自家用車の運転者は、殺人者になる可能性を十分認識した上で、それを実行しただけ
10/27、静岡で59歳男性が運転する車が幼稚園児の列につっこみ、多数の重軽傷者がでました。幸い死者はいないようです。
なんでも、猫をよけようとして、誤って突っ込んだとか。
本人はとても評判のいい人で、反省してしょげている、とか。
人間の子供を生んで育てている人は、こういう殺人(未遂)者をどう思うのでしょうか。
過失でないから仕方ない。
自分も運転するから、仕方ない。
この人は本当はイイ人で、運が悪かった。
明日はわが身かも知れない・・・。
というのがマスコミ、世間の見方なのでしょうか?
自動車による犯罪は、過失であれば、そんなに許容される必要があるのでしょうか。
私は違います。
自家用車を運転する人間は、殺人者になる可能性を十分認識した上で、それを実行しただけの犯罪です。(今回は幸い殺人未遂でしたけど)。
人を殺すかもしれないことを前提にした行為に、何の同情の余地があるのでしょうか。
また、自分の子供を持つものは、どうして自分の子供を殺害するかもしれない行為を放置できるのでしょうか。
ましてや、子供がいながら自ら平気で自家用車を運転する行為は、私には全く理解できません。
子供がいると、自家用車なしでは何もできない、という理由は免罪符になるのでしょうか。
自家用車がなければ生きていけないと豪語する人には、他人を危険にさらしながら生きていく権利があるのでしょうか。
歴史上、自動車の存在はつい最近のことです。いうまでもなく、道路という公共スペースは万人の自由であり、歩行者にその往来の権利があるはずです。
人間は自家用車がなくても生きていける生活をする義務があるはずです。どんな田舎でも、昔は歩行者しか存在しませんでした。
私は自家用以外の自動車は否定しません。物資の往来に最低限必要な手段は、厳しい審査を受けたプロドライバーが担ってくれれば、まだ安心です。
この程度の事故は、はじめてではありません。常時、自家用車殺人は起きています。
これも結局、忘れらてしまうのでしょう。怖い思いをした園児たちを除いては・・・。
この殺人(未遂)者も、たいした罪にはならないのでしょう。ヘタすれば執行猶予でおしまい?
反省しているそうです。
でも、そんな良心があるのなら、その場で潔く責任をとって欲しかったです。
それだけの犯罪を犯していると思います。
それでも私は、生まれた以上はこんな世の中でも、折り合いをつけて、楽しく生きていきます。
殺人行為にも我慢します、殺されないように、上手く逃げます。
でも、自分の子孫には、こんな我慢はさせたくありません。