・何度かtwitterでは見る前からつぶやいた話だけど、話題やこの作品への(政治的)批判、それへの弁護論を聞いて自分は「ああ、”月ロケットの父”フォン・ブラウン博士のテーマとつながるな」と感じた。そして見たあとも、やはりそうだな…とその見方はかわらなかった。
ある意味、住所は同じで、同じアパートの3号室と5号室ぐらいの距離しかない(笑)。
そういう点で、もし映画の中で…あそこで描かれた「自分の夢を最優先し、政治の善悪の判断もその夢の前には優先順位が下になる」者たちの悲喜劇に興味がある方には、一昔前の漫画だが是非この作品を手にとってほしい。
地球の引力を超え、宇宙へと目指した男たち時代の波に翻弄され、人々の嘲笑を受けながら、それでも宇宙への情熱を捨てずロケット開発を推し進めた、ロシア、ドイツ、アメリカの天才科学者たちの姿を描く。
- 作者: 森田信吾,伊藤智義
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/05/12
- メディア: 文庫
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・「栄光なき天才たち」にはさらにいくつか、印象深いかたちで今回の堀越二郎につながるような人が描かれている。
ひとりは、空気から窒素を取り出す「空中窒素固定法」で、おそらく世界の数億人にさらに倍する人々を飢餓から救い出し(窒素は作物に必須の三元素のひとつ)…ついでに火薬の大増産を可能とした上に、第一次世界大戦で人類史上初の「毒ガス」まで戦場に登場させたフリッツ・ハーバー博士。まあ、この人は熱烈なドイツ愛国主義のもとに勇んでそういう兵器を作ったのだからある意味で矛盾はない。ただ、人種がユダヤ人で、ナチによって祖国を追放されるという別の矛盾をその身に受ける…。妻は、自殺したという。毒ガス開発反対のためとも言われる。
ウィキペディアの「フリッツ・ハーバー」
「栄光なき天才たち」では旧版2巻に収録
- 作者: 森田信吾,伊藤智義
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1988/05/01
- メディア: コミック
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・もう一人はエンリコ・フェルミ。
彼は対ナチで原爆開発にかかわったが、ナチ降伏後の利用には反対。ただ「爆発実験だけはしましょう」という甘言でネバダ砂漠の実験を見たとき、彼は感激にうち震える。同僚はインドの叙事詩ラーマヤーナから、破壊神をたたえる詩をつぶやく。
そのコマのモノローグ(記憶による大意)
「彼は麻薬中毒者のように見えた
彼から見たら わたしの顔も同じだったろう
われわれ科学者は 知識の中毒患者なのだ−−−」
「栄光なき天才たち」では旧版1巻に収録
- 作者: 森田信吾,伊藤智義
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1987/11
- メディア: 単行本
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・さらに思い出したのは、やっぱり「へうげもの」の千利休であり「プラネテス」のロックスミスであり、パトレイバーの内海課長であり…ってこのへん、基本的に自分は同じカテゴリーと見ているんだよな。
この前紹介したばかりなのに、また再紹介するのもなんだが、やっぱりそういうふうに自分はつなげる。
プラネテス・ロックスミス問題について。過剰な「わがまま」は力に通ず
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090817/p5ゆうきまさみデビュー30年の年に、あらためて「内海課長」を考える。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101202/p2
5歩か6歩ほど間違えたら、政府からの降伏命令があっても「ヘルキャットとの決着はついていません」といって堀越課長?率いる企画七課?は、ゼロ戦を勝手に持ち出して私闘を行っていたかもしれない。
・今だって、アメリカが無人爆撃機「プレデター」を実用化するまでには、技術者たちの汗と涙、そしてひらめきと天才的発想のドラマがあったろう。その技術者のドラマが、60年後には作られるのだろうか…?
・声優問題だけど、自分は最初はそのことをすっかり忘れて普通に鑑賞し、途中で「この声優へただなー」と思って「あ!そういや庵野監督がこの役なんだっけ」と思い出したぐらいだからな。それは成功なのか失敗なのか(笑)。ただ自分は、そもそも声優ってあんまり気にならないんだわ。だから参考にはならないな。最後にクレジットを見たら、声優じゃなく俳優が例によってずらずら名前を連ねていたが、いくらアニメ監督→声優と俳優→声優は違いすぎるとはいえ(笑)彼らを不自然とはまったく思わなかったんだから、まあ声優論は語るのやめとくわ。堀越の上司役だった西村雅彦は、これは知っている声優・永井一郎と勘違いしてたし(笑)。ただとり・みき氏も「波平の後継者になれる」と言ってたから似てるんだよ!!な?な??
・ふわりと浮かぶ飛行機や紙飛行機の描写、美しい田園の描写などは言わずもがななので「綺麗でした」と言うのみだ。
・軽井沢に出てくる、「避暑中」として軽井沢に長期滞在し、しかも国際情勢に精通している怪しげで社交的な外国人…一触即発の国際関係の時代に、多くの外国人が集まる場所には必ず出てくる諜報戦の描き方はなかなかアクセントとしては面白かった。これも自分は「ジュネーブもの」「上海もの」として、個人的に好きなジャンルだった。
・「白馬の王子様」を理想の男性としてたとえるという風潮、戦前からもあったのかね?まあ大正浪漫の時代、あってもおかしくないんだけど。今では完全にパロディや大喜利の世界だが「言葉・概念のルーツ好き」としては、この時代、上流階級の聡明なお嬢さんが、偶然であって熱烈に恋愛できた男性を「白馬の王子様」とたとえる、というのは時代考証的にOKか…ちょっと知りたい。というか、そういう歴史背景がないと、あまりにも表現がベタだ。監督古いよ!と思わず言っちゃいそうで(笑)
・「女性が主人公にとって都合よすぎ」批判ももっともだが、理想というのはそういうものだろう…ただ、あの作品的には、「本当に純愛なら、堀越は仕事を捨てて最愛の妻の最後を高原病院でともに看取るという選択肢もあったんじゃね?」という批判、批評が…とくに海外から出るんじゃないかな?と思っている。
これは井沢元彦氏の指摘だが、いまでも、プロ野球で…「家族の死や病気、出産、手術…」に際し「試合を休んで家族のもとにいます」と「それでもその思いを胸に秘め、試合に出場する」では、<日本の場合は>後者をやっぱり優先、というか賞賛するメンタリティはぼくにも、貴方にも大なり小なりあると思う。そしておしなべて、全体的な傾向で言うと、外国(欧米)では前者こそ正しい姿だという意識は日本より強いと思う。
この善悪は大いにあとで論じるとして、少なくとも今回の作劇では、やぱり宮さんは、その日本の無意識の意識、価値判断に乗っかったのだと思う。たぶん自分の現実の仕事ぶりも、それをよしとする価値観がやはりあるんだろうしね(笑)。
・最後に。
「同時代で、同じ方向性の夢や情熱を持つもの同士は、ひとつの夢の中で距離や言語を超えて交流することができる(たぶん同一の夢を共に寝ながら見ている)」…という設定、これは傑作。
というか、すごく使い勝手がよくて、この設定だけ独立させて、ひとつのジャンルにできないかな。そうすると、物理的に出会ったり互いを知ることが出来そうもない同時代の人物を架空・実在を含めてさまざまに交流させることが出来るから。
ちょっとこの話に関連している
同時代架空・実在人物の対決・共演に関する妄想話
http://togetter.com/li/544720