wander around holding a soft oval

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日記を書いてます。人からはエッセイだとも言われます。

日々を整える煩わしさと

布団を整えると気分がいい、ということを動画で知り、それを最近実践している。確かに気分がいいかもしれない。

きっかけはあるVlog。のんびりと飾らない生活をなさっている投稿者の動画になんだか興味が湧き、投稿されたら見るようにしている。日々の生活の中で、あるタイミングから毎回、朝のベッドメイキングの様子が写されるようになった。

動画の中で投稿者は「『一日の始まりにベッドメイキングをするとその日の調子が良くなる』と本で読んだので、実践することにした。本当にそう感じるので私も続けている」と、テロップで話していた。その本のタイトルも書いてた気がしたんだが、本の話をした回だけ見つけられなかった。なんだっけなー。

 

でだ。彼女ののんびりとした生活が気持ちよさそうでいいなーと思い、オイラもやってみることにしたのが先月からの話。我が家のベッドというか、マットレス+敷布団は、掃除機がけをする時以外はテキトーに、起きてきてそのままの状態にしてある。寝る時に敷き直すから良いかなと思って。その日からマットレスと敷布団はそのままに、かけ布団やタオルケットをきれいに整えることにした。

実際やってみると、確かになんだか気持ちがいいのだ。こんなことで。

思うに、これはオイラの部屋が狭いからかもしれない。オイラが普段こうやってPCで作業しているリビングで、椅子に座ったまま後ろを振り返ればもう寝室が見える。狭い部屋の中で布団は、だいたい2畳くらいの面積か。その2畳ぶんの空間が整っていたら、同じ部屋の中で暮らしている自分は、部屋全体が整っているように感じられるのではないかな。

小さい労力で2畳分片付けられたのも大きいし、片付けた空間がいつでも目に見えているというのもいい効果を生んでいるような気がする。押し入れの中を掃除しても普段視界には入らないし、テレビの棚の上を掃除しようとすると物がゴチャついてて意外と面倒くさい。効果が目に見えやすく・かける労力が小さい。こういうことから、ベッドメイキングは自分のテンションを上げてくれて、結果調子が良くなるのかもしれない。

これからも続けようと思う。なるべく。

 

 

上の文章と矛盾するようなことを書くんだが、数日前から、家事をするのがめんどうに感じていた。段ボールを畳むのも、アイロンをかけるのも、何もかも誰かにやって欲しいと思う。お金さえ払えばやってもらえるし、やらずに部屋を丸ごと捨てれば新しいピカピカの日々を過ごせるようになるが、残念ながらお金はない。

昨日自宅にいるタイミングで、腹が減ったのでうどんを茹でて食べようと思ったのだが、準備がめんどくさくてイスから立ち上がれなかった。

うどん単体だと栄養が偏るので、野菜やタンパク質をどう取り入れていこうかも考える。好きな肉と野菜を入れればそれでいいが、エンゲル係数を高めたくはないし、外で食べるなんて以ての外……ということを悶々と考えはじめると、うどん茹ではますます面倒に。そして減り続ける腹。

そこから「ポーンと金を払えばこんな問題すぐに解決できるのに、それが出来ないのはオイラに金がないからだ、オイラの人生は間違っていたんだ」とむちゃくちゃに落ち込んだ。気分は放り投げた林檎のようにどんどんスピードを上げて落下する。ついには「金がなくなって死ぬんだ…」と、オイラの林檎は地面にぶつかり砕け散ってしまった。

その時、リアルタイムで自分の気持ちを友人にLINEをしていたら(友人すまんな)、なんと電話がかかってきて、励ましてくれた。なんて良いやつなんだ。ありがとう。

電話をして気付いたのだが、どうやらオイラはお金がないことや自分の人生が間違っていることで落ち込んだのではなく、面倒くさいことから逃げたくなり、それが引き金となって落ち込んでしまったようだった。

それと、腹が減っていたし、部屋も暗かったから。その程度のことでオイラは自分の人生に絶望してしまった。友人との電話を切り、うどんを茹でて、明るい部屋で食べたら随分よくなった。

 

その日の晩に、どうして最近家事をめんどうに感じるようになったんだろう?と考えた。なにかキッカケがあったのかもしれない。寒くなったとか…人に会ったとか………

あ!と思わず自室で声が出た。実況だ。新しい実況を撮り始めたからだ、と。

オイラは趣味で実況プレイ動画を投稿しているんだが、最近新しいゲームの収録や編集、そして別の作品の投稿準備があったりと、趣味のスケジュールがかなりいっぱいになっていた。

新作の実況は、自分としてはかなり不安が残る仕上がりになっており、かつそのゲーム自体は推理モノ。だもんでオイラは、時間があるとすぐにその作品のことを考えてしまっていた。思い返せば眉間にシワを寄せて生活していたように思う。

昔から自分は、眼の前にひとつ問題が出てくると、それを解決するために己のパワー全てをそれに向けようとする。今まではそれでも良かったのだが、ここ数年は自分の私生活(趣味も私生活の一部なんだけども)を整えようと思って、家事を少しばかり丁寧に行ったり、身体を労るために休息をとったりしていた。

しかし、そうしている間に問題が解決するわけではないので、オイラの脳みその一部は、常にそのゲームと実況のことを見つめていた。だもんで解決するための行動や思考以外のものを疎ましく思い始め、結果的に己の生活そのものを面倒に感じていたのだ、と思う。

たった一つの新作ゲームの実況がキッカケで、オイラは「金がなくなって死ぬんだ……」とまで思うことになった。まったくもう。しっかりして欲しい。心を強く持ってほしいものだ。が、心を強く持てないから目の前の障害をすぐに排除・解決しようとするんだろうな。

 

特にオチもないけれど、書いたら気が済んだので今日はここまで。

ちなみに先程書いたVlogについてだが、オイラはいつもミュートして再生している。たぶんその動画はASMRの要素も持っているっぽいのだけれど、オイラはああいう音がすごく苦手だ。食器がぶつかる音とか、紙をめくる音とかが過剰な動画に未だに慣れない。

 

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ふだんはニコニコやYoutubeで動画投稿しています。興味があればプロフィールから覗いて下さい。趣味のことはこっちでも書いてます。

日記:ホコリ、みそしる、やる気

午前中のうちにササッと家事を終わらせた。洗濯をしたり皿洗いをしたり。スポンジもいい調子だ。このスポンジ、一昨日くらいは油が染み込んで何を洗っても対象をヌルヌルさせてしまう病にかかっていたが、名医であるオイラの治療により復活。お湯で揉んだだけだが調子を取り戻してくれた。

家事の中で、オイラは今まで洗濯が苦手だったが、最近はそんなにイヤじゃない。洗濯ネットを買ったり、好きな香りの洗剤を買ったらずいぶんマシになった。最近は掃除機がけが好きじゃない。うるさいだろアレ。だから箒で済ませることが多いんだけど、さすがに時々は掃除機をかける。

何年も前に買った布団専用のヘッドを装着させ、敷布団やマットレスに掃除機をあてる。ヘッドの裏側には凸凹した棒がついており、それが回転して布団を細かく叩いてくれる。その結果布団にいるダニやらホコリやらを叩き出して吸い上げられる、とサイトには書いてあった。ただオイラは吸われていくホコリたちを目視で確認したわけじゃない(紙パック式の掃除機なので)。

レビューを見ると、一時期話題になったハンディサイズの布団クリーナーよりずっと良いと書いてあったし、布団のダニのトラブルには巻き込まれていないので、きっと効果があるんだと思う。仮に無かったとしても良い。おまじないになるから。

 

 

夕方頃、急に寒さに耐えられなくなる。寒いけどエアコンのスイッチを入れたり毛布を自分にかけたりするのすら面倒くさくて、寒いけど我慢することがよくあるんだ。その結果、身体が冷え切ってしまい、室内なのにブルブル震えだす。

このままでは家で遭難すると思い、最近買ったユニクロのパフテックのキルトジャケットを羽織り、外へ飛び出した。歩けば暖かくなるかなーと思って。全然ならない。氷をタオルで包んだってすぐに温まって溶けたりしないだろ。オイラの面倒くささがオイラ自身を氷に変えてしまったのだった。

寒さと怠惰な自分に腹を立てても、身体が火照ることはまったくない。パフテックのこれが悪いわけではないと思う。軽いし多分いいものだ。オイラ自身が冷たくなっているのが問題だ。そう思い、歩いて近所の回転寿司屋へ足を運んだ。

カウンター席に着き、流れるような所作で粉茶を湯呑みへ入れて湯を注ぎ、飲む。飲みながらあおさのお味噌汁と漬けまぐろを注文した。お茶を飲んでいるだけでも随分落ち着いてきた。意外と粉茶って高いんだよな、買おうとすると……と考えながら待っていると、すぐに味噌汁がやってきた。

あおさのみそしる。100円。

はぁ。ありがたい。こんなにありがたい味噌汁って他にないなと思いながら飲む。温かさがご馳走とかおもてなしとか言ったりするけど、オイラから言わせれば「救済」だ。温かさは救済。かみのみそしる。具が入ってる分、お腹に入った感もある。海藻とネギの香りも気分を盛り上げてくれる。漬けまぐろは美味いし言うことがない。

ちょっとした休憩のために回転寿司屋に入るのって、良いよな。味噌汁もお寿司も100円ちょっとで食べられるし、ガリとお茶はいくらでも飲んだり食べたり出来る。オイラはたまにテーブル席に座って、ケーキとコーヒーを頼んで作業することもある。お昼時は迷惑だからやらない、というかむしろ時間をずらして行くと回転寿司屋は非常に落ち着いていて静かだ。雰囲気もファミレスほどせわしなくない。

 

 

スープストック近所の回転寿司屋店 を後にして、スーパーへ向かった。すでに身体はぽかぽかである。普段あまり行かないスーパーの中に入ると、CGCグループの商品が多い。最近の我が町ではイオンが幅を利かせているが、その中でCGC!これはかなり嬉しい。イオンが嫌なわけじゃない、色んなスーパーがあったら巡るのが楽しいだろ。野菜コーナー一つ取っても、品揃えがかなり違うしな。

ネットの知人からオススメされていた、CGCのみかんジュースと、やたらでかい芋を購入し、大満足で家に帰る。味噌汁を飲んで芋を買って帰る、なんて充実した一日なんだろう。

家に帰ってからご飯支度。家にある里芋を茹でてサラダにし、古くなった大根を味噌汁に。そしてメインは豆腐の煮物。麻婆豆腐からマーとボーを抜いた食べ物で、材料はひき肉と豆腐とネギ。凝った調味料は使わない。名前のない主菜だ。この前干しエビやら椎茸やら色々入れて作ったんだが、要素が多すぎてよく分からない味になってしまった。美味いんだがアレは目指していた料理じゃない。今日の晩御飯でリベンジだ。

 

 

晩御飯の支度を終えて、今ここでブログを書いている。ブログを書きたい気持ちだけがあったが、何を書いたら良いか分からず数日悶々と過ごしていた。とりあえず日記を書いたが、うん。満足。

昔どこかで「作家は書きたくなくてもいい作品を書ける、それが仕事だから」と聞いたことがある。オイラはこの言葉があんまり好きじゃない。だってこの言葉が真実だとしたら、オイラはどこかで「書きたくなかったけど仕方なく書いたもの」を読まされたことがある、ってことになるじゃないか。それがなんかイヤなんだよな。

さっき回転寿司の話をしたけどもさ。仕事なんだから、嫌だな~作りたくないな~って思う時もあるじゃんね。それを責めたりはしないんだよ。でも、そういう声を聞かされながら食べる寿司は、切ない。作ってる人がどう思っているかは、知りたくなかったら知らなくてもいい、ってことにして欲しいんだよな。

寿司じゃなくてもそう思う。マンガとか、コップとか。作ったものが駄作だったとか、いやいや作ったとか、そういう気持ちは、客のオイラには聞こえない所でやって欲しい、もしくはオイラが聞こえない所へ移動させて欲しいかなって。だからさ、さっきの「書きたくなくても~」って言葉は、あんまり知りたくなかった言葉だなぁって思ってる。

……あのさ、ここまで書いておいてなんだけど、この「作家は書きたくなくても~」って言葉、これって本当なのかな?だってなんでもそうだけど、やる気ってやってると出てこない?やる気が出たからいい作品が書けたんじゃないかしら。

ってことにしておこう。ね。

時間の無駄が好き

自分の日記をペラペラと読み返していて思った。10月に入ってからというもの、ずっとDIYな生活をしていたんだな。

 

10月5日は戸棚を削った。オイラの家には洗面所がないので、ニトリで買った戸棚に化粧水やらドライヤーやらをしまっている。戸棚を使い始めたのはここに引っ越してきてすぐのことだから、もう8年くらいか。初めて一人暮らしをした家にも洗面所が無かったので、こういう生活に慣れている。

が、このニトリの戸棚がなかなか厄介でさ。扉の角のエッジが鋭くて、そこでよく手を引っ掻いてしまっていた。引っ掻かれる度にくそっと思いつつ「まぁ猫だって引っ掻いだり噛んだりするわな」と思うことにして、そのまま何もせず普通に使っていた。

そしたらこの10月5日に、扉の角で思いっきり引っ掻いてしまって、悶絶。手の甲の傷に血が滲んでしまった。頭に血がのぼりやすいオイラは「猫だって爪切りぐらいするわ!!もう許さんぞ!!!」と思いながら、戸棚を睨みながら立ち上がった。

100均で紙やすりのセットを買って帰ってきて、扉の角という角をゴリゴリに削った。ついでに家の作業箱に眠っていたニスもしこたま塗ってやった。

これでもう二度と引っかかれることは無くなった。思えば何年も前からこういうことは出来たはずなのに、それをしなかったのは我が心の怠慢だ。猫ちゃんのせいにしてごめんね。しまったこれはただの戸棚だ。

 

10月6日はシャツのほつれを直した。シャツからピョッと糸が飛び出てることがある。オイラは今までそれをハサミで切っていたのだが、どうやら世の中には、ほつれを直す専用の針があるらしい。それをネットのとある記事で見かけたのだ。

www.youtube.com

これは便利だと思い早速買おうと思ったが、直前で踏みとどまった。

オイラが見たその記事は、オイラがあんまり好きじゃないWebライターが書いていたからだ。我ながら本当に意地っ張りだと思うんだが、それでも好きじゃない奴からのオススメの品なんて使いたくねぇんだ、てやんでぃ。(上に貼ってある動画は今検索して出てきた動画なので好き嫌いの話とは全く関係ありません)

そこでオイラは考えた。要は”生地の表側に出てきた糸を補修用の針に引っ掛けて、生地の裏側に出す”ことさえ出来れば、わざわざこの補修針を使わなくて良いんじゃないかと。そこで、家の裁縫箱に入っていた針の糸通しを使うことにした。

糸通しを服の裏側から突き刺して、糸通しの穴に糸を潜らせ、そのまま糸通しを引き抜く。これだけだ。これだけでほつれを直すことに成功した。わーい。生地の目がぎうぎうだと難しいだろうけど、ほつれるくらいの生地なら糸通しは通るはず。

ほつれ糸が目立つ服は何着もあったので、それを引っ張り出してちくちく直した。直しながら「自分が嫌いな人間と自分との共通項なんて沢山あるんだから、良いものは良いって取り入れたらいいのに」と、自分に説教した。この日はどうも心がくさくさしていて、そういう意地を張ってしまう日だったな。

 

10月7日は窓の穴を塞いだ。正確に言うと窓のサッシの隙間なんだが…

この日は風が強い日だった。買い物から帰ってきたオイラは、惣菜をレンジで温めてる間に、家の窓をバシバシ開けた。換気のつもりだった。

そろそろかなとレンジの方に向かった時だ。窓の側にある部屋干し用のハンガーラックが、風に煽られ洗濯物ごとベヤーンと倒れた。その勢いで、ラックの近くにあった紙袋の束が吹き飛ぶ。紙袋の束から大きい虫の死骸が2匹分飛び出してきた。電子レンジがピーッピーッ。

一瞬のうちに部屋はもうめちゃくちゃになってしまったのに、電子レンジからは呼び出され、何がなんだか分からなくなってしまった。

とりあえず大きい虫の死骸から片付けようと思い、掃除機を取り出す。コンセントを挿して吸おうとするが、今度は掃除機のホースが周りの配線に引っかかり、無線LANが棚から落っこちてきた。それを一旦無視して虫を吸い、掃除機を片付けるためにコンセントを抜くと、勢い余って手を棚にぶつけ、衝撃で上に置いてあるバッグが全部転がり落ちてきた。

空き巣案件のような部屋の中でフリーズしてしまった。このまま寝てやろうかと思ったが、そこをぐっと堪え、電子レンジから惣菜とご飯を取り出してぐっちゃぐちゃのリビングに運び、倒れたハンガーラックの横でご飯を食べた。惣菜の入っていたパックには「牛丼用」と書かれていた。ゆっくりとご飯を食べて英気を養い、その後全てを片付けた。紙袋は捨てた。

で、だ。整ったことにした部屋の中で、オイラは首を傾げた。窓の側に置いてあったとはいえ、この窓には網戸もしてあるし破れもない。だのにどうして大きな虫というかコックローチたちが、紙袋の中に2匹も入っていたんだろう。それに彼らがこの辺りに出没するのは今に始まったことじゃない。毎年出てくるのだ。ある時は天井にいたり、またある時は洗濯物に止まっていたり。それら全て、この窓の側から登場する。

なにか理由があるのではないかと窓をしげしげと眺めていたら、あることに気付いてしまった。

窓を閉めた時、右側の窓のサッシの隙間から、外が見える。見えてしまっているのだ。隙間の縦横はおよそ0.5cm×2cm。彼らの大きさなら、やすやすと通り抜けられる大きさだ。隙間があるのは普通のことだが、こんなに広いのは珍しい。

そういえばここに越してきた時から、この窓だけ鍵が閉めづらくて最後まで閉まらないんだよな。あと網戸も右側にスライド出来ずに詰まってしまう。強い風が吹く度、やけに隙間風の音がするなぁ古い建物なのかなぁと思っていたのだが、なるほどなー!窓枠が歪んで隙間が出来てるんだ!

虫達からしたら、さぞ良い物件に違いなかっただろう。入口は常に開いていて、室内に入るとすぐに隠れやすそうな紙袋の束がある。おまけに部屋の主はまだ入口のことに気付いていない、8年もここに暮らしているのに嗚呼なんてマヌケな奴なんだ、と。誰がマヌケじゃ!

これ以上不法侵入を許すわけにはいかないので、近所のスーパーでスポンジを買ってきた。ハサミで薄く切り、その隙間にスポンジを噛ませて完了。これだけだ。

だがこれだけのことで、その日から1度も隙間風の音を聞いていない。す、すげー!やっぱりオイラはマヌケだったかもしれない。もっと早く気付いて欲しかったもん!

ピンクのスポンジを押し込んだ。隙間が空いていたからホコリもすごい。

 

このように、DIYな日が3日連続で続いていたようだった。

それからしばらくは忙しくって、ろくに自炊も出来なかったし日記も書けていなかった。昨日になってようやく忙しさも落ち着いてきたので、日々を振り返っていた。今日は溜まっていた家事や動画編集をしつつ、その合間にまた新たなDIYとして、革靴を補修している。

www.asics-trading.co.jp

最近知ったのだが、自分が買ったこの革靴は本革らしい。今までテキトーに扱っていたのであちこち擦り切れていたのだが、オイラからすると安い買い物では無かったし、何よりこの靴が気に入っているので、昨日はハンズに行って補修のためのクリームやブラシを買ってきたのだ。

以前に自分のスニーカーの裏張りを直したことはあったが、革靴の革の手入れは殆ど未経験なので緊張した。といっても抉れた部分の補修は専用のパテで埋めるだけであるし、紙やすりで削ったり布でクリームを塗布したりと、あまり複雑な技術が要らない。そのおかげで楽しみつつキレイにすることが出来た。

パテやクリーム等が乾くのにどれくらい時間がかかるのか分からなかったので、1つ塗っては半日放置、を繰り返した結果、2日かかっている。あと靴のクリームって、手を洗うと意外とすぐ取れるんだね。なんでもやってみるまで分からないものだな。

擦り切れて踵や爪先が緑がかっていたが、この通り。うまく出来た。

振り返ると、10月はずいぶん色んな It を Youeself で Do した気がする。こういうのって楽しいな、やっぱり。自分でやるってのが面白い。

オイラは趣味で実況プレイ動画を投稿しているんだけれど、サムネイルや動画編集も「全部自分で」やっている。数年前は「こんなこと」は当然すぎてここにわざわざ書くほどのことでも無かったが、今は時代が違うもんな。

配信活動だけに専念したくって、サムネや編集は他に任せたりする人は珍しくなくなった。残念(ではないか)なことに、外部に任せたほうがクオリティが高かったりするし、自分はそれに専念できるから質の高い配信や収録が出来たりするものだ。時間は有限なわけだし。オイラはそれをしない。

理由の一つはもちろん「お金がないから」だ。他人に発注できる資金が無い。でもそれ以上の、一番大きな理由に「自分でやりたいから」というのがある。

別になんでもかんでもDIYしようなんて思わないんだよ、お米だって買って食べてるし、この部屋だって借りてるし。ただ、他人に任せた方が全てにおいて良い結果を生むとしても、自分でやるのは、楽しい。

ピンクのスポンジが窓に挟まってる部屋で、慣れない手つきで靴を触っているのはさ、時間の無駄が多いんだけど。時間を無駄にしないと得られない楽しさも、やっぱりある。作ってもらった靴を履いて走る楽しさと、その靴を作る楽しさは全く違うもので、お互い替えが効かない。よね。

ま、それでも面倒くさかったり優先順位が低かったりすると、新しいものを買うことも自分でなんとかしようともせず、ただただ放置してしまうことも勿論あるんだけどもさ。8年間エッジの効いていた扉のように。

 

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缶詰のうまいドラッグストア

今朝はなかなか目を覚ませなかった。頭はなんとなく起きているが、目が開かない。開けようとしていないのではなく、指でこじ開けようにもヒリヒリと痛むくらいなので「開かない」と書いている。どうやら空気が少し乾燥しており、そのため夜の間に目が乾いて開けられなくなっているのではなかろうか。我が家にも秋が来たようだ。

アイマスクをして寝たら、半目で寝ていても目の乾燥を防いでくれるだろうと思って買ったこともあるが、結局起きると外しているので諦めた。オイラは寝相がひどくて、起きるといつも枕が縦になっているくらいだ。

昔どこかで糸井重里さんの「起きれない時はむりやり目に目薬をさす」という記事を読んだ気がする。あ!!くそー。目薬買ってくればよかった!と、今こうやってブログを書きながら悔しがっている。

今日は4軒ほどドラッグストアを巡り、柔軟剤を探したんだ。そのついでに買えばよかったな~と思ってさ。

 

先日、最近できた方のドラッグストアに向かい、いつも使っている柔軟剤を探したのだが…あるにはあった。しかし税抜きで450円くらい。ボトル1本でその値段である。うちで使っているのはヤシノミ洗剤の柔軟剤だ。香りがほとんど無いし洗い上がりがさっぱりしていて気に入っている。ただし、一般的な柔軟剤と比べても少し高い部類なのだ。隣のハミングなんて同じ量で半分以下の値段だ。

インターネットで探してみても、450円とか500円とか。微妙に高い。いや、ヤシノミ洗剤の性能を考えれば妥当な値段だと思う。しかし相対的には高いと言わざるを得ない。そこで、どこか別のドラックストアになら、もう少し安く売られているのでは……そう思い、明くる日の今日、隣町まで足を運んでドラッグストアを巡ったのだ。

結果として、無かった。ハミングならどこの店にもあった。きっと人気の商品なんだろうな。オイラも前使ってたもん。安いしさ。良いよねわかる。でも置いてくれてもいいと思うよ、ヤシノミ洗剤。セブンイレブンには置いてるよ。

ドラッグストア巡りのついでに図書館で予約していた本を受け取ったりもしたもんだから、肩も足も疲れて疲れて。骨折り損だとションボリしたまま自分の家がある街まで帰ってきた。

その時に、もしかしたらと、昔からある方の古いドラッグストアに歩いて行ったら……あったのだ!ヤシノミ柔軟剤!詰替えではないけれどボトルサイズで400円!う、うれしい。ようやく買えた。

ホクホクしながら家に帰っている途中、いよいよ足が痛くなってきたので、近くにあったスタバにお邪魔して休憩をする。ここでコーヒーを飲むより、先日訪れた最初のドラストでその柔軟剤を買っていた方が、トータルのお金の消費は少なく済んだのではないかと頭に浮かんだ。

気にしないことにした。だって最初に買っていたとしても、オイラはどこかのタイミングで喫茶店に入ってコーヒーを飲んでいただろうから。

 

 

この記事を書いている時に、回していた洗濯物の存在を思い出したので、今干してきた。服の割にハンガーが多いので、今度古いものから順に捨てていこう。

古い方のドラッグストアはいつも嬉しい、というか変わった品揃えをしてくれている。さっきのヤシノミ洗剤のこともそうだが、食べ物も他のスーパーには置いてないような、それでいて美味しいものを置いている。

例えば ちょうしたの缶詰。正式には千葉にある田原缶詰株式会社の缶詰なんだが、パッケージにチョウシタ印が書いてあるので「チョウシタの」と呼んでいる。300円くらいのでかいイワシの缶詰を見かけて、珍しくて買ってみたんだが、これがとっても美味しいんだ。

ぶつ切りタイプではなく身がそのまま入っていて、食べてみるとふわりとしていてかつジューシー。自信を持って書くが、あの缶詰は”ご馳走”だ。おまけに大きいので一回の食事では食べきれず、2回に分けることになる。意外とリーズナブル。最高だ。そんな最高の缶詰がなぜか、あのドラストでだけ売っている。ここは神奈川で千葉からもかなり距離があるのに。

またS&Bの 沖縄島とうがらし沖縄そば風だし味のパスタソース も何故か売られている。これがまた美味い。味としてはペペロンチーノに近いんだが、沖縄そばを感じられるあの出汁感と、島唐辛子の香り。

初めて食べた時に「オイラはもうこれでイイな~」とひとりごちてしまった。何をもって「もう」なのか今考えてもサッパリ分からない。近所のどのスーパーにも置いてないのに、なぜかあのドラストでだけ売っている。

www.sbfoods.co.jp

今はもう置いていないが、冷凍食品コーナーに ネギトロ が売られていたこともあった。ハンバーグやらラーメンやらの冷凍食品が売られているドラッグストアはそこそこあるが、ビニールでピチッと閉じられただけのネギトロが売られている現場を見たのは、あとにも先にもそこのドラストだけだ。もちろん買った。

季節は春のこと、新玉ねぎのスライスを醤油に漬けておいたものを上に乗せて、ネギトロ丼を作ってモリモリ食べた。想い出だけで今オイラの脳みそが喜んでいる。

これはほんの一例だ。あのドラストは快挙に暇がない。おまけに接客も抜群に良い。ああいう店が徒歩圏内にあるというだけで、オイラの生活は満ち足りたものになる。

ドラストの缶詰とネギトロ。美味かった。

日記を書こうと思っていたのにドラストのいい思い出を書いてしまった。疲れたので今日はここまで。10月になり目も皮膚も乾燥し始めたが、良い1ヶ月にできるようがんばる。まずは明日目薬を買ってくるつもりだ。

お盆中に書いた日記を一つ

家の近所に和菓子屋があるらしいので、行ってみることにする。

オイラが最近ハマっていることは、Googleマップを眺めることだ。ジロジロ眺めていると、通ったことのある道の曲がり角に喫茶店があることを知ったり、遠いと思っていたスーパーへの道のりがこのルートで行くと近いような気がしてきたり。

で実際に行ってみると、確かにめちゃ早くスーパーにたどり着いたり、その角の喫茶店がすでに店を畳んでいることを知ったり。平面の図で眺めているから坂の勾配に気付かず、大変な思いをしたかと思えば、その坂道を越えたところにある蕎麦屋の蕎麦がめちゃくちゃ美味しかったり。

そういう楽しさの「キッカケ」をGooglemapは与えてくれる。もうこの街に住んで8年以上経っているのに、知らないこと、行ったこと無い場所なんて山のようにある。小さな街の小さな小さな土地でしか、オイラは生活していない。

先週もマップを見ていたら、団子といちご大福が絶品だという和菓子屋を知れたので、歩いてそこに向かうことにした。ピクミンブルームを起動するのを忘れずに。

 

この日は快晴。遅めのお盆休みを利用してこんなことをしているが、職場の同僚にはこの日のことを話しても面白がってくれないだろうなーと思いながら歩く。だって他人からしたらつまらないだろ、近所の和菓子屋に行きましたなんて話。オイラは大好きだが。

住宅街をジグザグに進んでいく。ひとんちに生えている庭木の影を、小島を渡るかのようにトッコトコと。だって暑いんだもんさ。日陰の島を渡っていると、縁石だけ歩いて帰ろうとした子供の頃の記憶が蘇った。結局途中で飽きて普通に帰ったんだったか。

島を作ってくれている木々たちの中にひとつ、ミモザの木を見つけた。ここの家のミモザは毎年春に、きれいな花を咲かせる。今はただ青々とした葉をなびかせているだけだが。

ミモザってやつは、本当にイタリアらしい木だなと思う。夏から冬の間は、あっちこっちにぴょんぴょんと枝を伸ばして、好き勝手に風に吹かれて手を振ってくる。だが春になるとその散らかり放題の、寝癖で大変なことになっているようなその枝に、黄色の可愛らしい花々でめいっぱい着飾って、自身が持つ美しさを爆発させている。自分勝手に春を祝福しているようにも見えてくる。んでまた夏が来ると、でろーんとしてる。そういう所がミモザらしくて、オイラは好きだ。

 

和菓子屋の前に着いた。こぢんまりとしている。ここまで結構歩いた気がするなと思ってGoogleマップを確認したら、20分くらい経っていた。あれ、そうでもないな。やはり暑いから道のりが長く感じたのか、それともジグザグに歩きすぎたか。

中に入るとさっぱりしていて、なんだか好きな雰囲気だ。ケースの中を見ると、評判の団子が売っているたのでそれを1つ。そして栗まんじゅうも変わった名前で売られていたので、それも1つ。お爺さんの店員さんが応対してくれた。

あっさりと用事が済んだが気は済まない。実はもう一つ気になっている場所があり、それはここから歩いて数分のところにある。行ってみることにする。

見慣れない看板の電気屋の脇を抜け、たどり着いたのがデイリーヤマザキ。ここがもう一つの気になる場所だ。

オイラはデイリーヤマザキの雰囲気が好きで、見かけるとつい入ってしまう。パンも美味いし31のアイスだって売ってる。しかし残念ながら近所にはない、と思っていたのだ。しかしGoogleマップを眺めていたら、徒歩で行けるところにあるではないか!いつか行こう!と思ってブックマークしておいたのだ。

店内に入ると、イートインスペースを見つけた。ちょうど良いのでここでお昼を食べていくことにする。パンやサンドイッチの棚に行くと、お爺さんの客が麺類を眺めながら、ゆっっくりと焼きうどんに手を伸ばしていた。どうやら足が悪いらしく、ちびちびと歩を進めている。邪魔しちゃ悪いなと思い、お弁当は一旦置いといて飲み物を選びに行くことにした。

オイラがお茶を持ってさっきの棚に戻ると、お爺さんはレジで会計をしていた。店員さんは「こういうの食べるの珍しいね!」とか「ゆっくりでいいよ、杖忘れないでね」と笑顔で話している。オイラの番が来たので、会計ついでにアイスコーヒーの小さいのを1つ注文して、イートインスペースに持っていった。

カレーパンを食べ終えて、再びGoogleマップを開く。この場所の星を確認し、星5を付けてレビューを書いた。「他の方も書いてらっしゃるとおり、なぜこの店の評価が悪いのか分かりません。イートインスペースはキレイで店員さんは優しく丁寧です。セルフレジの横には◯◯使えませんとの張り紙も大きく貼られていて親切だと感じます」

このコンビニに来たのは、こっちの理由のほうが大きい。そう、実はこのコンビニの評価はやたらに低い。レビューを見ると最悪だのなんだのと書かれている。しかし、そのコメントは全て数年前のものなのだ。最近のレビューの方が少ないのだが、読んでみると「意外に普通のコンビニです」とか、割と好かれているようなことが書かれている。

ひょっとしたら、色々あって改善してこうなったのかもしれない。もしかしたら、感じの悪い客に見つかっちゃって星1つけられたのかもしれない。それはオイラには分からない。分からないなら、確かめてみよう!と思って、見に来たのだった。そしてもしも印象が良ければレビューを書こうとも決めていた。

オイラはGoogleマップでレビューを書くのが結構好きだ。それも、高評価のレビューをだ。低評価のはオイラが書かなくても誰かがとっくに書いているので、たとえその店で嫌な思いをしたとしても書かない。(書かずに直接その店にメールを送る。)

でも高評価はなんぼあっても、書かれる側は嬉しいはずだ。だから書いている。もちろん書くオイラとしても、悪かった!って書くより良かった!と書きたい。特に良くしてくれた時には、これまたメールフォームに感謝の文を送ったりする。こういうことって、意識しないとオイラはできないし、多分意識した方が良いことだと思ってる。

 

レビューを書き終えると、次々とお客さんが入ってきた。誰かがアイスを買おうとしている。良いなーと思いながら店を出た。すでに日は大きく傾き、日陰の島は大陸になっていた。暑い暑いと言って過ごしていたこの8月も、実は少しずつ秋に近づいている。まだ午後4時だってのに夕方っぷりがすごい。

結局さ、Googleマップも和菓子屋もコンビニも全部、どこかに行こうというキッカケに過ぎないんだよな。ただ出かけられればそれで良いんだ。そこに目的があったほうが出かけやすいんだよ。

 

家に帰り、買ってきた栗まんじゅうを食べてみる。さっぱりとしていて美味い。地味な、奇をてらっていない、でも腰を入れて作られている。土地に根付いた、普通の和菓子だ。これはまた、行かないといけない。

和菓子の写真はありません。道端のプランターにあった土偶(折)。

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夏の陣

「天下泰平」「ツルツル食感!」

図書館に本を返しに出かける。あとついでに、自分で買って読み終えた本を寄贈しに。

図書館は少し混んでいた。児童書のコーナーで子供用のイスに座った大人が、楽しそうに本を読んでいた。オイラもムーミンの3巻を借りようかと悩んだが、帰りにスーパーに寄って野菜をカバンに詰め込むことを考え、やめておくことにした。トマトが潰れて本についたら大変だ。

図書館をあとにしてスーパーへ寄る途中、献血のお願いをしている人を見かけた。ここらへんには珍しく献血カーがやってきていた。いや、オイラが初めて見かけただけで、時々はここに来ているのかもしれない。献血カーの方をじっと見ると、待機している人があまりいなかった。「ラッキー」と思って献血して行くことにした。

献血カーのそばに立てたテント屋根の下で受付。暑い。なんだかモワッとする。この前の台風のせいかもしれない。少し待ってオイラの番の受付。献血のアプリを入れているのでカードの忘れもなく、すぐに手続きは終わった。スキンヘッドの人が対応してくれた。その人の隣りにいる人は先輩のようで、スキンヘッドさんに指示を出すときだけ真顔になっていて、なんだかちょっと怖かった。

受付が終わって献血カーの中へ。お医者さんからの問診があり、すぐに別の席で採血。今はクリップみたいなので指先をパチンとするだけで、ぜんぜん痛くなくて嬉しい。オイラは注射が苦手で苦手で。あと血を見るのも苦手だし痛みにも弱い。精神的に献血に向いてない。

献血が始まる。狭い車内のベッドに横になる。冷房が効いているだけでもありがたい。もしもこれが別の国なら、炎天下の中で献血することもあるのかもなーと想像すると、日本に生まれてよかったかもしれないなって思う。腕に針が刺さる時は顔を腕からおもいっきり背けて、目をぎゅっと瞑る。刺された後も、決して自分の腕の方は見ない。怖いからだ。怖い目に遭うと、オイラは尻がひんやりする。献血中ずっと尻が寒かった。

 

「あっという間に献血終わりました!」と看護師さんに言われ、終了。オイラの前に受付をした人も、その前の人もまだ終わっていないのに、オイラの400ml献血は終わった。そう、オイラは精神的には向いてないが、肉体的にはめちゃめちゃ献血に向いている。異様に早く終わるのだ。毎回看護師さんに「もう終わったの!?」みたいな顔をされる。自分でも怖くなり、オイラの体がおかしいのかと聞いたことがあるんだが、別にそういうわけでもないらしい。ただただ献血が速い。それがオイラの長所です。貴社に入れてください。血は抜かないでください。

献血が終わってもいきなり激しい運動はせず、外に出て15分くらい休憩を取る。係の人にジュースをいただき、それも飲む。最初に受け付けた時にもスポーツドリンクを頂いた。献血をする時にもらうスポドリは、なぜかいつもキリンのラブスポーツだ。どうしてだろう。「ラブ」って入ってるからかな。献血周りではよく「ラブラッド」という言葉を使うから、それ繋がりかも。

休憩が終わったので立ち去ろうとすると、プレゼントを頂いた。今回はうどんとタレのセットである。「うどん夏の陣」だそうだ、いい名前!

 

家に帰ってから茹で、タレと合わせて食べることにした。釜玉うどんにして食べる時、オイラは白身と黄身を分けておく。丼に白身を入れて溶きほぐし、茹で上がりザルにあけたうどんを丼に放り込み、勢いよく混ぜる。すると白身に少しだけ火が通り、ふわっとした食感になる。これが好きだ。黄身は最後にトッピングして食べる。オイラは生卵の白身がどうにも苦手なので、こういう食べ方で食べている。

美味しい。トッピングは無し。あんまり拘りすぎると、せっかくもらったタレの意味がなくなる。こういうのはシンプルに食べたい。外の暑さから解放されてうどんを啜れる、夏の好きなところだ。

 

ここまで文を書いていてふと、自分が先程書いた”「ラッキー」と思って献血して行くことにした。”という文が気になった。オイラは献血をする時に、もし混んでいたとしたら行かないのだろうか。答えは「わからない」だ。赤十字の人、ごめんなさい。

オイラは割と献血に行く方である。だからといって次の献血可能日が来たら即献血センターに足を運んで…というような、熱心なタイプではない。献血をすると今回のうどんのようなプレゼントを頂けるのだが、それ目当てで行くこともない(貰えるものはありがたく頂戴するが)。

決して善の心でもって献血に協力しているのではない。そういうことが出来るやつは尊敬する。オイラの場合はなんというか、うーん、普通のことなのだ。オイラにとって献血は、出来るのでする。オイラの血で誰かを助けてやるぞとかは全く考えたことがない。

眼の前でハンカチを落とした人がいたら、オイラは拾う。それは「あっハンカチ落とした!困るだろうから拾おう」とかは全く考えていない。落としたから拾ってやる。理由がないんだよな。

時々日本赤十字からお手紙を頂戴する。内容は、献血してくれてありがとう、こういう人が助かったよ、これからもよろしくね、という感じだ。でもオイラは人が助かろうが、感謝されようが、どうでもいいのだ。協力できるからする。出来ないやつはしなくていいと思う。義務じゃないんだから。痛いしさ、針。オイラ注射だいっきらいだもん。

献血をすることが善いことって捉えられると「献血できないやつは善くない」っていう考えが生まれちゃうだろ。他人に対しても自分に対しても。そっちの方が問題だ。そんな悲しい考えを持つ人間が生まれるくらいなら、献血なんて善いことでも全然なくって、うどんあげるから受けてくれ~/受けたらもらった~くらいの、ゆるい感じで良いんじゃないかなって思うことはある。

でもまぁ、善そのものがなくなれとは思わない。それはそれで大切にしないと、生きていくための……北極星というのかな、それがないと人間として生きていけないだろうから。

なんか難しい話になってきたから終わる。うどんはまだ1玉残っている。むふふ。

じゃがいもを見つめながら

nagatorowo2.hatenablog.com

この記事に載っているカレーが美味しそうだったので、自分でも作ることにした。

ルーにはくたくたになるまで煮込まれたニンジンや玉ねぎが入っています。お肉(たぶん牛肉)は申し訳程度しか入っていません。 味はとても美味しいです。旅先の小さな食堂で出されるカレーに似た感じでしょうか。 じゃがいもは最後の一口までホクホクでした。

国会図書館カレー - 石仏石神を求めて

具材は特に変わったものは入っていなそう。人参と玉葱。肉は牛肉で小さめ。だけれども芋がごろんと入っている、ごろんというよりドカン!という感じ。そこが気に入った。皮を剥いた芋をじっくり煮て、そのデンプンがカレーにとろみを付けているのかな。カレールーの照りがいい。

家には玉ねぎと人参、カレールーは使いかけのがある。肉とじゃがいもがあればいいなと思って買いに出かけた。8月の初旬は先月の暑さよりずっと過ごしやすい。

 

カレーは去年よく作っていた。昼間に食べる用として、家にある野菜ひとつ、肉っぽいものひとつ選んで、それを炒めてゴールデンカレーの中辛をひとかけ。家にあればキムチや福神漬を炒めてから加えたりもした。今年はスープカレーを作ったりもした。難しいことは考えず、カレールーとラーメンスープの元を使う。クミンとバジルを加えたら、茄子とソーセージの余りを加えたものでも充分にスープカレーだった。

去年だったか、コンビニでビリヤニと本格的なカレーのセットが売られていて、オイラが所属しているSNSマストドンという)でもそれが随分流行っていた。オイラも試しに食べてみたが、どうにも苦手だった。ジャリジャリして、溶け切ってないカレー粉を食べているようで。これは多分スパイスなんだな、これが本場なんだと言い聞かせて食べ進めた。全部平らげてから、ぬるま湯で口を濯いだ。

 

スーパーで芋と肉を買ってきた。うっかり豚こま肉を買ってきてしまった、あの記事では牛肉っぽかったのに。まぁ良いか、メインは芋なんだし。と言い訳をしてから作り始める。

ただオイラには、玉ねぎと人参をくたくたに煮込む時間がなかった。なぜなら腹が減っているから。他の品も含めて1時間以内に作り終えたい。だもんで、玉ねぎと人参は全部すりおろしてから炒めた。焦げ付かないように適時水を加えながら炒める。野菜の香り、特に人参の甘い香りで頭がクラクラしてくる。よき頃合いで水をぐおっと加えて肉を入れて一緒に煮る。ルーも加えた。煮込み終えると2つの野菜たちは影も形もなく、ただ味と香りがそこにあった。野菜の幽霊みたいだ。

同時並行でじゃがいもも調理していく。芋を柔らかくなるまで煮続けるには時間が足りないので、レンジでチンして皮を剥き、ある程度火が入った状態のものを、ほぼ完成に近いカレーに加えてやさーしく煮た。芋がメインのこのカレーで、芋が崩れてしまっては意味がない。そこだけは守りたい。

完成。しかし見た目がぜんぜん違う。

こうやって完成したカレーは、記事のものと全然違ったものとなった。まず豚肉が大きすぎる。すまない。めんどくさがって切り刻むことをせずに、パックからそのまま鍋に加えたから大きいのだ。これでは芋と同じくらい目立ってしまう。

他にも大きく違うところがあるぞ!どこだ!

そう、芋がむらさき色なんだ。この芋の名前はノーザンルビー。名前にルビーとあるように、切った断面がうっすら赤紫色をしている。スーパーでの買物中、なんか見慣れない名前の芋があるなー買ってみよーとカゴに入れたのだった。なんという計画性のなさ。生の状態だとうっすら赤紫って感じだったんだが、加熱するとつま先から腹の中まですべて、さつまいもの皮のようなしっかりとした色に変わってしまった。

本当は全てカレーに加えようと思っていたが、いざまな板の上に置いたら、大きすぎてカレー皿に入り切らないじゃん……と落ち込んだ。落ち込みついでに加熱したものを少し切って食べてみると、美味しい。元気が出てきたので、半分をつぶしてポテトサラダにした。

完成したカレーを食べてみる。スタンダードながら美味しいカレーだ。人参と玉葱の甘みと香りが良いし、豚肉が大きいおかげで食べごたえがある。なにより芋だ。しっかり煮てある、ねっとりとした芋を匙ですくい取り、カレーと一緒に食べる。カレーにも芋のデンプンが出ているので、これは芋で芋を食べているのと変わらない。うふふ。美味しい。

 

 

カレーを作りながら、ある人のことを思い出していた。

オイラの知り合いのAさんは、優しく気立てが良い。困っている人には手を差し伸べ、頑張った人にも頑張ってない人にも労いの言葉をかける。誰かを攻撃したりもしない。いろんな趣味と経歴を持ち、美味しいものが好きな人だった。

そういう人なので、周りからも人気があった。Aさんがいなくなった後、何日かに誰か一人は必ず「Aさん元気かな」と呟く。今でもそうだ。そう、Aさんはどこかに行ってしまった。

オイラはAさんのことが好きだが、苦手でもあった。ハッキリとした理由は分からない。いい人なのには間違いないのだけれど、Aさんがそばにいると、居心地が悪いなと思う時が度々あった。あるときは貧富の差を見せつけられたり、あるときは性の差を感じたり。意識の差もあるか。見せつけられると書いたが、オイラがそう感じただけで、なにかされたわけじゃない。嫉妬とか妬みとか(同じか?)、そういう気持ちもある。

ただ例えば、オイラが20分くらい悩んでようやく1つ買うことにした無印のちょっと高くて丈夫なタッパーを、Aさんは種類別で5つも6つも持っていたりとか。そういう些細なことだ。でもオイラはそういう些細なことを、ずっと覚えている。

そして、Aさんが良いとするものは周りも良いとし、その逆もまた然りなところが気に食わなかった。これはAさんのせいというより、本人の魅力と周りの圧力に対してオイラが気に食わないと感じているんだと思う。政治のこともそうだし、人付き合いのこともそうだ。なのでAさんが現れたとき、オイラはそそくさと逃げていた。

Aさんは、カレーにじゃがいもを入れることをとにかく嫌がっていた。いつものふんわりとした口調も変わり、吐き捨てるように「カレーが不味くなる」と言っていた。「じゃがいもは好きだけどね、カレーには…」と。

オイラは初めてそれを聞いてから、ずっとカレーに芋を入れずに作るようにした。あのAさんが不味いと言っているものをニコニコしながら食べている自分のことが、また惨めに思えてくる。それにそんなカレーを見るたびに、薄暗い気持ちがじわりと脳から溶け出してくるような感覚を味わうから。たかが芋ひとつで。

1対1で話す分には全く嫌ではないし、オイラが困っている時も助けてくれた、いい人なのだ。だのに、集団の中にいるAさんを見ていると、どうにも自分はその場から離れようとしてしまっていた。Aがカレーに入ったじゃがいもを避けるように、オイラも集団の中のAを避けた。

 

Aがいなくなってから数ヶ月経って、最初に紹介した記事を見かけた。じゃがいもがとにかく美味しそうで美味しそうで、作ろう!と思った。その時に「あぁ、もう気にしなくて良いんだな」と思い、寂しいような嬉しいような、そんな気持ちになった。

実は芋はまだ1個残っている。またカレーにしようと思う。