離れていても・・・・・。
2016年 07月 07日
軽く足かせになっていることは否めない遠距離介護の日々。
母と離れて暮らす時間は
母を思うたび可愛そうでしかたがないのに
母の傍に行き彼女と長らく接していると、
怒っても仕方ないことはわかっているのに
時々大きな声を上げたりしてしまう、弱い私である。。
そして自分の家に戻る時間が迫ってくると
早く帰りたくて仕方がない。
そのくせ帰路の電車の中では考えまいとしても
あれこれと母を想って涙を止めるのが難しい。
人間の感情がいかに勝手なものであるかということのいい見本である。
親を必要な時代をとうに過ぎた子どもたちは
家庭や仕事など自分たちのことで頭が一杯だ。
それは当然のこと。
かつての自分も又そうだったのだから。
遠く離れていても
想い合う気持ちがあればそれで十分だ。
遠く離れているからこそ
身近にいると気づかない大切なコトやありがたみ
互いを思いやる心が生まれるのだとしたら
人間の身勝手さやわがままも許せるヒトになれる気がしてくる。
誰もが皆、笑顔の陰に
大なり小なり何かを背負って懸命に生きている。
だから
泣きたい夜には
ティッシュボックスを抱えて
その感情に抗うことなく素直に従おう。
沈鬱な感情に束縛されてしまった夜には
くだらないお笑い番組を見て、大笑い出来る自分を喜ぼう。
亡くなってどれくらい経つのだろう。
かつて「僕の好きな先生」の彼が好きだった。
そして、この歌の持つ優しさって言い尽くせない。
キヨシローバージョンが一番好き。
ありがとうございます。
今年も大いに笑って飲んで食べて
楽しい旅でした。
お気持ちよ~くわかります。
いつも身ぎれいで凛としてしっかり者
社交上手で隙きがなく、成人しても子を持っても
私は叱られてばかりでした。
そんな母がこんな風になってしまうなんて
私には思いもかけないことでした。
そのころは私も鍵さんと同じような思いでしたが
それだけに今は哀れでならないのです。
ありがとうございます。嬉しいです。
いつもありがとうございます。
いつか来るお別れの時まで、
悔いのないようにと思って日々過ごしています。
アイリスさんも心の中で、きっといつもお母様と会話して
いらっしゃることでしょう。私の場合は早くに亡くした父とそうでした。
迷った時、辛い時しか話しかけない勝手な娘ですけれど^^;
母親と娘って難しいんですよね。時に、父親と息子にも確執がある時も、これまたこじれたり、大変ですが、、。
私も、今は元気で居てくれているから良いのですが、、近い将来は、、全くどうなるか分かりません。
以前なら、同じシチュエーションの時に口答えしていたような時でも最近は、自分も聞き流したりして、、、。
現代の科学技術を持ってしても、世界は離れて居ながら一瞬で移動出来るようにはならないのかなあ、、などと、いつも脱線、そんな事ばかり考えています、笑。
ニースでの惨事、そちらはまた厳戒態勢ですね。
防ぎようのない、あまりにも無差別かつ卑怯な行為に
怒りを通り越して底知れぬ空しさと悲しみを覚えます。
どうぞお気をつけて・・・
この言葉さえもはや空疎に響くだけかもしれませんが
ただただ平安を祈っています。
老親の介護・・・・日本でも顧みない親族が少なくないようです。
それだけを見ると本当に悲しいことですが、認知症はさまざまな形で
人格を変えてしまうところがあり、身近であればこそ彼らの暴力暴言
妄想などで精神的に追い詰められて、やむなくそうせざるを得ないという事情も
あるのでしょう。
幸いにも実母は穏やかなボケ老人(笑)で、ヘルパーさんたちにも
可愛がっていただいていますが、それですら私自身長く接していると
彼女の終わらない妄言に参ってしまうことがあるのです。
緊急の際にすぐに駆け付けられないことは、身近であってもあるかもしれないし、
遠く離れてお互いを思いやるほうが、強く結ばれていることもあるのかなと
このごろは思うようになりました。