昔から、人を笑わせるのが好きだったように思う。
自分の身に起きた辛い出来事を、おもしろおかしく人に伝えるのが好きだったりする。
でもそれは生きる技術として重宝している能力でもある。
人間だれもがそういう能力を備えているように思う。
私の四歳の甥はよく興奮して騒いで壁かテーブルに頭を打ち、号泣する。
痛さのあまり、まるで「この世の果て」というような表情をしながら泣くのだが、
やがて爆睡して、起きた時にはもうすでに忘れている。
そうやって誰もが、痛みや傷を何かに変換しながら生きているのではないだろうか。
「クローズアップは悲劇、ロングショットは喜劇」とチャップリンが言ったように、
時間が経って、出来事との間にある程度の「距離」が生まれれば、
それはやがて笑いに変換される。
前回書いたホームレスさんの救急車騒動には続きがあって、
その数日後のお昼時に、同じベンチに、そのホームレスさんが座っていた。
隣には前回もいた女性が座っている。
私が彼らの座っているベンチの後ろを通りすぎた瞬間、見事なタイミングで何かを察するように振り向いて私たちの存在に気付いた。
アイルランドでたまに見かける、黒髪の女性だ。
まるで日本人のような真っ黒な髪なので、初めて見た時は驚いたものだ。
女性は「ほら、救急車を呼んでくれた人達よ」というように
隣の男性の肩をたたく。
振り向いた男性は、見違えるほど元気そうだった。
すると親指を立て、笑顔で私たちに向かって「ありがとう」と言った。
そうか。「ありがとう」というのは、こういう意味なのか——
まるで「ありがとう」という言葉を今初めて聞いたかのような、
新しいコトバに触れたかのような、嬉しいような、誇らしい気分になった。
彼らの隣には見たことが無い男性が座っている。お酒で真っ赤になった顔をこちらへ向け、愉快に手を振ってくる。
全く知らない人だが、ああいうのは、アイリッシュにありがちの愉快さである。
元気になってよかったが、
「お酒はほどほどに」、と一言添えたい気分であった。
最近はなんだか衝撃的な出来事が続く。
世の中には、どれだけ頑張っても笑いに変換されない類の出来事もあるように思う。
今はダブリン演劇祭の真っただ中。
第二波の到来で、キャンセルになってしまった芝居もあるが、
なんとかソーシャルディスタンシングを保ちながらほそぼそと行われている。
相方がお世話になった作家さんが一人芝居を国立劇場でやるというので、私たちは夜7時頃、街の中心へ向かった。
バスを使ってもいいのだが、最近はコロナのこともあり、
なるべく公共交通機関は使わずに歩くようにしている。
とある通りにさしかかったとき、右側に見たことが無いゲートが目に入った。
まるで、「こちら側」に住む人たちを向こう側へ行かせないために
建てられたような頑丈な柵だ。
こんなゲートあったっけ……と不思議に思っていると、
「バーン!」と銃声のような凄まじい音がして、
目の前の荒れたアパートの角から煙がもくもくと広がりはじめた。
そして、その煙の出どころからワラワラと幼い子供を含む若者たちが出てきて、道を横切り始めた。
全部で10名ほどだろうか。
私たちは混乱しながら、そのままアパートの角まで歩くと、
ベッドのマットレスのようなものから煙が出ている。
車の中でドアを開けて待機する謎の若者、その後ろで、たばこを吸いながら待機する警察風の制服を着た女性、笑い続ける子供たち——。
色んな光景が目の中に素早く飛び込んできて、混乱しながら足早に通り過ぎて行くと、
目の前から少し薬中っぽい女性が若者の集団に向かって怒鳴り始めた。
そして彼女を通りすぎた瞬間、また背後で「バーン!」と凄まじい音がした。
若者たちが、花火のようなものを女性に投げつけたのである。
全く生きた心地がせず、身体の奥底から不快な熱が沸き上がってきて、
かいたことがないような脂汗をかいた。
訳が分からず、私たちは必死にその場から逃げた。
若者たちのケタケタと笑う声だけが耳の中で鳴り響いた。
10歳にも満たない、幼い子もいた。
ちなみに、花火を所持することは、こちらでは違法である。
日本では当たり前のようにコンビニで売っている花火だが、
こんな凶器になるのか。
もともと、このバッキンガムストリートは評判の悪い通りである。
20年ほど前はヘロイン中毒の若者で溢れ、社会問題となった通りだ。
しかし、大規模なプロジェクトが実施され、かなり状況が改善された……はずだった。
その通りには、ヘロインで命を落とした人たちのために建てられた記念碑がある。
いつか映像で見た、紛争地でスナイパーから逃げる人々の光景が頭をよぎった。
あとあと調べると、こういった遊びが若者たちの間ではやっているという。
自粛生活が始まってから、その遊びはエスカレートしているそうだ。
貧困差も露呈している。
裕福な人たちは夏の間は、ほとんどが田舎など、自分の別荘に籠っている。
行き場のない貧困層は、街に留まっている。
裕福層が、田舎や島などの土地や家を購入して価格が上がっているという。
地元のさほどお金のない人達が払えなくなるなど、悪循環だ。
あの若者たち、子供たちが、あのまま人の痛みも分からないまま育ったらどうなるのだろうかと考えただけでも恐ろしくなった。
幼い頃にカリフォルニアに住んでいた頃、街を彷徨うホームレスの姿をよく目にしたが、
完全に車社会だったので、
あくまでも「一枚のガラスを挟んだ光景」であった。
一枚ガラスを挟むと、まるでテレビを見ているような感覚に陥る。
しかも、カリフォルニアの燦燦とした太陽が、
あまりにもあたりを明るく照らすものだから、
その明るさが深刻さを軽減するかのように感じられた。
今は、ひたすらに歩くので、その現場から自分を隔てるガラスもなく、
自分もその出来事の一部となる。
しかし、それで気分が落ちるかというと不思議とそうではなかった。
あの銃声のような凄まじい音を聞いて、その夜はなかなか眠れなかったが、
自分にできることはなんだろう、なんであんなことが起きるのだろうと
考えながら、むしろ真剣に生きなければという意欲が沸々と湧いてくるのだった。
次の日気分転換に訪れたフェニックス公園は、
そんな出来事が夢かと思うほど美しく、鹿たちがのびのびとしていた。
徐々に日が落ちる時間帯も早まり、秋の気配がする。
日本よりも、カリフォルニアよりも少し近い秋の空を見上げる。
今も夜になると、「バーン」とどこからか、
若者が花火を「投げる」音が立て続けに聞こえて来る。
この「いたずら」が、いつか笑いに変換できる程度にとどまることを願うばかりだ。
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