映画の悲劇。現代芸能界大低迷の真相と全盛期の別世界エピソード
梶原金八ともそれが結びついているかも知れないのです。「梶原金八」とは、稲垣浩、滝沢英輔、萩原遼、八尋不二、三村伸太郎、山中貞雄、ら日本映画界を支えた後の巨匠や名監督に大脚本家の計8名が参加した共同ペンネームである。稲垣浩をどうにか紹介しました。中途半端はよくないので他の方々も行きます。
・滝沢英輔
日本映画の父・マキノ省三の門下で監督デビュー。時代劇メインの巨匠・マキノ雅弘監督×南光明コンビの「浪人街」3作(1928~29)、「崇禅寺馬場」(1928)で助監督を経る(1)
戦後には、東映の時代劇でも脇役でも長年活躍した岡島艶子のスター女優時代の主演作「ある女と画家」がデビュー作(1929)、実は戦前の現代劇はデビュー数年の作品が多いです。(2)1931から時代劇路線へ転向する戦後の東映時代劇の脇役時代のイメージも強い市川男女之助もこのころ少ない主演作「海道百里」(1936)も監督。助監督時代から知る南光明の主演で「真田十勇士」(1931)時代劇スターの沢村国太郎の主演作・「大岡政談 十三夜見物侍」(1932)(3)も監督している。
(3)大岡政談はドラマでわかりやすく言うと、”大岡越前”の題材のことです。全盛期の時代劇映画では大岡政談の題材作が多くありました。相当に人気があったため数多く作られ数多くの俳優が演じています。東映がそれを拾い上げてドラマで大岡越前が作られてマスコミ的にも名作時代劇として残っています。
注目>(1)1920年代にマキノ省三の息子でもあり時代劇メインで1970年代前半まで長年活躍した巨匠・マキノ雅弘の戦前の代表作数本に助監督で関与しています。戦前の時代劇スターの南光明の代表作でもあるのが「浪人街」の3作と「崇禅寺馬場(1928)」です。二つとものちに数度リメイクされています。リメイクは例では「浪人街」は近衛十四郎で「崇禅寺馬場」はタイトルをいじり「仇討 崇禅寺馬場」。大俳優・大友柳太朗の代表作の一つでもあります。沢村国太郎も主演の高田浩吉の脇役で出演。時代劇の大スター高田浩吉の主演作を多く撮った冬島泰三が監督。沢村国太郎の出演作は「スカパーでは多く録画していますが、数少ない商品化の作品です。
(2)時代劇スター沢村国太郎はわかりやすくいうと長門裕之や津川雅彦の父でも有ります。有名な役はぼつぼつやってるものの、当たり役や代表作が少なく、当たり役や代表作が数多く40年以上主演で活躍した片岡千恵蔵などからすれば、天と地くらい落ちるスターでしたが、戦前に主演作が多い俳優が沢村国太郎です。戦前には、こうしたスターは多数いました。今より純粋に競争に負けたのです。今よりは、純粋な俳優の競い合いが存在したのです。
沢村国太郎クラスはその時代、時代において登場するレベルのスターなのかもしれません。ですが。主演もかなり多いですが、映画の出演数はかなりあるので準主役や主演を支える相手役の俳優としても良い俳優です。少なくても今の俳優より数では勝っている部分が多いです。映画全盛期は、魅力とスター性の低い俳優は早めに脇に回されています。また、脇でもダメだと干される。結果を出さないとやめさせられるわけで、当時のほうが今の芸能界よりも断然厳しいです。この厳しさが俳優を育てたのです。作品で評価や人気がなければダメなのです。今はテレビとつるんで仕事している事務所がゴリ押せば、多くがとりあえず映画やドラマに誰でも数出れちゃいます。このころからすると、今の芸能界は大低迷しています。
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2014/05/28 23:47 | 巨匠 | COMMENT(1) | TRACKBACK(0)
コメント
説明の(2)が長いので(3)→(1)、(2)の順で行かせてもらいました。
No:97 2014/05/29 00:52 | スト #- URL [ 編集 ]
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