東浩紀氏「二次創作文化は限界。『子どもの運動会が一番楽しい』という世界だ」 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

東浩紀氏「二次創作文化は限界。『子どもの運動会が一番楽しい』という世界だ」

ひょっとしてtogetterとかになってたかな?なってたらごめんなさい。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140524/p1
 &
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140525/p2
からの続きと思って読んでもらいたい。

https://twitter.com/hazuma
東浩紀 hiroki azuma @hazuma · 5月19日(2014年)
明後日に備えてなんとなく書いておこうかと思うのだけど、ぼくは二次創作文化って限界迎えていると思うのよね。(←ええっw 自分でツッコミ)
 
二次創作とは基本的に原作(オリジナル)のコピー。しかしコピーであるがゆえに原作の作品世界を拡げる/変えられるところに、おもしろさもあったし批評性もあった。原作との緊張感もあった。それはエロパロだってかわらない(エロこそ緊張感があるとも言える)。
  
二次創作には力があった。70年代から90年代にかけ、日本ではコンテンツの震源地が徐々に原作から二次創作へと移っていった。そこまではいい。しかし2000年代以降は二次創作があまりに一般化し、原作との緊張感を失うことになる。となると残るは「だれでも表現者になれる幻想」の世界。
 
むろん「だれでも表現者になれる幻想」も悪いわけではない。ただそれは「だれでも子どもの運動会はおもしろい、友人の演劇は観に行く、同僚のカラオケは褒める」ていどのものにすぐに堕していくわけで、金儲けには有望だけどコンテンツの震源地にはならない(カメラは売れるが写真の質は関係ない)。
  
この点で、村上裕一やさやわかが「コンテンツの自給自足」状況を高く評価するのはぼくは同意できない。それは単に「みんな子どもの運動会がいちばん楽しいよね!」という状況を肯定しているにすぎず、コンテンツの放棄だと思う。ネトウヨとは関係ないが、明後日のトークはこここそ焦点にしたい。
 
……とかいうことを、大塚英志氏の角川ドワンゴ合併を腐す文章を読んで考えました。大塚さんが言っているのは、要は、春樹はまだ二次創作の支援者だったけえれど、歴彦は運動会でカメラ売るビジネスのひとで、だからドワンゴと同じなんだってことですよね。それはまったく正しいと思った。
 
ちなみに最後につけくわえれば、そんなぼくの娘の運動会が今週末に迫ってますが、娘3年生にして、コンテンツ重視のぼくはもう運動会には飽きてきてますw あれに情熱燃やし続けられる親は偉いわ。。
 
ツイッターフェイスブックに囲まれているいま、作品を作るのは親戚や友人に褒められるためではない、というかひとはそもそも親戚や友人と仲良くできないからこそ作品という時間を超えるものに自分を託すのだ、というあたりまえのことを確認したいきもちになっています。

おっと、ここで語られる問題こそ、さっき紹介した、
星新一の(たぶん)この本の中の一編に、より関係しているんだ。
オチも含めて。

未来いそっぷ (新潮文庫)

未来いそっぷ (新潮文庫)