映画を極めろ一直線女子 2018年10月
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歴代大名優形成と戦慄激戦の日々 月形龍之介VS沢村国太郎編



今回は「歴代大名優形成と戦慄激戦の日々 月形龍之介VS沢村国太郎編」と題して展開して参ります。某歴代映画音楽家からさらに遠退いてしまいますが、やはり映画俳優は特に時代劇はアニメはなんともいえない熱狂的な高揚感の心根の熱さが存在していており、時代劇とアニメの共通点を感じることがしばしばあります。



全快の記事⇒通産映画1200作の三大名優の月形龍之介と沢村国太郎と光岡龍三郎
前回を見ると今回がさらに理解できるはず・・です。





映画スター100名以上の激戦のさなか 沢村国太郎の大健闘





沢村国太郎に関してさらに取り上げたいと思います。彼は月形龍之介と比べると取り上げられることが少ない俳優です。それもそのはず、主演や助演の全盛期は戦前までといえるからです。主演は主な主演作からも分かりますが、1920年代後半から1930年代後半の10年ほどのピークと考えるのが基本ですが、当時で10年は十分に活躍したレベルだといえるでしょう。


現在は映画会社の専属俳優の概念は存在しませんから、主演が当たらなくてもダメージは少なめです。たとえば現実にジャニーズ事務所のアイドル所属ではない某俳優は映画主演10以上を記録していますが、1作も明確に当たっていません。それなのになんと主演映画が続いています。ただの事務所の力や映画製作に制作費を出すテレビ局などとのつながりで優遇されています。ジャニーズ事務所は色々と危ないですが、現在は他にもこうした俳優たちが存在しています。沢村国太郎らが現在よりも格段に健全な競い合いをしていた頃の”当たらないなら去る”が基本だった良き黄金期の日本映画の聡明な清さは消えてしまいました。


戻りますが、当時の主演俳優は今よりも大きく厳しい状況が常に存在し、数作当たってもその後も延々と連続して結果を出さないと数年ほどで契約を切られることが大半でした。多くの俳優がこのケースだからです。下記部分でも取り上げていますが、時代劇六大スターがその典型的な例です。彼ら6名は大まかに30年以上の長期の間で常に結果を求められる厳しい主演俳優を務め、長年にわたって大成功を収めしました。年数のみでいえばその中で沢村国太郎は当時として中規模級の主演10年に到達したわけですから、そこそこの成功した俳優といえます。



月形龍之介と沢村国太郎の通産映画出演数
月形龍之介の映画出演数 525以上
沢村国太郎の映画出演数 420以上




記事終盤でも少し取り上げていますが、出演数以上に多くの大きな差があります。




月形龍之介の現代劇映画の最大の当たり役





月形龍之介は時代劇は映画を中心に数十に及ぶ有名な役を演じましたが、現代劇映画の最大の当たり役が下記部分です。


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月形龍之介は沢島忠監督と鶴田浩二主演の仁侠映画名作『人生劇場 飛車角』(1963年から製作された鶴田浩二版の人生劇場4作中の第1作目)など通産4作で人生劇場の中で人気が高い名キャラクターの吉良常を演じました。この役柄は月形龍之介の現代劇の役柄ではもっとも有名な役(代表的な役柄)であり、”歴代の吉良常”を演じた俳優の中で月形の吉良常がもっとも有名です。



月形龍之介と人生劇場題材映画の名キャラクター吉良常役の関わり(製作は全て東映東京)
1952『人生劇場 第一部 青春愛欲篇』  舟橋元が青年瓢吉役で事実上の主演
1953『人生劇場 第二部 残侠風雲篇』  片岡千恵蔵が飛車角役で主演    
1963『人生劇場 飛車角』  鶴田浩二が飛車角役で主演
1963『人生劇場 続飛車角』  鶴田浩二が飛車角役で主演






時代劇六大スターなど100名以上の映画スターの中で生き残るために




当時はいわゆる時代劇六大スター国立映画アーカイブの常設展示は六大時代劇スターと紹介(通産主演映画の代表作数順=片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、長谷川一夫(林長二郎)、市川右太衛門、阪東妻三郎、大河内傳次郎)は時代劇映画だけではなく、日本映画スターの事実上のトップ6選でした。

それに次ぐ存在は考え方や評価に基準で変化はありますが、主演数や代表作、巨匠、名監督との関わり、映画賞の上位ランクイン、出演作の観客動員などから月形龍之介や高田浩吉、現代劇中心の田中絹代や鈴木傳明などが挙げられます。ここでは深く掘下げませんが鈴木傳明は現在的な知名度は低めですが、松竹の現代劇男性映画に大きく貢献した鈴木傳明の特に松竹時代は目覚ましい活躍がありました。


国立映画アーカイブ=前・東京国立近代美術館フィルムセンターは2018年4月に名前を国立アーカイブへ変更しました。



これら同時期の有名な映画スター100名以上のその高い競争力の中で自分の生き残る道を模索し続けた沢村国太郎は主演85作強を記録し、戦前の映画スターの中でギリギリ通産20位にランクインの主演数を記録していますから、考え方次第では主演数的に大スター級ですが、代表作が少ない部分や革命的な大きな代表作がない、さらに大きな主演の当たり役がないことなどが大スターといえない理由になると考えられます。


戦前の映画主演数
月形龍之介は最低でも95作以上の主演作
沢村国太郎は最低でも85作以上の主演作



戦前の主演数に関しては10作ほどであり、大きな差がありませんが、それ以上に中身に差があります。明確な代表作の数や質の高さ、のちの巨匠とのコンビなどの意味がある作品の多さでは大きく月形龍之介のほうが大きくリードしていました。数字でいうと10作以上の差がありました。





沢村国太郎が脇役で助演出演の商品化されているl国民的映画の代表作





沢村国太郎が脇役で助演出演の忠臣蔵映画の大名作『忠臣蔵 天の巻 地の巻』は最初の1938年の公開期間後も戦前や戦後に改修(現代でいうとデレクターズカット版)が何度も再公開され、戦前の大ヒットだけにとどまらず通産は驚異的な観客動員を記録しました。






非常に貴重なポスターです。ポスターからも分かりますが、最初は2作を分けて上映していたことがわかりますし、このポスターはこの再公開だと考えられる上映期間のために作られた珍しいポスターです。



片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、阪東妻三郎の超三大スターや月形龍之介、尾上菊太郎などの上位映画スターだけではなく40名以上の有名俳優が出演した大オールスター映画でした。だけではなく、沢村国太郎は片岡源五右衛門と服部市郎右衛門の2役で出演しています。見られる総集編の下記部分 ↓  ↓

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上記の下記部分からの続き、~では残念ながらほとんど出番がありません。この2役で忠臣蔵映画に出演することは俳優にとって大きな名誉でした。膨大な費用を要した忠臣蔵という日本でもっとも有名といえる映画題材ですから、沢村国太郎はこの時の映画制作会社の日活から高く評価されていたことがわかります。






二大歴代名優の何らかの意味がある映画の通産出演数






月形龍之介との違いについても取り上げていきます。月形龍之介は300作以上に何らかの意味がある映画に出演しました。個人的に確認している限りでは370作(主演と助演含む)を越しています。しかもそのほとんどはメインキャストであり作品の出演者の上位の役柄の範囲です。これは日本映画の特に助演俳優としての部分としては史上歴代最多といえる数字です。

一方、沢村国太郎は250作以上の何らかの意味がある映画に出演しました。互いに大名優ですが、何らかの意味がある映画に関すると最低も120以上の差はあるということになります。沢村国太郎の戦前は2番手や上位助演で作品に貢献することが多数ありましたが、特に戦後は脇役や端役が大半なので評価は低めにならざる得ません。



何らかの意味がある映画の通産出演数
月形龍之介は370作以上
沢村国太郎は250作以上




*何らかの意味がある映画=現在や当時の有名題材、主演俳優の代表作や主な作品、ヒット、大ヒット作、名巨匠などに該当する監督の映画など、




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通産映画1200作の三大名優の月形龍之介と沢村国太郎と光岡龍三郎




「通産映画1200作の三大名優の月形龍之介沢村国太郎光岡龍三郎」と題して公開いたします。今回の公開内容は悩みましたが、少しそれて紅蝙蝠に主演した3名の大名優に焦点を当てていきます。




前回記事⇒長谷川伸の股旅映画と歴代映画音楽家の「紅蝙蝠」肝ったま





長谷川伸の紅蝙蝠で競作主演した映画1200作以上の三大名優






上記リンク先の前回の続きです。長谷川伸の紅蝙蝠は最初は競作、松竹、日活、マキノの3社で同時に公開されました。その同じ年の10月に寛プロ=新興キネマで『戸並長八郎』が公開されています。1931年だけで7作の紅蝙蝠の映画が公開されたことになり、月形龍之介光岡龍三郎沢村国太郎で3作、嵐寛寿郎で1作が作られ、1931年だけで4名が主演しています。競合は当時の映画を盛り上げた要素の一つであり、他にもありますが驚異的です。


3競合の主演の月形龍之介光岡龍三郎沢村国太郎の3名は戦前にそれぞれが活躍した俳優たちであり、主演の活躍順では代表作と主演数で月形龍之介沢村国太郎光岡龍三郎となります。





映画界初の生涯功労賞の牧野省三賞の受賞三人目 520作以上の映画出演の歴代上位の大名優 月形龍之介






月形龍之介は520作以上の映画に出演の主演映画は110強、戦前と戦後の両方で主演代表作15作以上を記録、これは歴代で10名もいません。主演に次ぐ上位の重要な配役、有名な役柄を幅広く多く担当し、戦前と戦後の50名以上の大スターと共演、25名ほどの巨匠(助演が大半)あり、さらに名匠含めると62名の名匠以上の映画に出演(助演が大半)は世界歴代最多だと考えられ、映画史上歴代上位の大名優、歴代映画俳優の中でもっとも多くの上位の助演のみの代表的作品(軽く100以上)が存在しています。



特に数多くの映画記録を持つ事実上のナンバーワン主演俳優の片岡千恵蔵と105作以上の映画(現存含む)で共演しています。日本には彼よりも活躍した主演俳優が数多くいますが、ナンバーワン主演俳優を支えたナンバーワン助演上位俳優だったといえるでしょう。やはりのちの日本アカデミー賞の前身である現・京都映画祭の映画界初の生涯功労賞を片岡千恵蔵(第1回)、玉木潤一郎(第2回)に次ぐ、牧野省三賞の受賞者の3人目は伊達ではありません。






主な主演代表作=修羅八荒4部作(1926)、砂絵呪縛3部作(1927)、紅蝙蝠3部作(1931)、斬人斬馬剣(1929)、暁の市街戦(1932)、丹下左膳2部作(1936)、月形半平太(1937)、浪人街(1939)、水戸黄門漫遊記シリーズ(1951~1961、全14作)など

*暁の市街戦(1932)は現代劇


題材やシリーズもの主な助演代表作=大河内傳次郎片岡千恵蔵などの忠臣蔵映画に26作、片岡千恵蔵の宮本武蔵映画に8作、片岡千恵蔵の次郎長映画、嵐寛寿郎の鞍馬天狗題材に5作、巨匠・黒澤明の姿三四郎2作、七つの顔(1946)などのの片岡千恵蔵の多羅尾伴内シリーズに2作とギャングシリーズに3作、さらに新撰組映画に7作や遠山の金さんシリーズに7作、市川右太衛門の旗本退屈男シリーズに11作、中村錦之助と東千代之介の新諸国物語題材に6作、片岡千恵蔵の大菩薩峠の後期3部作、中村錦之助の一心太助シリーズなど大多数


単発の主な助演代表作=片岡千恵蔵の血槍富士(1955)、逆襲獄門砦(1956)、十三人の刺客(1963)など、阪東妻三郎の無法松の一生(1943)、大江戸五人男(1951)、三船敏郎のジャコ萬と鉄(1949)、東千代之介と中村錦之助(萬屋錦之介)の曽我兄弟 富士の夜襲(1956)、市川右太衛門の血斗水滸伝 怒濤の対決(1959)、大川橋蔵の幽霊島の掟(1961)、鶴田浩二の博徒(1964、シリーズ1作目)など





2018/10/28公開の裏記事 歴代大俳優の月形龍之介に関する更なる評価の現在風分析に迫ります。
    ↓   ↓   ↓
映画俳優伝説 主演100作以上と助演400作以上を同時の世界歴代記録







大スター羅門光三郎を輩出した映画330作以上の名優 光岡龍三郎






光岡龍三郎は330作以上の映画に出演した俳優で、戦前は1926~1934まで50作強の主演を勤めた中規模級の映画スター、1926~1931までの5年間で代表作が10作以上存在、戦前から助演から脇役俳優となり、

戦後は大映の脇役、端役俳優として有名な名優。主演110作を越した時代劇中心の映画大クラス級のスターの羅門光三郎は光岡龍三郎の弟子として有名。羅門光三郎の存在に貢献した実積の評価も存在しています。個人的にも多く試聴していますが、戦後の大映映画時代にこの師弟の両方の共演を多数確認すいています。



主な主演代表作=貝殻一平の4部作(1930)、紅蝙蝠の2部作(1931)など
主な助演代表作=岡島艶子の墓石が鼾をする頃(1925)、団徳麿の新版大岡政談3部作(東亜キネマ版の1928)、阪東妻三郎=江戸怪賊伝 影法師の前後作(1925)、維新の曲(1942)、狐の呉れた赤ん坊(1945)、片岡千恵蔵の助演=風雲 前後編(1933~1934)、武道大鑑(1934)など





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上記にも含んでいますが、光岡龍三郎は阪東妻三郎の単発代表作の一つの狐の呉れた赤ん坊 [DVD] COS-040にも出演しています。そこそこの上位で出演しており、明確に名優・光岡龍三郎の存在が確認できる1本が「狐の呉れた赤ん坊(1945)」です。


光岡龍三郎の単発(シリーズや有名題材ものではない)の助演の有名出演作は阪東妻三郎が多いことは特徴といえるでしょう。







長門裕之と津川雅彦の名優兄弟を輩出 映画420作以上の大名優 沢村国太郎






沢村国太郎(他に沢村國太郎などの名義有)は長門裕之と津川雅彦の実父、歴代で20名級の映画420作以上出演、主演俳優としては1929~1941年の13年間で、マキノ、日活、東活の主演80作強、代表作20を超す記録した中規模級のスター、戦前から主演以上に主演に近い助演俳優として活躍、目上の大スターの代表作や有名題材に出演、多くの存在感を残す。

戦後は主演から滑り落ち、5番低下の脇役が多くなり、最後は何処に出ているか分からないほどの端役俳優となった大名優でしたが、戦前の密度の濃い多くの活躍から、息子の長門裕之と津川雅彦よりも沢村国太郎のほうが通産実積は上だったといえるでしょう。



主な主演代表作=浪人街 第三話(1929)、紅蝙蝠(1931)、弥太郎笠 前後篇(1936)、江戸の花和尚(1936)、刀を抜いて(1936)、旅の風来坊(1938)、隠密七生記 前後篇(1938)など


主なシリーズや題材の助演代表作=片岡千恵蔵などの忠臣蔵映画に13作(現存、総集編など含む)、大河内傳次郎の丹下左膳シリーズに3作、片岡千恵蔵の宮本武蔵題材に5作と清水港2作、阪東妻三郎の恋山彦の3作(総集編含む)、嵐寛寿郎の鞍馬天狗シリーズに8作、嵐寛寿郎の右門捕物帖シリーズに6作、片岡千恵蔵の金田一耕助シリーズに2作(獄門島が前後篇 大会や総集編など含むと4作説有)、巨匠・マキノ雅弘の次郎長三国志シリーズに6作、長谷川一夫の銭形平次捕物控シリーズに5作(試作的な銭形平次(1951)を含むと6作)など


主な単発の助演代表作=大河内傳次郎の月形半平太 (1930)、関の弥太ッぺ(1935)、大菩薩峠 第一篇 甲源一刀流の巻(1935)など、片岡千恵蔵の春秋一刀流(1939)や王政復古 担龍篇 双虎篇(1939)、月形龍之介の浪人街(1939)、阪東妻三郎の大楠公(1940)や柳生月影抄(1941)、維新の曲(1942)、富士に立つ影(1942)など多数




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貴重な沢村国太郎の上位出演作、片岡千恵蔵が最初で最後の股旅ものの有名キャラクターの「沓掛時次郎」を演じ、唯一の新東宝映画の出演作としても知られています。

股旅ものを形成した巨星作家の長谷川伸の原作を映画化仁侠三人男 [DVD] STD-115、殴られた石松、、または「殴られた石松 仁侠三人男」、沢村国太郎は5番手級の上位の助演で出演しています。それは片岡千恵蔵、田崎潤、黒川弥太郎、ヒロインの花柳小菊に次ぐ位置であり、沓掛時次郎の相手役の森の石松は当時は映画は俳優としてはまだ若手の田崎潤が演じています。監督は日本映画史上、娯楽映画をもっともヒットさせたともいわれる大巨匠の渡辺邦男です。





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