スコットランド④ 1153年~1249年 : Lotus Life
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スコットランド④ 1153年~1249年

1153年、
One of the greatest of Scotland's early kingsと呼ばれるデイヴィッド1世の後を継いだのは、
11歳になった孫のマルカム4世でした。
イングランド王ヘンリー2世は、
デイヴィッド1世が領有していたノーサンバーランドやカンバーランド(イングランド北部)の返還を要求
マルカム4世はこれに応じて領有権を放棄します。
北部ハイランド(スコットランドは北部をハイランド、南部をローランドといいます)で豪族たちが反乱をおこしますが、
これを制圧
しかし、もともと病弱だったマルカム4世は、23歳の若さで亡くなります。

1165年、弟がウィリアム1世として即位します。
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これが、Royal Standard of Scotland
ウィリアム1世は、スコットランドの紋章に初めてライオンを用いたので、
“William the Lyon”と呼ばれています。

ウィリアム1世は、兄の代で失った北部イングランドを奪還することを目標の1つに掲げます。


おりしも、1173年から1174年にかけて
イングランドでは、ヘンリー2世の独裁と横暴に対して
妻と4人の息子たちが反乱を起こします。

この混乱に乗じて、ウィリアム1世はイングランドに進軍!!!
ところが、逆に捕えられ、
イングランドに忠誠を誓うことを約束させられ、
「ファレーズ協定」を締結させられてしまいます。
これは、スコットランド南部にイングランド軍を駐留させることを約束するものです。
ところが、イングランド王にリチャード1世が即位すると、状況は変わります。
リチャードは十字軍の遠征に夢中で、どうしてもそのための資金を必要としていました。

そこで、1万マルクと引き換えに、
スコットランド王の主権回復と、
イングランド軍のスコットランドからの撤退を認めさせることに成功します。

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ウィリアム1世は、
キリスト教にも熱心で、
ローマ法王と交渉して
イングランドのカンタベリー大司教区から独立しました。
上の写真は、彼が建てたArbroath Abbey

1189年
ウィリアム1世が亡くなると、
16歳の息子が、アレグザンダー2世として即位します。

彼は、イングランド王ヘンリー3世の妹と結婚しています。

1236年には
ヨーク条約(Treaty of York)を結び、
スコットランドとイングランドの国境線が
確定します。
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国境のCheviot Hills

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国境のCheviot Hills

1249年
ノルウェーからヘブリディーズ諸島を奪還しようと進軍しますが
アレグザンダーー2世はその途中で亡くなります。
後を継ぐのは、
息子のアレグザンダー3世です。

by lotuschar | 2019-03-31 14:02 | 英国史スコットランド

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