俳優の雷が去り、監督の滝が再び舞い降りた。
「名匠・滝沢英輔が辰巳柳太朗や島田正吾らで新国劇の代表演目を映画化したのが国定忠治(1954)なのです。その後、滝沢監督は、その後1950年代後半以降も日活に在籍し青春若者系に路線を変更しても日活一筋を貫きました」~~までいきました。
滝沢英輔監督に久々に戻ります。1930年代から40年代にかけて活躍した梶原金八という集団ペンネームの脚本家の流れで、滝沢監督を取り上げていますが市川雷蔵に1ヶ月以上行っていました。今回は戻らせてもらいます。滝沢監督も梶原金八のメンバーの一員でした。稲垣浩、滝沢英輔、萩原遼、八尋不二、三村伸太郎、山中貞雄、ら日本映画界を支え、のちに名匠や巨匠、名監督や大脚本家に躍進した計8名が参加した共同ペンネームです。
滝沢から黒澤へ、映画なのに、考えられない意外な結びつきから急転直下の大、大脱線(6・13以来)
滝沢英輔は、1957年に「「廓」より 無法一代 」は三橋達也の日活時代の代表作の一つを手がけています。その後、三橋達也は日活から東宝へ移籍して数作の代表作を残し、現代劇のスターとして活躍して、テレビでも視聴率20パーセントを連発した長編ドラマの「十津川警部シリーズ」(三橋版)などの代表作も残しました。
さらに石原裕次郎の映画の主演作は、監督してるだけでも代表作になるかも知れません。1959年の「世界を賭ける恋」1960年の「あじさいの歌」1962年の「雲の向かって起つ」の3作があります。
世界を賭ける恋は海外ロケを多様した作品で映画愛子も最近に観ています。あじさいの歌は石坂洋次郎が原作のいわゆる裕次郎の青春モノです。雲の向かって起つという作品は裕次郎の兄・石原慎太郎の原作による若者作品です。日活の現代劇を代表する女優・浅丘ルリ子が男性俳優の相手のヒロイン役ではない、主演の代表作も手がけていて1958年の「絶唱(1958)」や「十六歳」などがあります。
滝沢英輔という監督は最後が特徴的なんです。高橋英樹の唯一の映画シリーズ代表作「男の紋章シリーズ」を全10作中の4作を監督ています。4作目の1964年「新・男の紋章 度胸一番」と5作目の「男の紋章 花と長脇差」 7作目の1965年の「男の紋章 喧嘩街道」8作目「男の紋章 流転の掟」
男の紋章とは、東映の映画で大ヒットした高倉健や鶴田浩二などの任侠路線の映画の日活版というべき現代劇シリーズでアクション要素もある作品です。1作目から3作目の監督は滝沢監督より、28年も後輩の松尾昭典が手がけていますが、シリーズの成功にはベテランの力が必要だと日活が判断し、1929年に監督デビューして36年目の滝沢英輔監督を起用したものと考えられます。日活らしい若者さを押し出すことで大きな違いを付けている印象です。当時の日活の専属監督では一番のベテランが滝沢監督でした。滝沢の存在や役割は日活にとって大きいものだったのです。
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2014/09/24 18:05 | 巨匠 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
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