まっくろクロスケ

2025年03月29日

クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回はフランスのロアールの城めぐり記事を順次紹介していきたいと思います。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先の記事で紹介した通りフランス旅行6日目のロワールの城めぐりで洞窟レストランでの昼食の後に行ったのがクロ・リュセ城(Château Clos Lucé)です。本記事でクロ・リュセ城を紹介したいと思います。この建物は15世紀半ばに建てられ、1490年にシャルル8世のものとなり王妃アンヌ・ド・ブルターニュが王族として最初に住みました。このクロ・リュセ城はフランス王フランソワ1世が幼年期を過ごした城でもあります。しかし、最も有名なのはフランソワ1世がイタリアから招いたレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)が1516年から晩年の1519年まで住んだことだと思います。
 ヴァロワ朝フランス国王
  第7代 シャルル8世  1470年生まれ 在位:1483年~1498年
  第8代 ルイ12世    1462年生まれ 在位:1498年~1515年
  第9代 フランソワ1世 1494年生まれ 在位:1515年~1547年 
 クロ・リュセ城の説明(Wikipedia) → フランス語 日本語翻訳

離れて広い庭の方からクロ・リュセ城を撮りました。
こちらのクロ・リュセ城には11年前の2005年12月4日にも訪れたことがあり、その時は「ダ・ヴィンチが暮らした家」というタイトルで記事を掲載いたしました。2005年はクルーの館(Manoir du Cloux)と呼ばれていたと思います。
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広い庭が南南東方向に広がっていました。
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城の敷地を紫色ライン(━━)で囲いました。ただし敷地境界線は航空写真で控えめに判断いたしました。森さらに広がっていることから、もっと広い範囲が城の領地である可能性があります。
  クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)  ━━で囲った範囲 
  駐車場
  ━━ 駐車場~クロ・リュセ城(クルーの館) クロ・リュセ通り 337m


民家のような建物も敷地内にありました。こちらの建物も歴史がありそうです。
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見学は右の塔から入り2階の渡廊下を通って建物の中に入りました。
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2階の渡廊下は、このように城につながっていました。
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建物の反対側からの写真です。
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城に付属した建物を撮りました。
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角度を変えて撮ってみました。
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上で紹介した写真の場所が判るように、航空写真を3Dにしたものを紹介します。
画面の拡大/縮小/移動が出来ます。


城の中に入るために見学ルートの入口である塔を登り、2階の渡廊下を進んでいるところです。
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2階の渡廊下には可愛らしい小学生たちが並んでいました。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの寝室(La chambre de Léonard de Vinci)
いきなりレオナルド・ダ・ヴィンチの寝室(La chambre de Léonard de Vinci)に入りました。立派なベッドが印象的でした。
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暖炉の上の紋章が印象的でした。
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暖炉の上の紋章を拡大いたしました。王冠があることから、この紋章はヴァロワ朝の紋章だと思われます。ヴァロワ朝は中世フランス王国の王朝で1328年から1589年まで続きました。1328年にカペー朝が断絶したため、カペー家の支流でヴァロワを所領とするヴァロワ家からフィリップ6世が即位してヴァロワ朝が始まったそうです。
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マイバス社のツアーのガイドの方がいろいろと説明してくれました。ここにはルネサンス時代のベッドや戸棚がそのまま保存されているそうです。
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こちらの椅子もルネサンス時代だと思います。
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今回のバスツアーで最初に訪れたシュノンソー城と同じように生花が各部屋に飾られていました。
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沢山の見学者が来られていました。
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こちらの戸棚も見事でした。
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マルグリット・ド・ナヴァルの寝室(La chambre de Marguerite de Navarre)
レオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなった後のことですが、フランソワ1世の姉のマルグリット・ド・ナヴァルが住んでいた時代もありました。こちらの部屋は壁のレンガが印象的でした。
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天井の梁やシャンデリアが特にすばらしい部屋でした。
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マルグリット・ド・ナヴァルはクロ・リュセ城でエプタメロンを執筆したそうです。エプタメロン(七日物語)は72篇の短編から成る物語で、彼女の代表作でもあります。マルグリットはエプタメロンを1542年から執筆し始めたそうです。
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見事な皿や壺も展示されていました。クリックすると拡大いたします。
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美しい窓も印象に残りました。
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立っているのはガイドの高橋保さんです。
フランス文化・歴史、言語学に詳しい方でした。
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折りたたみの椅子が珍しくて写真に撮りました。これもルネサンス時代のものだと思われます。
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錫製の皿や蓋つきジョッキも展示されていました。このジョッキでビールを飲んでみたいです。
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1階の最初の部屋
2階から1階に降りました。
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階段を降りたところに置かれていた棚の説明も受けました。
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これが、その棚です。
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壁には見事なガラスの皿が飾られていました。
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その見事な皿を2つ紹介します。
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もう一枚の皿です。
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真白の生花です。
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廊下の天井の梁やレンガの壁や窓も芸術的です。
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天井の梁には飾り模様が描かれていました。
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小さな礼拝堂がありました。これは幼い子どもを亡くし悲嘆にくれていたアンヌ・ド・ブルターニュのために建設されたチャペルだとされています。壁にレオナルドの弟子にあたる人物が4つのフレスコ画を描き、そのフレスコ画のひとつが、城の名称である「クロ・リュセ」の由来ではとの意見もあるそうです。
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1階広間(La grande salle)
居間として使われたのでしょう。
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こちらのテーブルの上の生花も見事でした。
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クリックすると拡大レンブラントの像が置かれていました。
下の写真は上の写真と反対側です。
レオナルド・ダ・ヴィンチを紹介します。
 正式 レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ
    Leonardo di ser Piero da Vinci
 誕生 1452年04月15日 フィレンツェ共和国 ヴィンチ
 死没 1519年05月02日 フランス王国 アンボワーズ
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フランソワ1世の像も置かれていました。
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こちらの飾り棚も見事です。
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こちらの椅子も写真を撮りたくなるほどの物でした。
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沢山の昔の家具が置かれていました。
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キッチン(La cuisine)
こちらはキッチンです。子供たちも沢山見学に来ていました。
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広いキッチンでした。
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歴史を感じさせてくれるものばかりでした。
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こちらの金属の食器も印象に残りました。
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子供たちも印象に残りました。
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さらに下の階に降りる階段がありました。
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歴史を感じさせてくれる窓ガラスでした。
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レオナル・ド・ダビンチに関わる展示
半地下の階にはレオナル・ド・ダビンチに関わる展示が行われていました。
沢山の発明品がありました。こちらは大砲でしょうか。
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斬新な発明品に溢れていました。左は自転車のようです。
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子供たちは特に熱心に見ていました。
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建造物の設計図も展示されていました。
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地下に降りる階段がありました。レンブラントが住んでいたクロ・リュセ城とフランソワ1世国王が住んでいたアンポワール城は地下通路でつながっています。
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今回のクロ・リュセ城()をはじめとするロワールの城めぐりの訪問場所を紹介します。パリからのロワール城めぐりツアーのルートはパリ(マイバス社) ➡ シュノンソー城 ➡ La Cave aux Fouées(ランチ) ➡ クロ・リュセ城 ➡ シャンポール城 ➡ パリ(マイバス社)でした。
 ━━━ パリ→シュノンソー城 239km
    マイバス社パリ事務所
    シュノンソー城
     La Cave aux Fouées (ランチを食べたレストラン)
     クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)   別呼名:クルーの館(Clos Lucé)
     シャンポール城

ラベル:ロワール
posted by SORI at 20:57| Comment(21) | TrackBack(1) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)から見たアンポワール城(Château d'Amboise)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回はフランスのロアールの城めぐり記事を順次紹介していきたいと思います。
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フランス旅行6日目のロワールの城めぐりで洞窟レストランでの昼食の後に行ったのがクロ・リュセ城(Château Clos Lucé)です。クロ・リュセ城は少し前にはクルーの館(manoir du Cloux)と呼ばれていた時期もありました。フランス国王であったフランソワ1世が幼少時代に住んでいた、このクロ・リュセ城から見えるのが上の写真のアンボワーズ城(Château d'Amboise)です。この日は生憎の雨模様でした。

パリの旅行会社であるマイバス社さんの手配のバスで着いた駐車場()から赤色ライン(━━)を歩いてクロ・リュセ城()に来ました。アンボワーズ城()との位置関係を下記の航空写真に追記いたしました。
   クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)    ━━で囲った範囲 
   アンボワーズ城(Château d'Amboise) ━━で囲った範囲
   駐車場
 ━━ 駐車場~クロ・リュセ城(クルーの館) クロ・リュセ通り 337m


駐車場からクロ・リュセ城(クルーの館)までの道を紹介します。ただし駐車場に戻るときに撮ったのですべて振り返った景色です。そして道路の右側がクロ・リュセ城(クルーの館)の敷地です。正面に見えているのが駐車場です。
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道の途中には古い民家もありました。この建物は売り出されていると言われていました。
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右の高い建物はクロ・リュセ城(クルーの館)の一部です。道の名前はクロ・リュセ通り(Rue Clos Lucé)です。
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クロ・リュセ城(クルーの館)への入口から、さらに奥を撮りました。この方向にアンポワール城があります。ここから少し先でレオナール・ペロー通り(Rue Leonard Perrault)とヴェクトル・ユゴー通り(Rue Victor Hugo)に分かれて、いずれもアンポワール城につながっています。
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こちらがクロ・リュセ城(クルーの館)です。フランス国王であったフランソワ1世が幼少時代に住んでいました。さらにイタリアからフランソワ1世が呼び寄せたレオナルド・ダ・ヴィンチが晩年まで過ごした城でもあります。クロ・リュセ城に関しては近いうちに紹介したいと思います。→ポチッ
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クロ・リュセ城(クルーの館)の敷地からは、この写真のようにアンポワール城が見えました。
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ズームでアンポワール城を大きく撮ったのが冒頭の写真でした。
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上の写真の右の方のアンポワール城の石垣あたりを拡大いたしました。
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城らしい塔のある部分を拡大したのがこちらの写真です。奥にロワール川が流れています。
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アンポワール城の敷地を航空写真で見てみました。左上に見えているのがロワール川です。


Googleマップのストリートビューで見たアンポワール城の敷地内の景色です。クロ・リュセ城から見えていた細い塔があるたてものが左端に写っています。


こちらはロワール川の対岸からストリートビューで見たアンポワール城です。
ラベル: ロワール
posted by SORI at 14:39| Comment(12) | TrackBack(3) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

洞窟レストランでランチ

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回はフランスのロアールの城めぐり記事を順次紹介していきたいと思います。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大フランスのロワール地方の城めぐりツアーで最初に行った右下の写真のシュノンソー城の見学が終ると12時20分でした。クリックすると拡大そろそろお腹が空いてくる時間帯です。そこで、次に向かったのがランチを食べるロワール川沿いにあるレストランですが、その時のバスからの景色は、ぶどう畑が続いていました。この辺りはワインの名産地でもあるようです。上の写真を撮ったのは12時27分でした。シュノンソー城からレストランまでの距離は14kmなのですぐに着きました。

LA CAVE AUX FOUÉESと書かれているところがレストランの入口です。建物はありますが、レストランのような大きな建物は無く、地下に向かって岩山の中に入っていくのでした。赤い文字のフランス語のOUVERTはオープン(営業中)の意味のようです。
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レストランの入口の上は、このような岩肌の岩山でした。
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クリックすると拡大中に入って驚きでした。レストランは写真のように洞窟だったのです。それも驚くほどの広さでした。右の写真をクリックしてもらうと広さを実感してもらえると思います。素敵な雰囲気なので右のように記念写真を撮りました。下の写真のように予約されている人たちのためにセッティングが行われていました。今回のツアーはマイバス社のパリからの日帰りツアーでした。
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すでに食事をされている方が来られていました。我々は右側を歩いてテーブルに進みました。
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中央のテーブルが我々の席て、11人で座りました。この時に初めて皆さんと話をすることが出来ました。右のように記念写真も撮ってもらいました。我々のテーブルの左側で2人で食事をされているのがガイトの高橋保さんとバスの運転手の方です。


食事をしながら洞窟内の写真を撮りました。広さが判ってもらえるでしょうか。一番左上がレストランに入った瞬間の景色です。ここはワイン貯蔵庫として使われていた洞窟を改装して作ったレストランだそうです。それだけにワインを飲むのにピッタリのレストランでした。



こちらが洞窟内の厨房です。中央に暖炉があり、右側にパンを焼くための思われる石窯があり、中で火が燃えていました。天井からぶら下がっているものは魚を獲る道具のようでした。
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石窯のあたりを拡大いたしました。
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この石窯でパンを焼いている写真がホームページに掲載されていたので転用させていただきました。まさにこのパンが食事に出てきました。


石窯で焼かれたばかりの焼きたてのパンが出されました。この熱々のパンが、最大のご馳走と言えます。我々が日本で食べる炊き立ての熱々のごはんのようなものかもしれません。料理代金はツアーに含まれていますが、飲み物代金はレストランに払います。
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最初はサラダでした。大きな器から好みで自分の皿に取り分けました。
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次は、このあたりの郷土料理の名物と思われる豚肉のリエットが出されました。これを熱々のパンにつけていただきました。レタスに包んでも美味しかったです。
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野菜料理です。人参、ジャガイモ、豆にフキのような野菜が入っていました。素朴な地元料理だと思います。自分の皿に取り分けていただきました。
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メインの鶏肉料理です。下に大きなソーセージが入っていました。鶏肉とソーセージを一つづつ自分の皿に取りました。
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自分の皿に鶏肉とソーセージを取り分けました。もちろん赤ワインを頼みましたが、レストラン内部の写真を撮っていて、肝心のワインの写真を撮り忘れてしまいました。
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鶏肉を拡大いたしました。焼き加減は絶妙で柔らかくて美味しかったです。クリックすると拡大

デザートはアップルのタルトでした。昔ながらのアップルタルトで、素朴さが美味しかったです。ランチの時間は約1時間でしたが、あっという間に過ぎてしまいました。この後、ダビンチの家と言われているChâteau du Clos Lucé (クルーの館)に向かいました。クルーの館まで3kmの距離です。
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お店を紹介いたします。下のGoogle地図の中央の水色マーク()の場所です。クリックすると拡大クリックすると拡大 緑色マーク()は、前回(19年4ケ月前の2005年12月4日)のロワール・ツアーでランチを食べたレストラン(Restaurant La Bonne Étape)で、右の3枚の写真は、その時に飲んだワインとツアーのみんなが囲んだテーブルと店内の様子です。写真をクリックすると拡大写真を表示します。ちなみにワインは我々(2人)が注文してツアーみんなで飲みました。今回と前回のどちらのレストランも、ランチの後に向かったアンポアーズのクルーの館の近くです。クリックすると拡大今回はツアーの人が多いレストランで、前回は地元の人に人気のレストランでした。
地図内のアイコンマイナスを7回クリックするとパリからの位置が判ります。さらにもう1回クリックすると、フランスの他の町で食事をしたレストランのマークも確認できると思います。
 店名 La Cave aux Fouées
 住所 476 Quai des Violettes, 37400 Amboise
 電話 02-4730-5680
 HP  http://www.lacaveauxfouees.com/
posted by SORI at 11:40| Comment(34) | TrackBack(6) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月28日

シュノンソー城 その2(城内編)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回はフランスのロアールの城めぐり記事を順次紹介していきたいと思います。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大その1として城を外から見た景観を中心に紹介いたしました。シュノンソー城はシェール川の上に建てられた美しい景観の箸です。本記事では城の内部を紹介したいと思います。今回はフランス文化・歴史、言語学を熟知した高橋保さんがガイドを務めるマイバス社のツアーだったことから城の中に関しては、特に詳しい話を聞かせてもらえました。城の内部に入ってから案内してもらった順番(①→⑫)に紹介したいと思います。①~⑤が1階で、⑥~⑫が2階にありました。クリックすると拡大
上の写真はクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
 ① 護衛兵の間
 ② ディアーヌ・ド・ポワティエの寝室
 ③ 一階の回廊(ギャラリー)
 ④ フランソワ1世の居間(寝室)
 ⑤ ルイ14世の居間
 ⑥ 階段 & 回廊
クリックすると拡大 ⑦ ルイーズ・ド・ロレーヌの寝室
 ⑧ 五人の王妃の寝室
 ⑨ カトリーヌ・ド・メディシスの寝室
 ⑩ 二階の回廊(ギャラリー)          チケット→
 ⑪ セザール・ド・ヴァンドームの寝室
 ⑫ ガブリエル・デストレの寝室

① 護衛兵の間
この部屋には武装した宮廷の護衛が控えていたそうです。壁には、16世紀に作製されたタペストリーがかかっていました。そのタペストリーには、城での生活や結婚の申し込みや狩の場面が織られていました。
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この部屋には立派な暖炉がありました。この暖炉は16世紀のものです。暖炉の上の天井近くにトマ・ボイエの紋章が飾られていることが有名です。
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上の写真でも暖炉が今でも使われていることが判りますが、実感してもらいたくて本写真を追加いたしました。
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これが暖炉の上のトマ・ボイエの紋章です。この紋章だけは特別にライトアップされていました。クリックすると特別に大きく拡大いたします。
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城は全て石で出来ていると思われがちですが、軽量化のために2階以上の階の床は木で出来ている場合が多いそうです。当然ですが天井は木造となります。見事な天井です。
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壁の彫刻やタペストリーを拡大いたしました。写真の中の像は守護聖人(聖カトリーヌと聖トマ)で、その下にはトマ・ボイエとカトリーヌ・ブリノネの金言「シュノンソーが完成したならば、私の名は歴史に残る」が刻まれています。その下の扉はオーク材で、ルネッサンス期に作られました。
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これがタペストリーの絵です。
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部屋の床は石がむき出しでしたが、昔は見事な装飾がされていたそうです。
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壁に近い部分には、床の装飾が残されていました。このような装飾が床全体に行われていたと想像してください。クリックすると真上から撮った拡大写真を表示します。
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窓は幾何学的な文様で飾られていました。
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② ディアーヌ・ド・ポワティエの寝室
シュノンソー城は女性が城主で6代続きました。フランソワ1世の息子のアンリ2世の正妻カトリーヌ・ド・メディシスが第1代目城主はでしが、その後、アンリ2世は幼少期より家庭教師として出入りしていて絶世の美女と謳われた20歳年上のディアーヌ・ド・ポワティエに思いを寄せるようになり、その愛妾(愛人)にシュノンソー城を贈ったことで、ディアーヌ・ド・ポワティエが第2代目城主となりました。その第2代目城主のディアーヌ・ド・ポワティエの部屋がこちらでした。その後、アンリ2世が不慮の事故の死をきっかけに正妻カトリーヌ・ド・メディシスによって、愛妾のディアーヌ・ド・ポワティエが追い出されてしまうのです。その恨みの痕跡が残された部屋でもあるのです。
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暖炉の上にはアンリ2世の正妻カトリーヌ・ド・メディシスの肖像画が飾られています。天蓋ベッド、コルドバ革で作られたアンリ2世の肘付き椅子、ベッドの脇の見事な寄木細工のテーブルはルネッサンス様式だそうです。
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正妻カトリーヌ・ド・メディシスの肖像画の下の飾りにCとHが使われていました。Cはカトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis)を表しており、Hはアンリ2世(Henri II de France)を表しています。
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1559年にアンリ2世が宮廷のスコットランド衛兵隊長ガブリエル・モンゴメリと行った騎乗槍試合で不可解な事故で命を落として、王妃カトリーヌ・ド・メディシスは未亡人となりましたが、後ろ盾をなくしたディアーヌ・ド・ポワチエからシュノンソー城を取り戻したそうです。その時にディアーヌ・ド・ポワチエは城が自分の物である証を、いろんな場所のCとHの飾りの中に込めたのです。CとHのように見えますが、実はDとHだったのです。つまりDはディアーヌ・ド・ポワチエ(Diane de Poitiers)を表しているのです。
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こんなところにも堂々と怨念のDとHの紋章がありました。この紋章はフォンテーヌブロー派のフランス人彫刻家、ジョン・グージョン作です。
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貴重な資料も部屋の中に展示されていました。
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こちらの紋章も見事でした。
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③ 一階の回廊(ギャラリー)
川の上にあたる長さ60mの回廊でギャラリーと呼ばれています。幅は6mで、城の中で最も広い部屋の一つでもあります。そのためダンスホールなどに使われたそうです。1577年にはカトリーヌ・ド・メディシス主催で、彼女の息子アンリ3世を記念する祝宴が開かれたそうです。もう一つの広い部屋が2階の(回廊)ギャラリーになるわけです。天井は横梁が剥き出しになっています。つまり、天井は2階の床でもあるのです。床にはスレートと石灰岩タイルが張られています。アーチの窓と四角い窓が交互に並べられていました。
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ギャラリー両端にはそれぞれ、美しいルネサンスの暖炉があります。
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クリックすると拡大採光のための窓は18あります。このアーチの窓が片側4つで両側8つ、四角い窓が片側5つで両側10つありました。右の写真をクリックすると窓の配置が判ると思います。
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その採光窓からの川の景色です。
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シュノンソー城は珍しく個人の所有物で、主によって城内各所に見事な生花が飾られていました。
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正面からギャラリーを見ました。白黒の床と白い壁が美しいです。柱の部分には人物像が彫られています。
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ギャラリーにつながった美しい廊下にも生花が沢山飾られていました。
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④ フランソワ1世の居間(寝室)
フランソワ1世はヴァロワ朝第9代のフランス王で在位は1515年~1547年です。シュノンソー城は所有者であったトマ・ボイエの息子から国庫への債務のためフランソワ1世に献じようされた経緯があります。その時にフランソワ1世の息子であるアンリ2世の正妻のカトリーヌ・ド・メディシスが女城主でした。フランソワ1世が、この城を訪問したのは1~2度のようですが、やはり所有者であり国王であることから、この部屋が作られたのだと思います。壁には沢山の絵画が飾られていました。
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家具には、15世紀フランスの祭器棚が3つと、16世紀イタリアのキャビネットがあるそうです。写真はイタリアのキャビネットと思われます。このキャビネットは真珠貝のはめ込み細工や象牙の羽ペン画が施された見事な調度品でした。
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右の大きな絵がディアーヌ・ド・ポワチエ像です。プリマティッチオによって1556年に描かれました。左の大きな絵もディアーヌを描いたもので「狩の女神ディアナ姿のディアーヌ・ド・ポワティエ」です。
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上の写真では小さかったので、「狩の女神ディアナ姿のディアーヌ・ド・ポワティエ」が大きく写った写真を掲載しました。この絵が完成された時、ディアーヌは57歳だったそうです。彼女は50歳を過ぎても美しさは衰えず、20歳年下の王と同年齢に見えたといわれています。こちらの部屋に飾ってあった生花は白とピンクでした。
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この部屋の暖炉はルネッサンス様式の作品の傑作のひとつに数えられているそうです。マントルピースにはトマ・ボイエの辞が刻まれています。辞は「S'il vient à point, me souviendra (城を建設すれば建てた人間は歴史に残る)」で、ドアの上の彼の紋章にも同じ言葉が刻まれているそうです。右の絵はファン・ローの「三美神」です。
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ファン・ローの「三美神」です。
ルイ15世が相次いで寵姫(愛妾)にしたというネール三姉妹がモデルだそうです。3人は、シャトールー夫人、ヴァンティミリア夫人、マイイー夫人で、皆、既婚者だそうです。その時代は王妃としては安心なので愛妾は既婚者のほうが都合が良かったようです。
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暖炉の見事な飾りをいくつか紹介します。
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これは暖炉のすぐ上の飾りです。
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暖炉の中の飾りも見事でした。
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この素朴な椅子も趣があったので撮りました。
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これはドアの入口の上の飾りです。
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⑤ ルイ14世の居間
こちらのルイ14世の居間も立派です。この城に来たのは僅かだと思いますが、さすが王朝の最盛期を築き、太陽王と呼ばれたフランス国王の部屋だけのことはあります。
左の絵がルイ14世です。サラマンダーと白鼬の紋章で飾られた暖炉も見事です。
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暖炉の薪を焚く部分です。
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暖炉のサラマンダーと白鼬(しろいたち)の紋章はを拡大いたしました。口から火を吐いている左側がサラマンダーと思われます。サラマンダーは四大精霊の一つで燃える炎の中や溶岩の中に住んでいると信じられています。四大精霊は、地・水・風・火の中にそれぞれ住んでいる目に見えない自然の生きものだそうです。左側がサラマンダーなので右側が白鼬(しろいたち)ということになります。
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こちらの生花も見事でした。
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暖炉を真横から見ました。
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ルイ14世が1650年7月14日にシュノンソー訪問訪問を記念し、リゴーによって書かれた肖像画です。肖像画の見事な額縁はルポートル作で、大きな4つの木片のみで組まれているそうです。クリックすると額のすごさが判ってもらえると思います。
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こちらはルイ15世の肖像画です。比べるとルイ14世の額のすごさが判ります。
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こちらの椅子も見事です。
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天井と壁のつなぎ部分の模様です。クリックすると広範囲を表示します。
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⑥ 階段 & 回廊
1階から2階に上がる階段です。
当時、城の階段は防御しやすい螺旋階段にすることが常識だったようですが、ここでは直線的な階段が採用されました。
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2階に上がった最初の回廊です。
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見事な壁と天井の作りです。
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そこに置かれていた家具の装飾も見事でした。
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⑦ ルイーズ・ド・ロレーヌの寝室
ルイーズ・ド・ロレーヌ(Louise de Lorraine-Vaudémont)はフランス王アンリ3世の王妃です。夫アンリ3世(37歳)が1589年8月2日に修道士ジャック・クレマンに暗殺されると、王妃はシュノンソー城に引きこもり、瞑想と祈りにふけったそうです。夫が暗殺された時、王妃は36歳でした。修道院代わりに城に住み込んだ修道女に囲まれ、王室の慣習で王への哀悼を示す白い喪服を常に着用して「白衣の王妃」と呼ばれたそうです。当時の状態のまま残っていた天井にあわせて復元されたのが黒い部屋でした。
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黒に圧倒されました。銀の涙、未亡人の綬章、荊冠、ギリシャ文字など、喪を表すもので天井は飾られていました。
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飾られていたこの絵が亡くなったアンリ3世国王ではないかと思われました。アンリ3世は選挙によってポーランド国王になったこともありました。
 出生     1551年9月19日
 ポーランド王 1573年5月09日~1575年5月12日  2年在位
 フランス王  1574年5月30日~1589年8月02日 15年在位
 死去     1589年8月02日(37歳) 暗殺
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こちらがベッドを正面から撮った写真です。
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黒い部屋の中では人の服が鮮やかに見えます。この部屋の、悲しみに沈み信仰にすがる雰囲気を最もよく表すのが、暖炉を装飾するキリストの荊冠と16世紀に描かれた絵画だそうです。家具は16世紀のものだそうです。
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天井の黒の模様を拡大いたしました。
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床は茶色でした。
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こちらの生花は黒い部屋に合わせて白い花が使われていました。
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生花の後ろの窓もきれいでした。
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悲しみに暮れた王妃のベットです。
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⑧ 五人の王妃の寝室
この寝室は、カトリーヌ・ド・メディシスの2人の娘と3人の義理の娘を記念して、名づけられたそうです。2人の娘とはアンリ4世の妻マルグリット・ド・ヴァロワ、フェリペ2世の妻エリザベート・ド・ヴァロワで、義理の3人の娘とはフランソワ2世の妻メアリー、シャルル9世の妻エリザベート・ドートリッシュ、アンリ3世の妻ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンです。
ルイーズ・ド・ロレーヌの部屋から移動された16世紀の恪天井には、5人の王妃の紋章が描かれている。暖炉はルネッサンス様式です。壁には、トロイの包囲、ヘレナの略奪、コロセウムでの競技、ダビデ王の載冠を描いた一連のフランドルタペストリーがかかっている。
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こちらの部屋の暖炉も実際にひが入っていました。
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壁には16世紀フランダースのタペストリーのセットがかけられていました。題材はトロイヤの包囲とヘレネの誘拐、コロッセオの円形劇場の試合、ダビデ王の戴冠だそうです。家具は大きな四柱式寝台、木製多彩色の女性頭部の飾りがついたゴシックの祭器棚2つ、鋲のついた旅行用チェストが置かれていました。。
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⑨ カトリーヌ・ド・メディシスの寝室
カトリーヌ・ド・メディシスの寝室の中央にはルネッサンス期特有の天蓋付きベッドが置かれていました。ベッドの柱と横羽目板には彫刻が施され、古代のメダルから着想を得た人物の横顔の浮き彫りも見られます。
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カトリーヌ・ド・メディシスの居室は、彩色された金泥が塗られた、木製の恪天井で覆われていて、天井の格子内に様々なイニシャルが見られます。メディチ家の紋章と、中央にカトリーヌの”C”とアンリ2世の”H”が組み合わさったイニシャルが表されている部分もありました。どこの部屋も暗いので、このようにぶれる写真がありましたが、手ぶれ機能のおかげで半分以上は見ることの出来る写真が撮れたので、こん回の記事を掲載することが出来ました。
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暖炉と赤レンガの床はルネッサンス期のものだそうです。
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⑩ 二階の回廊(ギャラリー)
一階の回廊とは雰囲気が違っていました。採光のための窓はの数は一階と同じ18ですが形は全て四角でした。さらに窓にはすべて扉がついていました。
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1階の回廊(ギャラリー)と同じように暖炉が両端に設置されていました。そして、ここにも生花が飾られていました。
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⑪ セザール・ド・ヴァンドームの寝室
ここは王アンリ4世とガブリエル・デストレの息子、ルイ14世の叔父、そして1624年にシュノンソー城の城主となったヴァンドーム公セザールの思い出が残されている部屋だそうです。この部屋の天蓋ベッドと家具はルネッサンス期のものです。ルネッサンス期の暖炉は19世紀に金色に彩色されたそうです。
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この部屋は梁の見える美しい天井が特徴です。
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ブリュッセルのタペストリーの特徴である華麗な縁飾りは、豊穣の角から溢れ出る果物や花をモチーフとしているそうです。
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ここのタペストリーも見事でした。細い花瓶にかざられた生花もきれいでした。
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⑫ ガブリエル・デストレの寝室
ここは王アンリ4世の愛妾でり、後に王の摘出子となったセザール・ド・ヴァンドームの母であるガブリエル・デストレの部屋です。
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梁の見える天井、床、家具はルネッサンス期のものです。こちらにも生花が飾られていました。
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こちらも大きな暖炉がありました。
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天蓋ベッドのそばにかけられた16世紀のフランドル製タペストリーには「愛のアレゴリー」の題名が付けられています。それ以外の三方の壁には「ルカの月暦図」と呼ばれる珍しいタペストリーがかかっていました。
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posted by SORI at 19:22| Comment(29) | TrackBack(2) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シュノンソー城 その1(屋外編)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回はフランスのロアールの城めぐり記事を順次紹介していきたいと思います。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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フランス旅行6日目のロワール地方の城めぐりで最初に訪れたのが、シュノンソー城 (Château de Chenonceau)です。上の写真がシュノンソー城の敷地内に入るためのチケットです。今回のツアーのチケットは全て、「ロワール地方の城めぐり」を依頼したツアー会社であるマイバス社が用意してくれたので、裏面に書かれている10ユーロの金額は団体価格だと思います。ロワール地方の城は2000年に登録名「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」でユネスコの世界遺産に登録されました。
ロワール地方の主な古城を枠内に記載いたします。多くのロワール地方の城の中で、シュノンソー城は最も美しい城と言われています。また、最も入場者の多い城でもあるようです。ちなみにシャンボール城が最も大きな城と言われています。
アンボワーズ城 アンジェ城 アゼ=ル=リドー城 ブロワ城 ラ・ブルデジエール城 シャンボール城 ショーモン城 シュノンソー城 シャトーダン城 シュヴェルニー城 ランジェ城 ロシュ城 メナール城 モンソロー城 プレシ=ブレ城 ル・リヴォー城 ソーミュール城 シュリー=シュル=ロワール城 タルシー城 トルセー城 ユッセ城 ヴァランセー城 ヴィランドリー城 など

門の内側がシュノンソー城のチケットで入れる敷地です。左の建物の内部から敷地に入ります。城の周囲は美しい森に囲まれており、城の敷地自体は有料範囲より広大な範囲が敷地になっています。先ずは、こちらの門から城までを順番に紹介したいと思います。
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こちらのシュノンソー城は城を守るような城壁はありませんが、こちらの美しい堀に囲まれています。ただし敵から城を守るための堀ではなく、城としての景観の演出を目的とした堀に感じました。右側がシュノンソー城の敷地です。
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門から城にはまっすくに広い道が延びていました。写真では確認は難しいのですがも肉眼では、このプラタナスの並木道の先に小さくシュノンソー城が見えていました。
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少し進むと城の全景が遠くから見えてきます。
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さらに近づいた場所から撮りました。道の両側に動物のような石像が配置されていました。
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城側から入口の方向を振り返った景観です。石像はライオンの体と人間の顔を持った、いわゆるスフィンクス(Sphinx)でした。
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スフィンクス像を拡大いたしました。フランスの古城の入口にスフィンクスが置かれているのが不思議でした。ルーブル美術館内に古代エジプトのスフィンクスが所蔵されていることから、こちらのスフィンクスも古代エジプトの物であるように感じました。
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スフィンクス像を過ぎて右手に美しい建物がありました。昔は召使の建物のようで、今はMusée de cire(蝋人形博物館)として使われているそうです。 近くには馬屋や倉庫などもあるそうです。
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真っすぐ城に向かいました。前を歩いているのが我々のツアーのメンバーの方々です。城の手前に建っているのがマルクの塔(Tour des Marques)です。
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城の前の広場には井戸もありました。人が向かっているのが城の入口です。
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井戸の横ではシュノンソー城を背景に、子供たちが記念写真を撮っていました。
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子供たちの記念写真の撮影がほほえましかったので拡大いたしました。撮っているのは先生でしょうね。このまま建物の中を目指しました。
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城の入口から振り返って見たマルクの塔(Tour des Marques)です。左の奥が歩いて来たプラタナスの並木道です。井戸も写っています。
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マルクの塔の屋根の部分です。
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城に渡る橋の上からの景色です。下を流れているのはシェール川で、上流方向(東方向)を撮った写真です。ロアール川の支流であるシェール川は下流でロアール川に合流して、大西洋のビスケー湾に流れ込みます。
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城の入口の上に火を吐くドラコンのような動物が彫られていました。この動物はルイ14世の居間にある紋章からサラマンダーであることが判りました。これをくぐったら城の内部です。城の内部に関しては「シュノンソー城 その2」で紹介したいと思います。
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ここからは城の内部を見学して外に出た後に撮った写真を紹介したいと思います。城からでると前は広い広場になっていました。
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上の写真で中央に写っていた建物がこちらです。これは管財人の家(La Chancellerie)だそうです。
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シュノンソー城の全景を撮るために下流側の方向に歩いてみました。手前がマルクの塔で奥がシュノンソー城です。
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城の全景が撮れる位置まで歩きました。川の上に建つ城であることが実感してもらえると思います。シュノンソー城はシェール川の古い製粉所跡に建てられてたそうです。文献上で初めて登場したのは11世紀のことだそうです。最初の建物は、持ち主のジャン・マルクが扇動罪に問われて1411年に国王軍により火をかけられましたが、1430年代にジャン・マルク本人が、同じ場所にこの城と水車を再建したそうです。1513年にトマ・ボイエに売却され、その後、トマ・ボイエの息子によって国庫への債務のため、シュノンソー城はフランソワ1世に献上されで国王の物になったそうです。その後、シュノンソー城は「6人の奥方の城」と呼ばれる歴史が始まりました。
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陸地から城に渡る橋の部分です。
6人の奥方の城の歴史の始まりである、シュノンソー城の第1代目城主は、フランソワ1世の息子のアンリ2世の正妻カトリーヌ・ド・メディシスでしが、その後、アンリ2世は幼少期より家庭教師として出入りしていて絶世の美女と謳われた20歳年上のディアーヌ・ド・ポワティエに思いを寄せるようになり、その愛妾(愛人)にシュノンソー城を贈ったことで、ディアーヌ・ド・ポワティエが第2代目城主となるなど、どろどろとした歴史が、美しい白い城に隠されているのです。
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クリックすると拡大美しい城だからこそ、女性が大きく絡んできたのかもしれません。
さらに下流側に歩いてシュノンソー城を撮りました。写真を撮る時間は少なかったので、ここからすぐに城まで戻った上流側の方向に行きました。
昔ですが、シュノンソー城は、一度来たことがあります。右の写真がその時の写真です。
その時の記事がこちらです。→ポチッ
今回は雨の中の訪問となりました。
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これが上流方向から最初に撮ったシュノンソー城の写真です。
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さらに上流側を目指して撮ったシュノンソー城の写真です。少し駆け足状態でした。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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川の上に建っていることを実感してもらうために城の南側の脚の部分をアップいたしました。
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こちらは城の北側の脚の部分です。
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城の屋根の部分も魅力的なので拡大いたしました。
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さらに上流側には趣のある跳ね橋がありました。
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跳ね橋を渡って撮りました。跳ね橋の向こうに城が遠くに見えます。
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さらに上流側に進んでシュノンソー城を撮りました。画面には入っていませんが右側に、上の写真の跳ね橋があります。
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城の部分を拡大いたしました。左側(南側)は木に隠れて写っていませんが、今回で最も川の正面からの写真になります。この後、急いで駐車場のバスのところまで戻りました。城の内部説明が丁寧で時間が長かったために、城の外観の写真を撮るのは、走ることにことになり、いい運動になりました。
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航空写真で見たシュノンソー城( )です。シュノンソー城の森の敷地面積をGoogle地図で計測してみると1.47k㎡(147ha)でした。3.04k㎡(304ha)の範囲もシュノンソー城に関係した敷地と思われます。航空写真上のアイコンマイナスを2回クリックすると計測した敷地境界が判ります。
ラベル: ロワール
posted by SORI at 14:14| Comment(28) | TrackBack(3) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロワール地方に向かうバスの中からの景色

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回はフランスのロアールの城めぐり記事を順次紹介していきたいと思います。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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フランス旅行も6日目となりました。6日目は、パリからのマイバス社の日帰りツアーでクリックすると拡大ロワールの城めぐりに行きました。上の写真が我々が乗ったバスです。マイバス社の前から撮りました。本ツアーはマイバス社のホームページに日本からインターネットで申し込みました。モンサンミッシェルツアーも同様にマイバス社に申し込みました。
訪問場所は3ケ所で、最初の訪問場所であるシュノンソー城に到着するまでのバスからの景色を紹介したいと思います。
 1日目 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル セーヌ川クルーズ 他

こちらが車内の様子です。ツアーの人数は11名でしたが、大型バスだったので、ゆったりと座ることが出来ました。マイバス社を7時30分に出発いたしました。パリに戻ってきたのは19時50分だったので12時間20分のツアーとなりました。
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私の席から前方向を撮りました。天井にも窓がある豪華なバスでした。
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ロワールの城めぐりの訪問場所と、マイバス社()から最初の訪問場所のシュノンソー城()までのルート(━━)を紹介します。この地図で示す通りロワール地方はパリの南西方向にあります。
   マイバス社パリ事務所
   シュノンソー城
    クロ・リュセ城(ダビンチの家)
    La Cave aux Fouées (ランチを食べたレストラン)
    シャンポール城
 ━━ パリ(マイバス社)→シュノンソー城 239km


マイバス社の事務所前を出発してパリ市内を抜けるまでの景色も魅力的でした。最初はセーヌ川沿いを走りました。
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こちらもセーヌ川に架かる橋です。
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バルコニーの手摺がお洒落です。
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パリの中心部から離れてくると建物の高さも低くなってきました。
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路面電車が走る道も不思議な魅力がありました。
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パリ郊外の景色です。ここで別の運転手が待っていて交代いたしました。フランスでは、バスの安全管理は非常に厳しいために運転手の1日の運転時間が規定されているために、この会の日帰りツアーでは一人だと時間オーバーになってしまう可能性があるために、ここで交代するのだと説明されました。運転手はそれぞれにICカードを持っており、それをバスの機械に差し込んで初めてバスが動くそうです。運転時間がオーバーするとエンジンが停止する仕組みになっているために、余裕を持つ必要があるとのことでした。バスに検査官が乗り込む抜き打ち検査もあるとのことでした。観光バスの安全管理に関しては、日本の実情とは雲泥の差を感じました。
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日本とは違ったデザインの送電線にもめが行きました。
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こちらの送電線も独特でした。
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料金所を通過するところです。
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パリの町から離れると緑が広がっていました。
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風力発電の風車も沢山ありました。
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一面が黄色の花で埋め尽くされている風景にも出会いました。
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ガラスを割るための脱出ハンマーが備えられていました。
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出発して2時間後の9時30分に休憩場所のサービスエリア(SA)に着きました。
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こんな形で自転車を積んでいました。フランスは自転車の国です。
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我々以外のバスも何台か停まっていました。
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このように家がある方が稀なので、つい写真を撮ってしまいます。
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道路の合流地点です。
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建物があると、やっぱり撮ってしまいます。
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これがフランスの景色なのです。
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大きな建物もありました。牧場でしようか。
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バスの窓からは羊(ひつじ)も沢山見ることが出来ました。
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牛も沢山見ることが出来ました。馬も見かけました。
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この時10時49分でした。出発して3時間19分です。
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ロアール川を渡っているところです。
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ロワール川周辺は緑豊かなところでした。
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緑がまだまだ続きました。
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シュノンソー城の近くの町を通過しているところです。町の名前はCivray de Touraine(シヴレ ド トゥレーヌ)です。ここから目的地まで1.6kmの距離です。
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シュノンソー城のあるChenonceaux(シュノンソー)に到着いたしました。線路を渡ったところに駐車場があります。この時、11時05分でした。出発してから3時間35分でした。
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シュノンソー城の駐車場周辺の航空写真です。
線路を渡っているところが上の写真です。航空写真上の が駐車場です。航空写真ををクリックするとシュノンソー城()の位置が入った写真を表示します。駐車場からは歩いて城に向かいました。
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posted by SORI at 06:29| Comment(18) | TrackBack(0) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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