久しぶりに母の誕生日祝いを誕生日に行いました。 [日々]
2020年8月23日から関西に来ていて、宝塚の実家に泊まっています。偶然にも8月25日は一人暮らしの母の誕生日なので誕生日祝いを行うことにいたしました。転勤で我々家族が関東に引越してからは、お盆休みに早めの誕生日祝い(誕生日会)をしたことはありましたが、誕生日に誕生日会をしたことは記憶の中ではほとんどありませんでした。幸いにも関西に滞在中(8月23~30日)に誕生日となったので私だけですが、誕生日会を行いました。
昨年は家内と子供たちがお盆に実家に来ていたので外食「かに道楽」で誕生日会をしたそうです。今年は新型コロナで外食は控えているので、宅配で料理を頼むことにいたしました。下記の写真が予約して届いた誕生日会の料理です。内容は、先付、焼八寸、造り、煮物、揚物、酢の物、茶碗蒸し、吸物、赤飯、香物です。右上に写っているケーキはアンリ(HENRI)に予約して当日にとりに行きました。本写真をクリックすると4倍(面積で16倍)に拡大いたします。
頼んだ料理にはお花が付いてきました。誕生日祝いでご飯を赤飯に変更したのでお花が付いてきたのかもしれません。
こちらが赤飯です。白いご飯を赤飯にすると+250円になります。
こちらがお造りです。マグロと鯛とイカとサーモンでした。左端にサイコロ状の寒天寄せも乗っていました。本写真はクリックすると特別に大きく拡大いたします。
鯛の刺身です。どの刺身も新鮮でした。やはり関西です。
料理の種類は多かったです。37㎝×13.7㎝の器が2段で構成されていました。
左手前から6皿を紹介します。こちらの器だけで茄子やタコや蕎麦や里芋など7品が入っていました。
こちらは手鞠寿司、西京焼き、オクラ、玉子焼きと生姜の5品でした。
こちらの器はタコの酢の物、白身魚の南蛮漬け、松前漬けなど4品です。
タコの酢の物が美味しかったので拡大写真を撮りました。そのために上の写真と違うのです。タコの上に乗っている緑のものが絶妙の味を出してくれていました。この緑のたれを家で作ってみたいけれども味を再現させるのは難しそうです。
こちらの料理の名前は判りませんが、ねっとりとして玉子料理でした。イクラが乗っていて名のある料理のようなので、関東に帰ったら検索して名前を調べてみます。
焼豚に2種類のテリーヌと沢蟹と枝豆と笹の葉に包まれた料理の6品が乗っていました。
こちらが笹の葉に包まれていたものです。甘味のあるデザートに近いものでした。
沢蟹の唐揚げもアップしました。沢ガニを食べるのも久しぶりでした。
こちらが天ぷらです。小さめですが海老は2匹入っていました。
天ぷらは天つゆでいただきました。
この日はビールを3缶開けてしまいました。母は半缶飲んだので、私は2缶半飲んだことになります。
茶碗蒸しもありました。
お吸い物は茄子と三つ葉でした。
デザートはメロンとスイカでした。
ケーキは関西に到着したした8月23日に実家に着く前に阪急宝塚(デパート)内のケーキ屋(アンリ)で予約して8月25日の15時に受け取りに行きました。阪急宝塚は片道徒歩20分と少し遠いけれども歩いて行きました。暑かったです。
店名 アンリ(HENRI CHAPENTIR)
住所 阪急宝塚(デパート)店内
創業 1969年 芦屋
こちらが箱です。ローソクをいただきました。
箱の中のケーキです。8月25日は強風が吹いていて、歩いて帰る時は気を付けていましたが1度大きく揺れたので心配しました。でもケーキは無傷で無事でした。
食べる前に料理と一緒に並べました。ローソクは食事が終わってからさしました。
食事が終わったらローソクに火をつけて吹き消してもらいました。驚いたことに見事に一吹きですべての火が消えました。
ケーキは紅茶でいただきました。
紅茶ほアップしました。
きれいには切れませんでしたが、ケーキは美味しかったです。
残った半分でする断面を見てもらいたくて掲載いたしました。ふわふわのスポンジが印象的な上品なケーキでした。結局、軽くて食べやすいので食事の後でしたが、4分の3ほど食べてしまいました。残りの4分の1は翌日に食べました。翌日でも十分に美味しかったです。
料理はこのようなケースに入っていました。これは食べ終わってから撮りました。翌日の午後に回収に来られました。時間が判らなかったので受け取った場所にはメモを書いてガレージに置いておきました。実際にはインターホンが押されたのでガレージに置いていることを伝えました。
店名 明月記遊行亭
住所 兵庫県宝塚市雲雀丘山手2-10-11
電話 072-756-7800 0120-0727-56 9:00~19:00
宅配 10:00~18:30
配達 合計7000円以上(食器を返却する料理の場合)
HP https://www.meigetsu-hgc.co.jp/yugyotei_menu/?ca=2
我家にアマガエルが居座っています。 [動物]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
花が咲き始めたヒマワリのプランターにアマガエルが2匹います。ピンク色の丸で囲ったところです。写真をクリックすると拡大するのでカエルであることが判ると思います。写真は2020年8月16日に撮りましたが、偶然にヒマワリのところにいるのではなく長く何度も見かけているのでヒマワリの周辺をえさ場にしているようです。我家全体では少なくとも4匹が長く居座っています。2匹がヒマワリ周辺で、2匹が2回のバルコニーにいます。庭ではヒマワリと離れたところで2匹を見ました。同じアマガエルかもしれませんが、6匹いる可能性もあります。右の小さな写真は後半で説明いたします。
今、関西に来ています。関東の家に帰るのは8月30日の予定です。それまではネット事情の関係で皆様のところに訪問できないことをお許しください。
ヒマワリの2匹を紹介します。こちらが上の写真の左側の花の近くのアマガエルです。同じアマガエルかどうかは分かりませんが、5月ごろから庭や2階のバルコニーで見かけるようになりました。
アマガエルちゃんを拡大いたしました。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。アマガエルは。小さな体なので寿命は1年くらいと思っていましたが、調べてみると寿命は平均して5年~7年ださうです。春から秋まで活動して、冬は温度差の少ない地中で冬眠するそうです。
こちらは右側のアマガエルです。正式名はニホンアマガエルで、日本と朝鮮半島と中国東部まで広く分布しているそうです。分類を紹介します。絶滅危惧に関する保全状況評価はLeast Concern(低危険種 / 軽度懸念)です。アマガエル科は全世界に約650種類が知られています。日本ではニホンアマガエル以外に喜界島から沖縄本島にかけての南西諸島に右の小さな写真のハロウエルアマガエルがいます。
右の小さな写真はアマガエルの腹側を紹介するためにWikipediaの写真を転用させて頂きました。
界 動物界 Animalia
門 脊索動物門 Chordata
亜門 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 両生綱(両生類) Amphibia
目 無尾目 Anura
亜目 カエル亜目 Neobatrachia
科 アマガエル科 Hylidae
亜科 アマガエル亜科 Hylinae
属 アマガエル属 Hyla
種 ニホンアマガエル Hyla japonica
英名 Japanese tree frog
和名 日本雨蛙
8月20日の朝にはヒマワリの2匹のアマガエルが仲良く1枚の葉の上に並んでいたので写真を撮りました。ヒマワリの葉が白く変色しているのは葉ダニが樹液を吸うために起こっているのですが、もしかしたら葉ダニをカエルさんたちが食べてくれてるのかもしれません。ただし葉ダニが増えすぎないように殺虫剤は使わないで手で適当に除いています。左上のカエルの少し上にいる灰色の小さな虫が葉ダニです。
よく見るとヒマワリのプランターには3匹のアマガエルがいました。左がに2匹で右に1匹の計3匹です。上の写真は左の2匹ですが、2匹が接近していました。クリックすると接近していることが分かると思います。
2匹が接近している写真を反対側から撮りました。
1匹だけの方のアマガエルも紹介します。そろそろ3匹の区別が出来ないといけないけれども難しいです。
現在、右の写真の2階のバルコニーにも2匹のアマガエルがいます。最近2匹を同時に視たので2匹いることは間違いないのです。この鉢の影にいることが多いのですが、まだ写真が撮れています。同じ時にヒマワリ周辺とバルコニーでそれぞれ2匹をみたことがあるので最低4匹がいることは確認しています。
8月20日の夕方に2階のバルコニーの植木鉢に水をやり始めるとアマガエルが1匹飛び出してきました。最初にバルコニーでアマガエルを見たのは5月頃でしたが、2階には虫が少ないと思い見つけた1匹を1階の庭に放したことがありましたが、今は少なくとも2匹が住み着いているのです。きっと長く害虫を食べてくれていたのだと思います。
さらに水をたっぷりと植木鉢にやっていると2匹目の雨蛙を見つけました。体色変化変化により体の色が灰褐色になっていました。一部が緑色なので茶色と緑があるところに潜んでいたのだと思います。以前に見かけた時は2匹ともに全身が灰褐色でした。水やりの前に1階の庭で3匹の雨蛙を確認したので少なくとも5匹の雨蛙がいることが確認出来ました。
ヒマワリ周辺には花が咲く前から雨蛙が出没していました。これは8月03日の写真ですがピンクの丸のところにいます。
その雨蛙を紹介します。まだ葉も弱々しいのでカエルの重みで葉が垂れています。ワンコの散歩の時にも雨蛙を見つけて撮った写真を記事に掲載したことがあります。その時の雨蛙が右の小さな写真です。
じっとしているのですが、時々、位置を変えています。
いろんなカエルの平均寿命を紹介します。右の小さな写真はヒキガエルです。
ニホンアマガエル 5~7年
ヒキガエル 7~10年
トノサマガエル 3~5年
アオガエル 5~7年
ウシガエル 10~15年 最長20年
5月には郵便受の近くに訪問者の間で人気者になった雨蛙がいました。この写真は5月23日に撮りました。
雨蛙を拡大いたしました。
5月19日には我家のバラの花びらの間に身を隠していました。
バラの名前はピエール・ドゥ・ロンサール(Pierre de Ronsard)です。
薔薇の花の雨蛙も拡大いたしました。我家の庭に4匹から6匹の雨蛙がいるのは不思議です。雨蛙は陸で生活しますが繁殖には池や水田などが必要なのに、周辺には池などは見当たりません。学校のプールまでは直線距離で260mの距離があり、一番近い水田まででも直線距離で360mあります。以前に紹介したヒキガエルでも不思議に思っていましたが、小さな雨蛙がそのような距離を移動して来れるのかが謎なのです。
カエルさんの顔の正面から撮った写真も紹介します。
陸上を自由に活動出来るという意味において両生類の中でカエルは最も進化した種と言えるのかもしれません。カエルの原始的祖先の両生類は、人間をを初めとする哺乳類や爬虫類や鳥類や恐竜の共通の祖先と言われています。現生の両生類は無尾目と有尾目 と無足目に分類されていますが、絶滅した両生類の分類群にはイクチオステガ目、分椎目、炭竜目、欠脚目、ネクトリド目、細竜目、リソロフィス目などがありました。古代生物を扱った番組でよく登場するイクチオステガは約3億6700万前~3億6250万年前に生息していた原始的四肢動物で、陸上進出した両生類の想像図のモデル(参考)になっています。ただしイクチオステガが哺乳類や恐竜の祖先と証明されているわけではありません。
右の小さな写真は肺の機能もった両生類が陸上に進出した時の想像図です。想像図をクリックするとその場面の動画を表示します。
無尾目 Anura カエル
有尾目 Caudata / Urodela サンショウウオ、イモリ
無足目 Gymnophiona アシナシイモリ
2020年のピエール・ドゥ・ロンサールの花を紹介していなかったので晴れた日に撮った写真を紹介します。2020年5月13日に撮った写真です。この6日後にアマガエルが花に身を隠していたのです。
上の花は開ききる前ですが、開いた花を正面から撮った写真も紹介します。
今年は木の全体を撮らなかったので昔に撮った写真を紹介します。その時の記事はこちらです。→ポチッ
2020年8月21日朝も、ヒマワリには2匹のアマガエルがいました。最近では毎朝2匹が葉の上にいることが多いです。
2匹の雨蛙を拡大いたしました。左のアマガエルの方が丸々に太っていて少し大きいです。冒頭の写真の左側のアマガエルだと思います。2匹共に体に黒い土が付着しています。カエルの周辺の葉の上にも土が見られることから土に潜っていたようです。この土は黒い色などからプランターの土のよう感じます。市販のフワフワの軽い花壇用の土なので潜りやすいのかもしれません。写真をクリックすると4倍(面積で16倍)に拡大いたします。
2020年8月22日朝も、ヒマワリの鉢には2匹のアマガエルがいました。左下のアマガエルは鉢の端の土から出てきたように感じられました。
前日に予想した通り夜はプランター鉢の土の中に潜っているようでした。花のところのアマガエルにも土がついているので2匹とも土に潜っていたのだと思います。写真は6時26分に撮りましたが7時06分には左のアマガエルも高い葉の上に陣取っていました。この写真も前日の写真のようにクリックすると4倍(面積で16倍)に拡大いたします。
見ている間は動かないけれども、見るごとに位置が変わっていました。8月22日の10時37分には、かなり接近していました。右のアマガエルは茎につかまっています。明日も写真を撮って確認したいところですが、明日8月23日(日曜日)は関西に行くために5時05分に家を出る予定です。新型コロナの感染リスクを下げるために日曜日の朝一の新幹線のヒカリで移動するためです。経験的に日曜日の朝一のヒカリだと出発時の乗車率は往復共に2~3%(1車両2~3人)でした。帰りは8月30日(日曜日)の予定のため8月31日まではネット事情の関係で皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
8月23日の出発前の5時00分に見ると2匹は葉の上にはいなかったので5時の時点では土に潜っているのだと思います。私が乗った新幹線は小田原を出た時点で私の車両の乗客は8名でした。
6ケ月も飲み会のない生活が続いています。 福寿し 最後の飲み会 with 新型コロナ [千葉]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
すでに記事で報告させていただいたように2020年2月15日に行われた第80回ハイクの打ち上げが最後から2番目(次席と記載)の飲み会でした。本記事では2020年2月22日の最後の飲み会を紹介します。新型コロナウイルスの感染拡大が始まったために、6ケ月も飲み会のない生活が続いています。
2020年2月22日の15時頃に突然にT氏から電話がかかってきました。私の家の近くで17時から飲み会をするので参加しないかとの打診でしたが、もちろんOKいたしました。T氏とは2組(8名)でよくゴルフ会をしているのですが、この日は1組(4名)で千葉県でゴルフをして急に飲み会をすることになっそうです。T氏以外の3名も上で書いた2組のゴルフ会によく参加されているメンバーなのです。驚いたことに東京の都心に住んでいる2名にも声をかけて7名での飲み会となりました。右の小さな写真は以前の2組のゴルフの時の写真です。この4人の中の3名(T氏含む)が今回の飲み会に参加しました。
下に最後の飲み会と最後から2番目(次席)の飲み会の場所と、その時の新型コロナの感染者数を紹介します。まだ自粛ムードは無い時期でしたが、この後に急に感染者が増加して飲み会が出来ない状況になりました。飲み会の場所は2組(8人)のゴルフの後の反省会(飲み会)が行われている福寿しでした。実は2組(8人)のゴルフ会では、車出しているY氏の家の近くの福寿しで反省会(飲み会)が行われるのが恒例となっていたのです。私も参加するようになってからは車出しするようになりました。ピックアップは勝田台駅です。
年 月 日 飲み会場所 店名 全国新型コロナ感染者
次席 2020年2月15日 兵庫県三田 わっしょい 新規 12人/日 累計 54人
最後 2020年2月22日 千葉県佐倉 福寿し 新規 26人/日 累計 135人
私の家から福寿しまでは4.1kmの距離があり電車を使うと時間がかかることから、2組ゴルフの時は少しでも早く着くために、一旦家に寄り、家内を車に乗せて福寿しまで行き、車は家内に乗って帰ってもらっているのですが、この日は時間があったので歩いて行きました。下の写真は歩いて行く途中で発見した上高野原大師堂です。文政13年(1830年)に弘法大師の坐右像を安置して建立した由緒ある大師堂でした。17時少し前に到着するつもりでしたが16時39分に福寿しに着きました。歩数は5606歩でした。
東京からの2名以外はお店の開店時間の17時にはそろったので先ずはビールとハイボールで乾杯です。4名がビールで1名がハイボールでした。
こちらがお通しのメカブです。味付けは参考になりました。
2月22日のおすすめメニューです。お寿司を食べる前にお酒の肴を頼みました。
こちらか本日の一押しメニューでした。
おすすめメニューにあった銚子のヤリイカの刺身です。
私以外は焼酎党の人が多いので、すぐにボトルを頼みました。さつま無双の荒濾過仕上げ「もぐら(土竜)」を頼みました。もちろん芋焼酎です。ボトルに書いてある通り五臓六腑にしみわたる焼酎でした。
ワサビの追加を頼むとこんなに出していただきました。これだけの量をすぐに出せるのは、寿司屋だから出来ることなのかもしれません。
マグロやホタテや海老の刺身など沢山の具が入ったサラダです。これは見事でした。イクラやトビッコや玉子焼きやスルメとアボガドも入っていました。トビッコは飛魚の卵です。
マグロ・ユッケも美味しくいただきました。
アジのフライも頼みました。
刺身や寿司にする新鮮なお寿司屋さんのアジで作った熱々のフライにソースをかけた味を想像してみてください。
これは刺身にしたヤリイカのゲソです。揚げて汁がかけられています。ネギや生姜もあっていました。
お寿司は最後の〆に頼むのですが、酒のつまみとして安い方から1つづつ頼んでみました。
こちらも途中つまみ寿司です、奥から青柳の貝柱、蟹味噌、とびっこ、まぐろ、芽ねぎです。
肉が好きな人がいたので、豆乳を使った豚のしゃぶしゃぶも頼みました。
こちらが取り分けた豚のしゃぶしゃぶです。これは絶品と言えるくらい美味しかったです。この味を真似したいものですが難しそうです。美味しい出汁と豆乳のバランスが見事でした。
大山鶏のモモ焼きです。やはり肉好きの人のために頼みました。
漬け物も頼みました。
ついに〆の寿司の時間です。メニューに書かれている握り寿司を一つ一つ名前を読み上げて食べたい人が手を上げて注文を確定いたします。支払いは割り勘です。高い寿司ばかりを沢山注文するのも、安い寿司を注文するのも自由ですが、良識と良心を期待しています。安い順番に読み上げていきます。時によっても大トロ等高いものも入りますが、今回は安い寿司ばかりになりました。途中つまみ寿司も頼んだので、この一皿だけでした。コハダはいつも人気です。
おそらく一番高かったのが、この大きなボタン海老の握りだと思います。
さらに話が盛り上がったので漬物も頼みました。でもそこそこで終わる雰囲気でした。それは勝田台駅に行くまでの間で行くカラオケモードになってきていたからです。飲み会が決まった段階で、今回のメンバーの中の2名は勝田台駅の近くのホテルを予約していました。ゴルフよりも飲み会に力が入っている証拠です。
福寿しを紹介します。右上の臙脂色のマークが福寿しです。中央の臙脂色マークが2次会でカラオケをしに行ったスナックラビアンです。スナックラビアンは最後にカラオケをしたお店ということにもなります。
名前 福寿し
住所 千葉県佐倉市井野1532 → SV
電話 043-308-9577
営業 11:30~15:00 17:00~24:00
定休 年中無休
最寄 京成 勝田台駅 徒歩10分 東葉高速 東葉勝田台駅 徒歩9分
福寿しは家族で食べに行っただけでも4回で、ゴルフ仲間では20回を軽く超えています。その時の写真も紹介したくて探してみましたが、現時点で見つけることが出来たのは次の6回です。とりあえず6回の写真を紹介します。今までにカウンターで食べたのは1度だけありますが、写真は撮らなかったのか見つかりませんでした。右下の写真は2012年7月08日に家族で食べたお寿司です。
2020年2月22日 ゴルフの反省会 ← 今回の最後の飲み会
①2019年8月23日 ゴルフの反省会
②2018年8月17日 ゴルフの反省会
③2017年9月02日 ゴルフの反省会
④2017年1月17日 ゴルフの反省会
2014年4月23日 ゴルフの反省会 写真なし
⑤2012年7月08日 家族での夕食 写真 →
⑥2012年6月17日 家族での夕食
お店の雰囲気を感じていただくために食べログの写真を掲載させていただきました。カウンターで食べたことが1度ありますが、写真は撮っていませんでした。
① 2019年8月23日 ゴルフの反省会
先ずはカレイの唐揚げです。沢山の板前さんがおられるので仕事が丁寧です。からっと上がった骨も食べれます。
お任せで刺身の盛り合わせも頼みました。
この時も締めではなく途中つまみ寿司を頼みました。
2皿目の途中つまみ寿司です。
巻き寿司も頼みました。細く切ったキュウリの食感がよかったです。ここまでが途中つまみ寿司です。この後も大山鶏のモモ焼きや、刺身なのが沢山入ったサラダを頼みましたが、すでに紹介したので写真は省略します。
ここからが〆のお寿司です。注文の仕方はすでに上で紹介した挙手方式です。
別の皿のお寿司です。気が付いた時には一部が食べられてしまっていました。
穴子も出てきました。一つは私が頼んだ穴子です。
こちらも写真を撮ろうとしたときにはすでに食べられていました。
この時は巻寿司も頼みました。さっぱりと食感は〆の〆という感じです。この日も私以外の方は2次会のカラオケのために上で紹介のスナックラビアンに行ったそうです。この日は北海道の長男が久しぶりに帰ってきたので2次会は失礼させていただきました。2次会に参加しなかったのは初めてでした。
② 2018年8月17日 ゴルフの反省会
この日も2組ゴルフの反省会で福寿しに来ました。この日のお通しはゴマ豆腐でした。
本日ののメニューです。この中から2品を頼みました。
先ずは北海道の根室からの直送の秋刀魚の刺身です。さすが1200円の秋刀魚の味でした。
本日のメニューの中の2つ目のマグロかま下焼です。ボリュームがありお得でした。これ以外に大山鶏のモモ焼きとカレイの唐揚げを注文しましたが、上で紹介しているので写真は省略します。
締めの寿司を頼みました。この日は8人の希望を聞くのではなく幹事に一任で6個づつ注文しました。写真を省略したカレイの唐揚げがすこし写っています。
ミル貝を拡大しました。ミル貝の和名の正式名はミルクイです。中国に行った時にミル貝が入った水槽に書かれていた名前は象鼻貝でした。
界 動物界 Animalia
門 軟体動物門 Mollusca
綱 二枚貝綱 Bivalvia
亜綱 異歯亜綱 Heterodonta
科 バカガイ科 Mactridae
亜科 オオトリガイ亜科 Lutrariinae
属 ミルクイ属 Tresus
種 ミルクイ Tresus keenae
巻物も沢山頼みました。
急いで撮ったので写真はブレてしまいましたが、ご愛敬で掲載いたしました。
もう一皿ほど握り寿司を頼みました。マグロとイカと海老を6個づつ乗っています。
この日は下の大きな写真の3次会まで行ってしまいました。
3次会は勝田台駅の南にある居酒屋チェーン店のはなの舞です。3次会まで行って盛り上がったのは、このゴルフ反省会では初めてだったと思います。それも全員参加でした。それまでの2次会は有志だけの参加だったのです。
右の小さな写真が2次会のカラオケです。2020年2月22日に行ったスナックラビアンと同じお店だと思います。私は右側の一番手前です。一番奥正面の人が、高田みづえの私はピアノを歌っています。歌名は画面に出ている歌詞くり返すのは ただ lonely play lonely playから分かりました。私はピアノは1980年の紅白歌合戦で歌われました。下の写真の正面の人が右上の写真にも写っていることを服の色から分かってもらえると思います。
③ 2017年9月02日 ゴルフの反省会
この日のお通しはアジの南蛮漬けでした。
先ずは5点盛りの刺身を頼みました。アジとマグロと甘エビと生シラスとハマチ系の魚の刺身でした。
毎回注文しているカレイの唐揚げです。
2020日2月22日の会で写真を掲載しているので、省略するつもりでしたが寿司以外の写真が寂しいので掲載いたしました。
お寿司屋さんで数少ない肉系の料理なので、肉の好きなT氏のために大山鶏のモモ焼きも毎回頼んでいます。写真を省略するつもりでしたが雰囲気を感じてもらうために掲載いたしました。
貝関係の握りも頼みました。写真を撮る前に食べられてしまったので寂しい写真になってしまいました。手前の真中は私が好きなトリ貝です。寿司ネタのトリ貝はよく見ましたが、貝の姿は見たことがなかったのでwikipediaの写真を転用させていただきました。
界 動物界 Animalia
門 軟体動物門 Mollusca
綱 二枚貝綱 Bivalvia
目 マルスダレガイ目 Veneroida
科 ザルガイ科 Cardiidae
属 トリガイ属 Fulvia
種 トリガイ Fulvia mutica
この日も握り寿司はすでに紹介した挙手形式で注文いたしました。穴子は6人が手を上げたことになります。漬けマグロは5人でした。
次に多かったのが4人が手を上げたウニでした。
焙りマグロも4人でした。巻き物も頼みました。
穴子が6人で一番多いと書きましたが、玉子が7人でした。玉子が人気でした。
タレが掛かった巻物も美味しそうでした。
この日は有志のみで2次会に行きました。勝田台の北側にある小洒落た居酒屋だったと思います。この頃の2次会参加の人数は家が近い私とY氏と勝田台の近くのホテルにいつも泊まる人だけなので3~4人です。いつもはビールですが、この日は皆さんに合わせて焼酎の水割りにいたしました。きっとボトルを頼んだのだと思います。
お通しを拡大いたしました。
糸唐辛子が乘るとオシャレになります。沢山お寿司を食べたので料理は少なめでした。
④ 2017年2017年1月17日 ゴルフの反省会
この日もいつも通りビールの乾杯で始まりました。
お通しの写真を拡大いたしました。
刺身の3点盛りをいくつか頼みました。
アジの刺身も頼みました。
この時は珍しく鯛の兜煮がありました。
大山鶏のモモ焼きも頼みました。
この日も最後はお寿司です。数の組み合わせから見て、すでに紹介した挙手方式で頼みました。酔っぱらってはいますが、自分が注文したものは皆さん覚えていました。
沢山の種類ががあることが分かっていただけると思います。
人気の玉子を拡大いたしました。
海老も拡大いたしました。
巻寿司も頼みました。この日は牛のあぶりもあったので宗門いたしました。
牛のあぶりの握りを拡大いたしました。
⑤⑥ 2012年6月17日と2012年7月08日 家族での夕食
家族で行った寿司屋で回転寿司ではないのは神戸の須磨区に住んでいた時によく行った垂水区にあった増田屋くらいでした。末娘はまだ生まれていなくて家族4人でよく行きました。関東に引越してからは回転寿司ばかりでした。我家が行く回転寿司は時と共に、かっぱ寿司 → スシロー → 銚子丸と変遷しました。そんな中で家族で近場でお寿司を食べる時に回転寿司以外の寿司屋は福寿しを含めて5店ぐらいでした。その中で一番気に入ったのが福寿しでした。さらに最近8年間では福寿し1店のみです。
⑥ 2012年6月17日 家族での夕食 セットを注文
カウンター席は人気なので空いていなくていつもテーブル席でした。
1個づつ注文したこともありますが、初めての時は写真のようにセットされている寿司を注文しました。この時は「おまかせにぎり 2750円」と「特選にぎり 2200円」でした。
「おまかせにぎり」と「特選にぎり」以外のセットが書かれたメニューも紹介します。「特上にぎり 1680円」と「特にぎり 1155円」と「花にぎり 945円」と「お子様にぎり 630円」です。ただし8年前なので今は変わっている可能性があります。
こちらが「特選にぎり」です。
そして、こちらが「おまかせにぎり」です。比べるために2種類を注文したので、実際にはシェアして食べました。
上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために左側を拡大いたしました。
同様に右側を拡大いたしました。
⑤ 2012年2012年2012年7月08日 家族での夕食 個別に1個づつ注文
3週間後に来た2回目はセットではなく自分の好きなものを個別に注文してみました。この日は4人で来ました。
上の写真は斜めからの写真なので、同じ皿を正面から撮った写真を紹介します。上側は左から、いくら2個、ボタン海老、甘エビ2個、大海老、アジ、イワシ2個です、下側は左から玉子、サバ、シマアジ、タイ、シマアジ、マグロ、中トロです。シマアジとタイと書いたところは別の白身の魚かもしれません。
こちらは左上から、芽ネギ、ホタテ、ゲソ、ツブ貝、イカ、トビッコ、イワシ2個、トロサバ、玉子だと思います。
こちらは左から、子持ち昆布、北寄貝、赤貝、活アワビです。
こちらには活き車海老や小柱や各種の貝や白身魚の握り寿司が乘っています。、
こちらには活き車海老やサーモンやタコが乘っています。
活き車海老を拡大いたしました。活き車海老は一番好きなお寿司の一つです。もちろん他の人も好きなので、人数分の4個頼みました。
活き車海老の握り寿司を注文すると車海老の頭は焼いて出してもらえました。今回は4つ注文したので焼かれた頭も4つ出てきました。
穴子と芽ねぎです。後ろに並んでするのはマグロすき身の巻き寿司です。
上の写真の反対から撮った写真です。
2012年時点の個別に注文するお好み寿司のメニューを紹介します。クリックすると文字が読みやすい大きさに拡大いたします。実際にはこれより沢山の種類があります。それは印刷された注文用の紙に書かれていました。その紙に注文するお寿司の数を記入して定員の方に渡します。
第80回ハイク打ち上げ飲み会 三田の酒場 わっしょい [兵庫県]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
第80回ハイクでの丹波篠山の町の下の篠山城とデカンショ館と武家屋敷と歴史美術館の4ケ所を見学をした後は、もう一つの楽しみが打ち上げ飲み会です。前記事で記載の通り10名のメンバーの内5名は宝塚方面からJRで帰るのですが、5名は三田駅で神戸電鉄に乗り換えて神戸方面に帰るので、時間的な効率を考えるならばJR篠山口駅の周辺で飲み会をするのが1番でしたが、どこも16時台は開店していなかったので三田駅で飲み会を行うために、篠山口16時08分発の大阪行き丹波快速に乗りました。上の写真は篠山口駅のホームから撮った回送電車です。左側の方向が三田や宝塚や大阪方向です。
すでに紹介した第80回ハイクの記事
篠山城
丹波篠山デカンショ館
安間家(武家屋敷)
一休庵(昼食/手打蕎麦)
歴史美術館
着色文字をクリックすると記事を表示
篠山口から三田に着くまではこの写真のような風景が続きました。
三田駅の3番線に16時37分に着きました。3番線ホームから上がって改札前で撮りました。進学塾の看板が目を引きました。私が小学校4年の時に広島市立井口小学校から転校してきた神戸市立本山第一小学校でもクラスから1名あるいはそれ以下程度しか入れなかったのが灘中でした。その難関度は変わっていないようでした。大きな町でも17時前から開いている居酒屋は少ないので、自分たちの足で探すのは諦めて、迷わず、三田駅の右の小さな写真の観光案内所(三田市総合案内所)に入って聞くと、すぐにこの時間に開店しているお店の名前と場所の答えが返ってきました。さすが案内所でした。
それも駅から1~2分の距離のお店でした。驚いたことに14時から営業しているお店でした。案内所ですぐに答えが聞けたのは、14時から営業していることが有名だったのかもしれません。営業時間および定休日は新型コロナ感染拡大以前の情報です。左側の地図の一休庵が昼食を食べたお蕎麦屋さんです。
名前 三田の酒場 わっしょい
住所 兵庫県三田市駅前町8-37
電話 079-562-3939
営業 14:00~翌02:00 ただし日曜日は14:00~24:00
定休 なし
最寄 JR三田駅 徒歩2分 神戸電鉄三田駅 徒歩1分
すぐにビールを頼んで乾杯でした。
こちらのお店では延長可能な飲み放題システムがありました。60分飲み放題が988円で、30分延長するごとに290円です。ただし生ビールは単独で頼んでも290円と安いので、1時間に1人平均4杯(1160円)以上、2時間で6杯(1740円)以上飲むグループに飲み放題がお勧めです。参考に14時から飲んだ時の飲み放題料金を計算してみました。隣で飲んでおられたグループは盛り上がりの雰囲気から5~6時間のように感じました。我々のグループはお酒が飲めない人が3人おられる上に沢山飲む人は限られているので飲み放題にはしませんでした。
1時間 14時~15時 988円 1.5時間 14時~15時半 1278円
2時間 14時~16時 1568円 2.5時間 14時~16時半 1858円
3時間 14時~17時 2148円 3.5時間 14時~17時半 2438円
4時間 14時~18時 2728円 4.5時間 14時~18時半 3018円
5時間 14時~19時 3308円 5.5時間 14時~19時半 3598円
いろいろお得なセットが用意されていました。この「ちょい呑みセット」を頼みました。生ビールが290円なので料理が210円(=500円-290円)ということになります。お酒が飲めない人の生ビールは飲む人がいただきました。この会では、お酒を飲まない人の会費は少なく設定しているので遠慮なしに沢山飲めるのです。実は2枚上の生ビールの写真はこのセットの生ビールです。
こちらのお店の売りは安いことのようです。つまみも278円の皿が沢山ありました。驚いたことに机はビールのケースを使ったものでした。
椅子も清酒ケースを利用して作ったものでした。机も椅子もオーダーなので意外と費用は掛かっているかもしれませんが、雰囲気を出すためにビールケースや清酒ケースを使っているのかもしれません。
最初に出てきた料理は「ちょい呑みセット」の中の「牛どて盛」でした。
七味ではなく八味でした。ハバネロ入りと書かれていました。
次に出てきたのは一番人気の秘伝の自家製若鶏のから揚げでした。
ネギがたっぷり乗った鶏の唐揚げも頼みました。
鯵の刺身も頼みました。
打ち上げ飲み会でいつも頼んでいるだし巻き玉子も頼みました。
この段階でのテーブル雰囲気を紹介します。お店の人に撮ってもらった右下の記念写真から切り取りました。すでにビールが空の人もいます。私は一番奥の壁際にいます。新型コロナの感染拡大のために、この2020年2月15日の飲み会の7日後の7日後の2月22日の別の飲み会を最後に、現在まで飲み会が行われていないのです。つまり最後から2番目の貴重な飲み会なのです。次の飲み会はワクチンが開発されて、世の中が落ち着いてからになるのかもしれません。
オニオンスライスがたっぷりと入ったサラダも出てきました。
こちらのお店は焼き物が豊富で焼鳥にも力が入っているように感じました。おまかせ5本盛りです。
お店の中に昔の三田まつりと思われる写真が飾られていました。右下の小さな写真のカーニバル風の神戸まつりの影響を受けているように感じます。小さな写真をクリックすると私が掲載した昔の神戸まつりの記事を表示するので14枚の写真と比べてみてください。下の写真もクリックすると拡大いたします。写真の中にマカラズヤや岡本荒物店の文字が見受けられます。第1回の三田まつりは1978年に開催され、神戸まつりは1971年に開催されたそうです。ただし神戸まつりの前身となるイベントは1933年からあったそうです。
マカラズヤを調べてみると、且つて神戸の三宮センター街にあったお店であることから、もしかしたら神戸まつり又は前身の神戸カーニバルか、みなと祭りの写真かもしれません。マカラズヤの近くにはミッチャン(舶来雑貨店)やフナキヤ(シャツ)やフタバ(家具屋・雑貨屋・インテリア)などのお店があったそうです。ちなみにマカラズヤの語源は料金は値札から一切まかりません(安くしません)にあるそうです。
サッカーJ1のヴィッセル神戸の大崎選手と小川選手のサインの色紙も飾られていたので写真を撮らせていただきました。25番がDF大﨑玲央選手で13番がFW小川慶治朗選手の色紙です。色紙には「わっしょいさんへ」と書かれていたので、ここに飲みにこられた時にサインをされたのだと思います。
茄子の料理も頼みました。
おにぎりを頼んだ方がおられました。ただしまだ締めではありません。やっぱり日本人はおにぎりです。
288円のフライドポテトも頼みました。
この「わっしょい焼きそば」がいろんな席で注文されていたので、最後ですが頼んでしまいました。今までに参加したハイクの打ち上げ飲み会の場所を紹介します。飲み会の2次会までしたのは私が初めて参加した第72回ハイクだけでした。着色文字をクリックすると記事を表示します。
第72回 2019年04月20日 箕谷:いけや食堂 三宮:海鮮居酒屋・海流(2次会)
第76回 2019年10月19日 十三:漁師めし
第77回 2019年11月16日 十三:磯丸水産
第80回 2020年02月15日 三田:わっしょい
飲み会が終わったのは、18時25分と早いように感じますが、それでも16時台から飲み始めたので十分に楽しむことが出来ました。
右の小さな写真はお店から出てきたところです。この時は新型コロナの感染が拡大して飲み会が出なくなってしまうとは思ってもいませんでした。上でも書いているように7日後の2月22日(土)にゴルフ帰りの人から誘いがあって我家の近くのお店で参加した飲み会が現時点においては最後の飲み会になりました。つまり6ケ月も飲み会のない生活が続いていることになります。
三田駅から神戸の新開地駅まで行くルートは基本的に次の3つがあります。時間によってルート表示が2つになったり3つになったり4つになったりします。
5名が①のルートで神戸まで行き、他の人は②のルートで宝塚まで行き、そこから、それぞれのルートで家に帰りました。私は宝塚で阪急に乗り換えて2駅目の逆瀬川で下りて実家に帰りました。
① 三田→(神戸電鉄)→新開地
② 三田→(JR)→宝塚→(阪急)→新開地
③ 三田→(JR)→尼崎→(JR)→三ノ宮→(神戸高速鉄道)→新開地
丹波篠山歴史美術館 第80回ハイク [兵庫県]
第80回ハイクでの3つ目の訪問場所の武家屋敷・安間家を見た後、昼食をとって、お土産屋さんを廻って4つ目ので最後に向かったのが丹波篠山歴史博物館(丹波篠山市立歴史博物館)でした。上の写真は館内に展示されていた源氏物語絵巻の須磨・明石です。江戸時代に描かれた源氏物語の中でも、須磨・明石の絵巻は全国的に残っていない貴重なものだそうです。
すでに紹介した第80回ハイクの記事
篠山城
丹波篠山デカンショ館
安間家(武家屋敷)
一休庵
着色文字をクリックすると記事を表示
航空写真です。昼食をとったお蕎麦屋の一休庵を出た後、黒豆大福を買った大福堂に寄った後、丹波篠山歴史美術館に向かいました。本記事では丹波篠山歴史美術館( )を紹介したいと思いますが、大福堂( )を出発するところから記載いたします。橙色(━━)のラインは今回の第80回ハイキング(2020年2月15日)での散策したルートです。
丹波栗菓匠大福堂
丹波篠山歴史博物館 SV
春日神社バス停
こちらが本記事の出発点である大福堂です。前記事で紹介した通り、ここで私の次の人で売れ切れた黒豆大福を買いました。
右の小さな写真が大福堂から歴史美術館に向かって歩いている写真です。下の写真は歴史博物館の入口の門です。大福堂からこの門の写真を撮ったところまでの距離は98mでした。驚いたことに丹波篠山の歴史博物館は木造建物でした。それもかなり古くて歴史のありそうな建物でした。
こちらが門を正面から撮った写真です。藩庁時代の門だそうです。門の右の柱にかけられている大きな表札には丹波篠山市立歴史美術館です。
門をくぐると大きな木造の建物がありました。これが歴史美術館の本館の建物のようでした。美術館本館の建物は日本最古の木造裁判所「篠山地方裁判所」を使用されていたのです。篠山裁判所は篠山藩庁の建物を使用して明治3年(1870年)に発足しました。明治23年(1890年)に民・刑事の一審のみを 取り扱う地方裁判所になり、翌年の明治24年(1891年)に完成したのが、今回の歴史美術館の建物だったのです。裁判所としては1981年6月まで使用されていました。この建物を使って歴史美術館が開館したのは1982年4月でした。開館に当たっては建築物を解体せずに、そのままの状態で移動する曳家工法(ひきやこうほう)で建物の向きを90度回転させ従来の姿を残し、美術館にふさわしい内部を改装したそうです。
門から建物入口までの間に石柱がたてられていました。石柱には「丹波篠山五十三次 篠山歴史美術館」と書かれていました。丹波篠山五十三次とは篠山町制100周年と篠山築城380年記念事業として社寺仏閣・歴史的遺産など95ヵ所を選定し、さらに53ヵ所を絞り込んで丹波篠山五十三次としたそうです。2つの事業は平成元年(1989年)から2ヵ年だそうです。平成元年頃はだったので多紀郡篠山町篠山歴史美術館と呼ばれていたのだと思います。篠山藩時代は多紀郡篠山(城下町)には篠山東新町、篠山西新町、篠山南新町、篠山北新町、篠山乾新町、篠山山内町、篠山河原町、篠山小川町、篠山立町、篠山呉服町、篠山二階町、篠山魚屋町、篠山西町が存在したそうです。歴史美術館があるのは現在の住所である丹波篠山市呉服町から、その時代の篠山呉服町と思われます。1889年の篠山町の発足は多紀郡篠山の上記の13町と黒岡村の飛地で構成されていたそうです。本歴史美術館は篠山町立歴史美術館(1982年)→篠山市立歴史美術館(1999年)→丹波篠山市立歴史美術館(2019年)と正式名は変わりました。
篠山藩時代 丹波国多紀郡篠山(篠山藩の城下町)
1870年(明治03年) 篠山裁判所発足(藩庁建物内)
1971年07月14日 廃藩置県により篠山藩は篠山県となる
1971年11月02日 篠山県は豊岡県に編入
1876年08月22日 兵庫県多紀郡篠山 兵庫県の管轄となる
1889年01月08日 兵庫県多紀郡篠山町発足 町村制の施行
1891年(明治24年) 本建物が地方裁判所として完成
1981年(昭和56年) 本建物での裁判所の90年の幕を閉じる
1982年(昭和57年) 本建物が篠山町立歴史美術館として開館
1999年04月01日 篠山市の発足 篠山町・今田町・丹南町・西紀町が合併
2019年05月01日 篠山市→丹波篠山市へ改名
建物から車寄せの屋根が飛び出しているところが歴史美術館の入口です。
明治(1868年~1912年) 1891年 地方裁判所として建物完成
大正(1912年~1926年)
昭和(1926年~1989年) 1982年 篠山町立歴史美術館として開館
平成(1989年~2019年) 1999年 篠山市立歴史美術館となる
令和(2019年~ ) 2019年 丹波篠山市立歴史美術館となる
昔の裁判所前での記念写真を紹介します。この写真は建物の中の法廷の部屋に飾られていました。昭和10年代の写真だそうです。
車寄せ部分の屋根の天井も趣きがありました。
階段で高くなっていているところにつけられた入口は建物の大きさに比べて意外と小さかったです。これが明治24年の裁判所の入口だったのです。当時、どんな思いでこの入口をくぐったのだろうかと思ってしまいました。
入口の上には篠山歴史美術館と現代とは反対の右から書かれた扁額が入口の上にありました。未確認ですが古さから見て開館当初の1982年に掛けられたように感じます。
明治24年時の篠山裁判所の平面図です。左下の法廷と書かれている部屋は当時のままに保存されていて公開されています。他の部屋の間取りは当時のままでねそこに美術品なのが展示されていました。玄関を入って右に行き、左廻りに見学しました。法廷は写真撮影は許可されていますが、残念ながら法廷以外の場所では写真撮影は禁止されていました。
美術品などの写真撮影は禁止されていたので、先ずは129年前の1891年当時の法廷を紹介したいと思います。右端が裁判官席で椅子が沢山並べられた左端が傍聴人席です。裁判官席の前の机が書記管席で、奥が検察管席で手前が弁護人席です。証人台でしようか、真ん中の半円上の立ち席が印象的でした。
こちらが傍聴人心得です。
傍聴人は法廷において次の事項を守らなければならない
一、静粛を旨としけん騒にわたる行為をしないこと。
一、不体裁な行状をしないこと。
一、みだりに自席を離れないこと。
一、裁判長の命じること及び裁判長の命を受けた裁判所職員の
指示することに従うこと。 以上
傍聴人席側の右端から撮った写真です。古い裁判所を見たのは2度目だと思います。初めて見たのはハワイのアリイオラニ・ハレ(Aliʻiōlani Hale)で、こちらは今も現役で使われていました。
こちらが弁護人の席です。弁護人になったつもりで法廷内を見てください。対じする形で正面に検察管席があります。
こちらが検察管席です。
傍聴席です。
こちらが書記官席です。
法廷の最後の写真として裁判官側から撮った写真を紹介します。
法廷室以外での写真は禁止されているため丹波篠山市立歴史美術館ブログや新聞社が公開している写真を転用させていただいて歴史美術館の雰囲気を紹介します。屏風や貴重な資料や巻物が展示されていました。この部屋と同じように別の部屋も展示室になっていました。別の部屋にあった長い巻物は特に興味深かったです。嬉しいことに展示物の説明をしていただきました。
興味深い屏風も展示されていました。上の写真の正面に飾られている屏風がこちらです。歴史美術館の展示品は、篠山城主であった青山家の家蔵品を中心に城下町篠山に伝わる武具、漆芸、絵画、蒔絵のなどの美術品や、篠山藩の御用窯として開窯した王地山焼の名品の数々のほか、古代の埋蔵文化財が展示されています。
掛け軸も沢山展示されていました。10秒ごとに画面が切り替わります。
春日神社の祭礼で使われる懸装品なども掲載されていました。本しを中心に祭に関する貴重な資料を展示しております。本写真が掲載されていた丹波篠山市立歴史美術館ブログの記事のページはこちらです。→ポチッ
いただいた資料の展示品の写真も紹介します。
屏風絵はどれも圧巻でした。こちらは東海道・中山道・甲州街道屏風です。江戸時代の主要な三街道の屏風で江戸から山科までの各地の名所・旧跡などが描かれていて当時の様子がわかります。ここでは全体の一部のみ掲載しています。
こちらは源氏物語絵巻の須磨・明石です。篠山藩第12代藩主青山忠裕が、源氏物語中最も名文であるとされている須磨・明石の巻を後世に残すために、お抱えの狩野派絵師・栄保典繁(えいほ みちしげ)らに描かせた絵巻です。江戸時代に描かれた源氏物語の中でも、須磨・明石の絵巻は全国でも残存しておらず、人物や風景が細密に描かれた逸品(いっぴん)だそうです。須磨巻が三巻と明石巻が三巻の 計六巻が所蔵されているそうです。
左は二十八間筋兜(にじゅうはちけんすじかぶと)で右は篠山藩主青山家の祖の忠勝所用の黒紅糸威大袖具足(くろべにいとおどしおおそでぐそく)です。
藩鎌で焼かれた王地山焼も展示されていました。王地山焼は江戸末期の文政年間に始まった篠山藩のお庭焼で、京焼の奥田潁川に師事した金古堂亀祐が指導に当たり、柳亀堂亀七などが活躍したそうです。1871年の廃藩とともに、わずか50年で廃窯となった吉ような焼きものです。
左は鶴形蓋物で右は燈籠です。灯籠は市指定文化財です。
左は金梨地葵唐草紋蒔絵御衛府太刀(きんなしじあおいからくさもんまきえごえふたち)で、右は七鈴鏡(しちけいきょう)です。七鈴鏡は市内の宝地山古墳群の2号墳から出土したもので、直径16.9cmで、縁に7個の鈴が付いていることから七鈴鏡と呼ばれているそうです。全国的に数例しか知られておらず兵庫県指定文化財になっています。
いただいた丹波篠山歴史美術館の資料を紹介します。右の小さな画面は文化財の写真が載った裏面です。クリックすると両方共に特別に大きく拡大するように設定いたしました。
名前 丹波篠山市立歴史博物館
住所 兵庫県丹波篠山市呉服町53
電話 079-552-0601
時間 9:00~17:00
休館 月曜日 年末年始 新型コロナによる臨時休館あり
備考 無料ガイドあり 新型コロナにより20名の入館制限中
見終わった後に案内いただいた歴史美術館の方に記念写真を沢山撮っていただきました。その中の一枚を紹介します。
丹波篠山歴史博物館の見学が終わったのが15時28分でした。すぐに最寄のバス停・春日神社に向かいました。
バス停の前に春日神社がありました。見学しようという話は出ませんでした。すでに、第80回ハイクの打ち上げ飲み会に気持ちが切り替わったからです。
バスは1時間に2本しかないのですがタイミングよく15時35分のバスに乗れました。乗り遅れていたら16時5分まで待たなければなりませんでした。
JR篠山口駅に向かっていくところです。
篠山口駅に着いて打ち上げ飲み会が出来るところを探しましたが、残念ながら16時に開いているお店はなく、どこも開店は17時でした。
とりあえず三田駅に行くことにしました。10名のメンバーの内5名は宝塚方面からJRで帰るのですが、5名は三田駅で神戸電鉄に乗り換えて神戸方面に帰るので、三田駅で飲み会を行うのが都合がよかったのです。篠山口16時08分発の大阪行き丹波快速に乗り三田駅に16時37分に着きました。問題は16時台に開いているお店があるかどうかでした。