ヒア・アフター・トゥモロー『ヒア アフター』
クリント・イーストウッド監督作品。御歳80歳。絶賛傑作連発中の巨匠の最新作。題材はなんと「死後の世界」。ただ、「死後の世界」そのもの?への言及や描写は少なく、昨年の『ラブリーボーン』とはまた違った趣きの作品だったように思います。どちらかと言えばイーストウッド監督の前作『インビクタス/負けざる者たち』と同じ、現代を生きる人々への実に普遍的な応援歌のように感じ、凡人のボクには前作同様クリーンヒットしてしまいましたねえ。素晴らしかった。
大津波による被害で臨死体験をした女性キャスター・マリーの「死」や、双子の兄を交通事故で亡くしてしまった少年マーカスの「死」。そして、小さい頃に頭に大怪我を負ったことがきっかけなのか、人の手を握るとその人についての「死=亡くした人への想い」が見えてしまう霊能力を持っている主人公ジョージ。彼らが持っている「死」についての苦悩。その苦悩ゆえのつらい日々を過ごしている登場人物のドラマがゆっくりとつながっていく、といった物語。丁寧だなと思ったのは大津波に九死に一生を得たマリーが旅先に同行していたプロデューサーとなんとか再会を果たす場面で、ふたりの目と目が合ったときに大げさに声を荒げたり泣いたり愛の言葉を交わしあったりしないこと。ふたりの再会という事実だけをさりげなく描いているのですね。対照的に少年マーカスの場合、初登場シーンとなる母へのプレゼントとして贈るための写真撮影の場面で、撮影していたカメラマンが瓜二つの双子ふたりを見分ける方法として、「よく喋るほうがジェイソンで無口なほうがマーカスだね」との見解を口にする。この会話が、のちに車にはねられたジェイソンを前に「ジェイス!動いて!ぼくをひとりにしないで!ジェイス!」と連呼する場面に活きていて、無口であるはずのマーカスの嘆きの言葉に胸打たれるのですよね。そういった大げさになりすぎず、且つ単純でわかりやすいといった丁寧な手法でドラマが進んでいき、当たり前のことを当たり前のようにやってしまう手腕に何故だか何度も驚かされることに。
さて、もうひとり、本作の主人公といえるのは自身の能力に苦悩し引退した霊能力者ジョージです。彼は新しい生活を始めようと通う料理教室でブライス・ダラス・ハワード演じる美女メラニーと出会い、なんと彼女のほうから「ちょっとお腹減ったわね、どう?一緒に食事しない?お店?バカね、わたしたちは料理教室で出会ったのよ?自分たちで作らなくっちゃ!さあ、乗って、あなたのお家はどこ?」といったスーパー素晴らしいお誘いを受け、なかなかちょっとイイ感じの雰囲気になるのですが、ひょんなことから霊能力のコトがバレてしまい、案の定、その日以来会うことはなくなってしまうんですよね。その別れをきっかけにそれぞれの「死」についての失意を抱えた者として、マリー、マーカス、ジョージは出会うわけですが、ここでも淡々と事実のみが語られます。ジョージはマーカスへ「もう泣くな、ひとり立ちするんだ、でもぼくの帽子はかぶるなよ」という、あちらの世界にいるジェイソンからのメッセージを伝える。しかし、「いやだ!ジェイス戻ってきて!」とマーカスの悲しみは当然癒えない。この悲しみの結末を描けばドラマは生まれると思いますが、この映画はそれをしない。その事実を伝えることに徹している。さらに臨死体験の経験談を出版したマリーも失意の旅をしていたジョージと出会い、お互いがお互いの良き理解者となっていくらでもドラマが生まれそうなところなのに、またしてもその事実を伝えることだけをして、映画は幕を下ろします。物足りなく感じもしますが、この、答えをあえて描かないことによる余韻がボクは心地よかった。また、その余韻に「来世」という得体の知れないものを見つめることよりも、まだ見ぬ「明日」に希望を持とうじゃないか、とのメッセージも感じることができて、とても共感できるいい映画だなと満足感にひたることに。そんな素敵な想いをかみしめ、イーストウッドにも「分からない」と口にするコトってあるんだなあ、などとほくそ笑みながら、映画館という暗闇をあとにするのでした。