2021年 11月 07日
「利他」といふこと
先月終了した朝ドラ「おかえりモネ」の中で、主人公のモネ(清原果耶)の同僚で今田美桜演じるお天気キャスターの神野マリアンナ莉子が、気象予報士になったのは「人の役に立ちたかったから」と語るモネにこんなことを言う。
「永浦さんて、ちょっと重いよね」
「(人のためになりたいというのは)結局自分のためじゃない」
モネはその言葉に少しショックを受けるけれど、更に物語の後半には「地元の人の役に立ちたい」という思いから故郷に戻り地域密着型の気象予報士を目指すモネに対して、幼馴染の亮(永瀬廉)からも「それって綺麗事にしか聞こえないわ」と言い放たれかなり落ち込んでしまう…
ちょうど、コロナ危機の中で「利他」という言葉が注目されるようになり、僕もいくつか「利他」に関する本を読んでいたので、この2つのシーンはかなり自分ごととして受け止め考えてしまった。
そんな中、中島岳志さんの著書『思いがけず利他』という本を読んでなるほどと思う言葉に出会った。
そして「利他」という言葉は、昨日書いた「他力」という言葉にも繋がっていくことに気づいた。
以下、覚書としていくつか引用します。
「自力に溺れている者は、他力に開かれません。自分の力を過信し、自分を善人だと思っている人間は「自力」によって何でもできると思いがちです。一方、「自力」の限界を見つめ、自分がどうしようもない人間だと自覚する人間には、自己に対する反省的契機が存在します。この契機こそが、他力の瞬間です」
「人間が仕事と一体化すると、そこから人間の意思が消えていきます。すると、仕事が仕事をし始める。オートマティックに物事が動いていく。「美しいものを作ろう」という邪念を超えた「美」が宿る」
「「他力本願」とは、すべてを仏に委ねて、ゴロゴロしていればいいということではありません。大切なのは、自力の限りを尽くすこと。自分で頑張れるだけ頑張ってみると、私たちは必ず自己の能力の限界にぶつかります。そうして、自己の絶対的無力に出会います。
重要なのはその瞬間です。有限なる人間には、どうずることもできない次元が存在する。そのことを深く認識した時、「他力」が働くのです」
まだまだ引用したい言葉がたくさんあるけれど、日曜日の朝からこんなことをつらつらとSNSに書き連ねていると、神野マリアンナ莉子さんから
「マルモ君って、ちょっと重いよね」
と言われそうなので、今回はこの辺りで…
神野さんが言うことも尤もなことなのだけれど、人や回りの役に立ちたいと思うのは自然なことなのだから、だからそれも仕方ないとも思うのです。
(けんいち)