2014年 08月 16日
『少女たちの戦争~197枚の学級絵日誌~』を見る
★★★
『少女たちの戦争~197枚の学級絵日誌~』は出色のドキュメンタリーだった。
以下番組の内容について、同番組のHPから記載する。
「滋賀県大津市に、太平洋戦争末期の1年間小学5年生の少女たちが書き続けた絵日誌が残っている。この絵日誌が今、銃後の戦争を知る貴重な資料として、海外の大学の研究者から注目を集めている。
日誌が描かれ始めたのは昭和19年4月。
「感じたことをそのまま書きなさい」と若い女性教師の指導の下、日々の学校生活や友人関係、家族のことが瑞々しく綴られた。
ところが秋を過ぎると、少女たちは感じたことを書けなくなっていく。町に次々と届く戦死者の報せ、出没する米軍機。他人の前では感情を押し殺し矛盾した行動を繰り返す大人たちの不可解な姿。ヒタヒタと迫ってくる戦争の影は、農村の小学校の1学級も覆っていく。
今80歳を超える元少女たちは、日誌を書き始めて70年となる今年、改めて当時の自分たちの心の変化や大人たちの不可解な行動、そして教師が何故日誌を書かせたのか、関係者を辿って振り返ろうとしている。
「自分たちの体験した戦争とは何だったのか」。彼女たちの戦争を見つめ直す軌跡に同行しながら、当時多くの地域が経験した戦争の実感・心の移ろいを見つめる。」
少女たちに絵日誌を描くことを勧めた担任・西川綾子はこう語っている。
「当時は雑誌も本も絵本も子どもたちの手には入らない。
ラジオは戦争の実況ばかり。
新聞も戦争の記事ばかりでうずめられている。
感性豊かな5年生の女の子たちに文化を与えたい、芸術を与えたい、表現力を与えたい。
それがないなら自分たちで文化をつくっていくしかないと考えた。」
日誌は次第に空襲が激しくなり、画面いっぱいに真っ黒に塗り潰されたB29が描かれた翌日、西川先生の「もう絵日誌はやめにしましょう」という言葉で終わりになる。
番組は静かに淡々と進む。
少女たちの絵は大変素晴らしく、美しいと言ってもよいほど。
最初は彼女たちの日常が生き生きと色彩豊かに綴られる。
しかし戦況が悪化するにつれて、画面からは色彩が消えていく。
耳に残ったのは「兵隊さんが戦死して下さったおかげで、私たちの今の暮らしがある」という言葉。
他にも随所に「死んで下さった」という敬語が使われている。
この敬語の使い方(それを導く大人の教育)が死を美化し、思考を停止させてしまっていることをおそらく西川先生は哀しく感じ、しかしそのことを言葉に出すことは出来ず、少女たちに日誌を止めることを提案したのかも知れない・・・
静かに深く心に残り、そして色々なことを考えさせてくれるとても良い番組だった。