まっくろクロスケ

2025年05月03日

パリ到着 早速にホテル周辺を散策

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
パリのルーブル美術館を10記事紹介させていただいたので、次はパリに着いてからのパリ市内の観光を中心に連続11記事をブラシュアップして掲載させていただきます。本記事が/12です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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パリ旅行で2016年5月8日11時40分に成田空港を飛び立ち、12時間を超えるフライトでありながら同じ日である5月8日の18時30分には上の写真のホテルにチェックインできました。これは全て7時間の時差のおかげです。日没の2時間46分前にホテルにチェックイン出来たことから下記のルートで散策にに出かけました。重要な目的の一つが翌日から行くモンサンミッシェルツアーの集合であるマイバス()の場所を確認することでした。

右下の写真のホテルの螺旋階段の近くにあるエレベーターは典型粋なヨーロッパ式でした。内側の扉は自動で開閉し、外側の扉を手で開閉するのがヨーロッパ式エレベーターです。
それでは散策ルートを紹介します。
この日の散策は合計6.78km(=1.65km+2.28km+2.85km)でした。その散策の中で緑色の部分(━━)を本記事で紹介したいと思います。クリックすると拡大
 16時50分   JAL415 空港到着
 17時30分   空港をバス出発
 18時20分   Opera降車場到着
 18時30分   ホテルチェックイン
 18時52分  ホテル出発
 19時01分  マイバス到着
 19時06分   チェイルリー庭園前広場
 19時11分  ルーブル美術館
 19時15分   セーヌ川到着

 19時15分   セーヌ川散策
 19時43分  ノートルダム寺院到着
 20時04分  Cafeで軽い夕食 

 21時12分   セーヌ川散策
 21時16分   日没(5月8日21時16分53秒)
 21時41分  夜のルーブル美術館
 22時01分  ホテルへ戻る



ホテルの前の道路です。ホテルの前から進んでいく方向を撮りました。
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ホテル前の道を50m進むとこちらに出てきます。ホテルに戻るときの目印になる場所です。左側の道を奥に進むとホテルがあります。建物の正面には気になったレストランLa Fontaine Gaillonがありましたが、結局は入ることはありませんでした。5月12日にLa Fontaine Gaillonの斜め向かいあるレストランDrouant par Antoine Westermannで食事をいたしました。こちらはパリに長く住んでいる人から紹介してもらった有名なお店です。
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上の建物の気になる石像を拡大いたしました。
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オペラ通りに出ました。遠くにオペラ座が見えます。パリらしい風景です。
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オペラ座と反対方向のオペラ通りの風景です。
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オペラ通りを進みました。5月11日にワインバーで会ったパリに長く住んでいる親しい方によると、このあたりの建物の2階より上はマンションとして使われていて、広くなくても1家族分の価格は約2億円だそうです。建物全体でいくらの価値になのでしょうね。古い建物だからこそ値打ちがあるとのことでした。日本ではマンションは買ってから年月が過ぎると下がるのが常識ですが、パリでは資産価値が下がらないのが常識なのです。したがって物価に伴って価格は上がるのがるため約20年で2倍以上にもなると、パリ住んでいる人が話してくれました。
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こちらがマイバスのあるピラミッド通りです。歩道に置かれている緑の大きな塊は、ワインなどのボトルを回収するボックスでした。再利用可能なボトルの利用を促す政策なのだと思います。
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ピラミッド通りに面したマイバスに到着いたしました。
事務所の中に入って日本からネットで予約していた翌日出発の「モンサンミッシェルツアー」が登録されていることと集合時間を確認いたしました。もちろん6日目の「ロワールの城めぐり」が登録されていることも確認いたしました。
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マイバス事務所からさらにセーヌ川の方向に向かって散策を続けました。
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地図で見るとJeanne D'Arc Statue Parisと書かれた、この金色の銅像の場所に出てきました。3本のフランス国旗と、沢山の生花の花束が飾られていることからジャンヌ・ダルク(Janne Da Arc)はフランス人にとって今でも英雄なのだと感じました。
バスが入って行こうとしている道から我々が出てきたのです。
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クリックすると拡大ジャンヌ・ダルク(Janne Da Arc)は若干19歳で亡くなった女性戦士で、フランスの領土をイングランドから取り戻したフランスの国民的ヒロインです。
クリックするとより鮮明に女性戦士の姿を見ることが出来ると思います。右はジャンヌ・ダルクの紋章です。
 生誕 1412年頃1月06日
 死没 1431年 5月30日 (満19歳没)
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さらに進むと広い芝生のスペースに出ました。沢山の人がのんびりと芝生の上に座っていました。19時09分でこの明るさです。まだ日が高かったです。これらの人々を見て、5月8日は日曜日だったのだとあらためて認識いたしました。
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見事な建物に囲まれた場所でした。
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北西方向にはエッフェル塔が見えました。
目の前に広がっているのはチェイルリー庭園です。
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ルーブル美術館の方向です。門のような建物をくぐるとルーブル美術館がありました。
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クリックすると拡大門のような建造物をGoogle地図で調べるとArc de Triomphe du Carrouselと書かれていました。日本語ではカルーゼル凱旋門となります。1806年に着工して1808年に完成したそうです。
パリの象徴である有名な凱旋門(エトワール凱旋門)の2分の1の大きさですが設計は同じ年に行われました。エトワール凱旋門は完成までに30年を要したことから、こちらのカルーゼル凱旋門の方が28年も古いことになります。
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ルーブル美術館です。ガラスのピラミッドが確認できると思います。5月11日には予定通りにルーブル美術館の中に入りました。
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ルーブル美術館をくぐってセーヌ川に出ます。くぐるときに見上げた景観です。
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車や人がくぐる空間の天井です。
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セーヌ川に面した側のルーブル美術館です。
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セーヌ川にかかるキャルーセル橋から見たルーブル美術館です。
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セーヌ川に着きました。キャルーセル橋から西方向(下流方向)を見た景色です。2016年5月8日の日没は21時16分53秒です。逆光で暗く見えますが19時15分は、まだまだ明るいです。ちなみに翌日の日出は6時15分42秒です。この後もいろんなところを散策して夕食を食べてホテルに戻ったのが22時01分ごろでした。翌朝はモンサンミッシェルツアーのためにマイバスの事務所に7時15分までに集合するので安全を見て5時30分に目覚ましをかけました。一番心配なのが時計です。1時間づれる可能性があるので、何度も確認してしまいました。
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posted by SORI at 07:50| Comment(21) | TrackBack(1) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月02日

空港→パリ市内への移動はRoissyBus

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
パリのルーブル美術館を10記事紹介させていただいたので、次はパリに着いてからのパリ市内の観光を中心に連続11記事をブラシュアップして掲載させていただきます。本記事が/11です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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パリのシャルルドゴール空港に2016年5月8日の夕刻についてパリ市内への移動には上のバスを利用いたしました。名前はRoissyBus(ロワシーバス)と呼ばれています。移動方法としてはバス以外では電車とタクシーがあります。タクシーだとホテルまで確実に行けますが料金が高いです。鉄道となると途中での乗り換えがあるので初めてだと不安なので、乗り換えなしで、かつ安く行けるバスにいたしました。地下鉄のOpera駅にはエスカレーターがないので重いスーツケースを運ぶのは大変なので、その点でもバスが便利でした。さらに幸いにも到着場所のOpereから宿泊するホテルまでスーツケースを引いて歩いて行ける距離なのです。

こちらが自動販売機で買ったチケットです。料金は11ユーロ(1380円)でした。パリではチケット類や買い物は全てクレジットカードで帰るので、クレジットカードを使って買いました。
後で判ったことですが、バスの運転手から買うことが出来ます。
写真はチケットの表面と裏面を交互に出しています。
裏面に印字されている08/05/16が2016年5月8日を表しています。クリックすると裏面を表示します。17時27分にチケットを買ったことも分かります。


空港内の始発場所()を出発して空港内で2回停車( )した後はOpere()まで直行(Direct)で、停車しないので行くので、乗っていても安心です。
  ターミナル 2 Roissy Bus 始発場所
  ターミナル 2
  ターミナル 1
  Opera降車場
  宿泊したホテル
  ノートルダム寺院(パリのほぼ中心)
━━ バスのルート 34.4km


空港内のバスのルートと停車場の位置( )を紹介します。Googleマップで地図を表示→ポチッ
我々が乗車した始発場所()はターミナル2の2Fと2Eの間にあります。空港発のバスは始発場所を含めて3ケ所だけしか停まりませんが、Operaから空港に向かうバスは空港内で細かく停まりました。
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出発してすぐの景色です。向こうに見えるのが2Eです。バスが出発したのが17時30分でした。
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ぐるっと回って2Eの横を通りました。この先に次の停車場()があります。
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ターミナル2を出たところに、有名な超音速旅客機コンコルドが展示されていました。このあとターミナル1に向かいました。コンコルドは通常の旅客機の飛行高度の2倍の5万5,000~6万フィートの高度を、マッハ2.0で飛行し、定期国際運航路線に就航した唯一の超音速民間旅客機で、ニューヨーク→ロンドン間5,570kmを2時間53分で飛行しましたが、2000年7月25日に発生した墜落事故や景気低迷などをきっかけに2003年11月26日をもって退役したことでも有名です。驚いたことに事故で喪失した1機以外の内、解体されたものは1機のみで、残りは全てヨーロッパ(14機)とアメリカ(3機)と西インド諸島のバルバドス(1機)で展示・保管されています。シャルルドドール空港に展示されている機体は次の通りです。
右の飛んでいる姿コンコルドの写真などはWikipediaから転用させていただきました。
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 機体登録記号 F-BVFF(ex.F-WJAN)
 使用用途   量産型15号機
 初飛行    1978年12月26日
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ターミナル1でも停車()いたしました。
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パリ市内に向かう高速道路です。
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バス車内です。バスは2両連結で、写真は連結部分です。
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驚いたことにバスの中では無料WiFが使えました。フランスでは無料WiFiが発達していました。建物の中だけでなくバスやツアー用の車でも無料WiFiが使えました。


パリ市内に入るとパリらしい建物であふれていました。
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街並みもパリらしくなってきてパリに来た実感を感じられるようになってきました。
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冒頭の写真とおなじですが、ここがOpera降車場です。少し前に進んだ場所から空港行きのバスが出ていることが確認できたので帰国の2016年5月14日にも利用させてもらいました。到着したのは18時20分でした。空港を出発が17時30分なので所要時間は50分だったことになります。
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Opera降車場は写真のオペラ座(別名:ガルシア宮)がある場所にあります。この写真で言えば建物の左奥にあります。
  用途  歌劇場、バレエ・ホール
  設計者 シャルル・ガルニエ
  建築主 ナポレオン3世
  構造  ネオ・バロック様式
  敷地  11,237m2 m²
  階数  6
  高さ  82m(アポロン像の先端)
  着工  1862年7月21日
  竣工  1875年1月15日
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Opera降車場から泊まったホテルまでは歩いて5分の距離でした。ただし降りた瞬間は方向が分からないので進む方向に迷いましたが、オペラ・ガルシアが目印になったので通りの名前が確定出来たら迷わずにホテルに行けました。Googleマップで地図を表示→ポチッ
    Opera降車場
    宿泊したホテル
 ━━ バスのルート 34.4km
 ━━ 歩いたルート 575m
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こちらが泊まったホテルです。
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帰国日(2016年5月14日)のチケットも紹介しておきます。裏面に14/05/16 17H22の文字が確認できると思います。クリックすると裏面を表示します。
posted by SORI at 20:06| Comment(58) | TrackBack(0) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月01日

ループル美術館で、あこがれのランチ

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリのオルセー美術館を8記事ほど紹介させていただいたので、次はパリのルーブル美術館を連続10記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が10/10です。

オルセー美術館は基本的に1848年(2月革命)~1914年(第一次世界大戦)の作品が展示されていて、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターに展示されているそうです。
つまりルーヴル美術館は古代~概ね1848年の作品が展示されていることになります。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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せっかくルーブル美術館に来たのだから館内のレストランで食事をしたくなりました。上の写真は入ったレストランの席からの景色です。目の前にガラスのピラミッドが見える場所で、正面の建物の高くなっているところがモナリザが展示されている場所です。建物は対象なので我々食事をした場所も同じように高くなっている最高の場所なのです。ピラミッドの先端が向かいの建物の高い部分の窓の位置と一致していることから我々も中央も窓の位置で食事をしたことになると思います。

写真の中の矢印(↓)のところがランチを食べた場所(ナポレオン3世の居室の隣)です。
拡大(写真をクリック)してもらうと、宮殿で食事をさせてもらった実感をお伝え出来るかもしれません。
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メニューを見てもよくわからないのでコースランチを選びました。また選んだ料理もどのようなものが出てくるのかわからないのでワクワクしながら待っていると、ホットサンドが主体のプレートが出てきました。お皿に乗っているのはホットサンドイッチとサラダとジャガイモです。
ランチを食べたのは地下の昔の城の遺構を見た後で、記事の順番で言えば7/10の記事「ループル美術館の地下に埋もれていたものは」と8/10の記事「絵画と石像だけではありませんでした。」の間でした。
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夏炉冬扇さんがジャガイモも興味をお持ちなので、ジャガイモの部分を追加でアップさせていただきました。クリックするとさらに拡大します。
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こちらは席についてランチを食べると伝えた時に最初に出された無料のパンです。フランスらしい美味しいパンでした。
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飲み物は紅茶を頼みました。隣の席ではワインを飲まれていましたが、夕食でワインバーに行くことになっていたのでワインをあきらめました。
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紅茶にはチョコレートがついてきました。
ANGELINAがレストランの名前です。
Maison fondée en 1903と書かれていたことから、ここに出店している街の中のお店は1903年に創業したようです。


こちらが私が頼んだランチです。玉子とハムと野菜のホットサンドです。4コ乗っているので結構なボリュームでした。やっぱりフランスはパンの国なので、美味しいパンを使ったサンドイッチは格別でした。
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こちらが娘が頼んだホットサンドで、チーズとトマトと玉子と野菜が入っていました。当然ですが交換して両方を味わいました。
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こちらがテーブルに乗った状態です。パリではそこそこの高級レストランでも幅の狭いテーブルが普通なのです。周辺ではデザートを皆さん食べておられてレストランの人にも聞かれたのですが、これで十分だったのでデザートは頼まなかったのですが、レストランの食事を紹介する観点から考えると頼むべきでした。でも十分にゆっくり食事が出来たので、ルーブル美術館に来ていることを実感させてもらえました。
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レストラン入口の写真です。レストランはリシュリュー翼2階のナポレオン3世の居室の横にありました。お店を紹介いたします。調べてみるとAngelinaは日本にもお店を出していました。
 店名 Café Richelieu / Angelina
    カフェ・リシュリュー/アンジェリーナ
 住所 ループル美術館内
 電話 01-4927-9331
 定休 ループル美術館休館日
 営業 10:00~17:00 夜間開館日は延長(~21:00)
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食事をしたレストラン()の場所を紹介します。今回のお店は入口の写真でも判るように本格的なレストランでしたが、軽い食事が出来るカフェ()も見つけました。美術館内で逸れた時は、そこで待ち合わせることにしていました。
ループ美術館は年間に926万人(2014年)が訪れます。火曜日が休館日なので平均すると1日に29,598人が訪れていることになります。これは平日も入れた数値なので土日祝日は、さらに沢山の人が訪れていることでしょう。
  2階 Café Richelieu / Angelina 食事をしたレストラン
  2階 Café Mollien
  2階 モナリザ
  1階 ミロのヴィーナス
  地下 14世紀のルーブル城の中心を示す遺構


オープンな場所にあるCafé Mollien()も紹介します。軽い食べ物やケーキはショーケースから選ぶ形式です。飲み物を頼んで奥のテーブルで食べます。
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そのお店も詳しく紹介いたします。こちらのカフェは広い空間が魅力です。
 店名 Café Mollien
 住所 ループル美術館内
 電話 01-4927-9983
 定休 ループル美術館休館日
 営業 10:30~17:00 夜間開館日は延長(~19:00)
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posted by SORI at 11:00| Comment(44) | TrackBack(0) | パリのレストラン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月30日

ルーブル美術館 古代エジプトと古代オリエントのエリア

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリのオルセー美術館を8記事ほど紹介させていただいたので、次はパリのルーブル美術館を連続10記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が/10です。

オルセー美術館は基本的に1848年(2月革命)~1914年(第一次世界大戦)の作品が展示されていて、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターに展示されているそうです。
つまりルーヴル美術館は古代~概ね1848年の作品が展示されていることになります。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると見取図のPDFを表示
こちらがルーブル美術館(ルーヴル美術館)全体の見取図です。
大きく分けて、南側のドゥノン翼(DENON)と、北側のリシュリュー翼(RICHELIRU)と、東側のシュリー翼(SULIY)にと呼んでいます。建物は地下2階から3階まであります。

現在の建物は1546年から1880年の334年間に各世代の統治者によって建てられました。最も古い部分は467年前の1549年に建てられたことになります。昔は右下の図のように一番西側にリシュリュー翼とドゥノン翼をつなぐ建物( 点滅している建物 3581114 )がありました。1681年にルイ14世がフランス王宮をルーブル宮殿からヴェルサイユ宮殿に遷すまで、ルーブル美術館は王宮として使われていました。図をクリックすると建物の番号(NO)が判ると思います。
 NO   建築年     フランス統治者
  1 1546~1549年 フランソワ1世、アンリ2世
  2 1559~1574年 フランソワ2世、シャルル4世、アンリ3世
  3 1564~1570年 カトリーヌ・ド・メディシス
  4 1566~1566年 カトリーヌ・ド・メディシス
  5 1570~1572年 カトリーヌ・ド・メディシス
  6 1595~1610年 アンリ4世
  7 1595~1610年 アンリ4世
  8 1595~1610年 アンリ4世
  9 1624~1654年 ルイ13世、ルイ14世
クリックすると拡大 10 1653~1655年 ルイ14世
 11 1659~1662年 ルイ14世
 12 1659~1664年 ルイ14世
 13 1661~1664年 ルイ14世
 14 1664~1666年 ルイ14世
 15 1664~1666年 ルイ14世
 16 1667~1670年 ルイ14世
 17 1806~1811年 ナポレオン1世
 18 1816~1824年 ルイ18世
 19 1852~1857年 ナポレオン3世
 20 1861~1870年 ナポレオン3世
 21 1874~1880年 フランス第三共和政府
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ルーブル美術館の航空写真も紹介します。上の図と比べて見てください。
クリックすると拡大クリックすると拡大

先ずは各階の見取図から紹介したいと思います。
地下2階は美術館の入口であるエントランスとなっている大ホールがあるだけで展示は地下1階から3階です。大ホールからは次の3方向への入口がありますが、初めての方はモナリザなどの有名な絵画が展示されているドゥノン翼(DENON)への入口を入ることをお薦めします。
 南側入口 ドゥノン翼   DENON
 北側入口 リシュリュー翼 RICHELIRU
 東側入口 シュリー翼   SULIY
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地下1階です。ドゥノン翼にヨーロッパの彫刻とオリエント・エジプト美術とイスラム美術が展示されています。中世の遺構がシュリー翼にあります。
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1階では主に古代美術が展示されています。今回の記事での紹介(古代エジプトとオリエント)は主にこちらになります。前々記事で紹介した有名なミロのヴィーナスもこちらにあります。
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2階の展示スペースは最も広いです。モナリザを初めとする有名な絵画が多数展示されています。
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3階には絵画が展示されていていますが、見学者は2階に比べると少ないことから静かなエリアになっています。すでに紹介した絵画を模写している人も、こちらのエリアで多く見ることが出来ます。
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古代エジプトエリアには地下の遺構を見学した後に入りました。
そこから古代エジプトと古代オリエントの展示物を見学しましたが圧倒的な数に驚いたので、その多さを紹介したくて沢山の写真を掲載いたします。
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古代エジプトと古代オリエントは主に1階でしたが古代エジプトに関しては2階と地下1階の一部でも展示されていました。見取図をクリックすると2階を表示します。


エジプトエリアに入るとエジプトらしい沢山の石像に迎えられました。
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貴重なものがガラスケースの中に並べられて展示されていました。どれも興味深いものばかりでした。
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古代の生活がしのばれるようなものも沢山ありました。こちらは古代のエジプトの船です。
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木で作られた器具も沢山展示されていました。
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彩色された石板も沢山ありました。
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こちらも石板です。
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沢山の壺もありました。生活の中で使われたものだと思います。下が尖っているので地面に突き刺して使われたのかもしれません。
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石で出来たもの木で出来たものです。
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金属製の像も沢山展示されていました。
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見事な品々でした。
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打屋の写真の奥のガラスケースです。紀元前の物が見事に残されているのに驚かされます。
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いろんなものが展示されていました。
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木製の椅子なども今でも座れそうな状態で残っているのに驚かされました。タイトルには「Harpe cintrée」や「Harpe cintrée d'Imenmès, musicien du dieu Amon」と書かれていました。
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楽器類も沢山ありました。これらの楽器は紀元前1550~1295年の間のものだそうです。
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スフィンクスの石像は沢山展示されていました。その中の一つです。
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小さなスフィンクスもずらりと並べられていました。誰かに似ている顔もありそうです。
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大きな柱や石像が展示されているエリアです。
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広い部屋に大きなものから小さなものまで展示されていました。
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貴重な石板なのでしょうね。ガラスケースに入れられていました。
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古代エジプトは1階と2階で展示されていました。それをつなぐ階段です。2階から1階に下りました。
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一階に下りると中庭が見れました。中世にルーブル城の中心があったシュリー翼と呼ばれている場所です。地下に遺構があります。
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こちらは棺(ひつぎ)だと思います。見事な絵が描かれていました。
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鳥のような顔をしています。もしかしたら子供の棺かもしれません。
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こちらにも沢山の棺が展示されていました。
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石で出来た石棺も展示されていました。彩色された色が残っています。
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このあたりから古代オリエントの展示です。
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不思議な石の石像です。名前はFragment de cippe décoré d'un atlanteです。現在のシリアのHauranという場所で発見されたもののようです。
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部屋の中央に置かれていた石像の説明板にはStèle funéraire d'une femmeと書かれていました。置かれていた場所から有名なものだと感じました。
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こちらも皆さんから注目されていました。紀元前2世紀のCippus from Malta と呼ばれているもののようです。クリックすると台座の碑文が読めると思います。ただし読むことが出来るのは古代文字が判る人に限ります。
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Sarcophage(石棺)と書かれていました。紀元前300年ごろの石棺です。
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石で作られたものだ展示されているエリアでした。
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螺旋階段で1階に戻りました。
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石の壁に描かれたライオンの絵です。こちらも見事でした。
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反対向きのライオンの絵も展示されていました。上とは左右対称に配置されていたのかもしれません。
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こちらの部屋の周囲にも絵が描かれた石板が飾られていました。
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園部屋の真ん中に神殿の柱の頂部の飾りが展示されていました。
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上の写真の飾りがつけられた巨大な柱が60本以上使われていたことから巨大な建物だったことが想像できました。
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飾りの部分を特別に拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
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日本の土偶に似たものもありました。案内板にはStatue-récipient anthropomorpheと書かれていました。イランから出土したもののようです。
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古代オリエントのものだ広い空間に沢山展示されていました。
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不思議なデザインのものが多かったです。現代でも通用する見事なデザインです。
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船の帆の柱でしょうか。木製の柱です。
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不思議な石もありました。これはTable ornée de serpents et de divinités aux eaux jaillissantesです。少なくとも飾りの中にヘビがいました。紀元前14世紀と書かれていました。
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曰くありげな黒い石です。こちらはStatue de la reine Napirasu, épouse d'Untash-Napirishaです。紀元前1340~1300年のものです。
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上のStatue de la reine Napirasu, épouse d'Untash-Napirishaが部屋の中央に展示されていることが判ってもらえると思います。
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ガラスのケースにも沢山展示されていました。
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見事な壺です。
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こちらのエリアでは石板が沢山飾られていました。
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その中でも一番目立っていた石板です。
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有名なものです。
これはサルゴン2世宮殿の飛牛とよばれています。教科書でみたことがあります。メソポタミアのアッシリア帝国のサルゴン2世が紀元前70年頃に作った宮殿に飾られていた彫刻です。
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通路の両側に飛牛が置かれていると迫力があります。
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別の角度から見た飛牛です。
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飛牛は沢山展示されていました。
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蛙のブロンズ像かと思いましたが、タイトルはStatue de lionと書かれていることからライオンの像の上半身のようです。紀元前2世紀初めのブロンズ像は珍しいのだと思います。
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紀元前1792~1750年のCode de Hammurabi, roi de Babyloneです。有名なバビロンの王のハンムラビ法典の記念碑です。ハンムラビ法典はメソポタミア文明の象徴だそうです。紀元前18世紀にバビロンの王によって建てられた玄武岩製の背の高い碑は、聖書の律法以前に作られた最も完全な古代の歴史的著作と法令集だそうです。紀元前12世紀にイランにあった近隣の国エラムの王によって運び去られた記念碑だそうです。
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ハンムラビ法典の記念碑の頂部の彫刻の部分を拡大いたしました。
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ライオンの飾りです。これはTête de lion gardien de templです。
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ギリシャ彫刻エリアに行く通路です。
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古代オリエントのエリアからはギリシャの石像エリアに出ました。
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そこからの外の景色です。今回の記事でルーブル美術館の記事を終了したいと思います。今までに掲載したルーブル美術館の記事を紹介します。タイトルをクリックすると記事を表示します。
 ・ホテルからのルーブル美術館までの景色 オペラ通り
 ・お掃除ロボット
 ・ルーブル美術館 モナリザ
 ・ルーブル美術館は若い人たちの歴史の勉強の場
 ・模写している光景も絵になっていました。
 ・ミロのヴィーナス
 ・ループル美術館の地下に埋もれていたものは
 ・ループル美術館で、あこがれのランチ
 ・絵画と石像だけではありませんでした。
 ・古代エジプトと古代オリエントのエリア
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posted by SORI at 20:08| Comment(22) | TrackBack(7) | ルーブル美術館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絵画と石像だけではありませんでした。

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリのオルセー美術館を8記事ほど紹介させていただいたので、次はパリのルーブル美術館を連続10記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が/10です。

オルセー美術館は基本的に1848年(2月革命)~1914年(第一次世界大戦)の作品が展示されていて、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターに展示されているそうです。
つまりルーヴル美術館は古代~概ね1848年の作品が展示されていることになります。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日フランス旅行に行ったときに4日目にパリでルーブル美術館に行き、今までにいくつか紹介いたしました。ルーブル美術館では絵画ではモナリザをはじめとして沢山の名画があり、石像でもミロのブィーナスを筆頭に沢山の石像が展示されています。今回、館内を見学して絵画や石像以外に、装飾品や各種の器や小物なども沢山展示されていることを知りました。その雰囲気を感じていただきたくて本記事を掲載いたしました。こちらの入口を入っていくと、それらの装飾品や各種の器や小物などが展示されていました。

上の写真の部屋の天井にも見事な絵が描かれていたので紹介します。
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入口を入ると王宮であったことを偲ばせる見事な部屋の中に展示されていました。
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壁にはネックレスなどが飾られ、その下には小さな壺が並べられていました。かなり古いもののようでした。
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古い時代のガラスの器も展示されていました。このようなガラスの器は貴重だったのだと思います。
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さすが王宮だったので天井も部屋ごとに雰囲気が変わります。
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コーナー部の飾りが見事だったのでし野心を撮りました。
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見事な部屋に沢山の展示品がありました。
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雰囲気を感じてもらいたくて見上げた写真も掲載いたしました。
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沢山の部屋が連なっていました。
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こちらの物はCasque votif en forme de pilosと書かれており紀元前350~325年のものようです。Casqueの言葉から、頭のかぶりものであることは分かりました。
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上の頭の飾り物があった部屋の展示物です。
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石の置物も展示されていました。こちらも降るそうです。
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見事な金の置物です。こちらは紀元前874~850年の品物のようです。
Pendentif au nom du roi Osorkon Ⅱ: la famille du dieu Osirisと書かれていました。こちらは有名なもののようです。ネットで沢山出てきます。→ポチッ
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同じ部屋に飾られていたものです。
同じ地域の同じ年代のものと推察しました。
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これらの器も古いもので珍しいものだともいます。
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こちらの部屋の天井は雰囲気が違っていました。
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こちらには金の装飾品が並べられていました。
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不思議な置物もありました。
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金属の食器も沢山展示されていました。これ以外にも沢山の展示物がありました。限られた写真の紹介ですが雰囲気を感じてもらえたでしようか。
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posted by SORI at 06:57| Comment(38) | TrackBack(0) | ルーブル美術館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月29日

ループル美術館の地下に埋もれていたものは

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリのオルセー美術館を8記事ほど紹介させていただいたので、次はパリのルーブル美術館を連続10記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が/10です。

オルセー美術館は基本的に1848年(2月革命)~1914年(第一次世界大戦)の作品が展示されていて、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターに展示されているそうです。
つまりルーヴル美術館は古代~概ね1848年の作品が展示されていることになります。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

上の航空写真で黄色のライン(━━)で囲まれた中にある建物が全てルーブル美術館です。Google地図で計測した敷地の大きさは長さ700mで幅は336m(西)~206m(東)で広さは198,000㎡(19.8ha)です。世界で最も入場者数の多い美術館でもあります。赤色ライン(━━)が今回歩いた中世時代の城の地下の遺構の場所です。     :中世時代の城   :ミロのビーナス  :モナリザ
クリックすると拡大ルーブル美術館(かつてのルーブル宮殿 それ以前は城塞1202年~)
  敷地面積        198,000㎡(Google地図計測)
  展示スペース     60,600㎡
  収蔵品数        380,000点以上
  展示公開美術品    35,000点
  来館者数        926万人(2014年) 世界1位
  美術館として開館   1793年
  建物の歴史の始まり 12世紀 ただし、これ以前は不明 

ルーブル美術館は世界最大級の美術館(博物館)であるとともに世界最大級の史跡の一つでもあります。もともとルーブル美術館はフィリップ2世が12世紀に要塞として建設したルーブル城でした。その後、幾度となく増改築が繰り返されて、現在の建物となりルーブル宮殿として使われるようになりました。しかしながらルイ14世が1682年にヴェルサイユ宮殿を王宮に選んだことで、ルーブル宮殿は、宮殿としての役割を終わりました。その後のルーブル宮殿の主たる役割は、1692年以来収集されてきた古代彫刻などの王室美術品コレクションの収蔵、展示場所となりました。そして美術館として正式に開館したのは1793年でした。見取図→ポチッ
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クリックすると拡大下記の絵はWikipediaに掲載されていたシャルル5世(在位1364年~1380年)時代のルーヴル城です。冒頭の地図で赤色マーク()の場所に下記の建物がありました。しかしながら現在のルーブル美術館や周辺の地上で、要塞であった時代のルーブル城の痕跡を見ることが出来ません。
ルーブル城の発掘は1866年(ナポレオン3世時代)に行われましたが、本格的な発掘調査が行われたのは1984年~1986年です。ルーブル美術館の地下でもガラスのピラミッドを建設(1985年~1989年)する際に天守塔の土台や城壁や堀などが発見されて1989年からルーブル美術館の地下スペースで見学できるようになったそうでする。ここでは、その遺構を紹介したいと思います。
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城壁などの遺構を見ることが出来る地下にはミロのヴィーナスの近くの、こちらの場所から入りました。
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ミロのヴィーナスからエジプト関係の展示エリアへの地下通路が遺構なのです。通路はL型に曲がっています。最初の直線の景色です。
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少し進んだ景観です。説明を聞いておらず私の感想ですが、左側が城の建物の基礎部分で、左が城壁のように見えます。
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通路の左側の城壁です。城から見るとセーヌ川側の時様壁になります。
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遺構はさらに地下深くにあり、その部分は床がガラス張りになっていました。
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L字型の通路を曲がってすぐの景色です。やはり左側が城の建物の基礎部分で、左が城壁のように見えます。
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通路の奥にエジプトエリアへの入口が見えます。
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エジプトエリアの入口から振り返った景色です。
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城の塔の土台と思われる部分を拡大いたしました。
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入口を進んでから振り返った景色です。右の壁にLOUVRE SULLY MEDIEVALと書かれています。これからLouvre médiéval であることが判りました。
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クリックすると拡大今回、見学したL字型の地下通路は下の案内板でLES FOSSÉSと書かれて部分です。今回見逃しましたが、今回見た以外にも沢山の遺構があることが判りました。最初に紹介した右のシャルル5世時代の絵のルーヴル城がここにあったことが判りました。右の絵はセーヌ川の対岸から描いた思われ、下記の案内板では左上の方向にセーヌ川があります。パリも14世紀ごろは田園風景が広がっていたことが右の絵から読み取れます。14世紀初頭のパリの人口は約8万人で、ヨーロッパ最大の都市でした。
案内板の①~④は次の通りです。
 ① Tour de Taillerie Bâtie par Philippe Auguste XII siècle
 ② Soubassement du corps de logis ajoutés par Charles V vers 1360
 ③ Pile du pont-levis de la porte orientale menant vera la ville
 ④ Tours de la porte orientale XII siècle
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エジプトエリアに到着いたしました。数値はそれぞれで検索した時の件数で、数値が近いことから両方が使われている証拠です。"ルーヴル美術館"は正式で専門家に使われていて、"ルーブル美術館"は一般の人が使っている感じです。
 "ルーブル美術館" 約460,000件  今日(2025年4月29日):約1,580,000件
 "ルーヴル美術館" 約573,000件  今日(2025年4月29日):約2,500,000件
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posted by SORI at 05:59| Comment(39) | TrackBack(0) | ルーブル美術館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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