現在の形は南部氏によって修復されたものだと考えられています。想像通り、搦め手から堀底に降りて若狭館や石沢館に行くようになっていたようです。
二の丸の本丸東側です。北に向かって撮影、左手に本丸、右手に搦め手門があります。道がありますが城時代の構造を反映したものかは判りません。
二の丸の本丸南側の部分です。西を向かって撮影、右側に本丸があります。写真奥にはあずまやと九戸城の立体モデルが見えます。
立体モデルはこんな感じ。地形、掘りの様子がよく判ります。
本丸
南虎口と空堀
本丸南虎口です。2つある本丸と二の丸を繋ぐ虎口のうちの1つです。石垣に囲まれた枡形がはっきり判ります。
本丸南側と二の丸を隔てる空堀です。幅10m・深さ5mという大規模なものです。写真右側の本丸斜面は野面積みの石垣になっていますが、これは九戸氏時代ではなく、落城後の天正19年(1591年)に蒲生氏郷によって築かれたとされています。
本丸の建物跡・櫓跡など
南虎口を入ってすぐ、このあたりに御隅櫓があったそうです。写真奥のあたりが櫓台っぽいですね。
本丸はだいたい100m四方の正方形に南東部に出っ張りがくっついたような形状をしています。西南・東南・西北の角には隅櫓が置かれていました。先ほど南虎口から入ったところで跡を見たのは東南の隅櫓ですね。
写真ではよく判りませんが、本丸東北部の一角は一段低く、特別な区画となっていたそうです。
本丸は、このようにいくつかの建物跡が平面表示されています。
本丸西端からはガイドハウス周辺を含めた市街地を見下ろせます。かつて三の丸だった領域ですが、すっかり市街地として開発されて往時の姿を想像するのは難しいです。
追手門
こちらは本丸と二の丸を結ぶ2つの門のうちのもう1つ、追手門跡です。本丸側から観ています。こちらも枡形の構造(食違式)だったようです。現在は土塁が一部失われてい待っているようで(左手の土塁がもうすこし手前側に伸びていたのではないでしょうか)、南虎口に較べると形状がはっきりとは判りません。
追手門を外側から。南虎口が土橋だったのに対して、こちらは木橋だったのでしょうか。
写真奥、小屋が建っているあたりを見ると、本丸東北部の一角が一段低くなっている様子がわかります。
これで二の丸~本丸は一通り回りました。ガイドハウスが開館する時刻となったので、そちらに移動します。
ガイドハウス
ガイドハウスにて続100名城スタンプ回収。室内には写真のようにパネル展示があるので、一通り見て九戸城は見学終了です。
また駅まで30分かけて歩くにはちょっと疲れたので、帰りは近くの二戸郵便局前からタクシーを利用しました。駅まで910円だったかな?5分ほどで到着。往路も乗ればよかったな…。
データ
Webサイト | 二戸市公式サイト内の紹介ページ |
地図 | GoogleMap |
アクセス | JR/IGRいわて銀河鉄道 二戸駅より徒歩35分 または 二戸駅前より岩手県北バス『伊保内』方面に乗車、『呑香稲荷』下車徒歩10分 |
開館時間 | 城址は見学自由 ガイドハウスは 10:00~15:00 |
休館日 | ガイドハウスは冬期(11月下旬~3月頃)休館 |
入場料 | 無料(ガイドハウスも無料) |
備考 | 二の丸にトイレあり |
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