歴代大名優形成と戦慄激戦の日々 月形龍之介VS沢村国太郎編
今回は「歴代大名優形成と戦慄激戦の日々 月形龍之介VS沢村国太郎編」と題して展開して参ります。某歴代映画音楽家からさらに遠退いてしまいますが、やはり映画俳優は特に時代劇はアニメはなんともいえない熱狂的な高揚感の心根の熱さが存在していており、時代劇とアニメの共通点を感じることがしばしばあります。
全快の記事⇒通産映画1200作の三大名優の月形龍之介と沢村国太郎と光岡龍三郎
前回を見ると今回がさらに理解できるはず・・です。
映画スター100名以上の激戦のさなか 沢村国太郎の大健闘
沢村国太郎に関してさらに取り上げたいと思います。彼は月形龍之介と比べると取り上げられることが少ない俳優です。それもそのはず、主演や助演の全盛期は戦前までといえるからです。主演は主な主演作からも分かりますが、1920年代後半から1930年代後半の10年ほどのピークと考えるのが基本ですが、当時で10年は十分に活躍したレベルだといえるでしょう。
現在は映画会社の専属俳優の概念は存在しませんから、主演が当たらなくてもダメージは少なめです。たとえば現実にジャニーズ事務所のアイドル所属ではない某俳優は映画主演10以上を記録していますが、1作も明確に当たっていません。それなのになんと主演映画が続いています。ただの事務所の力や映画製作に制作費を出すテレビ局などとのつながりで優遇されています。ジャニーズ事務所は色々と危ないですが、現在は他にもこうした俳優たちが存在しています。沢村国太郎らが現在よりも格段に健全な競い合いをしていた頃の”当たらないなら去る”が基本だった良き黄金期の日本映画の聡明な清さは消えてしまいました。
戻りますが、当時の主演俳優は今よりも大きく厳しい状況が常に存在し、数作当たってもその後も延々と連続して結果を出さないと数年ほどで契約を切られることが大半でした。多くの俳優がこのケースだからです。下記部分でも取り上げていますが、時代劇六大スターがその典型的な例です。彼ら6名は大まかに30年以上の長期の間で常に結果を求められる厳しい主演俳優を務め、長年にわたって大成功を収めしました。年数のみでいえばその中で沢村国太郎は当時として中規模級の主演10年に到達したわけですから、そこそこの成功した俳優といえます。
月形龍之介と沢村国太郎の通産映画出演数
月形龍之介の映画出演数 525以上
沢村国太郎の映画出演数 420以上
記事終盤でも少し取り上げていますが、出演数以上に多くの大きな差があります。
月形龍之介の現代劇映画の最大の当たり役
月形龍之介は時代劇は映画を中心に数十に及ぶ有名な役を演じましたが、現代劇映画の最大の当たり役が下記部分です。
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月形龍之介は沢島忠監督と鶴田浩二主演の仁侠映画名作『人生劇場 飛車角』(1963年から製作された鶴田浩二版の人生劇場4作中の第1作目)など通産4作で人生劇場の中で人気が高い名キャラクターの吉良常を演じました。この役柄は月形龍之介の現代劇の役柄ではもっとも有名な役(代表的な役柄)であり、”歴代の吉良常”を演じた俳優の中で月形の吉良常がもっとも有名です。
月形龍之介と人生劇場題材映画の名キャラクター吉良常役の関わり(製作は全て東映東京)
1952『人生劇場 第一部 青春愛欲篇』 舟橋元が青年瓢吉役で事実上の主演
1953『人生劇場 第二部 残侠風雲篇』 片岡千恵蔵が飛車角役で主演
1963『人生劇場 飛車角』 鶴田浩二が飛車角役で主演
1963『人生劇場 続飛車角』 鶴田浩二が飛車角役で主演
時代劇六大スターなど100名以上の映画スターの中で生き残るために
当時はいわゆる時代劇六大スター、国立映画アーカイブの常設展示は六大時代劇スターと紹介(通産主演映画の代表作数順=片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、長谷川一夫(林長二郎)、市川右太衛門、阪東妻三郎、大河内傳次郎)は時代劇映画だけではなく、日本映画スターの事実上のトップ6選でした。
それに次ぐ存在は考え方や評価に基準で変化はありますが、主演数や代表作、巨匠、名監督との関わり、映画賞の上位ランクイン、出演作の観客動員などから月形龍之介や高田浩吉、現代劇中心の田中絹代や鈴木傳明などが挙げられます。ここでは深く掘下げませんが鈴木傳明は現在的な知名度は低めですが、松竹の現代劇男性映画に大きく貢献した鈴木傳明の特に松竹時代は目覚ましい活躍がありました。
*国立映画アーカイブ=前・東京国立近代美術館フィルムセンターは2018年4月に名前を国立アーカイブへ変更しました。
これら同時期の有名な映画スター100名以上のその高い競争力の中で自分の生き残る道を模索し続けた沢村国太郎は主演85作強を記録し、戦前の映画スターの中でギリギリ通産20位にランクインの主演数を記録していますから、考え方次第では主演数的に大スター級ですが、代表作が少ない部分や革命的な大きな代表作がない、さらに大きな主演の当たり役がないことなどが大スターといえない理由になると考えられます。
戦前の映画主演数
月形龍之介は最低でも95作以上の主演作
沢村国太郎は最低でも85作以上の主演作
戦前の主演数に関しては10作ほどであり、大きな差がありませんが、それ以上に中身に差があります。明確な代表作の数や質の高さ、のちの巨匠とのコンビなどの意味がある作品の多さでは大きく月形龍之介のほうが大きくリードしていました。数字でいうと10作以上の差がありました。
沢村国太郎が脇役で助演出演の商品化されているl国民的映画の代表作
沢村国太郎が脇役で助演出演の忠臣蔵映画の大名作『忠臣蔵 天の巻 地の巻』は最初の1938年の公開期間後も戦前や戦後に改修(現代でいうとデレクターズカット版)が何度も再公開され、戦前の大ヒットだけにとどまらず通産は驚異的な観客動員を記録しました。
非常に貴重なポスターです。ポスターからも分かりますが、最初は2作を分けて上映していたことがわかりますし、このポスターはこの再公開だと考えられる上映期間のために作られた珍しいポスターです。
片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、阪東妻三郎の超三大スターや月形龍之介、尾上菊太郎などの上位映画スターだけではなく40名以上の有名俳優が出演した大オールスター映画でした。だけではなく、沢村国太郎は片岡源五右衛門と服部市郎右衛門の2役で出演しています。見られる総集編の下記部分 ↓ ↓
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上記の下記部分からの続き、~では残念ながらほとんど出番がありません。この2役で忠臣蔵映画に出演することは俳優にとって大きな名誉でした。膨大な費用を要した忠臣蔵という日本でもっとも有名といえる映画題材ですから、沢村国太郎はこの時の映画制作会社の日活から高く評価されていたことがわかります。
二大歴代名優の何らかの意味がある映画の通産出演数
月形龍之介との違いについても取り上げていきます。月形龍之介は300作以上に何らかの意味がある映画に出演しました。個人的に確認している限りでは370作(主演と助演含む)を越しています。しかもそのほとんどはメインキャストであり作品の出演者の上位の役柄の範囲です。これは日本映画の特に助演俳優としての部分としては史上歴代最多といえる数字です。
一方、沢村国太郎は250作以上の何らかの意味がある映画に出演しました。互いに大名優ですが、何らかの意味がある映画に関すると最低も120以上の差はあるということになります。沢村国太郎の戦前は2番手や上位助演で作品に貢献することが多数ありましたが、特に戦後は脇役や端役が大半なので評価は低めにならざる得ません。
何らかの意味がある映画の通産出演数
月形龍之介は370作以上
沢村国太郎は250作以上
*何らかの意味がある映画=現在や当時の有名題材、主演俳優の代表作や主な作品、ヒット、大ヒット作、名巨匠などに該当する監督の映画など、
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2018/10/31 22:45 | 邦画の探求 | COMMENT(2) | TRACKBACK(0)