真夏の18旅初日最後に乗るのは17:04発三次行きであります。
ホームに戻ると中国山地の非電化
ローカル線でおなじみのキハ120が待ってました。
がその車内はなんと全ロングシートでした・・・(泣)
初日の締めとしてせめてボックスシートありの車両期待したんですが
ラストで一番最悪なカードを引きおみくじでいえば大凶を引いたような心境でした。
発車する10分前に到着した府中行きの列車からの乗り継ぎ客で
座席が埋まり立ち席が出るほどの盛況の中出発しました。
旧ブログ時代から含め今記事は過去最長の写真枚数を載せ
長ったらしくしゃべりますがごゆっくりご覧いただけたら幸いです。
芦田川の鉄橋を渡り府中市中心部を眺めます。
夕方5時を過ぎ日が明るい8月なので車窓を楽しめますが
冬季は完全夜で真っ暗の中車窓を楽しむこともできないので
日照時間は旅する上で重要と心がけてます。
県道と並走しながら向かっていきますがまっすぐに伸びてる線路は気持ちいいですね。
進んだ先に25のポストがありました。
そう中国山地の
ローカル線(
芸備線、木次線等)でよく見かけますが
本当の理由は経費削減で広島支社の
ローカル線(赤字路線の)で
列車本数、車両、保線は最低限支障が無い程度にやってるのが実情です。
これが
JR西日本の中国山地を走る路線の洗礼を早速受けました。
とはいえども車窓の方は素晴らしく市街地、住宅地から一変し
のどかな田舎道をゆっくりと走っていき府中が境界点であることを証明してます。
中畑駅もあり野球ファンならこの名を見ておっといいそうですね。
河佐駅は駅前に家が何軒も建ってます。
駅前には個人の商店がありますが駅で乗り降りする人はいませんでした。
橋の真ん中に25キロ制限のポストがあり先へは中々進むことは出来ずでした。
速度制限解除後1989年に出来た全長6.123キロの八田原トンネルに入ります。
八田原ダム建設に伴い1989年4月20に廃止となった八田原駅の在りし日の写真が展示されてました。
写真を見ても周りは山々の中にホームがあるだけののどかな駅ですね。
オールロングで飽きさせないよう沿線の写真が紹介され
福塩線の歴史の一部がわかるような気がしました。
トンネル抜ける間に睡魔が襲ってきて10数分落ち目覚めたら備後矢野駅に停まってました。
ここで反対列車の待ち合わせの為2分ほど停車。
島式ホームがあり木造駅舎内にそば屋さんがあります。
短時間ですが少しでも見れる所は見ていきたかったんですが・・・。
直後府中行きが来て2分間の停車時間はあっという間に来てしまい時間切れとなりました(泣)
目覚めた時点でアウトという現実を突きつけられながら進んでいきます。
時計の針は夕方6時が近づいていきますがお盆休みの時期はまだまだ明るいです。
備後矢野から次の上下まで分水領を超え上下駅に着き
ホームには
福塩線で一番高い位置にあるとポストがあります。
ここも構内が大きな駅で見ごたえがありそうでしたが列車本数が少なく
翌日に影響するので心を鬼にし先へ進みます。
余談ですが分水領とは芦田川水系から江の川水系のことです。
駅を出てすぐには商店や民家もあり中心部に値する場所にあり
利用する人がいなくともこうした建物あるとほっとしますね。
道中は必死のパッチでシャッター押しまくったので写真のストックがかなりあり
どれを載せようか迷う位大量に撮りためたので初日ラストの記録は40枚以上のせました。
山間部を走る途中開けた場所も通過していきます。
一気に進んでいきたいと思いきや道中幾度となく見た徐行25ポストに遭遇。
三次への道は険しく地獄のロングシート旅はより厳しいものでした。
非電化区間は広めの構内を持つ駅があり
夏草や兵どもが夢の跡 となってしまった駅が途中いくつもありました。
その備後安田駅もその一つ。府中から三次間で後1本前にあったら下車してたかもしれない程で
中国山地の
ローカル線の厳しい現状を目の当たりにする瞬間でした。
その前の甲奴駅しかり上下駅もその仲間です。
吉舎駅の府中方面のホームには立派な待合室がありました。
沿線の学校へ通う学生とわずかの乗客しか乗らない路線に転落した非電化区間は
栄枯衰退を象徴してるようでした。
日が傾き夕暮れへ向かう中草原の中を走る列車を先頭から見るのは気持ち良いものでした。
府中を出て1時間半が過ぎようとした頃分岐点らしき線路のある駅が見えてきました。
塩町駅は
福塩線の北の起点駅で
芸備線の駅であります。時計の針は6時半過ぎてました。
列車越しから時刻表を見ると赤字の臨時を除き5時間から7時間空き
利用者が全くない時間帯は空気輸送となり走らせないようです。
塩町では止まらず
芸備線に入り駅が見えて来ました。
上杉駅は大きな木造駅舎が建つ駅です。
無人化され久しいですが構内踏切から駅員さんが出てきそうな雰囲気がしました。
列車交換可能な島式ホームの隣にもう一つホームがありかつて貨物の扱いがあったようで
在りし日の繁盛した時代の名残りが残ってました。
矢次を出てはるやまの看板が見え長い電車旅も終わりへ。
18:52初日の目的地三次駅に着きました。
芸備線、三江線、乗ってきた
福塩線の列車が乗り入れる
中国山地の
ローカル線が集う要衝であります。
福塩線は塩町が起点ですが列車の運用はここまで入ります。
側線にはお休み中のキハ120がお休み中でした。
窓の中を確認したらボックスシートがある車両で本当はこれに当たって欲しかったです。
側線は奥まであり広い構内を持つ駅と共にかつて機関区があった名残りが残りますが
中国山地と広島シティネットワークとの繋がりを持つ駅に変わりありません。
3番のりばに三江線の列車がやって来て20分の折り返し時間を経て浜原へ行きます。
3月31日をもって営業終了となる三江線のスタート駅で
このお話を書くまでに何度かダイジェストで伝えましたが翌日乗るためここに来ました。
同じホームの後ろには備後落合行きが停車中でした。
芸備線の超閑散区間にあり木次線と合流するジャンクション駅で
憧れの駅でありいつか訪問したいと思ってましたが
今回実現するのでありましょうか。
芸備線の運用はここで分断され広島都心へはキハ47が相棒です。
雲の隙間から夕暮れが終わって日の入りは目前でした。
改札を出ると外は夜になり13時間半かけて乗車し続けた初日の電車旅は終わろうとしてました。
2015年に改築された新駅舎は新しいものの先代のターミナルらしさが消え
コンパクトに設計されるも国鉄的な駅舎に会えなかったのが悔やまれます。
早朝に出て福山までの移動
福塩線の駅めぐり非電化区間を突破し初日は三次で終了ですが
これは運命に導かれながら向かう2日目への序曲(プレデュード)に過ぎませんでした。
カメラ:Nikon D7200+AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
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