ベルリン郊外の風車のある景色 [ベルリン]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ドイツの首都ベルリンの郊外の景色です。沢山の風力発電用の風車が立っています。写真を撮っている高さは110mで、南側を除いてほぼ360度がこのような景色なのです。驚くのは風車の大きさです。手前に立っている風車の塔の高さは115m程度とあまり高くありませんが、遠くに立っている風車の塔はすべて160mを超えています。
なぜ高さがわかるかと説明すると写真を撮っている高さが110mなので塔と地平線がクロスするところが110mなのです。手前の塔は地平線より少し高いので約115mと推察しました。遠くの風車は、地平線より上の部分の長さと110mと比較して上の部分が40m~60m程度と想定出来るわけです。したがって塔の高さは150m~170mと想像できたわけです。塔の高さが160mとなると発電量も最大級の風車と言うことになります。
ヨーロッパで風力発電に力を入れているのが、スペインとドイツです。ドイツに隣接した国、オーストリアでも風力発電を沢山見かけました。冒頭の写真はクリックすると拡大します。
1,161 77 14 3
このレッドラインより上の記事は2010年7月29日に掲載させてもらった部分ですが、2017年1月22日に まつひらさんから、風車の場所を詳しく知りたいとのコメントを頂いのをきっかけに、風車の位置を入れた航空写真などを添付してブラシュアップいたしました。
つまりレッドライン(━━━━) より下が今回新しく追加掲載した部分です。
追加した写真、動画、Google航空写真は下記の通りです。
写真 4枚 北方向 西方向 南方向 撮影場所
動画 1つ 西方向
航空写真 2枚 Google航空写真にプロット
上の写真は撮影位置から東方向を撮ったものですが、北方向の写真も紹介します。左側に沢山の風車が確認できますが、右側の遠くの方にも霞んでいますが沢山の風車があります。
写真をクリックするとなんとか確認できると思います。
西方向の写真も紹介します。
上の場所と同じ場所(西の方向)の動画も紹介します。
こちらが写真を撮った高さ110mの建物の屋上です。ドイツは安全に関しては徹底しています。工場内を歩く場合は目立つカラーベストが支給されます。オレンジが社員の人で黄色が社外の人です。カラーベスト以外にメガネ、ヘルメット、安全靴が義務付けられています。
南には森林が広がっていました。この写真は是非ともクリックしてもらいたいです。
冒頭の写真の風車群の中の一つの風車をGoogle航空写真で表示します。
航空写真上のアイコンを数回クリックすると位置が判ると思います。
住所:Unnamed Road, 15345 Rehfelde
風車の位置をGoogle地図にプロットしました。このエリアの中に少なくとも187基の風力発電用の風車があります。航空写真上のアイコンを1回クリックするとベルリン(Berlin)中心部との位置関係が判ると思います。
写真撮影位置
風力発電用風車 現在187基プロット
こんな車でツアーはいかがですか? [ベルリン]
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ドイツ・ベルリンのブランデンブルク門から大通りウンター・デン・リンデンを歩いていると、こんな車を見つけました。ベルリンにもアメリカ的なリムジンがありました。車体の横にCITY TOURと書かれているので、どうやら観光ツアー用の車のようでした。観光客の人が見学に行っている間、待っている様子でした。クリックすると拡大するので見るとWebのアドレスが書かれていました。下のアドレスがツアー会社のホームページのリムジンのページです。なんとHummer H1のリムジンでした。
http://www.berlin-limoservice.de/spekakularste_stadtrundfahrt_berlins.html
私だったら、こちらの方で観光ツアーをしてみたいです。皆さんはどちら派ですか? どちらがいいかと聞かれると、意外と迷う人が多いのではないでしょうか。
最も多かったのが二階建てバスです。二階はオープカーのように天井はありません。全員、二階に座られていました。
次に多かったのが自転車でした。観光バスとセットになっているツアーもあるのかもしれません。
観光案内に載っていない立派な建物 [ベルリン]
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ドイツの首都ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿のあたりから地下鉄のR.WAGNER-PL.駅の方を撮った写真です。大きな大聖堂のような建物が見えます。R.WAGNER-PL.駅の前に建っています。
地下鉄の駅の近くから大聖堂のような建物を撮りました。旅行ガイドブックを見ても記載が、ありませんでした。
ネットから航空写真を拝借しましたが、大きな建物であることがわかりました。
名前を知りたい場合はネットの地図が便利です。→大きな地図で見る(クリック)
「Berliner Kabarett Klimperkasten」と言う名前が読み取れましたが、これは建物ではなさそうです。「Bzirksamt Charlottenburg」で検索すると、この建物の写真が出てきました。どうやら大聖堂ではなくシャルロッテンブルク・ヴィルマースドルフ区の区庁舎のようです。
右の正面からの写真はネットから拝借しました。
シャルロッテンブルク・ヴィルマースドルフ区 (Bezirk Charlottenburg-Wilmersdorf) は、ドイツの首都・ベルリン特別市にある行政区 (Bezirk) です。
旧西ベルリンの中心地区で、2001年1月1日にシャルロッテンブルク区とヴィルマースドルフ区が合併し、現在の区となったそうです。
立派な建物は「連邦議会議事堂」でした。 [ベルリン]
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ドイツ・ベルリンのフランデンブルック門の近くで、一際目を引く建物がありました。とりあえず写真を撮って調べてみると連邦議会議事堂(国会議事堂)でした。実は左奥の向こう側に広い庭があり、そちら側から見ると観光ガイドによく載っているガラスドームのある威厳のあるネットから拝借した右のような建物の姿なのですが、写真を撮った時点では、そのことは判らなかったため、今回の構図になりました。私が撮ったのは右裏側からの写真だったのです。
この建物は1824年に建造されドイツ統一後は1999年にボンから本建物に連邦議会が移転してきて現在に至っているそうです。
こちらにも沢山の観光客の人が訪れていました。
ドイツは連邦制なので日本語では連邦議会・議事堂と呼ばれるのが一般的ですが、ドイツ語ではReichstagsgebäude(国会議事堂)となっているのは歴史が絡んでいるようです。
東西ドイツ統一の後、旧ドイツ国会議事堂は全面的に修復され、1999年にライン河畔のボンにあった連邦議会がこの建物に移転した。この際、建物の名称を Reichstagsgebäude (国会議事堂)から Bundestagsgebäude (連邦議会議事堂)と変更する動きがあった。しかし、歴史と伝統を重んじるドイツ国民は Reichstagsgebäude am Sitz des Deutschen Bundestags (訳語として無理があるが 「ドイツ連邦議会の置かれた国会議事堂」)という表現を考え出し、Reichstagsgebäudeという歴史的名称を残したそうです。
ツアーバスも沢山駐車していました。この連邦議会議事堂の写真には有名なガラスドームが写っています。
もう一枚、ガラスドームが写った写真を紹介します。沢山の観光客や観光バスが行きかうわりに人が少ないと思っていましたが建物の裏側だったのです。でも観光客の人があまり写真を撮らない角度だと思います。それにしても、現役の連邦議会議事堂(国会議事堂)ですが、柵もなく開放的なのには驚かされました。ドイツのお国柄なのでしょうね。
ネットでのwikipediaの本議事堂の説明は下記の通りです。
修復の設計を担当したのは1992年の建築設計競技で勝利したイギリス人建築家ノーマン・フォスターである。
修復工事では、外壁以外のすべてが一旦取り払われるほどの大改造を受けた。中央の巨大なガラス張りのドームは19世紀末の議事堂建設時のガラスドームの存在を意識しているが、シンボル的かつ斬新なデザインで、国会議事堂の見学に訪れる観光客も非常に多い。
ドーム中は見学者のための通路がめぐらされており、屋上からはベルリン市街が望め、かつ眼下に議場がのぞけるようになっている。また、ガラス張りの議場にも上のドームから天然光が降り注ぎ、石造建築の屋内にもかかわらず開放感があり、ドーム内の見学者にもいつでも会議を見せて開かれた議会政治をアピールしている。ドームのガラスは太陽の動きにあわせて常に角度を変え、直射日光を議場に入れず、かつ議場を常に明るい光で満たすようプログラミングされている。ドームはベルリン観光の目玉である。セキュリティーチェックは厳重であるが、観光シーズンには入場待ちの長蛇の列ができる。午後10時までも開館しているということからドイツが如何に開かれた政治を目指しているかが理解出来る。
また、国会議事堂内部は明快で簡素な現代風オフィスとなっており、重厚さや重苦しさ、閉鎖的な印象はない。大きな壁面を利用したりして現代美術家たちの作品が各所に展示され、さながら現代美術館のようになっている。これらすべてを含め、環境に配慮し文化的で、軽快で、市民に開放された今日のドイツ政治を議事堂の建物自体が象徴しているといえる。
戒めのモニュメント [ベルリン]
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ドイツのベルリンで朝に散歩をしていると(鷲)のモニュメントが乗った石の塔を見つけました。ドイツの国章は鷲なので国章にちなんだものであることは感じ取れました。
下の写真をクリックすると判ると思いますが、石の塔の部分に2つの年号が刻まれていました。一つが1914年で、もう一つが1918年でした。この年号から、1914年から1918年にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である第一次世界大戦に関係したものであることは判りました。おそらく第一次世界大戦戦没者の慰霊碑のようなものであると思います。
その第一次世界大戦慰霊碑の下に、もう一つのモニュメントがありました。中央に剣が配置されその周りに四角い石が7つ置かれていました。影は最初に紹介した鷲の塔です。
最初の石には1939年と刻まれていました。次の石には1940年と刻まれ、最後の石には1945年と刻まれていました。この年は第二次世界大戦の期間と一致しています。こちらは第二次世界大戦の慰霊碑だったようです。写真をクリックすると1939年~1942年と刻まれた石が確認できます。
第二次世界大戦は1939年から1945年にかけ、ドイツ、イタリア、日本の三国同盟を中心とする枢軸国陣営とイギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争です。1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻とともにヨーロッパ戦争として始まりました。戦火は文字通り全世界に拡大した悲惨な戦争でした。
剣(つるぎ)の部分を正面から撮りました。
斜めからの剣も紹介いたします。ドイツのモニュメントは他の国とは違う気がします。戦争慰霊碑と言えども勇ましさが伝わってきます。クリックすると1943年、1944年、1945年と刻まれた石碑が確認できると思います。
7つの石碑の意味は何でしょう。7年間も続いた悲惨な戦争を表しているのか。それともそれぞれの年に亡くなった人たち慰霊しているのでしょうか。いずれにしても戒めや警告を表しているのだと思います。
この航空写真の中央に剣のモニュメントがあり、その左下に鷲のモニュメントがあります。航空写真の中ののアイコンを2回クリックすると、かろうじて剣を確認出来ると思います。左上の茶色の屋根は以前紹介したSIEMENS社の建物Siemens-Forumです。建物の住所はRohrdamm 85 Berlinです。 U のマークは地下鉄UバーンのSIEMENSDAMM駅(ジーメンスダム駅)です。
モニュメントのそばに欧州旗とドイツ国旗とベルリン市旗が立っているのが確認できます。一番右の旗は旗の順番と色合いからSIEMENS Flagのように感じました。
シュプレー川 [ベルリン]
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前記事で紹介したシャルロッテンブルク宮殿の横を流れている川の畔の景色が、あまりにも美しいので紹介いたします。
川の名前はシュプレー川でベルリンの町の中央を蛇行しながら流れています。私の立っているあたりには大型のリスも走り回っていました。リスの写真をクリックすると公園の広い範囲を表示します。
シュプレー川(Spree)は、ドイツ連邦共和国を流れる川で、ハーフェル川の支流です。ザクセン州、ブランデンブルク州、ベルリンを流れる全長は約400キロの川です。ベルリンの中ではいくつかに分かれて流れるため、写真のように川幅が狭いところもあります。
上の写真で遠くに見えた橋がシュロッス橋です。
写真を拡大すると遊覧船らしい船が見えます。
シュプレー川沿いには世界遺産に登録されているベルリン国立博物館など魅力的な建物が沢山あることから遊覧船もあるそうです。有名な建物ではなくても我々にとっては、すべてが魅力的な景観なのです。
これが空中から見た写真を撮ったあたりのシュプレー川です。
チェコとの国境に近いラウジッツ山地に源を発し北へ向かいます。バウツェン、コトブスといった都市を流れ、西へ転じベルリンに入り、ベルリン郊外のベルリン・シュパンダウでハーフェル川に合流します。ヒュルステンヴァルデの付近ではオーデル・シュプレー運河によってポーランド側の水系であるオーデル川と結ばれています。数値だけ見ても規模が判りにくいと思い、ライン川と比較してみました。括弧内( )の数値は水系全体のエルベ川を示しています。
シュプレー川 ライン川
水系 エルベ川 ライン川
延長 約400 km (1,091km) 1,233 km
平均流量 36 m³/s (711 m³/s河口) 2,300 m³/s河口
流域面積 10,105 km² (148,268 km²) 185,000 km²
水源 ラウジッツ山地 アルプス山脈 トーマ湖(スイス)
河口 ハーフェル川 北海(オランダ)
流域 チェコ、ドイツ スイス、ドイツなど6ケ国
シュプレー川K流れているポーランドとチェコの国旗用近くの地図を紹介します。ハーフェル川につながっていることが判っていただけると思います。ハーフェル川は下流でエルベ川につながります。
ベルリンの上流にはコトブス(Cottbus)があります。
コトブスは10世紀にシュプレー川の中州にソルブ人が居住地を築いたのが起源とさています。
シャルロッテンブルク宮殿 [ベルリン]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
これはシャルロッテンブルク宮殿(Schloss Charlottenburg)で、すばらしくきれいな建物でした。1695年にブランデンブルク選帝侯フリードリヒ(のちに初代プロイセン王)が、妃シャルロットのために建てた離宮が起源で、その後フリードリヒ大王などが増改築をし、今日のように長さ約500メートルに及ぶ長大な宮殿になったそうです。どっしりした樫(かし)材を使った内装や、多数の陶磁器を壁にはめ込んだ部屋などがあります。ポツダムやベルリンの他の歴史的建造物と一緒に世界文化遺産として登録されています。
最初は「リーツェンブルク宮殿」(Schloss Lietzenburg)と呼ばれていたが、ゾフィー・シャルロッテの死後に改名されました。1943年に空襲で大被害を受けたが、復元されて現在の姿になっています。
ドーム状の屋根の上の金色の像が一際輝いていました。
シャルロッテンブルク宮殿は横に長い建物でした。幅が長すぎて全体を撮る事は出来ません。
庭園から見える、周りの建物も絵になる景色でした。
ヨーロッパの他の宮殿と同様に広い庭園があります。庭園側から見た宮殿です。
庭園の中央あたりには噴水がありました。上の写真同じような構図ですが、上の写真は噴水より宮殿に近いところから撮りました。こちらは噴水から遠く離れて撮りました。でも同じように見えるのは宮殿がすごく大きいからです。
空中からの写真をネットから拝借いたしました。これが宮殿の庭園です。下(南)側に宮殿の建物があり上(北)側に池が広がっています。左(西)側には大きな森が広がっていました。右(東)にはシュプレー川が流れ、きれいな景観を見せてくれます。噴水は幾何学的な庭園の中央です。画面内ののアイコンを一回クリックすると建物全体を見ることが出来ます。
遠くからズームで撮りました。
庭園の中に大きな池もありました。こちらの宮殿の池は自然な雰囲気のある池でした。
庭園には沢山の花が咲いておりました。
池の辺りから宮殿を撮りました。
シャルロッテンブルク宮殿( Schloss Charlottenburg)にはブランデンブルク門( Brandenburger Tor)の後に行きました。泊まっていたホテルは廃線の駅( )の近くにありました。
シャルロッテンブルク宮殿
ブランデンブルク門
廃線の駅
YORCKSTRABE駅
ROHRDAMM駅
UNTER DEN LINDEN駅
ベルリンの地下鉄 [ベルリン]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ドイツのベルリンでは地下鉄が発達しています。地下鉄は2種類があります。UバーンとSバーンです。Uバーンは完全に地下を走りますがSバーンは高架線の部分が多く町の中心に入ると地下になる電車です。これはSバーンの駅です。ただし、随分と前に廃止になったようで電車は通っていませんでした。フクロウ保護の標識を紹介した記事の中の通りの遠くに写っていたのがこの駅です。
航空写真で見ても駅は残っていますが線路の部分は緑地になっていました。
画面内の を数回ほどクリックすると周りの雰囲気が判ると思います。
こちらは今も活躍しているSバーンの駅です。Sバーンの駅は道路を横断する高架の部分に作られているいるようです。確かに利用するのに便利ですね。ホテルの近くを通っているROHRDAMM駅からUバーン(U7)に乗り17つ目の、このYORCKSTRABE駅でSバーン(S1)に乗り換えてUNTER DEN LINDEN駅で降りてブランデンブルク門に行きました。UNTER DEN LINDEN駅は地下でした。SバーンのYORCKSTRABE駅の古さは冒頭の廃墟の駅と同じ感じでした。鉄骨は、すべてリベットで止められているところに歴史を感じました。
Uバーンから乗り換えたSバーン(S1)のYORCKSTRABE駅のホームです。古い駅の雰囲気が伝わって来る気がします。
自転車も、ちゃんといました。大きな箱がキップの自動券売機で、自転車のすぐ横の赤い箱がチケットの刻印機です。ホームに券売機と刻印機があるのです。つまり駅は基本的に無人でも大丈夫ということになります。ただし駅員さんはいたと思います。
一番下での説明の通り、駅に改札はありません。自転車と刻印機の部分を写真から切り取っ他のが右の写真です。写真をクリックすると刻印機がよくわかると思います。
これがSバーン(S1)を走っている電車です。沢山の人が利用されていました。ここから3つ目の駅がUNTER DEN LINDEN駅でした。
電車の中の自転車を掲載いたします。
これがUバーン、Sバーン、バスおよびトラムの共通1日券です。6.1ユーロで1日乗り放題なのでお得です。ベルリンの地下鉄は改札がありません。自分で切符に最初に乗るときに刻印機に切符を入れて刻印します。後は乗り降り自由です。ヨーロッパの鉄道は乗客の良識で成り立っているのです。下の切符にはROHRDAMM駅で15時25分に押した刻印が残っています。最後にROHRDAMM駅に帰ってきたときに裏面に記念のため刻印いました。時間は18時5分でした。その刻印が右上のものです。ROHRDAMM駅で刻印したことも記録されているのでいい記念になりました。
地下鉄の1回の料金は2ユーロなので4回以上乗れば1日券の方が安くなります。今回は5回乗りました。
紹介した地下鉄の駅を紹介します。目的地はブランデンブルク門(Brandenburger Tor)でした。ホテル→ROHRDAMM駅→YORCKSTRABE駅→UNTER DEN LINDEN駅→ブランデンブルク門、と行きました。帰りにはシャルロッテンブルク宮殿に寄って帰りました。
YORCKSTRABE駅
ROHRDAMM駅
UNTER DEN LINDEN駅
廃線の駅
ブランデンブルク門
シャルロッテンブルク宮殿
ドイツの巨大企業が駅名になっていました。 [ベルリン]
上の写真はネットから拝借したベルリンの上空からの写真です。泊まっていたホテルからベルリンの中心街に出るためにROHRDAMM駅から地下鉄Uバーン(U7)に乗ったことは、すでに報告しましたが、ROHRDAMM駅の隣の駅が従業員36万人、総売上10兆円、総純利益8500億円のドイツの巨大企業シーメンス(SIEMENS)社の名前がついたSIEMENSDAMM駅(ジーメンスダム駅)でした。航空写真の中の U が、そのSIEMENSDAMM駅(ジーメンスダム駅)で、カーソルを持って行くと駅名を表示します。シーメンス(独語読みはジーメンス)社の本社はドイツのミュンヘンですが、ベルリンが発祥の地だったのです。ちなみにトヨタ自動車は総従業員34万人、売上27兆円、純利益2兆円です。 U マークのSIEMENSDAMM駅の西側(左側)にある立派な茶色の屋根の建物がSIEMENS社の建物の一つです。こちらの建物に入らせていただきました。歴史ある建物であることが空の上からも判ります。
朝、ホテルの散歩をしているとSIEMENSの看板がありました。木の奥の外壁を修理中のレンガ造りの建物が創設した時代の建物ようです。
補修中の建物の辺りを拡大いたしました。どんなにお金がかかっても、古い建物は外観は、昔のままに残して内部は最新の状態にして使い続けるのがヨーロッパです。歴史ある国立競技場を簡単に壊してしまう、どこかの国とは違います。
右の建物もSIEMENS社です。設立は、ここベルリンで168年前の1847年でした。このあたりは地下鉄2駅分程度の範囲でSIEMENS社の敷地でした。朝の散歩のときは、まさかSIEMENS社の中に入れる機会があるとは想像もしていませんでした。
ここには創業当初の古い建物があり、その中に入ることが出来ました。階段は鉄骨リベット構造の古い頑丈そうなつくりでした。建物の内部も百数十年前にこんな立派な建物を作っていたとは信じられないほどの出来栄えでした。その建物の中の写真を撮らなかったのは後悔しています。この門から車で入りました。SIEMENS社の人が手続きをしてくれたのですが、突然だったので、かなり時間を要しました。
その建物の中の社員食堂で昼食をご馳走になりました。これは何種類メニューの中から選んだ肉料理です。
記念にもらったUSBです。結構使いやすく無くしにくいタイプであることがわかって貰えると思います。
SIEMENS社とはドイツ国内での発電プロジェクトを一緒にやりました。SIEMENS社には、タービンと発電機と電気品と計測機器を発注した関係なのです。
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悲劇の象徴も今は楽しい広場 [ベルリン]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
これがドイツのベルリンで、今は観光場所として有名なブランデンブルク門です。ここに来たときは、夕方近かったので西日のために逆光の写真になってしまいました。きれいな写真を撮りたいときは正面から日が当たる朝をお薦めします。見ていないけれどもライトアップの時間帯もいいかもしれません。
門が建っている、この場所は、第二次世界大戦後は東ベルリンに属し、西ベルリンとの境界線がすぐ近くを通ることとなり、1961年に東ドイツが国民流出を防ぐためベルリンの境界線を封鎖し後に「ベルリンの壁」と呼ばれる壁を建設すると、門の前を壁が通る形となったため、門は東ベルリン西端の行き止まりとなり通行できなくなった場所でした。
右の写真はネットから拝借した1961年8月13日のブランデンブルク門です。
この日まで門の下には東西ベルリンを行き交う車や人が通っていたが、この日開始されたベルリンの壁建設により門の周辺は無人地帯となりまりました。つまり東西ベルリンに分かれた悲劇の象徴でした。
しかし1989年にベルリンの壁が崩壊し、再び門の下を通行できるようになりました。門は2000年12月から巨額の資金をかけて清掃と改修工事が行われたそうです。周囲では1990年代から2000年代にかけてホテルや大使館などの再建が進み、門はベルリンを代表する観光地となって現在の雰囲気になったそうです。
西側(裏側)から撮ったブランデンブルク門です。太陽が正面から当たっているので、きれいに撮れていますが、残念ながら、有名なクアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリアは後ろ姿です。
ブランデンブルク門は昔18箇所あった都城の門のひとつですが、残りの門は城壁の取り壊しとともに姿を消していく中で、唯一残されたのがブランデンブルク門です。ブランデンブルク門はフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命により建築家カール・ゴットハルト・ラングハンスによって古代ギリシャ風で設計され、1788年から3年間の建設工事を経て1791年8月6日に竣工しました。門の上の四頭立ての馬車(クアドリガ)に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像は、彫刻家ゴットフリート・シャードウが制作しました。
一番上の写真からクアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリアの部分を切り取ったのが右の写真です。
下の写真は逆光を避けるために下から見上げるかたちでブランデンブルク門を撮ったものです。クアドリガ(四頭馬車)が見えます。このクアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリアはナポレオン・ボナパルトによりベルリンが征服された時にフランスへ戦利品として持ち去られました。その後のナポレオン戦争によりプロイセン軍がパリを占領すると、ヴィクトリア像は再度ベルリンに持ち帰られ、門の上に戻されたそうです。
ブランデンブルク門は沢山の歴史がありましたが、今は楽しい雰囲気が、漂っています。女の子たちが回転する三輪自転車に乗って歓声を上げていました。
高校生たちがブランデンブルク門を背景にして記念撮影をしている風景も、明るい雰囲気が伝わってきます。なぜか女の子が多いです。
門が注目されていますが左右の建物も注目してください。同じ建物が対象形に配置されていました。
ブランデンブルク門から東側の広場を撮ったものです。沢山の木が見えると思いますが有名な大通りのウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)です。
開放的な二階建てバスも明るさを盛り上げてくれています。
さらに、すでに紹介した自転車軍団も明るい雰囲気です。
自転車での観光が流行っているみたい ベルリン [ベルリン]
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ベルリンの町は自転車道路が整備されていて、どこに行くにも自転車道路で行ける事を紹介しました。有名なブランデンブルク門がある大通りウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)に地下鉄を乗り継いで来てみて驚く光景に出会いました。その大通りであるウンター・デン・リンデンは真ん中に広い遊歩道がありその両側に3車線づつ車道があるのですが、さの1車線が自転車で埋め尽くされていたのです。そこをどれだけの自転車が通っているか実感してもらうために何枚かの写真を紹介いたします。
上の写真と同じ場所です。次から次へと自転車が通りました。自転車のほとんどがカーキ色か青色です。観光客の人たちがレンタルサイクルに乗っているのです。自転車にやさしい町だからこそ成り立つ観光であることを実感させてもらいました。
これも同じ場所の写真です。見ている間、自転車が途切れることがありませんでした。それにしてもすごい数です。マウンテンバイクのような自転車に乗っている人もいます。自分の自転車を列車で持ってきた人もいるようです。拡大するとわかります。
少し先の交差点を渡っているところです。
自転車にやさしい町 ベルリン [ベルリン]
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ドイツのベルリンに来て感心したことがあります。ベルリンは私が訪問した町の中での比較ではありますが、車が沢山通る町の中で最も安全に自転車が走れる街でした。上の写真のように車道と歩道がと自転車専用道が完全に分かれて設置されているのです。
車が沢山通る主要の道路のほとんどで歩道と自転車道路が完備していたのです。その割合の多さに驚かされました。つまり街の中のどの場所に行くにも自転車の専用道路を走って行けるのです。これはそう簡単には出来ることではないと思います。日本では歩道や車道が狭いために作ろうとしても難しいところが多いです。
同じような写真ですが実感してもらうために、いろんな場所の写真掲載いたします。
これほどまで徹底しているのには驚きました。自転車を置く場所も町中のいたるところにありました。
広い歩道があったので作れたのかもしれません。
交差点の色分けも徹底しています。レンガ色の部分が自転車専用です。この写真はクリックすると拡大するので細部もわかると思います。朝早い写真なので自転車は少ないけれど昼間は沢山の自転車が通ります。
住宅街の方の道も自転車道路がありました。歩道は右の大きな木のさらに右に作られていました。歩道も歩くと気持ちがいい場所にありました。
街に天然記念物 [ベルリン]
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ドイツのベルリンです。6月27日の夜にベルリンに着き、翌日の朝の散歩で梟(ふくろう)の絵が描かれた不思議な標識を見つけました。街中の泊まったホテルのすぐ側の木の横に立てられていました。標識の梟の絵の上にはNaturdenkmalと書かれていました。Naturdenkmalはドイツ語だと思うのでネット翻訳で調べてみました。→ポチッ
翻訳した結果、Naturdenkmalは天然記念物でした。このあたりは天然記念物のフクロウが生息しているとの表示だったのです。もしかしたら、この木に梟の巣があるのかもしれません。右の切手はベルリンのものです。ただし、この切手はフクロウに似たいますがオオタカ(Goshawk、Accipiter gentilis)と説明されていたので別のもののようです。
そのためネットでEule Berlin Naturdenkmalを検索すると沢山の標識が出てきました。その中に今回と同じ標識もありました。→ポチッ
標識は道路脇の右側の木の側に立てられていました。
標識があったのは下の写真の一番道路に近い大きな木のところです。検索したネットでの記事の多さからベルリンはフクロウの保護に取り組んでいることが伝わってきました。
すでに亡くなられたと書かれていましたが、左のご夫婦がフクロウ保護などの自然保護運動に、特に尽力したことが沢山のネットに出ていました。
名前は Kurt Kretschmannさん(左) と Erna Kretschmannさん(右) です。
なんと1914年3月2日に生まれて2007年1月20日に亡くなったKurt Kretschmannさん はWikipedia にまで掲載されていました。ベルリン生まれのKretschmannさんはそれほど有名な人だったようです。遠くに写っている高架は今は使われなくなったSバーンの駅です。
上空からも紹介しておきます。写真の中央の木です。左の建物は泊まったホテルです。
ドイツもワールドカップが盛り上がっていました。 [ベルリン]
一昨日(2010年6月27日)にフランクフルト経由でベルリンに入りました。フランクフルト空港に着いてイミグレを通ったとたんに、ものすごい歓声が上がっていました。ちょうどイングラントとの試合でドイツが点を入れたところのようでした。次の搭乗口に向かっている時にテレビをちらりと見ると4対1でドイツが勝っていました。
翌日の朝にベルリンの町を歩くと上の写真のように国旗を付けた車が沢山走っていました。次の相アルゼンチンの国旗と二つつけて走っている車もありました。なぜかブラジルの国旗とドイツの国旗をつけた車も走っていました。
ほんとうに沢山の車がドイツ国旗をつけているのに驚きました。割合的には20台に1台くらいだと思います。
一つ付けている車が一番多いです。これらの写真はすべて昨日の朝に撮ったものですが、時間が経つにつれて増えてきている気がします。次のアルゼンチ線があるころにはかなり増えているでしょうね。
タクシーもつけていました。日本で日の丸をつけて走るのはまだ流行っていないし、勘違いされそうです。勘違いされないためにはパラグアイの国旗もつけて走るといいと思います。でも車につけて走る国旗は簡単には手に入れられない気がします。
現時点までのワールトカップの決勝トーナメントの結果です。今日は日本とパラグアイ戦ですね。勝つとすばらしいです。ドイツから応援しています。でも試合が始まる(日本時間 23時 ドイツ時間16時 サンクトペテルブルグ時間18時 南アフリカ16時)のはロシアのサンクトペテルブルグに着いたころです。
偶然ですがドイツは南アフリカと時差が同じです。
表示開始時刻は日本時間
旗だけではなくサイドミラーに取り付けるグッズも見つけました。
家の窓にも国旗を掲げて応援している家も沢山見かけました。
自転車のハンドルに国旗をつけている人も見かけました。おじさんの帽子も国旗なのがわかりますか。
お店も応援しています。
こちらは便乗ワールドカップ・バーゲンというところでしょうか。日本でもありそうです。