2021年 11月 06日
萩原朔太郎の訴えを…
先日友人がブログに書いていた萩原朔太郎の暮らした下北沢辺りの高圧線のことがずっと頭に残っていた。
「都会の空に映る電線の青白いスパークを、
大きな青猫のイメーヂに見てゐる」
と書かれた碑の近くを友人と散歩した記憶は微かにしか残ってはいないけれど、下北沢という地名がなんとなく気になっていたから、偶然見つけた筑摩書房の日本文学全集『吉田健一』に挟まれた小冊子の中の松浦寿輝の文章の中にその地名を見つけたときは少し驚いた。
松浦さんは「幸福な作家吉田健一」の数ある文章の中で、「唯一の陥没点」と呼ぶ空虚な場所の記述として『東京の昔』の中に描かれた「下北沢だかどこだかの先にある池」の冬枯れの風景を引用している。
こんな文章だ。
「それはみすぼらしいのでなくて何か訴えているようでもあり、併しもし訴えているのならばもっと生気があるものであるのでなければならなかった。それは寂しいのですまなくて何とも寂しい眺めで余りに寂しいので滅入ることもなかった。その冷たさが記憶に残っている。或いはそれは冷たさだったのだろうか。それは名状しがたいものなのでまだ覚えているということもある。」
そして僕は、吉田健一はこの「生気のない寂しい訴え」の向こうに萩原朔太郎の青白い顔とささやくような呼び声を思い浮かべているのでは、という想像を抑えることが出来ないでいるのだ。
〝「そんなに寂しい所だつたかね、」と勘さんが言つた。「それならば一緒に行つて見る。余り寂しい思ひをすることなんかないからね。」そこで又二人で出掛けた。(中略)そして池まで降りる前に冬来た時はただ裸になつた木立ちと思つてゐたのが桜だつたことに気が付いた。それが咲いてゐたからである。その木立を通り抜けてゐて花が匂ふやうにさへ思つた。(中略)「余り寂しくもないね、」とこつちはただ先廻りするだけのことを勘さんに言つた。「」あれは冬だつたからね、」と勘さんが散文的な返事をした。(中略)それならば冬それを眺めた時の異様な印象はただその通りに見るに堪へないといふことだけですむのではないかといふ気がして来た。さういふものは我々の周囲に幾らでもある。それは見るに堪へないのであるよりも見るべきでないので人が裸になつた時には眼を背けなければならない。その池が裸の時に見たのだつた。そこに深淵が覗いてゐると思つたりするものは精神に異常を呈してゐるので誰も死ぬ時が来るまでは死にたくないならば気違ひになることも望みはしない。〟
松浦さんは先の文章の中でこの文章も引用していて「見るべきでないものから背を向けるというこの嗜みこそが、彼(吉田健一)にとってもっとも重要な概念の一つだった「文明」の身振りそれ自体ということになろうか」と書いている。
この考察は更になかなか奥が深い話になっていくのだけれど、それはまたいずれということで。