迷走続けた米の対テロ戦 自殺従軍兵3万人超、戦死者の4倍
![PTSDに苦しみ自殺まで考えたというマイケル・カラスキロさん=米東部メリーランド州で2021年9月8日、鈴木一生撮影](https://cdn.mainichi.jp/vol1/2021/09/10/20210910k0000m030126000p/9.jpg?1)
世界を震撼(しんかん)させた2001年9月の米同時多発テロから11日で20年を迎える。2977人の命を奪ったテロをきっかけに米国は、アフガニスタンやイラクでテロとの戦いを進めた。米史上最長となったアフガン戦争は今年8月末に混乱の中で終結。米国の対テロ戦略が迷走し、国際社会を揺るがした20年を検証する。
重症負った米兵救った一本の電話
爆音を立てながら空中停止するヘリコプターから米兵7人が次々と地上に飛び降りた。05年9月、アフガン東部の山間部。ミッションは米同時多発テロの首謀者で国際テロ組織アルカイダの指導者、ビンラディン容疑者の側近の捕獲だった。
地上に降りた瞬間に銃弾が雨のように降ってきた。敵が高所で待ち伏せていた。1人が脚を撃たれて倒れた。マイケル・カラスキロさん(37)は岩陰から救助に飛び出した。仲間を岩陰に引きずり込んで助けたものの、自らも5発の銃弾を右肩や左腕、胸などに受けて瀕死(ひんし)の重傷を負った。
2年間の入院で44回の手術を受けたカラスキロさん。退院と同時に軍を辞め、米東部ペンシルベニア州の森に家を購入した。「誰にも会いたくなかった。ゆっくりと過ごしたかった」
引きこもりがちだったカラスキロさんが本格的に体調を崩したのは09年秋。不安感や孤立感などの感情が入り乱れ、眠ることができなくなった。午前3時に家の外を見回り、人との接触も極端に避けた。「自分が社会に無用な存在に思え、自暴自棄になっていた」。自殺も頭にちらつくようになっていた。
カラスキロさんを救ったのは09年暮れにかかってきた一本の電話だった。入院時に登録していた退役軍人の支援団体「傷を負った戦士のプロジェクト(WWP)」の男性会員からアメリカンフットボールの観戦に誘われた。思い切って参加すると、多くの退役軍人と出会った。「初めて同じような境遇の元兵…
この記事は有料記事です。
残り3666文字(全文4443文字)