イーストウッドはイイひとずっと『J・エドガー』
クリント・イーストウッド監督最新作。公開規模の小ささが気になりますが、とてもおもしろかったです。前のめりになって集中して鑑賞してきましたよ。謎の多い人物であるFBI初代長官ジョン・エドガー・フーヴァーについて、その謎に重きを置くのではなく、事実として有力な出来事をつなぎ合わせる描き方をしていて、ハッキリとした物言いではないのに少しもモヤッとしないあたりは、イーストウッド監督ってやっぱりすごいなぁと思いました。フーヴァー長官について何の知識もないボクのような人にも「あぁ、こういう人だったのかなぁ」というイメージを与えてくれる。見終えて一日経った今「イイ映画だったなぁ」としみじみ感じておりますよ。
生き馬の目を抜かんとばかりに盗聴を仕掛けていったり、武勇伝を誇張いっぱいに語ったりするフーヴァー長官ですが、その猜疑心と虚栄心は、すべてFBIというフーヴァー長官自身がつくった/守ってきたもののためにあるもので、また、青年時代のフーヴァーの「そんな杜撰な捜査はオカシイ!」という純粋な夢/野望は、結果として科学捜査などの財産を築き上げたけれど、その成功はやがて思い描いていたものとは違う風に一人歩きしていってしまい、自分の信念/自身のためを貫いてきたフーヴァー長官に残った最後の想いとは「他者への愛」だった、というなんとも皮肉なドラマなんですが、素晴らしいのは事実のみをなぞったのにもかかわらず何故か直線にはならなかったような男を物語るイーストウッド監督の語り口にこそ「愛」があることなんですよね。それも、素知らぬ顔がちらつくほどの当たり前の「愛」です。
劇中で印象的だったのはフーヴァー長官とその腹心であるトルソン副長官が競馬に興じている場面で、若い頃と老いた頃とに続けざまに描かれていましたが、どちらも「逃げ」の馬に賭けているんですよね。若い頃には勝っていましたが、老いてからは負けていました。犯罪者や自分と敵対するひとのことを「逃がさない」とばかりに執拗に追いかけていたフーヴァー長官は、自分を貫き通す「人生の“逃げ”」を狙っていたわけですが、最後にうしろを振り返ってしまいました。って、ボクのような人間の言い方では程度の低いイヤミっぽいですね。ダメですね。はい。映画を見終えて思ったのは、イーストウッド監督の映画に出演した俳優が、撮影のテイク数や現場の静けさをよく話題にあげることで、これってもしかしてイーストウッド監督が役者出身であるということ以前に、愛をもって他者を信頼することの確かさを分かっている、ということの表れなのかもしれないですよね。そして、その現場のことがいつの日か伝説として語られるのかも。夢が広がります。イイ演技とイイ物語のあるイイ映画。おわり。