怒りは慈悲に - For the Birds

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アイルランドで詩を書く人のブログ

怒りは慈悲に

「怒りは慈悲に」、という言葉を聞いたことがある。

思えば、私の知り合いで慈善活動に従事している人は、怒りを抱えた人が多いように思う。

その怒りの裏側には、正義感なり、弱者をかばう想いなどが潜んでいるのかもしれない。

ダブリンに移住してからというもの、ダブリンのポイ捨ての多さにひそかに怒りを抱えていた。ダブリン中のゴミを掃除機で吸い取る光景を何度妄想したか分からない。路上やカナル沿いに落ちているゴミを見ては、怒りが日に日に蓄積していった。

「そんなに怒るのなら、自分で拾えばいいじゃないか」、と誰もが思いつくような答えにたどり着いたのは、ごく最近のこと。新年も明けたことだし、さっそく地元ボランティア・グループのゴミ拾い活動に参加してきた。

ゴミ拾い用掴み棒にひそかに憧れを抱いていた私は、それを手にするやいなや、水を得た魚のように、ゴミを拾い始めた。その気持ちよさたるや。まるでUFOキャッチャーを自分で操っているかのよう。

「気持ちがいい!」と心が叫ぶのが聞こえた。ダブリンを掃除することこそが、私の使命に思えたほどだった。こんなにも清々しい気分は、久しぶりだった。

こうなったらダブリン中のゴミを拾ってやる、と使命感に燃えるのだった。

終わった後は、みんなで集まってお茶を飲みながら談笑する。お年寄りが主だが、面白いことに、男性が多い。ダブリンのポイ捨ての多さは半端ないが、その分、ゴミ拾いや環境保護を目的としたボランティア・グループも多い。アイルランドは、こういう両極端なところが面白い。

両極端と言えば、最近、アイルランド人俳優が多数出演するThe Banshees of Inisherinが映画賞を総なめにして話題になっている。アイルランド人の多くが誇りに思っているかと思いきや、批判的な声も多い。まさに賛否両論で、ぱっかりと意見が分かれるのだ。

個人的に、リアリズムを追求した映画ではなかったように思うけれど、映画の設定と同じような境遇で生活する当事者にとっては、細部やリアリティが気になった様子。よくアイルランドとセットにされるブラックユーモアだが、この映画はまったく笑えないと一蹴し、外から「アイリッシュらしさ」を押し付けられているようで、心外だという人もいる。

どこかの新聞の記事に、「アイルランド映画」と捉えるのではなく、単に「マーティン・マクドナーの映画」、でいいのでは、というような意見が書かれていたが、私もそう思う。そもそも、作品を国と繋げること自体、少し無理が出てきているのかもしれない。

 

人の複雑なこころ、根深い歴史を感じざるを得ない。

夕食をとっていると、ラジオからシャンノースの音楽が流れる。こういったアイルランドの伝統音楽を耳にすることができるのも、復活させるために必死に戦った人たちがいたから。

 

怒りの出どころは様々である。思いもよらないところから湧いてくる。

意外と、この怒りの裏に、前向きな要素が隠されているように思う。

できれば良いことに、変換させていきたい。

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