映画を極めろ一直線女子 巨匠
FC2ブログ

名匠・滝沢英輔の☆になった代表作を星で現代に伝えたい。

やはり、一番大きいのは戦国群盗伝です。ある意味、黒澤明の有名作である「七人の侍」などにも影響を与えている作品でもあります。1950年代に東宝でもリメイクされ1960年代にはドラマ版も作られました。わかりやすく言えば時代劇風に、村人が悪人たちにほどく苦しめられて・・・それを救済する人物が活躍するという内容で、以前に”滝沢から黒澤へ”という記事を書きましたがこの辺にも関連を持たせてもいます。今回は13つの☆で注目の代表作をセレクトしました。

滝沢英輔の主な代表作
~1930年代
○「アイスクリーム」1930 秋田伸一
○「真田十勇士」1931 南光明
○「大岡政談 十三夜見物侍」 1932 沢村国太郎
○「太閤記 藤吉郎走卒の巻」 1935 尾上栄五郎
☆「宮本武蔵 地の巻」 1936 (初の吉川英治の武蔵映像化) 嵐寛寿郎
☆「戦国群盗伝 前篇 虎狼」 1937 河原崎長十郎
☆「戦国群盗伝 後篇 暁の前進」 1937 河原崎長十郎
☆「戦国群盗伝(総集編)」 河原崎長十郎
☆「地熱 (1938)」 1938 藤井貢
○「武道千一夜」 1938 河原崎長十郎
☆「忠臣蔵 前篇」 1939 大河内伝次郎
○「太陽の都」1940 岡譲二
~1940年代
○「八十八年目の太陽」 1941 大日方伝
☆「梅里先生行状記 龍神剣」1941 (大河内の水戸黄門の1作目) 大河内伝次郎
☆「伊那の勘太郎」 1943 長谷川一夫
○「日本剣豪伝」 1945 大河内伝次郎
☆「おスミの持参金」 1947 若山セツ子
~1950年代
☆「国定忠治(1954)」 1954 辰巳柳太郎
☆「地獄の剣豪 平手造酒」1954  辰巳柳太郎
○「初姿丑松格子」1954 島田正吾
○「六人の暗殺者」1955 島田正吾
☆「江戸一寸の虫」1955 三国連太郎
☆「川上哲治物語 背番号16」 1957 川上哲治
☆「「廓」より 無法一代」 1957 三橋達也
○「絶唱(1958)」 1958 浅丘ルリ子
○「世界を賭ける恋」 1959 石原裕次郎
☆「あじさいの歌」 1960 石原裕次郎
~1960年代
○俺は死なないぜ 1961 和田浩治
☆新・男の紋章 度胸一番 1964(男の紋章シリーズ4) 高橋英樹
☆男の紋章 花と長脇差 1964(男の紋章シリーズ5) 高橋英樹
☆男の紋章 喧嘩街道 1965(男の紋章シリーズ7) 高橋英樹
☆男の紋章 流転の掟 1965(男の紋章シリーズ8) 高橋英樹


☆の1~3。「戦国群盗伝 前篇 虎狼」「戦国群盗伝 後篇 暁の前進」「戦国群盗伝(総集編)」。CS放送では「戦国群盗伝(総集編)」しか放送されていません。前後作も作品が現存しているのか不明ですが、ちゃんと放送してほしいものです。
前進座のスター俳優が多数出演した前進座時代劇に該当する1編である。
☆の4。それとやはり忠臣蔵の映画は監督してる事が大きい。「忠臣蔵 前篇」、忠臣蔵は有名な題材です。忠臣蔵にもスター俳優による違いや会社による作風の違い、視点やテーマ性や装飾性などの違いなどさまざまな内容が存在します。忠臣蔵は元の中核があるものに巷談(世間のうわさ話から生まれた要素)作者、製作者によって違いを付けることが許されているため、作品に応じて内容が多彩です。時代劇に詳しくない方に伝えたいのは、決して同じ内容ではありません。世界の歴代にも例がないほどの題材、それが忠臣蔵なのです。
☆の5の「おスミの持参金」は、若山セツ子の単独主演の代表作といわれている作品でこれもこの女優を語る作品として大きいです。若山セツ子といえば巨匠・マキノ雅弘の名作「次郎長三国志シリーズ(東宝版)」の清水の次郎長の妻のお蝶の役(出演は1~5作目、1952~53年)でも知られています。こちらで知ってる方も多いかと思います。
☆6は、忘れてはならないのがこの「国定忠治(1954)」です。映画スターではなく舞台俳優が主演した基本的な部分を極めた国定忠治の題材の映画です。当時、人気が高かった新国劇スターの俳優を起用した作品でいわゆる新国劇時代劇といわれ数が作られました。
和田浩治は1969年の「女の手配師 池袋の夜」を最後に主演から退いています。主演映画スター歴は10年でした。この作品は最後の主演作の次の出演作です。
☆7は、「川上哲治物語 背番号16」になります。日本のプロ野球の史上初の2000本安打の打者でも知られる大選手、監督では巨人で前人未到のV9を成し遂げた大人物の川上哲治。本人が出演しているメイキング要素も重要な作品であり資料です。全盛期に近いころの彼を映像や音声で知ることができます。実は今年プロ野球80周年なので、ここで取り上げるのも何かの縁かもしれません。
☆8は、三橋達也の日活時代の代表作の一つ「「廓」より 無法一代」 と石原裕次郎の☆9の「あじさいの歌」、高橋英樹の☆10~13は、「男の紋章シリーズ」からの4作になります。
少なく数えても全13作。○もふくめたら多いです。作風は現代劇に関しては良き映像化監督であったわけですが、運に恵まれていました。良い職人であったのだと思います。努力や映画に尽くしてきた職人は良い運をつかむのです。時代劇にはやはりこだわりがあり、自分なりな美学があったようです。作品を見ていると魂を感じることができます。
日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

現実は時に厳しいが 未来に踏み出せ!

2014/10/10 22:31 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

35年以上第一線で活躍した名監督の通信簿

長年活躍することが難しい当時、または現代において、
彼は何を教えてくれるのでしょう。

滝沢英輔の主な代表作

~1930年代
  ・タイトル・公開年数・主演俳優
○「アイスクリーム」1930 秋田伸一
○「真田十勇士」1931 南光明
○「大岡政談 十三夜見物侍」 1932 沢村国太郎
○「太閤記 藤吉郎走卒の巻」 1935 尾上栄五郎
☆「宮本武蔵 地の巻」 1936 
          (初の吉川英治の武蔵映像化) 嵐寛寿郎
☆「戦国群盗伝 前篇 虎狼」 1937 河原崎長十郎
☆「戦国群盗伝 後篇 暁の前進」 1937 河原崎長十郎
☆「戦国群盗伝(総集編)」 河原崎長十郎
☆「地熱 (1938)」 1938 藤井貢
○「武道千一夜」 1938 河原崎長十郎
☆「忠臣蔵 前篇」 1939 大河内伝次郎
○「太陽の都」 1940 岡譲二

~1940年代
○「八十八年目の太陽」 1941 大日方伝
☆「梅里先生行状記 龍神剣」 1941
           (大河内の水戸黄門の1作目) 大河内伝次郎
☆「伊那の勘太郎」 1943 長谷川一夫
○「日本剣豪伝」 1945 大河内伝次郎
☆「おスミの持参金」 1947 若山セツ子

~1950年代
☆「国定忠治(1954)」 1954 辰巳柳太郎
☆「地獄の剣豪 平手造酒」 1954  辰巳柳太郎
○「初姿丑松格子」 1954 島田正吾
○「六人の暗殺者」 1955 島田正吾
☆「江戸一寸の虫」 1955 三国連太郎
☆「川上哲治物語 背番号16」 1957 川上哲治
☆「「廓」より 無法一代」 1957 三橋達也
○「絶唱(1958)」 1958 浅丘ルリ子
○「世界を賭ける恋」 1959 石原裕次郎
☆「あじさいの歌」 1960 石原裕次郎
顔だけなら息子の佐藤浩市と似ているこのころの三国連太郎ですが、演技力や作品運、作品への対応力は父が数段上です。
~1960年代
○俺は死なないぜ 1961 和田浩治
☆新・男の紋章 度胸一番 1964(男の紋章シリーズ4作) 高橋英樹
☆男の紋章 花と長脇差 1964(男の紋章シリーズ5作) 高橋英樹
☆男の紋章 喧嘩街道 1965(男の紋章シリーズ7作) 高橋英樹
☆男の紋章 流転の掟 1965(男の紋章シリーズ8作) 高橋英樹

○より☆は大きいと思われる代表作品群。滝沢英輔の監督作は80作以上ありますが、これらの代表作の半分ぐらいがここ10年で放送されています。戦前の作品は作品が現存していないものがあります。「梅里先生行状記 龍神剣」は10月にCSの衛星劇場で放送されます。貴重な機会なのでこのチャンスに録画できればと思います。

ちなみの監督作80本強は、現代で言うと、山田洋次とほぼ同じ数です。滝沢英輔は監督としてかなりすごいんです。
日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

現実は時に厳しいが 未来に踏み出せ!

2014/10/02 19:22 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

俳優の雷が去り、監督の滝が再び舞い降りた。

雷と滝って関係あります。滝も雷が鳴り雨が降れば激しさは増すからです。

「名匠・滝沢英輔が辰巳柳太朗や島田正吾らで新国劇の代表演目を映画化したのが国定忠治(1954)なのです。その後、滝沢監督は、その後1950年代後半以降も日活に在籍し青春若者系に路線を変更しても日活一筋を貫きました」~~までいきました。

滝沢英輔監督に久々に戻ります。1930年代から40年代にかけて活躍した梶原金八という集団ペンネームの脚本家の流れで、滝沢監督を取り上げていますが市川雷蔵に1ヶ月以上行っていました。今回は戻らせてもらいます。滝沢監督も梶原金八のメンバーの一員でした。稲垣浩、滝沢英輔、萩原遼八尋不二三村伸太郎山中貞雄、ら日本映画界を支え、のちに名匠や巨匠、名監督や大脚本家に躍進した計8名が参加した共同ペンネームです。
滝沢から黒澤へ、映画なのに、考えられない意外な結びつきから急転直下の大、大脱線(6・13以来)

滝沢英輔は、1957年に「「廓」より 無法一代 」は三橋達也の日活時代の代表作の一つを手がけています。その後、三橋達也は日活から東宝へ移籍して数作の代表作を残し、現代劇のスターとして活躍して、テレビでも視聴率20パーセントを連発した長編ドラマの「十津川警部シリーズ」(三橋版)などの代表作も残しました。
さらに石原裕次郎の映画の主演作は、監督してるだけでも代表作になるかも知れません。1959年の「世界を賭ける恋」1960年の「あじさいの歌」1962年の「雲の向かって起つ」の3作があります。

世界を賭ける恋は海外ロケを多様した作品で映画愛子も最近に観ています。あじさいの歌は石坂洋次郎が原作のいわゆる裕次郎の青春モノです。雲の向かって起つという作品は裕次郎の兄・石原慎太郎の原作による若者作品です。日活の現代劇を代表する女優・浅丘ルリ子が男性俳優の相手のヒロイン役ではない、主演の代表作も手がけていて1958年の「絶唱(1958)」や「十六歳」などがあります。

滝沢英輔という監督は最後が特徴的なんです。高橋英樹の唯一の映画シリーズ代表作「男の紋章シリーズ」を全10作中の4作を監督ています。4作目の1964年「新・男の紋章 度胸一番」と5作目の「男の紋章 花と長脇差」 7作目の1965年の「男の紋章 喧嘩街道」8作目「男の紋章 流転の掟


男の紋章とは、東映の映画で大ヒットした高倉健鶴田浩二などの任侠路線の映画の日活版というべき現代劇シリーズでアクション要素もある作品です。1作目から3作目の監督は滝沢監督より、28年も後輩の松尾昭典が手がけていますが、シリーズの成功にはベテランの力が必要だと日活が判断し、1929年に監督デビューして36年目の滝沢英輔監督を起用したものと考えられます。日活らしい若者さを押し出すことで大きな違いを付けている印象です。当時の日活の専属監督では一番のベテランが滝沢監督でした。滝沢の存在や役割は日活にとって大きいものだったのです。
日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

現実は時に厳しいが 未来に踏み出せ!

2014/09/24 18:05 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

末路は悲劇か!繁栄か!隆盛を極めた2大演劇が映画をかけた。

巨星が実るも実らないも、やはり俳優から成るものである。それは演劇集団にとっても同じことで看板がいなければ、成り立たない。看板俳優はいつの時代も、どのジャンルにおいても大事なのである。映画と演劇の関わり、それは全盛期の映画界にとっては新鮮で斬新な新風であったのである。映画監督滝沢英輔と演劇との関わりを紐解く。

まずそれ以前にこの二つ。「おスミの持参金」「川上哲治物語 背番号16」はスカパーでも何度か放送がされている作品です。今までは、標準画質だった「川上哲治物語 背番号16」は、この前の放送で初ハイビジョン版が放送されました。タイトル通り、戦前からプロ野球巨人の大選手だった川上哲治が自ら出演しています。のちに監督でV9、”9年連続日本一の前人未踏の記録”を果たしました。滝沢英輔が監督し、二つも代表作となりました。

全盛期の映画界にとっては新鮮で斬新な新風。時代劇が中心であった日活(時期は1913年~1950年代にかけて)では、前進座俳優出演・新国劇俳優出演の時代劇で名作をいくつか残しました。前進座とは、1931年の創立時は歌舞伎を行う劇団で戦前から戦後に一世を風靡(ふうび)しましたが、創立80年以上が経過し現代ではさまだまな演劇が行われています。日本を代表する演劇集団の一つであります。
新国劇も前進座より前の1917年に活動を開始し、いくつかの演目、「月形半平太」「国定忠治」「大菩薩峠」などで大成功を収めて、戦前から戦後にかけて一世を風靡した劇団です。ですが、今は無くなるってしまいました。70年代の俳優不足や倒産により1987年に解団されました。その全盛期を支えた新国劇を代表する2大スター辰巳柳太朗島田正吾なのです。両者とも80歳を越すまで活躍し互いにライバル関係を保ち続けて大往生しました。新国劇は1930年代から1960年後半まで、40年近く二人が中心で支えた劇団でした。歌舞伎以外では、日本演劇史でも上位に入る舞台俳優の”歴代の大スター”ということです。
名匠・滝沢英輔が辰巳柳太朗や島田正吾らで新国劇の代表演目を映画化したのが名作といわれる「国定忠治(1954)」です。舞台の要素や味わいを大事にした作風の国定忠治である。それ以前から片岡千恵蔵(歴代1位の10作)や阪東妻三郎(6作)や尾上松之助(6作)などの映画俳優の大スターで、国定忠治の題材は何度も映画化されていましたが、新国劇の舞台作品とはだいぶ違うものであります。同じ演目的・題材作でも中身は全然違うのです。それが時代劇の本当の良さであり、深みでもある。それはそれぞれが確立していて、別物として良い。

忠臣蔵の映画と基本同じです。アメリカ映画などと違い、内容の筋ではない、ストーリーではない良い部分が多々ある。それが本当の時代劇の良さ。同じ、”国定忠治の題材映画”にも作風が違い空気感も違い、話も違い、視点が違い、俳優によってなど、さまざまな内容があるということです。今の視聴者の多くが、モノを捉え考えるレベルが低下しアメリカ映画の影響で”基本がストーリー映画である”という見方をしてしまっています。さまざまな面で作品を捉える力が欠如している方が多いようです。日本映画とアメリカ映画は上も下もなく本来の本質が違うものであるからです。人間の個々と同じで、ただ、個性が違うのです。

その後、滝沢監督は、その後1950年代後半以降も日活に在籍し青春若者系に路線を変更しても日活一筋を貫きました。
日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

現実は時に厳しいが 未来に踏み出せ!

2014/08/05 17:33 | 巨匠COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

革命児!映画や国鏡やジャンル問わずに時代をうごめいた名匠

日本歴代上位に来る渡り鳥の監督であることは間違いないです。1950~60年代に活躍した名監督の川島雄三なども多くの会社で監督していましたが、海外はありませんでしたし、破天荒=渡り鳥は、多彩な監督作がある=破天荒という定義付けて前回は書いてみました。前回のTHE/破天荒&渡り鳥男今の日本映画では当たり前のことですが、当時は5社協定なるものもあったりして監督のその会社の専属も多くいました。巨匠などはフリーで監督してる人もいました。戦後すでに巨匠であった伊藤大輔マキノ雅弘などの時代劇メインの監督はその代表です。

井上梅次監督が海外で活躍していたことは、前回の記事のでも書きましたが、香港の映画会社のショウ・ブラザーズは簡単に書くと、レスリー・チャンジェット・リーアンディ・ラウマギー・チャン、日本でも活動している金城武などを輩出しています。

監督・井上梅次といえば、個人的にはいわゆるギャングモノ映画の印象も強いです。東映ののちの現代劇(任侠モノ路線1960年代~70年代前半)へもこの人の影響も少なからずあると思います。さらに深い話になりそうだからやめときますが、6月の命日がある大スター鶴田浩二の主演映画を東映で数本監督しています。鶴田浩二の主演の通称シリーズである”暗黒街シリーズ”に該当する「暗黒街最後の日」(1962)<鶴田浩二 高倉健 三國連太郎 梅宮辰夫 丹波哲郎 南廣 佐久間良子 久保菜穂子など>で、鶴田浩二主演の東映現代劇のオールスター作品でもあり、井上梅次の代表作の一つといえるでしょう。DVD版はまだハイビジョン版ではありません。
最近にスカパーでハイビジョン版を録画しました。井上梅次は時代劇もやってて、がらっと変わりアイドル映画もやってたり、1970~80年代にはちょくちょくだけドラマも監督していました。大まかには、田宮二郎二谷英明の「白いシリーズ」や「必殺シリーズ」や天知茂の「明智小五郎・江戸川乱歩の美女シリーズ」も監督参加しています。特に、「明智小五郎・江戸川乱歩の美女シリーズ」は1作目から監督だけではなくシナリオにも関わり、ドラマの代表作と言えるでしょう。前回にも書いた舛田利雄監督でさえ多彩なのですがそれを数段上をゆく多彩さが、井上梅次にはありました。ちなみに海外作はありませんが市川崑も多彩です。
日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

現実は時に厳しいが 未来に踏み出せ!

2014/07/01 22:07 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

「THE破天荒男!!」渡り鳥シリーズそのものの

日本国内で渡り鳥しすぎて日本から収まりきらなくなる。とある映画監督の現実のエピソードです。さらに、とある監督は、絶大な影響を与えていた、彼に脱線してしまう展開へなってしまうのも、また良し。滝沢英輔の足跡を探る上で、今回は彼へと行き着いてしまいました。

滝沢英輔は時代劇メインの時代の日活から、1939年から東宝で作品を残してゆくその前回の記事長谷川一夫の「伊那の勘太郎」(1943)も代表作に入り、戦中には、大河内伝次郎で「日本剣豪伝」(1945)もあります。若山セツ子の「おスミの持参金」(1947)も三国連太郎の「江戸一寸の虫」(1955)(7)野球史に残る選手と監督で大活躍した川上哲治も出演した「川上哲治物語 背番号16」(1956)も代表作である。
*おスミの持参金、川上哲治物語 背番号16は現代劇で、他は時代劇。

(7)江戸一寸の虫」は、CSチャンネルのチャンネルNEKOで2012~2013にかけて放送された日活100年の「この人この1本 100年残したい日活映画<スタッフ編>」で、今は元映画監督の江崎実生が”100年残したい日活の名作”として選んでいたタイトルです。以前に選んだ理由を語っているインタビューを見ました。この人は、舛田利雄という(名監督に該当する可能性がある活躍した)監督の助監督を経ていわゆる青春・若者・アクション路線時代の日活(1950年代中盤から1970年代前半)で活躍した監督です。その後、いわゆる大映ドラマで監督をしていました。映画愛子としては、以前に「わが映画人生」という日本映画監督協会が製作したその監督の履歴やエピソードを自ら語っているインタビュー映像作品で約1時間くらいの舛田利雄のインタビューを見たこともあります。聞き手は江崎実生でした。この2人が仲がよくて、井上さん井上さんという名前が出てきてて何故か、印象に残ります。今も深く印象の残ってたりします。
浅丘ルリ子の主演デビュー作です。一部で有名なこの映画も監督(井上梅次が)しています。
井上さんとは、おそらく名監督に該当するであろう井上梅次(基本はうめじではなく、うめつぐと読む)のことです。井上梅次はデビューした新東宝から移籍し、日活でも一時的に、籍を置いて監督をしていました。当時(1950年代)の日活の若手監督は(舛田利雄もですが)相当に刺激を受けていたようです。何故にこの人と思う方が居るかもしれませんが、井上梅次という監督は普通な監督では有りませんでした。日本でも指折りに入る多彩な作品を手がけた監督としても知られています。数年前に亡くなったときには、テレビ報道では、有名作で石原裕次郎の主演の「嵐を呼ぶ男」の監督としか取り上げていなくて、衝撃を受けたのを覚えています。有名でも有るし、ナンバーワンはそれだといわざる得ないです。ですが、それだけでは断じてないです。
さらに代表作といえる明確なものは意外と少ないのですが、当時としては、実に異色で多彩なジャンル(大まかなだけでも音楽・歌謡、青春、アクション、喜劇、時代劇、アイドル、ドキュメンタリー、児童、ギャング、任侠、海外作など)を手がけていて、映画会社も渡り鳥のように移動を繰り返していて、ものすごく忙しい人でした。助監督の時から期待が高く、センスも良く、脚本も製作もおまけに作詞までできて、多分な才能にあふれていたのですが、才能や仕事量のわりには、突き抜けた代表作が少なくてもったないところがある監督です。痕跡としては、1960年代後半には日本を飛び出して、香港の映画会社のショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司)で15本以上監督していた異色な経歴も持ちます。のちの洋のハリウッドと呼ばれた映画会社です。小林旭の「渡り鳥シリーズ」を自分で体現したような監督です。
日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

現実は時に厳しいが 未来に踏み出せ!

2014/06/19 23:12 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

滝沢から黒澤へ、映画なのに、考えられない意外な結びつきから急転直下の大、大脱線

同じ沢と澤つながり同士。読み方や書き方次第で同じでも違いはだいぶあります。

滝沢英輔のソクセキは名監督という範囲に納まらないほどの痕跡がある。

滝沢英輔監督は、前進座総出演キャスト作をいくつか監督しているのも大きな特徴です。戦国群盗伝の3作の他にも、「逢魔の辻 江戸の巻」「武道千一夜」があります。大河内伝次郎の大石蔵之助や長谷川一夫の浅野内匠頭で贈る東宝オールスター時代劇「忠臣蔵 前篇」(1939)(5)さらに、大河内伝次郎の「梅里先生行状記 龍神剣」(1941)(6)も重要な作品です。

(5)「忠臣蔵 前篇」(1939)は東宝で監督しています。忠臣蔵といえば日本で一番に該当する時代劇の題材です。それだけ、滝沢英輔は実力を評価していたわけです。ちなみに「忠臣蔵 後篇」(1939)は、名監督とも巨匠とも言われる山本嘉次郎が監督して、黒澤明が助監督を勤めている。黒澤明は少年期から時代劇が好きでした。助監督時代に基本的な良い時代劇の製作に満足してしまったのかも知れません。だから当時では破天荒な作品「用心棒」などを作り、時代劇にはあるまじき、血が飛び出すシーンをOKしてしまったのです。現実にありえないシーンを面白くいじり誇張してしまったわけです。当時は他の時代劇監督から相当なヒンシュクがあったようです。のちにあれは今で言う”ダメなエンタメ”のため、やるべきではなかったと本人も語っていたようです。それが世界で評価されてしまい日本もアレを評価せねば成らなくなり、それまで受け継がれてきた正当な時代劇の全盛期にひびが入った可能性を考えてしまいます。あそ辺で全盛期は終わったのかもしれません。未だに考えさせられる部分です。「忠臣蔵 前篇」(1939)は梶原金八メンバーでもある三村伸太郎が脚本。
(6)「梅里先生行状記 龍神剣」は、大河内伝次郎の水戸光圀(水戸黄門)を演じた作品の1作目にも該当します。大河内伝次郎は水戸光圀を主演で5作で演じていて代表的役の一つに入ります。大河内伝次郎の代表的役は丹下左膳だけではありません。当然ながら一番は、元祖・反逆のヒーローといわれる丹下左膳になるのは間違いがない事実ですが他にもいくつかあります。

日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

現実は時に厳しいが 未来に踏み出せ!

2014/06/13 21:56 | 巨匠COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

名匠と巨匠の狭間で揺れる某監督の理想と現実

映画における名匠と巨匠の狭間とは微妙な出会いが大事なのです。ちょっとした変化が思わぬ糸を手繰り寄せ、思いもよらぬ活躍する流れに突入していくケースが存在するからです。監督同士のライバル関係もそのケースと通じています。

ちなみに監督の滝沢英輔は(前回からの流れのリンク)時代劇と現代劇の両方で活躍しましたが、時代劇歴代で上位の巨匠・稲垣浩とデビューが同時期です。監督昇進は滝沢英輔が1年後(1929年)です。ですがトータル的には稲垣浩が巨匠という意味で、監督としての差がついてしまいましたが、名監督には間違いなく入る監督です。特に時代劇においては該当します。この2人は特に、1930~40年代は良いライバル関係が存在していました。

時代劇の大スター嵐寛寿郎の「宮本武蔵 地の巻」(1936)。実はこの武蔵が吉川英治の原作の宮本武蔵では初映像化でしたが、評判はあまりよくなかったようでシリーズ化がされませんでした。(*1)1937年に代表作に一つとなる前進座オールスターキャスト作出演の(河原崎長十郎の主演)「戦国群盗伝 前篇 虎狼」「戦国群盗伝 後篇 暁の前進」や「戦国群盗伝(総集編)」を監督する。(*2前進座の中村翫右衛門の息子で、テレビドラマの「遠山の金さん」や「伝七捕物帳」で知られる時代劇スターだった中村梅之助が筆。テレビドラマの遠山の金さんも数多くの俳優が演じていますが、これも東映時代の片岡千恵蔵の「遠山の金さんシリーズ」計18作の日本映画史上、歴代最多数と評判がなければ、のちに東映でドラマが作られることはありませんでした。千恵蔵とはそれだけすごいのです。
*注目部分(*1)片岡千恵蔵もサイレント映画で1929年(原作なし)に一度は、宮本武蔵を演じていました。嵐寛寿郎版から約1年後の1937年に再び演じて、片岡千恵蔵の主演版は大ヒットし、のちにもシリーズ的や題材作的に製作されたわけです。日本映画史上歴代、断とつ最多の11作12編で演じています。(*2)滝沢英輔の戦国群盗伝は総集編含めて、3作あるわけですが 「戦国群盗伝(総集編)」しか見ることができません。普通な前後作バージョンも見たいです。さらに映画やドラマでもリメイクがされている名作時代劇です。もちろん内容では最初の映像化シリーズが一番です。

トータル的には、名脇役で有名な藤原釜足らで「東海道は日本晴れ」(1937)(*3)トータル的には松竹現代劇がメインのスターの藤井貢の主演作で現代劇の「地熱 (1938)(*4)これも滝沢英輔の代表作に該当します。さらに、作家や戯曲家の三好十郎も脚本で参加しています。藤井貢の数少ない商品化の中でも現存している「金環蝕」
*注目部分(*3)「東海道は日本晴れ」は山中貞雄の脚本で「梶原金八」です。このころから東宝でも監督を始めます。それが、滝沢英輔にとっての新たな出会いを生むこととなります。(*4)「地熱 (1938)」には黒澤明が製作主任で参加しています。のちの東宝の監督なのでこのときは滝沢英輔とは奇遇なめぐり合わせでしたね。言うまでもないですが、監督としては滝沢英輔のほうが黒澤明より約14年先輩です。

藤井貢というスター俳優は、全8作わたったヒット作の藤井貢版の「若旦那シリーズ」1933~39年(初期は名匠・清水宏が監督)でも知られています。この人も前回のブログ記事の沢村国太郎のように、戦後を機にスター性の低下も重なって、脇役への転向を余儀なくされました。のちに同じ東宝で、加山雄三の「若大将シリーズ」につながる若者青春系シリーズのさきがけとしても大変に重要な作品です。
日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

現実は時に厳しいが 未来に踏み出せ!

2014/06/05 18:34 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

映画の悲劇。現代芸能界大低迷の真相と全盛期の別世界エピソード

芸能界は、ジャニーズやアイドルやモデル俳優の急増により大低迷してしまいました。テレビは都合よく使えて企業にリスクが少ない俳優たちを製造・・もちろん一概には言えません。これは進化ではなく退化であるのかもしれません。外見だけの俳優が出回り、個性が弱く、妙にへコへコこびる俳優たち、まるで量産型のクローンのように・・また、変に個性があり空回りしている方たち・・。現代では、中身がない俳優があふれてしまいました。

梶原金八ともそれが結びついているかも知れないのです。「梶原金八」とは、稲垣浩、滝沢英輔、萩原遼、八尋不二、三村伸太郎、山中貞雄、ら日本映画界を支えた後の巨匠や名監督に大脚本家の計8名が参加した共同ペンネームである。稲垣浩をどうにか紹介しました。中途半端はよくないので他の方々も行きます。

滝沢英輔
日本映画の父・マキノ省三の門下で監督デビュー。時代劇メインの巨匠・マキノ雅弘監督×南光明コンビの「浪人街」3作(1928~29)、「崇禅寺馬場」(1928)で助監督を経る(1)
戦後には、東映の時代劇でも脇役でも長年活躍した岡島艶子のスター女優時代の主演作「ある女と画家」がデビュー作(1929)、実は戦前の現代劇はデビュー数年の作品が多いです。(2)1931から時代劇路線へ転向する戦後の東映時代劇の脇役時代のイメージも強い市川男女之助もこのころ少ない主演作「海道百里」(1936)も監督。助監督時代から知る南光明の主演で「真田十勇士」(1931)時代劇スターの沢村国太郎の主演作・「大岡政談 十三夜見物侍」(1932)(3)も監督している。

(3)大岡政談はドラマでわかりやすく言うと、”大岡越前”の題材のことです。全盛期の時代劇映画では大岡政談の題材作が多くありました。相当に人気があったため数多く作られ数多くの俳優が演じています。東映がそれを拾い上げてドラマで大岡越前が作られてマスコミ的にも名作時代劇として残っています。

注目>(1)1920年代にマキノ省三の息子でもあり時代劇メインで1970年代前半まで長年活躍した巨匠・マキノ雅弘の戦前の代表作数本に助監督で関与しています。戦前の時代劇スターの南光明の代表作でもあるのが「浪人街」の3作と「崇禅寺馬場(1928)」です。二つとものちに数度リメイクされています。リメイクは例では「浪人街」は近衛十四郎で「崇禅寺馬場」はタイトルをいじり「仇討 崇禅寺馬場」。大俳優・大友柳太朗の代表作の一つでもあります。沢村国太郎も主演の高田浩吉の脇役で出演。時代劇の大スター高田浩吉の主演作を多く撮った冬島泰三が監督。沢村国太郎の出演作は「スカパーでは多く録画していますが、数少ない商品化の作品です。

(2)時代劇スター沢村国太郎はわかりやすくいうと長門裕之津川雅彦の父でも有ります。有名な役はぼつぼつやってるものの、当たり役や代表作が少なく、当たり役や代表作が数多く40年以上主演で活躍した片岡千恵蔵などからすれば、天と地くらい落ちるスターでしたが、戦前に主演作が多い俳優が沢村国太郎です。戦前には、こうしたスターは多数いました。今より純粋に競争に負けたのです。今よりは、純粋な俳優の競い合いが存在したのです。
沢村国太郎クラスはその時代、時代において登場するレベルのスターなのかもしれません。ですが。主演もかなり多いですが、映画の出演数はかなりあるので準主役や主演を支える相手役の俳優としても良い俳優です。少なくても今の俳優より数では勝っている部分が多いです。映画全盛期は、魅力とスター性の低い俳優は早めに脇に回されています。また、脇でもダメだと干される。結果を出さないとやめさせられるわけで、当時のほうが今の芸能界よりも断然厳しいです。この厳しさが俳優を育てたのです。作品で評価や人気がなければダメなのです。今はテレビとつるんで仕事している事務所がゴリ押せば、多くがとりあえず映画やドラマに誰でも数出れちゃいます。このころからすると、今の芸能界は大低迷しています。
日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

現実は時に厳しいが 未来に踏み出せ!

2014/05/28 23:47 | 巨匠COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

映画と寝た男の最後に待つのは5大俳優の影だった。

歴代の大巨匠は戦争を乗り切り、再び荒々しい航海へ出港す。大きくかじを取り船をこぎ出した。

・戦後は東宝へ映り、事実上の”東宝の時代劇ナンバーワン監督”として君臨した稲垣浩。(黒澤明は全体では現代劇寄り)東宝時代は、大河内伝次郎の「黒馬の団七」(1948)「白頭巾現わる」(1949)大谷友右衛門の「佐々木小次郎」3部作(1950~51)そして、戦後デビューの大俳優の三船敏郎とのコンビ作で代表作を量産する。「戦国無頼」(1952)、千恵蔵のリメイク・三船版「宮本武蔵」3部作(1954~56、3作目は鶴田浩二がダブル主役)三船、鶴田版「柳生武芸帳」前後作、阪妻のリメイク・三船版「無法松の一生」(1958)「或る剣豪の生涯」(1959)「日本誕生」(1959)など異色作、また東宝オールスターキャスト「大阪城物語」(1959、三船)、「忠臣蔵 花の巻雪の巻」(1962、人間国宝の8代松本幸四郎。9代松本幸四郎と中村吉右衛門の父)「風林火山」(1970、三船)も監督。以上の東宝オールスターキャストは3作ある。ちなみに黒澤明はオールスター作はゼロ。華々しく5大俳優の共演の「待ち伏せ」(1970、5大=三船敏郎×石原裕次郎×勝新太郎×中村錦之助×浅丘ルリ子)が稲垣浩の遺作となる。生涯代表作数は軽く35作を越す。「待ち伏せ」もスカパーで去年放送されました。
感想・題名的に大きめに書きましたがこの5人で5大俳優はちょっと言い過ぎかも知れませんw5名とも片岡千恵蔵からすればトータル的に遠く及ばない俳優たちだからです。

注目・宮本武蔵は片岡千恵蔵と三船で計8作にわたり監督をしている。国民的時代小説家・吉川英治宮本武蔵を国民的作品に広めた監督でもあるでしょう。数多くの代表作の中でも「宮本武蔵」作品と千恵蔵の「瞼の母」「一本刀土俵入」と「無法松の一生」は特に大きく当時の東宝オールスターキャストの「忠臣蔵 花の巻 雪の巻」も大きいです。しかし、オールスターモノは3本しか撮っていません。東映のオールスターモノを多く監督した松田定次や大映のオールスターモノなどを多く監督した渡辺邦男などの巨匠の方が、数は断然多いです。また、吉川英治や長谷川伸という歴代の大作家の名前を映画を通して広めた人でもあるといえます。それも巨匠・稲垣浩の大きな痕跡です。
もはや、時代小説の入門とも言える宮本武蔵
稲垣浩については、2013に作品も見たので作風や特徴などは別の機会にて、取り上げたいと思います。三船敏郎は大谷友右衛門の佐々木小次郎に、助演の武蔵で出ています。武蔵4度は、それなりな代表的役とは言えるでしょう。三船敏郎についてもこれから書いていく”2012ランキング”でも観ているので色々書いていけたらと思います。<

日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

現実は時に厳しいが 未来に踏み出せ!

2014/05/10 18:20 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

 | BLOG TOP |  NEXT»»