発達理論から見た発達障害 - 泣きやむまで 泣くといい

泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

発達理論から見た発達障害

 精神医学において「発達障害」と「発達理論」が「まったくつながっていない」という認識からまとめられた特集号。
 フロイトラカンユング、ワロン、ピアジェ、エインズワース、エリクソン、ボウルビー、ヴィゴツキーらの理論から発達障害を理解すると、どんな知見が得られるか、というあまり読んだことのない中身。研究者の名前が冠されているような理論がそれぞれの観点から「発達」を説明(意味づけ?)しようとするのであれば、「発達障害」についても独自の貢献ができるのではないか、というのは期待されるところだ。「定型発達」と「発達障害」を分断しないアプローチとも言えるだろうか。
 ただ、企図した「つながり」は作れているかもしれないが、「発達理論」の個性が強く、発達を特定の要素に還元して説明しがちになる。発達障害支援の現場であまり重宝されない理由がわかったような気がした。注意深く結びつけないと、発達障害について過度に単純化した原因論を説いてしまう。この特集号も全部読んだほうがいい。特定の部分だけ読むと、「発達理論」と呼ばれるものの特異さに戸惑う。
 「発達理論」について勉強することと「発達」について勉強することは違うのだろう。たぶん自分が学ぶべきは「発達」を何かで包括的に説明(意味づけ?)しようとする理論ではなく、多様な「発達」の過程そのものであると再認識した。が、その勉強の仕方はあいかわらず悩ましい。