- 1日前 光明論下巻 巻の六 223番 目下の者には常に己が権威を彼の身上に止め居るによって心のみのはたらきにて、意にも通ぜずして怒るによりて破壊性となり激怒し、融和性とか分解性等の余裕を与ふる暇あらざるによりて斯くも相違ありと知らば可ならん セイキョウ貴尊講義
- 1日前 光明論下巻 巻の六 222番 五味を整へんと計るならば先づ是等の煩悩を滅却して、愛の思ひ慈悲の思ひに変ぜしむる工夫せざるべからず。五味の木の如く飢えざる程度の食事寒暑に堪ゆる衣装、植えつけられたる住家に甘んじて立派なる結実を一人にても多くの人に施さんと計る大慈悲心を養成するは、即ち心意魂魄の任務なりと考へてここに一段の工夫を要す セイキョウ貴尊講義
- 1日前 光明論下巻 巻の六 221番 先づ五味を心意魂魄霊と見なして考察せば、心の味意の味魂の味魄の味と其一々の味がみのりては葉の内に入りて消化され、最後に霊の味が落ちて此処に初めて完全なる結実を得て全く完成して、多くの人を救ふに至ると云ふ実に調法なる木なり。即ち人間の徳は此心意魂魄霊の五味が融和して組織せられたるにあらざれば、完全無欠の徳は現はれざるなり。五味一体となすべき修養修行をなしてこそ、真の人格はそなはり真の人道を歩むことを得るなり セイキョウ貴尊講義
- 1日前 光明論下巻 巻の六 220番 所謂五味とは心意魂魄霊の五味ならずや此五味五徳備はらざれば人にはあらず。又人としての価値はあらざるなり。五味五徳完全に整ひて人に処して世を益し、又世を救ふ糧となるなり。是天より授かりし使命を全うしたりと云ひ得らるなるべし。然らずば使命を果したりとは云ひ難からん。人は喰はんが為に東奔西走して食を求むれど、五味の木は植えられし所に安住して、然も飢えざるのみか己の力にて他を養育なす力そなはる セイキョウ貴尊講義
- 1日前 光明論下巻 巻の六 219番 教主の第一の教へはここにあるべし。辛酸甘苦をなめたる人にして初めて人の徳は現はるれ。是をなめずしてうかうかと親の財産に依て易々喰ひ眠りて空しく世を終りたる人に何の徳あらん。生涯を無味乾燥にして実に憐むべき一生にて徳の現はるべき由もなし セイキョウ貴尊講義