青菅どんどれえの「竹立て」を見に行きました。 [風習・歴史]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2024年1月14日再掲載
タイトル:青菅どんどれえの「竹立て」を見に行きました。
今は関西に来ていますが、私が住んでいる場所の近くにどんど焼き(左義長)が行われるところがあります。場所は千葉県佐倉市青菅で、ここでは「どんどれえ」と呼ばれています。今日は2024年1月14日で、毎年「どんどれえ」が行われる日であることから、過去記事を再掲載したいと思います。青菅どんどれえは旗本川口氏が知行した江戸時代初期の頃に始まったと伝えられているそうです。2007年6月29日に佐倉市無形民俗文化財に指定されています。
今回の記事以外に「どんどれえ」を書いた記事を紹介します。
着色したタイトルをクリックすると記事を表示します。
2012年01月15日 雪の中のどんど焼きになりそうです。青菅どんどれえ
2013年01月15日 大雪の中の「青菅のどんどれえ」 2013年
2014年01月15日 1月14日は青菅のどんどれえ 2014年
2015年01月15日 2015年 青菅のどんどれえ 初めて餅を焼きました。
2016年01月11日 2016年の「青菅のどんどれえ」は1月14日18時点火
2017年01月21日 2017年の青菅の「どんどれえ」 子供たちが沢山参加・・・
2017年01月10日 本記事 掲載
2024年01月14日 閲覧数 4,205 nice! 132 CMT 36 再掲載直前
2024年01月15日 閲覧数 4,439 nice! 165 CMT 54
2024年01月16日 閲覧数 4,495 nice! 170 CMT 54
2024年01月17日 閲覧数 4,552 nice! 173 CMT 56
2024年01月18日 閲覧数 4,583 nice! 174 CMT 56
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2017年1月10日掲載
タイトル:青菅どんどれえの「竹立て」を見に行きました。
上の写真は2017年1月14日に行われる予定の「青菅どんどれえ」の以前に撮った写真です。これを立てる作業「竹立て」を2017年1月8日に見に行ったので報告させていただきます。その前に1月8日を特定するのに苦労がありました。
千葉県佐倉市青菅地区には江戸の初期から続く小正月の伝統行事があります。正月飾りを燃やす「どんど焼き」ですがここでは「青菅のどんどれえ」と呼ばれています。曜日に関係なく毎年1月14日18時から行われています。この「青菅のどんどれえ」は佐倉市の無形民俗文化財にも指定されています。この行事を知った2013年から3度見に行きましたが、その迫力に圧倒させられました。上の写真は2015年に「青菅どんどれえ」を見に行ったときに撮りました。今までに掲載した記事を紹介します。
2013年1月14日 → ポチッ 大雪の中のどんどれえ
2014年1月14日 → ポチッ どんどれえの様子を詳しく紹介
2015年1月14日 → ポチッ 初めて餅を焼きました。
2016年1月14日 → ポチッ 見に行けませんでした。
この「どんどれえ」を作ることを「竹立て」と言われていますが、この「竹立て」を見たいと思い何度も行きましたがすべて空振りで全て完成した後でした。そこでネット内のブログ内の記述で最近の「竹立て」が行われた日を調べてみました。その日が下記です。着色文字をクリックすると竹立ての写真が掲載された記事を表示します。
2009年 : 1月11日 2010年 : 1月10日
2011年 : 1月09日 2012年 : 1月08日
2013年 : 1月06日 2014年 : 1月05日
2015年 : 1月11日 2016年 : 1月10日
2017年 : 1月08日と予想
確認できている範囲では竹立てはすべて日曜日に行われていることから、2017年の竹立ての日としては1月8日の可能性が高いと予想して、行ってみることにいたしました。竹立ては8時に初めて11時に終わるようです。
2017年の青菅どんどれえ:1月14日18時点火
竹立てが2017年1月8日である100%の確信がなかったので、念のため前日の1月7日(土曜)の10時に見に行きました。竹立てが行われるとしたら午前中と思うので、この時間帯に行われていないとしたら、予想した2017年1月8日(日曜)には間違いないと感じました。
これが「竹立て」を行う前の「どんどれえ塚」です。
これが昨年の「どうしんぼく」です。どんどれえ塚には9本の竹が立てられますが、その中心に立てる御神木がドウシンボクです。
2017年1月8日8時33分に着くとすでに「竹立て」が始まっていました。やはり上で記載している通り8時に集合して始まったようです。下の写真は開始してから30分後ということになります。
来年以降の「竹立て」の予想日を記載します。14日の前日(13日)・前々日(12日)が日曜日の場合は、その前の日曜日に「竹立て」が行われるようです。どんどれえの前日・前々日に「竹立て」を行わないのは天候を考えておられるのかもしれません。
どんどれえ:1月14日18時点火 曜日は無関係
竹立て :1月05日~1月11日の日曜日8時開始
想像していた以上に沢山の人が分担して作業をされていました。どんどれえ塚のすぐ横にクレーン付きトラックが止められていました。
皆さん忙しそうに仕事をされていました。
どんどれえは太い9本の孟宗竹を立てて作ります。すでに6本の太い竹が置かれており7本目が運び込まれたところでした。
これがいろんな場面で活躍するクレーン付きトラックです。クレーンの先端には作業用ゴンドラが取り付けています。このゴンドラは3つの大切な役目がありました。塚の上に積み上げる雑木も置かれていました。トラックには設楽造園(株)の文字が読み取れます。設楽造園(株)さんは、地元となる青菅地区の造園会社で、この「竹立て」に協力されているようです。
トラックはしっかりと固定されていました。このような種類の作業に手馴れていると感じました。
トラックを反対側からも撮りました。
すでに9本の竹の内、8本の竹が並ばれてました。
別の角度から見た主役の竹です。
9本目の竹が竹林の方角から運ばれてきました。
竹の櫓に詰める雑木が運ばれてきました。
次から次へと雑木を積んだ軽トラが来ました。
この時点で遠くから見た景色です。
竹の枝を切る作業です。竹の頂部の枝だけを残して切っています。
立てる竹の長さをそろえています。
一本だけ長いのは中心に立てる「どうしんぼく」です。
こちらは櫓の中に仕込む爆竹です。
爆竹は沢山作っていました。
1本目の竹立てが始まりました。この1本目は沢山のし野心で紹介します。
人間の力だけで立てていました。
少し上がってきました。
もう少しで立ちます。
ほぼ真っすぐになってきました。
これで1本目の竹が立ちました。これは一番北東側に竹で中心の「どうしんぼく」ではありません。
地面を固めています。
2本目の竹が、どんどれえ塚に運ばれてきました。
2本目の竹立てが始まりました。
今回も人力だけで建てることが出来そうです。
2本目が立ちました。
3本目が立ちました
地固めです。黄緑色のタオルを頭に巻いている人が持っているのは複式シャベルです。竹を埋めるための深い竪穴を掘る強力な武器のようです。
4本目を立て始めました。
少し上がったところで失敗です。竹がしなるので、綱の引っ張る力が竹を立てる方向に働かないのです。
竹の方向を変えて私の立っている方向から起こそうとしましたが再度失敗しました。理由は同じでした。
そこでトラックのクレーンでサポートすることにしたようです。ゴンドラの人が竹の中央当たりを引き上げる作戦です。カメラの位置は変えました。
この方法で4本目が立ち上がり始めました。
4本目が立ちました。成功です。
地固めしていますが、すでに5本目の竹が運ばれてきました。
遠くから撮りました。これから立てる5本目の竹も写っています。
5本目の竹を同じ方法で立て始めました。
5本目が立ちました。
5本目の地固めを行っていますが、次の6本目が中心の竹である「どうしんぼく」です。
爆竹作りも進んでいました。
6本目の「竹立て」が始まりました。6本目は9本の中心に立つ「どうしんぼく」と呼ばれる竹です。
ロープを引っ張っている様子を拡大いたしました。
徐々に立ち上がってきました。
6本目であるドウシンボクが立ちました。
さすが「どうしんぼく」です。入念に地固めが行われていました。
この「どうしんぼく」の竹立ては動画を紹介します。左手で撮っている一眼レフのシャッター音が聞こえると思います。
後は3本の竹立てを残すのみです。ここで休憩が入りました。30人以上来られていた青菅の方たちには飲み物が配られていました。全部で34~35名が来られていましたが、写真やビデを撮っているのは青菅地区以外の人のようで私を含めて3名でした。
爆竹もすべて完成したようでした。
こちらの2014年に撮った動画を見ていただくと爆竹が破裂する音を聞いてもらえます。
竹の先端に縄を結んでいるところです。竹を起こすためにも使いますが、主目的は竹が強風で倒れないようにするための縄です。したがって先端近くに結ぶので、起こす時に苦労したり失敗していたのだと思います。
休憩の後に7本目の「竹立て」が始まりました。7本目はアニメーションGIFで紹介します。三脚があればきれいなアニメーションになったと思いますが、左手のコンデジカメラで動画を撮りながら、右手での一眼カメラを手持ちで撮っているので、角度が変わってしまいました。
7本目の竹が立ちました。
引き続き8本目の竹を立て始めました。
8本目が立ちました。あと1本です。
9本目の竹を立てている途中です。
最後の9本目の竹が立ちました。
最後の9本目の竹立ての動画も紹介します。
9本の竹が立った根本です。つまり「どんどれえ塚」の頂部です。⑨の竹の地固めをしています。
竹を立てた順番を①→②→③→④→⑤→⑥→⑦→⑧→⑨で示しました。中心の⑥の竹がドウシンボク(中心に立つ御神木)です。
東面:①②③ 北面:①④⑦ 西面:⑦⑧⑨ 南面:③⑤⑨
竹の配置を図にいたしました。気になっているのが「どうしんぼく」の漢字です。ネットで探していますが見つかりません。どなたかご存知の方がおられたら教えてほしいです。候補例としては胴芯木、同心木、道神木などです。
竹を埋める9つの深い竪穴を掘るのは昔は大変な作業だったと思います。子供たちが鑿(のみ)を使って掘っていた時代もあったそうです。今はトラックの荷台の奥に写ってい複式ショベルが使われているようです。スコップだと大きな穴になって竹の周囲が柔らかくなるので細くて深い穴い竪穴にする必要があるのだと思います。
9本の竹を縄で結んで固めます。
周囲8本の竹の内側に雑木や爆竹を詰めて櫓を作るので、8本の竹が外に広がらないように中心の竹から引張る形で固めるのです。これは雑木などを詰め込みながら上の層でも同じように固めていきます。この綱のおかげで、高い位置でも四角い櫓の形が維持できているのだと思います。そして中央の柱(ドウジンボク)があるからこそ、高い位置でも四角い櫓の形が維持できている合理的な構造であることが判りました。驚くべき先人の知恵を感じました。
縄で9本の竹を縄で縛る動画も紹介します。中層や上層での縄縛りも入れております。5層の内、1層と2層と3層と4層を収録しています。
竹の柱の囲い(櫓)の中に雑木を入れ始めました。この竹囲いの中に雑木や破裂して大きな音を出す竹をの高く積み上げるのが青菅どんどれえ(どんど焼き)の最大の特徴です。
雑木の束をどんどん運んできます。最初の内は地上作業で楽ですが、高くなってくると大変な重労働になってきます。これから順番に紹介していきたいと思います。
雑木が積み上げられました。人が上に乗っと雑木を圧縮した状態です。
ここで2層目の縄がけをします。先ほど紹介した通り周囲の8本の竹が広がらないための目的ですが、それ以外にもう一つ大切の役目があるように感じました。それは雑木や竹を積み上げる時に、その上に乗った人を支える役目です。これが無いと高くなった時に沈んでしまって安定しないなど危険もあると感じました。この縄縛りは頻繁に行われていました。
このように人が乗っても安定しています。
高くなるとクレーンのアームを利用して雑木を持ち上げます。
ここで爆竹のための竹も持ち上げて入れ始めました。
クレーンのアームの先端に滑車をつけて素早く雑木を持ち上げています。そのロープは知事要の人間が直接上げ下げしているのです。これも素早く出来る賢い方法です。
3層目の縄がけです。9本の竹があるので大変な作業ですが、大切な作業でもあります。
縄がけが終ると、すぐに雑木のつみ上げです。
左の白い服の人が雑木や竹を持ち上げるロープを操作している人です。
離れた場所からの作業風景も紹介します。
青菅どんどれえのもう一つの特徴が、この太い生竹を櫓の中に仕込むことです。これが炎で熱せられて迫力のある音を出して破裂するのです。本物の爆竹です。この爆竹を仕込むまでを連続で紹介します。
爆竹を持ち上げているところです。
上の人が爆竹を取り込もうとしています。
櫓内に入れて並べているところです。
その上に雑木を重ねていきます。
だんだんと高所作業になってきました。
4層目の縄がけに入りました。
さらに縄の上に乗って積み上げていきます。
雑木を吊り上げているところの遠くからの写真です。
5層目の縄がけのための縄を下から上に降り投げたところです。上の人が受け取ろうとしています。
上の写真では縄を受け取るところが判りにくいので拡大いたしました。
5層目の縄がけをしているところです。丁寧に時間をかけてサギ用をしていましたが縄が無くなったようで、追加の縄を要求していました。
青い服の人が縄を投げようとしています。
縄を投げました。縄を空中にあります。ことあと上の人は無事に縄を受け取りました。
その縄で5層目の縄がけ作業を続けているところです。
丁寧に作業していて5層目の縄がけ終わると、すべての作業が終了でした。冗談で「もっと高く積まないのか」と言われていましたがしゅうりようでした。写真は上の2名が降りるところです。ここでクレーンのゴンドラが役に立ちまます。
一人目がゴンドラに乗ったところです。
クレーンのアームを短くしながら徐々に降りてきます。
一人が地上に降りました。
もう一人もゴンドラに乗りました。
その最後の一人も地上に降りました。これが作業終了の合図です。皆さんがあとかたずけを始めました。
クレーン付きトラックに荷物を積んでいます。
他の軽トラックも移動して帰る準備に入りました。
こちらは青菅地区の人が歩いて帰っていくところです。
アッという間に無人になりました。これが完成した青菅の「どんどれえ塚」です。
遠くから見た「青菅どんどれえ」です。2017年1月14日18時に着火します。
北方向から見た「青菅どんどれえ」です。
青菅の「どんどれえ」に関わる動画検索 → Yahoo Google
竹立て作業は動画にも撮りました。短い時間で見れるように4場面を同時に見れるようにいたしました。4画面のプレーボタン( ► )をすべてクリックして見てください。動画の中のカシャ・カシャという音は右手に持っているカメラのシャッター音です。つまり左手で動画をとりながら右手で写真を撮りました。単独で個別に見たい場合は着色タイトルをクリック願います。
竹立ての準備 3分32秒 竹立て 7分55秒
.
小枝や竹の詰め込み作業 6分44秒 竹立て終了 1分52秒
.
上の4つの動画を1本にしました。ただし20分の動画になるので、4画面を同時に見ることをお勧めしたのです。
それでも連続で見たい場合はこちらのプレーボタン( ► )をクリック願います。
私も家に帰ることにいたしました。振り返って見た「どんどれえ塚」です。
この時11時20分でした。
佐倉市青菅は人口311人(2014年2月28日)の地区です。古い歴史のある村で、記録に残っている範囲において江戸期から明治22年までは青菅村でした。現在の地名である千葉県佐倉市青菅になったのは1954年です。
青菅どんどれえ塚の位置をGoogle地図で紹介します。
どんどれえ塚 住所:千葉県佐倉市青菅69-2
ユーカリゴルフプラザ駐車場 住所:千葉県佐倉市先崎233
━━ ユーカリが丘線中学校駅からの徒歩ルート 1.4km
━━ ユーカリゴルフプラザからの徒歩ルート 740m
驚いたことに「竹立て」が終って完成した「どんどれえ」がGoogleの航空写真に写っていたので掲載します。中央が「どんどれえ」です。周囲に引張っているロープも写っている上に、北側にはどんどれえ」のシルエットの影がうっています。竹立てで完成して数日で燃えてしまうのにGoogle航空写真に写っているのはすごいことです。更新されると無くなってしまうのでハードコピーを掲載しました。オリジナルの航空写真 → ポチッ
オリジナルのGoogle航空写真も掲載いたします。埋め込み用のGoogle航空写真は別の時期の写真の場合のため上の竹立てが行われたばかりの「どんどれえ」は写っていませんでした。航空写真上のアイコンを1回クリックすると上の写真と同程度の縮尺になります。
青菅の範囲を示した地図 → ポチッ-1 ポチッ-2
竹立てが行われた2017年1月8日の8時~11時は、午後から雨になるほどの暗い曇りの中での撮影だったので快晴となった2017年1月11日に完成した「どんどれえ」を撮りに行きました。上で紹介した竹の配置図の④と⑥と⑤が重なって1本になる位置(南方向)から撮ったのが下記の写真です。背景の家の位置とGoogle地図を照合した結果、④→⑥→⑤は正確に南から北のラインに乗っていました。つまり正確に真南から撮った写真になります。そのことから正方形の「竹囲い櫓」は正確に東西南北に作られていたことが判りました。
本来は正月飾りは1月14日に外すのですが、せっかくなので外してどんどれえに置かしてもらいました。正月飾り以外に藁のヘビの小辻と松の枝も置かしてもらいました。上の写真をクリックすると置いた場所が判ると思います。さらに私以外にも沢山の方が正月飾りなどを置いておられることも分かると思います。
2017年1月14日の天気は1月11日の時点では曇時々晴の降水確率20%でしたが、1月13日予報ではいい天気になりそうです。
とりあえず2015年1月14日に撮った「どんどれえ」の動画を掲載いたします。2017年1月14日に動画が撮れたら差し替えたいと思います。
このような小正月に行われる火祭りの行事は左義長(さぎちょう)と言われていて佐倉市青菅では「どんどれえ」呼びますが一番多い呼び方は「どんど焼き」だと思いが下記のように沢山の呼び方があります。(Wikipediaから引用)
佐倉市青菅で「どんどれえ」と呼ばれている云われは、燃える中で竹が破裂する「どん」という音と「払い」が訛って「どんどれえ」と呼ばれるようになったそうです。
写真は2014年1月14日に撮った千葉県佐倉市青菅の「どんどれえ」です。
どんど焼き 山梨県の一部地方、愛知県の一部地方、群馬県、
愛媛県南予地方、全国的一般的な呼び方
とんど焼き 近畿とその周辺、東京都
とうどうさん 愛媛県東予地方
とんど 奈良県、広島県、岡山県
とんど正月 兵庫県播磨地方
とんどさん 鳥取県
どんどん焼き 山梨県の一部地方
どんと
どんと祭 宮城県およびその近辺
どんどや 九州
ほっけんぎょう 九州
やははいろ 東北
左義長 滋賀県近江八幡市、岐阜県海津市今尾、全国各地
歳の神 福島県会津地方、新潟
三九郎 長野県松本地方
あわんとり 千葉県南部・茨城県南部
さぎっちょ 富山県、石川県、福井県、岐阜県、高知県、福岡県
しんめいさん 広島県東広島市安芸津町
墨塗り 新潟県十日町市松之山町
おんづろこんづろ 富山県黒部市宇奈月町下立
かんがり 長野県南佐久郡川上村
墨付けとんど 島根県松江市美保関町片江地区
かあがり 長野県南佐久郡小海町、南佐久郡南相木村、北相木村
かんじょ 新潟県村上市岩船
さいと焼き 神奈川県横須賀市鴨居八幡
五十猛のグロ 島根県大田市五十猛町大浦地区
塞の神 富山県下新川郡入善町上野邑町地区
さえのかみさん 神奈川県中郡大磯町
どんどれえ 千葉県佐倉市青菅
お焚き上げ
おんべ焼き
御柴灯
道祖神祭り
どんどれえが行われる1月14日の意味を検索するとずばりどんど焼きを行う日と出てきました。写真は2013年1月14日の大雪・強風の日に撮った千葉県佐倉市青菅の「どんどれえ」です。
1月14日の年中行事
左義長・どんと祭 どんど焼きを行う日
十四日年越し 小正月(1月15日)の前日にあたる
飾納・松納 正月飾りや門松を取り外す日
2017年1月14日追記
タイトル:青菅の「どんどれえ」の点火は今日の18時
今日2017年1月14日の18時に点火されます。ニュースで報道されているように最強寒波に見舞われ今日の夕刻から日本各地で大雪が予想されています。幸いにも千葉県佐倉市青菅のどんど焼きである「とんどれえ」が行われる佐倉市の18時~20時の天気の予報は最強寒波の影響は少なく「晴れ」との予報です。今日は「どんどれえ」を見に行くつもりなので、天気予報通りであってほしいです。ただし気温はこの時間帯にしては寒く1℃から-1℃なので、どんどれえ始まるまでの防寒対策は考えた方がよさそうです。始まってしまえば暖かいです。
気象庁の1月14日4時48分の「大雪と暴風雪及び高波に関する全般気象情報 第10号」の発表内容の一部を枠内に掲載いたします。
東日本の上空約5000mには氷点下36度以下の数年に一度の強い寒気が流れ込んでおり、日本付近は強い冬型の気圧配置となっています。あす15日にかけて、北日本や北陸地方の上空にはさらに強い寒気が流れ込み、西日本の上空にも強い寒気が流れ込むため、冬型の気圧配置はさらに強まる見込みです。
どんどれえ本番を追加しました。次に掲載した本番の記事から抜粋→ポチッ
「どんどれえ」の点火は1月14日の18時に行われるため17時43分に「どんどれえ広場」に到着いたしました。すでに周囲はカメラのセンサーが反応しないほど真暗闇でした。右の写真は露出調整したものです。1月14日は小正月(こしょうがつ)の前日で、日本各地では下記の年中行事が行われます。
1月14日の年中行事
左義長・どんと祭 どんど焼きを行う日
十四日年越し 小正月(1月15日)の前日にあたる
飾納・松納 正月飾りや門松を取り外す日
今回は土曜日だったこともあり車が近くの道路には沢山駐車していました。近くの小学校の近くの駐車場にも車が停められていました。私が見学に来はじめてから一番多い気がしました。今まで土曜日と日曜日は無かったのです。ただし2018年は日曜日で、2019年は成人の日(祝日)です。
2013年1月14日 月曜日 大雪の中のどんどれえ
2014年1月14日 火曜日 どんどれえの様子を詳しく紹介
2015年1月14日 水曜日 初めて餅を焼きました。
2016年1月14日 木曜日 見に行けませんでした。
2017年1月14日 土曜日 子供たちが沢山参加していました。
2018年1月14日 日曜日 来年の「どんどれえ」
2019年:月曜日 2020年:火曜日 2021年:木曜日 2022年:金曜日
2023年:土曜日 2024年:日曜日 2025年:火曜日 2026年:水曜日
2027年:木曜日 2028年:金曜日 2029年:日曜日 2030年:月曜日
耐火服を着た人や消防団の消防車も横に控えていました。
すでに正月飾りなどが置かれていました。
こちらで1人に1個、お餅が配られました。餅焼き用の竹も用意されていました。
18時になると点火です。
小学生と大人の2名が、たいまつ(松明)で点火しました。
すぐに火が大きくなりました。
この時は皆さんは比較的近くで見ていますが火が大きくなってくると熱いので遠くにはなります。餅を先端に付けた竹を皆さんもっています。
反対側にも点火いたしました。
火が大きくなるにつれて見学の輪が広がっていきます。
火が積み上げられた雑木の上の部分まで上がりました。
見学のわが広がっ来たのが判ってもらえると思います。
少し離れて撮りました。火の粉が高く上がっているのが判ってもらえると思います。
動画でも紹介します。点火すると一気に火が大きくなりました。 最後のころは仕込んだ竹が爆発する音も聞くことが出来ます。
見学の人の数も私の経験の中で一番多かったです。
遠くからの動画を紹介します。竹の割れるが続きます。
ここで竹が倒れました。
中央の竹の「ドウシンボク」の倒れた方角で一年の豊凶を占います。青菅側(南側)に倒れると青菅が豊作、先崎側(北側) に倒れると先崎が豊作と言われています。今回は南側に倒れたので今年は青菅が豊作です。暗くて分かりにくいけれども左下に葉のついた竹が倒れています。倒れる前に、竹の先端の葉の部分に火が移ると右の写真(2015年1月14日撮影)のように炎が高く上がります。今回は火が先端に移る前に倒れてしまったために右のような写真は撮れませんでしたが、それでもすごい迫力でした。
炎はさらに大きくなりました。
下の部分も燃え上がっています。
完全に炎に包まれるときもありました。
9本の竹が倒れた直後からの動画です。
竹が倒れてしばらくすると餅を焼く人が、餅を先端に刺した長い竹や木で餅を焼き始めますが、かなり輻射熱が強烈なので、まだ大人の男性の一部だけです。すごく長い竹が用意されていた理由が判りました。
私も焼いてみました。手前から炎に向かって竹が延びているのが判ると思います。これが私の竹です。焼けたと思ったらすぐに離れました。
焼けた私のお餅です。餅は先端の方が燃えました。どうやら前からの輻射熱が強烈なようで来年からは餅の刺す方向を変えてみます。竹は他の人に渡して撮影に専念いたしました。
フラッシュを使うと餅がよく見えます。こちらの刺し方の方が片面ですが、餅全体が焼けそうです。
フラッシュなしです。
かなり熱いので焼けたらすぐに後ろに下がります。
動画でも餅焼を紹介します。中盤から餅焼きが始まります。
まだまだ火は強いです。
ワンちゃんも見に来ていました。
少し離れててみました。
さらに離れた景観です沢山の人が見学に来られているのが判ってもらえると思います。
さらに遠くからの景色です。
土曜日だったこともあり沢山の子供たちが来ていました。子供たちが近づけるほどの日の勢いになって来たようです。ここから子供たちを中心にほほえましい「どんどれえ」を紹介したいと思います。
こちにも家族で餅焼きです。
火が弱くなってきたと言えどもまだまだ火の勢いはありました。
どんどれえの火で焼いたお餅を食べると一年間風邪をひかないそうです。こちらの女性も2人の娘さんのお母さんで、この後、右の写真のように3人で一緒に餅を焼いていました。右の写真は小さいけれどもクリックすると大きく拡大します。
実はこのお餅の焼き方は正式なやり方なのです。
二股に分かれた栗の枝の先にお餅を刺して焼くのが正式のやり方だそうです。
この時の炎の具合です。
兄弟での餅焼きの記念写真もいい思い出になると思います。
驚くほど沢山の子供たちが見に来ていました。
子供4人でお餅を焼いています。思い出になると思います。
動画でも紹介します。今までに見に来た中で子供たちが一番多かったです。動画はインタビューの光景から始まります。
インタビューの光景です。取材をしているのは地元のテレビ局のケーブルネット296で、近いうちにこの「どんどれえ」が放送されると思います。
こちらの子が、たいまつ(松明)で「どんどれえ」に点火しました。
火が少し収まってきました。門松の「燃えちゃれ(=燃えさし)」を持ち帰り、門口にさすと、「盗難除け」「魔除け」になると言われます。
弱まったと言えどもまだ火の勢いはありました。
ほとんどの見学の人は帰られて、残っている人は僅かです。
私が離れる時の火の状態です。見学の人はいなくなって、火が燃え尽きるまで見守の人だけが残っていました。
家に帰ってさっそくお餅をいただきました。元々が柔らかいので、そのまま美味しくいただきました。偶然ですが、配られるお餅は私の知り合いの方が当日についたものです。その方にどんどれえ塚の前で会ってもう一ついただきました。そちらは家で焼餅にして醤油と海苔をつけて食べました。やっぱりつきたて美味しかったです。
青菅どんどれえ塚の位置をGoogle地図で紹介します。近くの道に車を停めることは可能ですが、土曜日曜など混むときは下記の地図の駐車可能場所( )と記載した場所(広い空地)に車を停めることをお薦めします。
駐車可能場所( )からどんどれえ塚( )までは420mです。
どんどれえ塚 千葉県佐倉市青菅69-2
ユーカリゴルフプラザ駐車場 千葉県佐倉市先崎233
駐車可能場所 千葉県佐倉市宮ノ台1丁目18-2
━━ ユーカリが丘線中学校駅からの徒歩ルート 1400m
━━ ユーカリゴルフプラザからの徒歩ルート 740m
最後に高い火柱の迫力の大きな写真(2015年1月14日)を紹介させていただきます。今回は風が強かったことから右の写真のように竹の先端に火が移る前に下が燃えて倒れたので下の写真ほどの火柱にはなりませんでしたが、それでも十分に迫力がありました。写真をクリックするとさらに大きな迫力の写真を表示します。
題名は「奇跡のシンフォニー」でした。 [機内]
2024年1月10日再掲載 タイトル:題名は「奇跡のシンフォニー」でした。
2024年1月08日にアクセス解析を見ていると14年6ケ月前の2009年06月20日に掲載した過去記事に下のように5人の方から計5件のアクセス(閲覧)があったのです。記事の題名は「題名は「奇跡のシンフォニー」でした。」です。テレビの映画を確認するとNHKのBSで2024年1月8日の13時から放送されていることが分かりました。なにかきっかけがあるとアクセスが増えることが、今までもありました。おそらく検索する人がいるのだと思います。確かに"題名は「奇跡のシンフォニー」でした。"で検索すると出てきました。ただし、単に"奇跡のシンフォニー"で検索しても記事が出てこないので`"オーガスト・ラッシュ"で検索すると17番目に出てきたので、おそらくオーガスト・ラッシュで探して見つけていただいたのだと感じました。右の写真が主人公の両親です。
閲覧数 訪問者
2024年1月1日~6日 1件 1人
2024年1月7日 3件 3人
2024年1月8日 5件 5人
2024年1月9日 2件 2人
そのことから再掲載させていただくことにいたしました。当時は、日本で公開される前に機内で先行上映されていたのです。冒頭の写真は主人公の少年が、お互いに知らずに父親(子供が居ること自体知らない)に会っていたシーンです。
下で2008年3月13日掲載と書いたいるのは実は、当時ブログをやっていたのはゆびとまSNS」で、そこに2008年3月13日に投稿していたからです。ところがそのブログサイトが閉鎖されたことから今のSSブログ(以前はSo-net)へ2009年06月20日に復旧掲載したわけです。
主役のエヴァン・テイラーを演じたのはFreddie Highmore(フレディ・ハイモア)です。右の写真は現在のフレディ・ハイモア(1992年2月14日生まれ)です。現在は31歳ですが、撮影当時は14~15歳と思われます。Wikipediaによれば奇跡のシンフォニーで演じるために6ヶ月間ギターを特訓したそうです。クラリネットも演奏できるそうです。2009年にはハリウッドでCGアニメAstro Boyのアトムの声(吹き替え:上戸彩)もしました。機内で先行上映を見た飛行機からの景色も紹介します。北京→成田JAL780便でした。北京を飛び立ってすぐに撮った写真です。
さらにもう一枚紹介します。建物がよく見えているので上昇中です。こちらもまだ海に出ていません。
2007年11月21日 映画August rushがアメリカで公開
2008年03月13日 日本公開前の先行上映を見る(北京→成田JAL780便)
2008年03月13日 ゆびとまSNSに掲載→2009年04月にサイト閉鎖
2008年06月21日 映画奇跡のシンフォニー名で日本で公開
2009年05月05日 so-net blog開始(現在のSSブログ)
2009年06月20日 本記事掲載(ゆびとまSNS記事を復元)
2024年01月10日 閲覧数 6,521 nice! 80 CMT 22 再掲載前
2024年01月11日 閲覧数 6,731 nice! 102 CMT 34
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2024年01月14日 閲覧数 7,018 nice! 128 CMT 40
2008年3月13日掲載 タイトル:すべての音が音楽に感じられる少年
JALのHP
映画の話です。今日の北京からの帰国便で見た映画は先行上映のオーガスト・ラッシュ(AUGUST RUSH)と言う映画でした。成田の出発便で2本目にこの映画を見ました。この子が、初めて楽器(ギター)に触れて演奏し始めるのです。
それも弦を叩いて演奏 し始めたのです。
残念なが、その場面で画面が切れてしまいましたが、この映画を気に入ってしまいました。帰国便で、この映画を見ることを楽しみにしていたのです。
すべての音が音楽に感じられる11歳の少年の物語です。両親を探すために施設を飛び出したけれど、母親 は親(子供の祖父)から死産と思い込まされているため子供の両親 もその子の存在を知らないのです。この子も産まれたときから施設に預けられて両親が誰かは知らないし、生きているかどうかもわからない。もちろん顔もわからないのです。
この少年の前で、偶然に出会った男性が向かい合ってギターを一緒に演奏しています。実はこの子の父親 なのですが、お互いに、そのことを知るすべもなく別れてしまいます。見た人は、少年の奏でる音楽に間違いなく引き込まれていく映画だと思います。
この写真はネット から拝借しました。
題名のAUGUST RUSH(オーガスト・ラッシュ)の意味が気になりますね。これは、この子の才能を認めた大道芸人の元締め(ロビン・ウイリアムス)が、この子に付けたステージ名なのです。
ちょっとした報告
北京の上空の写真です。普通の景色に思われるかもしれませんが、よく北京に来ている人は驚くかも!
青空も見えるし遠くまで澄んで見えます。オリンピックのために、がんばっているのかも? 今日(2008年3月13日)の写真です。
マインドリーダーへの道のオーガスト・ラッシュにトラックバックしています。
妖精時間さんのグリーンカレーにトラックバックしています。
2009年6月20日追記 タイトル:題名は「奇跡のシンフォニー」でした。
昨年の春に飛行機の機内で見たDVDを借りてきました。機内でのタイトルは原題の「AUGUST RUSH(8月の興奮)」でしたが、日本でのタイトルは「奇跡のシンフォニー」になっていました。題名を変えることはよくあることです。
「幸せのレシピ」も原題は「No Reservations」でした。じっくり考えてみると原題の方が意味があることが多いですね。今回もAUGUST RUSHはキーの言葉でした。映画が見れなかった方のためにフル動画(1時間31分)を紹介いたします。オリジナルは1時間54分なので一部がカットされています。
米国公開 2007年11月21日 AUGUST RUSH
日本公開 2008年06月21日 奇跡のシンフォニー
2017年6月28日追記 タイトル:題名は「奇跡のシンフォニー」でした。
今日(2017年6月28日)にアクセス解析を見ていて、最も古いグループの過去記事に突然アクセスがあることに気が付きました。それは2009年6月20日に掲載した『題名は「奇跡のシンフォニー」でした。』でした。
今までアクセスがほとんどなかった8年前の記事にアクセスされたのには理由があったようです。実は6月26日にNHK・BSプレミアムで21時からプレミアムシネマで「奇跡のシンフォニー」が放送されたことが大きく関係したようです。特に6月26日に大きいことから間違いないと思われます。訪問者数とページビューが同じ数値あるいは近い数字であることからも検索によって見つけてもらえたと考えるのが自然だと思われます。上の画像をクリックすると6月27日を表示します。検索ワード「奇跡のシンフォニー ブログ」で検索してみると確かに24番目に出てきました。シンプルに「奇跡のシンフォニー」だけで検索すると110番目でした。→ポチッ
訪問者数 ページビュー(アクセス数)
2017年6月22日 0 0
2017年6月23日 0 0
2017年6月24日 2 2
2017年6月25日 0 0
2017年6月26日 17 17 ←放送された日
2017年6月27日 7 7
一番上の1. /_pages/user/m/comments/detailはスマホの画面と思われます。記事のタイトルとniceしてくれた人とコメントされた記事タイトルが表示されます。
この動画はこの子が、初めて楽器(ギター)に触れて演奏し始めた瞬間です。心地よい音楽が流れる一番好きな場面です。是非ともプレーボタン( ► )をクリックしてみてください。
こちらの動画は母親(Miss Lyla Novacek)が、やっとの思いで、その子を見つけた感動のラストシーンです。彼女の父親から死産だったと聞かされて11年以上施設に預けられた子供の存在を知りませんでしたが、父親の死の寸前に事実を知り、必死で探していたのです。右の写真は息子を見つめる母親です。
こちらは奇跡のシンフォニー(原題:オーガスト・ラッシュ / AUGUST RUSH)のPR動画です。音楽の才能に恵まれた孤児の少年が、自分が奏でる音楽を頼りに生みの親を探し求めていく姿を描いた感動のファンタジーです。
淡路屋(駄菓子) 第85回ハイク参加 [神戸]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
第85回ハイクの最初の訪問場所の兵庫大佛(兵庫大仏) 能福寺の記事で紹介したように、新入社員で配属になったのが神戸事業所でそこの仕事仲間の人達の多くとは組織ごと東京に転勤になりました。その後、私は関東に住み続けていますが、単身赴任だった人や転勤や退職で神戸に帰った人たちがハイキングなどを定期的に行っておられて偶然に、そのことを知って第72回と第76回と第77回と第80回と第83回と第84回と今回の第85回に参加させていただきました。その第85回になるハイキング(第85回ハイク)に参加させていただいて兵庫大佛/清盛塚/兵庫津ミュージアムなどを散策して初代県庁館(兵庫縣廰❺)の次に目指したのは、第85回ハイクでの最後の目的地(❻)となるタイトルの淡路屋でした。上の写真がその淡路屋です。神戸周辺で淡路屋と言えば駅弁で有名な淡路屋(1904年創業)ですが、今回の目的の場所は駄菓子屋の淡路屋(1958年に片田商店として創業)です。
青色ライン(━━)が今回の第85回ハイクの散策ルート(❶→❷→❸→❹→❺→❻→❼)です。
❶ 中央市場前駅(10:50集合)
❷ 兵庫大仏
❸ 清盛塚(昼食)
❹ 兵庫津ミュージアム
❺ 初代兵庫県庁館
❻ 淡路屋(駄菓子)
❼ 和田岬駅(15:16)
初代県庁館(❺)を見学した後は次の目的地の淡路屋(❻)に向かい始めたところです。我々の後ろの写真は兵庫津ミュージアムの本館です。本記事では❺→❻→❼と紹介します。
雰囲気を感じていただくために、みんなで歩いている途中の写真を紹介します。下段は兵庫運河(新川運河)を渡っている時に新川橋から撮った写真です。運河の写真はクリックすると拡大します。
兵庫運河(新川運河)を渡った後の写真です。最後の写真が淡路屋のある路地に入ったところの写真です。
淡路屋に着いて最初に撮った写真です。冒頭の写真です。→検索1 検索10 動画
正面から撮った淡路屋です。商品がお店の前に沢山出されています。開店時にお店の中の通路を確保しようとすると毎朝外に出して、閉店時に室内に入れるのだと思います。右の画面はストリートビュー(SV)です。
店名 淡路屋
駄菓子屋
住所 神戸市兵庫区笠松通7-3-6
電話 078-671-1939
営業 11:30~18:30
定休 月曜日
HP https://awajiya.ko-co.jp/
TV NHK・ドキュメント72時間 選「駄菓子屋・子どもたちの小さな宇宙」 2015年5月15日
こちらが店内です。見たことのない駄菓子が沢山売られていました。
せっかく来たので買うことにしましたが悩みました。
買ったのがこちらの3種類です。「くろ棒」と「ヤングドーナツ」と金色の箱に入った「チョコレート」です。金色の箱には「FUKUSUKE GOLD CHCOLATE」と書かれています。払ったお金は1つが、数十円から百円代でした。
何しろ価格表がすごいです。
沢山の人が来て、お店に入れない人は価格表を見て声をかけてもらうのだと感じました。貼り紙をみると、ところてんもやっていました。
メンバーの1人が、ところてんを注文しました。
これで200円です。
懐かしいものも並んでいました。
他のお客さんも何組か来られていました。
写真の左奥が来た方向です。帰りは神戸市地下鉄・海岸線の和田岬駅から地下鉄に乗るので同じ方向に帰ります。
和田岬駅は、帰りに乗った神戸市地下鉄海岸線の和田岬駅とJR和田岬線の和田岬駅があります。下の写真は134年前の1890年7月8日に開業したJRの和田岬駅です。開業当時の名前は和田崎町駅でしたが1895年に和田岬駅に改称しました。
右の写真は和田岬線を走っている4両編成の207系電車です。電車の写真はWikipediaから転用させていただきましたが川崎車両(株)あたりから望遠で撮ったものと思われます。電車の後ろに見える大きな倉庫のような建物は株式会社ヒョウベイです。SV
画質は悪くなりますが、ホームの部分を拡大いたしました。クリックすると同じ縮尺で広い範囲を表示します。
和田岬線は山陽本線の兵庫駅から分岐する全長2.7 kmの支線で、鉄道建設用の資材輸送のために1888年に作られたそうです。1911年11月1日~1984年2月1日廃線までは兵庫港とつながった兵庫臨港線も分岐していたそうです。現在は朝夕に通勤用の列車が走行するのみださうです。東側には東灘駅から分岐した神戸臨港線(1907年8月20日~2003年12月1日廃線)もありました。昔はいろんな企業が国鉄を利用して輸送していたと想像されます。和田岬線の途中にあった鐘紡前駅は神戸大空襲(1945年)などで壊滅的被害を受けた鐘紡兵庫工場が閉鎖したことから1947年頃より休止状態になり1962年3月1日に廃止されました。
上の図で和田岬線から川崎重工に分岐した線は今も使われています。現在は分社して川崎車両になっています。下記は分岐部分のストリートビュー(SV)です。左手前側が川崎車両への引き込み線で、右から奥に向かっているのが和田岬線です。画面を水平にスクロールすると川崎車両側を見ることが出来ます。
Googleマップの航空写真でも確認できます。→ポチッ1 ポチッ2 ポチッ3
こちらがJR和田岬駅です。JR和田岬駅は1890年7月8日に開業しました。道路と一体になったような完全無人駅です。
こちらが和田岬線の和田岬駅の時刻表です。行き先は兵庫駅です。平日と日曜・祝日が極端に違う駅です。平日でも10時台~15時台は電車がありません。
私が乗った地下鉄の和田岬駅の入口です。和田岬駅から三宮・花時計前駅まで行き、阪急に乗り換えて逆瀬川駅まで帰りました。→路線情報
改札口まではエレベーターを使いました。右上の部分に防犯カメラに写っている画面をエレベーター内にも写していました。
単に防犯カメラが設置されているだけでなく、撮影画面が見えると更なる犯罪抑止になるのだと思います。後ろの壁いっぱいに下がって写真を撮っているので、死角はほとんどないことになります。
家に帰って買った駄菓子を食べてみました。先ずは下町のブラウンケーキ「くろ棒」です。ネットでは大正9年生まれの焼き菓子と書かれていました。作っている会社を調べてみるとクロボー製菓でした。
製造 クロボー製菓株式会社/久留米黒棒本舗
創業 大正9年
住所 福岡県久留米市荒木町白口字栗の内1290
電話 0942-27-2110
HP http://www.kurobo.co.jp/
こちらが中身です。黒砂糖、卵、小麦粉、重曹を練って寝かせた生地を棒状に成型してオーブンで焼くそうです。
こちらがヤングドーナツです。作られているのは宮田製菓です。
製造 宮田製菓株式会社
創業 1953年
住所 岐阜県各務原市鵜沼各務原町7-71-6
電話 058-370-6020
HP https://www.miyataseika.co.jp/
これが中身です。
こちらがFUKUSUKE GOLD CHCOLATE(福助ゴールドチュコレート)です。作っているのは福助製菓のようです。
製造 福助製菓株式会社
創業 1950年
住所 大阪府大阪市阿倍野区共立通1-10-2
電話 06-6651-3231
こちらがチョコレート本体です。3つに割って写真を撮りました。
今までに参加したハイキングの場所が紫色マーク( )で、参加予定のハイキングが臙脂色マーク( )です。
☆ 2018年12月26日(水) 冬の忘年会 権太
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第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
☆ 2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN)
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☆第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
☆第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
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第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
☆第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
※第81回 2020年03月21日(土) 神戸市立森林植物園の散策
※第82回 2022年06月21日(火) 神戸市立森林植物園のアジサイ鑑賞、散策
☆第83回 2023年05月13日(火) 宝塚花のみち~文化芸術芸術センターなど散策
☆第84回 2023年06月20日(火) 鶴見緑地散策
☆ 2023年07月21日(金) 夏の親睦会 燦(SUN) 16名参加
☆第85回 2023年10月13日(火) 兵庫大仏/清盛塚など散策
第86回 2023年11月14日(火) 有馬温泉(瑞宝寺公園 路地裏散策 金の湯)散策
2023年12月22日(金) 冬の忘年会 燦(SUN)
予第87回 2024年02月20日(火) 須磨離宮公園での観梅
予第88回 2024年03月29日(金) 明石公園での花見
予第89回 2024年05月10日(金) 五月山公園の新緑散策&ラーメンミュージアム
☆:参加 ※:新型コロナを配慮して場所を選択 予:予定
新年あけましておめでとうございます。2024年 元旦 [新年]
新年あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願い申し上げます。
幸多き一年となりますよう心からお祈りいたします。
2009年5月5日に最初の記事を掲載して、今回が15回目の正月となります。 昨年中も沢山のアクセスをしていただき、沢山のnice!を頂き、沢山のコメントを頂き、ありがとうございました。
上の画像は、実際に採用した年賀状です。 今は兵庫県宝塚市の実家に来ています。
2024年元旦
1月1日には宝塚聖天さんにみんなで初詣に行きました。新型コロナのために中止になっていた甘酒のサービスも復活していてみんなで飲みました。
恒例の記念撮影もしました。4枚の写真の最後が記念写真です。実家から初詣を行う宝塚聖天(通称:聖天さん)までの距離は900m で高低差が60mです。