尖閣問題から噴出した日中摩擦に関連し「中国嫁日記」でもそれについての作品が多数登場しました。(作者が手術を終えて作品が描ける、ということでもあるが)
http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/
そのうちの一編。
http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/archives/51494810.html
「○○TVです、領土問題を巡って夫婦喧嘩などしてませんか?」
「○○新聞です、お宅では領土問題で・・・」
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「結論ありきで取材しない!そんな理由ではケンカしません!」
そういう取材が殺到するということは、外国人には特別にエキストラ出演の需要があるので、どっかの事務所に登録する仕組みがあるように、メディアの取材を受けるルートがあるのかしら?
という話はさておき、この前だいぶ話題になった、うなぎを巡るブログもありましたね。
http://ameblo.jp/unagiyasan/entry-11310880083.html
■今朝、メッチャ腹立ちましてん
やってきましたテレビで見かける有名アナウンサーさん。
アナ「うなぎの相場どうですかぁ〜?」
僕 「高い高いって、報道されてますけど、実際には5月からかなり下がってまして、昨年よりほんのわずか高い程度になってますよ」
アナ「でも、近江町の他のお店は高いお店も有りますよね〜?」
獏 「他店は分からないけど、実際にいつもの仕入れ業者さんからの相場が下がっているのが事実ですよ」
アナ「え?? そうなんですか? じゃ、申し訳無いんですけど今回の番組の趣旨と合わないので他店で取材させていただきます。失礼します」
とか、唐沢なをき「マンガノゲンバの取材を断る」みたいなね。
http://blog.nawosan.com/archives/51566263.html
・・・インタビューでディレクターさんの質問に対し、なをさんが彼の考えた「ストーリー」に反する答えを言うとします。すると、彼はがっかりした顔で苦笑しつつ、「いや、そういう答えじゃなくて〜」と、別の答えを要求するんです。自分の「ストーリー」に即した答えを言うまで許してくれないんですよ・・・
これを「とても現実に近いフィクション」化し、「まんが極道」4巻に書いたとか。
- 作者: 唐沢なをき
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2010/02/25
- メディア: コミック
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最近読んだ(再読した)本で、そんな話があったのでついでに紹介を。発売当時はけっこう話題になった「絵はがきにされた少年」というノンフィクション短編集です。
あ、文庫にもなっているのか・・・
日本人が忘れた清涼な魂の物語。
- 作者: 藤原章生
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/08/20
- メディア: 文庫
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今なお、被差別、貧困に満ちたアフリカ。しかしそこには、足ることを知る、純朴な人々が生きている。放っておけば砂塵のように消えてしまう彼らの存在を、言葉を、作者は温かい目で掬いあげ描く。第3回開高健ノンフィクション賞受賞作。
表題作は、話としてはこういうことだ。新聞社のアフリカ特派員であった著者は本社から「情報と20世紀」というテーマで依頼を受ける。
そのときの本社の要請。
「情報だからよ。こう、ジャングルの村みてえなところで、原住民がインターネットやってるとかよお、いろいろあるだろう。ケータイ使ってるマサイ族の話とかよお」(※原文ママ)
さらに条件がつく。
「あさっての夜あたりまでに、とりあえず、原稿もらえるか・・・(略)おめえならできる。だから、おめえに頼んでんじゃねえか、おい。何とかなるだろうが、あぁ?」(※原文ママ)
そんな取材要請に対して、レソト王国のインテリ老教師をつかまえたものの、あまりインタビューは面白くない・・・しかし別れ際、その老教師はふと思い出し、「自分は、子供の頃1回だけ写真に撮られたことがあるんですよ」と一枚の写真を見せる。。
それが・・・1934年に撮影され、絵はがきにされた「クリケットで遊ぶアフリカ人のこども」(レソトは英国の植民地だった)の写真だという。1934年だからカメラもまだまだ未発達で、ポーズの注文などはまあぶっちゃけ、やらせみたいな感じだったとか。ただ当時は、それがそもそも「写真機」であるとも知らなかった。
彼は「それが絵はがきになった」という連絡なども受けず、第二次大戦後の1945年。英語教師として収入を得て、雑貨店で「つけで買い物ができる」という栄誉(アフリカでは相当なことなのだ)を得た彼がその手続き中、偶然店に飾られた自分の11歳の姿におどろく。そうか、あれが写真機だったんだ!!
そして彼もその絵はがきを入手し、引き伸ばして家の壁に飾った。
という、話。
・・・を取材した著者が報告を入れると、本社がいう。
「なかなか面白そうじゃねえか、え?・・・ただ、なんていうかなあ、そのじじいの話だけじゃ、ちょっと弱えわな。見出しどころっていうとどんなだ・・・問題はそこ(老教師と写真)にどういう意味があるかだな。意味づけだよ、意味づけ。こう、やっぱ、悔しいとかよお、踏みにじられた気持ちっていうのかなあ、差別されたアフリカ人のよお・・・」
(作者「いや、とにかく嬉しかったみたいですね」)
「いや、それだけじゃねえだろう。そりゃいろいろ、おめえ、言いたいこともあるんじゃねえか。ブリティッシュの連中によお。大体、あいつらはごう慢なんだよ。アフリカ人の怒り、怨念ってものも相当なもんじゃねえのか、え? その辺の、ま、虐げられてきたアフリカ人の感情の機微っていうか、こう、人間の心のひだ、みてえなもんを描くのが、おめえの仕事じゃねえのか、え?」
・・・写してみると、なかなか寅さん的な名調子だな(笑)。まあそれもそのはず、上高(上野高校)出身で「足立、台東、荒川育ち」を自認しているそうで・・・作者も上高卒とのこと。
と、本社デスクに言われました著者は、しぶしぶアフリカの老教師に再取材するが・・・
「撮影者への恨み、ですか・・・さあ、特にありませんでしたね。むしろ、家宝を撮ってくれて、いまも感謝しているぐらいです」
しかし作者は回想する。
そんな言葉をよそに、私はひとり「被写体としてのアフリカ」「情報が決して還元されないアフリカ」といった「見出しどころ」を考えていた。
その後は本書でどうぞ。
ま、こんなふうに、やはりある種の仮説というか、構図というか、アングルというか・・・そういうのを決めておいて、取材はそれを確認する作業・・・というパターンはやはり尽きないみたい。ただ、まったくノープラン、ノーアングルで取材に出るのがいいかというと、これも違うようだ。
それはこの前紹介した「ノンフィクション新世紀」の中で「戦争広告代理店」「大仏破壊」の高木徹氏が話している。ようは予算や時間を抑えるにも「あらかじめこちらで発想した問題意識に基づいて事前にめどをつけておく必要がある」のだそうだ。
高木 人が見つかれば、先乗りで要ってもらえるわけです。というには全部イチからやると出張期間がものすごく長くなって莫大な予算になってしまうので、あらかじめこちらで発想した問題意識に基づいて事前にめどをつけておく必要がある。
(略)
―ー先にリサーチャーに現地で調べてもらい、その結果が上がってくる。それを判断してから高木さんが「面白いからこの人にインタビューしよう」とか、番組の構成を考えてっ現地に行くわけですね。
高木 それだけでなく、こちらから人を決めて撮影交渉をリクエストする場合も多いです。石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀 ---世界を変える、現実を書く。
- 作者: 石井光太
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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それが「いい仮説」となって見通しを良くしてくれるか、唐沢なをき取材のように相手を怒らせるほどのゆがんだ像になるのか。それは最初の見立てよりも、途中の「修正力」にあるのだろうな、たぶん。
そう言えばこの作品も、最初のの仮説が崩れていく光景を描くことで、逆に成功したノンフィクションだった。
■長き旅の果てに。作者の意図を離れ、禁断の扉を開いた木村政彦伝の真実は(増田俊也・ゴン格)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101226/p1
ここまで書いて、私は迷っている。
ここから先、何をどう書いたらいいのかと。
考えに考えた末、迷いに迷った末、私はあったことをそのまま書く。
- 作者: 増田俊也
- 出版社/メーカー: 新潮社
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かつての「撮られる」喜び、見られる喜び
植民地で勝手に撮影した写真を、本人の承諾なく絵はがきにする、というのは今じぶんのコンプライアンス的にはいろいろと問題もあり、そこに(当人が喜んでいようとなんだろうと!)問題意識をもつ、というのは完全に否定されるものでもないと思う。
ただ、この話を通して読むと、「そうか、むかしは『写真』はとても貴重なものだったんだな」という当たり前のことに気づかされる。
自分の家系を3代、4代さかのぼればあっという間にご先祖の写真は1枚だゼロ枚だ、となる家が、それなりに文明開化した日本ですら我が家をふくめ大多数だろう。
アフリカで、1930年代の少年時代の自分が映像として収まる、ということの喜びは、やはり想像もつかないものがあるのかな・・・と思ったりした。
70年代の後半かな?
沢木耕太郎がトルコに行ったとき「そのカメラで俺を撮ってくれ!」という注文が街で殺到し、「写真が出来たらここにおくってくれ!」という住所を記した紙も山のように渡された、という記述がある。
当時はまだまだ、日本でもカメラは貴重だったし、一家の長のパパが威厳を見せる晴れの道具でもあった。
いま、その日本でもデジタル化により「カメラって、携帯つきのも含めて増えたなー。安くなったなー。誰でも撮れるようになったよなー」と驚いているのだから・・・トルコやアフリカでも「写真革命」はさらに劇的に進んでいるのだろうね。日本から来た観光客が、現地の人に「俺を撮ってくれ!」とせがまれる、という話も、間もなく(既に?)むかし話なのだろう。
あ、思い出した!!台湾のNHKスペシャル関係の訴訟ってどうなった?
いま、「撮る」や「見られる」について書いていてふと思い出した!もう結審とかしたのか?判決が出ているのか???
と、「台湾、NHKスペシャル、民事訴訟」とかの単語で検索したら・・・まだ2012年でも続いているみたいだ。それもNHKの番組ディレクターの、証人尋問とかあったみたい。
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1851.html
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1852.html
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1854.html
あ、ここでも一方の立場からだけど、NHKが実際にインタビュー取材するときにはこういうふうにやっている、ということが分かる。
訴訟の判決は最終的にどうなるか分からないけど、ここでも「絵はがき」の老教師のような「見世物」のパイワン人、が出てくる。
ただ、当時、「海外旅行」がSFのような時代であったとき、世界の文明の最先端をいっていた英国ロンドンに旅をしてそこに何日も滞在する、という体験が、想像もつかないものであっただろうことは想像に難くない。(「想像もつかないことは想像に難くない」ってみなもと太郎みたいなギャグだね)
それは自分が「見世物」になろうと、なかろうとだ。
同時に、・・・だいぶ時間が経過し、人権意識や「見世物」「海外」などの概念も変わったであろう今、身内がその話を聞いてどう思うか・・・これもちょっと判断に難しい。
いろいろと「感覚」は、時代によってあっという間に変わっていくものだ。
あ、そうだ、オチをつけよう。
本日再開第二戦があるリングスは、関連イベントとして「不良が戦う」が売りの「THE OUTSIDER」というイベントをやっています。てかこっちのほうが有名なぐらいで「日本最大の格闘技団体」という見方も。
ここで、ある試合には「不良の中の不良」と「不良じゃない、フツーの人」の戦い、という構図があったのですが・・・
たけだけしく、獣のように本能で攻めてくる不良と、それを技術や戦略でコソクにもひっかけようとするフツーの人、というアングルがほしかったのか、
「頭を使えば勝てる」というフレーズをフツーの人はよく使っていたことになってました。
だが・・・
http://ameblo.jp/swimmingeye/entry-10325863913.html
DVDに出てくる「頭を使えばry」の下りは以下のやり取りの編集によるものです。
DVDの人
「格闘技の魅力ってなんですか?」佐野
「パワーとかスピードがあって技術がなくても強い人がいますし、逆にパワーやスピードがなくても技術があって強い人もいます。で、パワーがあるとかスピードがあるだけでなくて、頭を使えば差を埋められる、そういう風に人間のトータルの力が出るところが面白いですね」DVDの人
「では、佐野さんの強みは?」佐野
「フィジカルです(ケトルベルを持ち上げながら)」
実際、実はこの「フツー」側の選手のほうが、無駄に鍛えた筋肉、フィジカル任せの怪力無双で勝ちあがっている小型ビスケット・オリバ(または狂鬼のジャルゴ)だったのです・・・むしろ不良のほうが柔術に基づく理詰めの寝技が得意(笑)。
というわけで、久々の佐野哲也オチ。