2024年06月 - 昨日・今日・明日 Part-6

思い出した、昔の酒田

5月20日は酒田祭の日だったがあいにくの雨が午後まで続いた。
今年は何年かぶりで「東京ディズニーリゾートスペシャルパレード」もあったが、観客が多すぎるので、見に行くのをやめた。
翌21日は酒田を発ち、石巻の知人に会いに日本海側から太平洋側へ移動の日。
つい数日前に新たな場所、酒田市総合文化センター内に開設された酒田市資料館に、ちょこっと立ち寄った。
いろんな懐かしく興味深い資料がたくさん展示されていて、昔を思い出しながら予定以上に長い時間を過ごしてしまった、
明治後半の山居倉庫。
二つの橋の位置も現在にほぼ同じだ。
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昔は庄内米の積出港だった。
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我が家も写真のほぼ中央に近い右下に写っている。
と言っても大邸宅でもない普通の小さな家なので、虫眼鏡で見ても見えない。

この写真を見ると子供の日々がよみがえってくる。
昔、こどものころは、中央から左上にかけては美しい砂浜と防風林としてクロマツの松林の丘陵だった。
その松林の中には、今ではほとんどの人が知らないと思うが、アメリカの進駐軍のキャンプがあり、海兵隊員たち家族の立派な白い家屋がたくさん緑の林のなかで映えていた。
我が家から歩いて5分ほどの砂浜では初夏から真夏にかけて毎朝のように地引網漁が行われていた。
私はバケツをもって砂浜に行き、地引網を曳くのを手伝って、とれた魚をバケツにもらってきたものだった。アジやカレイ、キス等が主だったが、たまにはワタリガニももらった。
夏は砂浜で海水浴やキス釣り、秋は松林でキノコ採り。
シメジやハツタケや丸くて歯触りもいい美味しいショウロもたくさん採れた。
この写真を眺めていると、当時のいろんなことが思い出される。
しかし、あの美しかった砂浜は、今は防潮堤と酒田北港、それに東北火力発電所に置き換わり、すっかり様変わり。
松林も大分減り、代わりに海外からのコンテナや材木の貯木場やそれらにともなう施設にかわった。
奥に見えるのは鳥海山。
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昭和51年10月29日(1976年)。
秒速25メートルを超える雨交じりの強風が吹き荒れる中、午後5時40分頃、ここ「グリーンハウス」から出火。
12時間にわたる火災で、22.5ha焼失、1,774棟が灰になった。・・・・

ここがその洋画専門映画館。
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大火焼失区域。
実家はグリーンハウスから北西約2.5Kmだ。
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昔、高校生のころよく通ってい図書館「光丘文庫」。
静かな閲覧室は真夏でも涼しくて、ここでよくノートを広げていた。
今は図書館はあたらしい総合文化センター内に移設されている。
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こんな写真も展示されていた。
ここはかつての料亭「宇八」、現在は「山王クラブ」という観光施設になっているところ。
個人的な事情から好きになれない竹下夢二が地元の谷町と写っている。
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移設前の酒田資料館に8年ほど前の5月に訪れた時の事。
館内にやはり酒田大火の資料が展示されていて、「あなたの酒田大火体験談」といった企画で、一般から体験談を募集していた。
そして集まった何件かはすでに張り出されていた。
私もある意味ユニークな体験をしたので、PCでしたためた次の文を印刷し資料館に送った(2016年5月)。
それが以下の体験談である。
今回の新しい資料館では体験談展示コーナーはなかったので、私の送った体験談が日の目を見たのか否かはわからない。

『 1976年は米国では建国200年祭で、年間を通じてお祝いムード沸いていた年。
あの年は、1月から13か月の長期出張でニューヨーク州の田舎町エンディコットにある会社で勤務していました。
あの日10月29日の夕方、仕事を終えアパートに戻り、いつもの通りソファにすわり、缶ビールの栓を開け、TVニュースを見るためにスイッチを入れ、画面が出始めた時でした。
画面全体に表示されていた日本地図に、TOKYO、NIIGATA、そしてSAKATAの文字とそれぞれの位置がマークされていました。
おや?酒田が?と思った瞬間、アナウンサーが、「日本の酒田で強風の中、大火事が発生し、現在もまだ燃えています」。
画面は変って、中町でしょうか、強風にあおられて猛威を振るう炎に必死に放水する消防士たちが映し出されていたのを、今でもよく覚えています。今にして思えば現場からの生中継ではなかったようです。
時差があるので、そのTVニュースを見ていた時は、日本時間で翌日30日の朝5時~6時頃。
直ぐに、光ヶ丘の実家の電話番号をダイアルしたところ、幸にも電話回線はパンクしておらず、無事つながりました。
「グリーンハウスからでた火の手が、中町と内匠町を焼きつくし新井田川の方に向かっているようだ」と、母が恐ろしさで興奮しながら話していたのを、今でも覚えています。
その電話の数時間後に最新の様子を聞こうと、再度実家に電話しましたが、回線パンクでもう全く通じませんでした。
翌日だったでしょうか、現地のローカル新聞にも、燃えている写真と酒田大火の記事が載りました。
あの世界一の映画館と言われた、グリーンハウスやシネサロンを始め、当時の中町や内匠町などがすっかりなくなってしまったのは本当に残念です。 』

最近の昆活より その 2/2


手抜き記録の続き。
情けないが仕方ない。

6/11
羽化したばかりのオオムラサキ♂
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蛹になるために脱ぎ捨てられていた兜
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何の蛾の幼虫だろう?
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大きさも姿も一見アリにそっくりな、アリガタツユムシの幼虫。
アリと違い、触覚がまっすぐにのびていて長い
数年前に初めて見つかった外来生物。
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交尾中のヒメウラナミジャノメ
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6/12
羽化してまもないオオムラサキ
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6/14
去年まではハッチョウトンボの棲息地だったある県立公園内の小さな池。
今年の冬に公園内の管理工事で池の水が抜き取られたそうで、わずかに雨水が溜まっていたがほとんど干上がっていた。
ハッチョウトンボは全くすがたを消し、かろうじてキイトトンボを見かけた。
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ヨウロウヒラクチハバチ?
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6/17
BV白谷のイケマの葉にアサギマダラの2齢幼虫が数頭みつかった。
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モンシロチョウに似た蛾
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アリグモ?
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6/20
オオムラサキの食事の場
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オオムラサキ
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ラミーカミキリ
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最近の昆活より その 1/2

ここ一月余り、昆活が忙しくて、そのたびにたくさんの写真を撮ってしまうため、その枚数がとんでもないくらいに増えてしまった。
気が付いたらすでに手に負えないくらいでオーバーフロー。
PC内の容量もフルに近くなり、余裕がなくなっていた。
整理する暇もなく、1カ月前の酒田祭やその後のことも記録できていない。
このままではさらに状況は悪化するのが目に見えている。
仕方ないのでこれまでの日々の昆活写真から、どうしても残しておきたいものをピックアップし、とりあえず時系列の順にアップしておくことにした。
手抜きもいいところだが仕方がない。


5/24
栗原で地面に置いたネットにアサギマダラがやってきていた。
半年前にネットについた沢山のアサギマダラの香りにやってきたようだ。
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指で捕まえてマーキングし放蝶したら、またもネットに飛んでいき止まった。
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コバノフジバカマの地面近くの葉の表面を舐めていた。
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5/26
栗原でみつけたアサギマダラの新鮮な卵。
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5/29
愛嬌のあるオオムラサキの終齢幼虫。
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6/3
アカスジキンカメムシ
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ウスバシロチョウ
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モンキアゲハ
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6/5
なんの卵か?
カメノコテントウの卵?
オニグルミの葉にあったもの
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カメノコテントウ
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6/8
隣の空き地のカワラヒワ
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6/11
いつの間にかオオムラサキの幼虫が昆虫少年の肩を這っていた。
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酒田 Day 3 

この日は朝から、スギナビソウを見つけあわよくばアサギマダラの捕獲もと、宮海から日向川河口、そして青塚海岸にかけて意気込んで調べてみることにした。
その前に鳥海山を海側から観ようと、東北火力発電所の北側へ。
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道路わきに駐車中の車のナンバーからもすぐわかるが、相変わらず内陸からの釣り人達でにぎわっていた。
と、竿が曲がって、釣れているようだ。
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「おれは86歳、寒河江からきた!」といっていた高齢者。
元気なのだが、竿の扱いが難しくなってきたのか、隣の竿のテグスと「おまつり」になってしまった。
親切な若い男の子がやってきて、丁寧にからまったテグスをほどいてくれてた。
釣れた魚はアカダイだった。
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宮海の砂防林の小道を走り、日向川河口南側付近の砂丘にでたが、このあたりにもスナビキソウは見当たらない。
滋賀県ナンバーの私の車を見てビックリして話しかけてきた軽トラの地元の人に、「国道7号線にでる近道はないか」と聞いたところ、「ジムニーなら問題ない。俺についてきて!」。
かなり狭い道あぜ道や雑木林の道をついて行った。
広いところにでて運転に余裕が出たときに走りながら撮ったもの。
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左が海側。
年中吹きつける強い潮風で砂防林の黒松はみな風下に傾いている。
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これから砂地を下に降りていく。
四駆の出番だ。
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砂丘の砂地には、写真のアサギリソウ、シロヨモギ、コウボウムギ、ハマナスやハマボウフなどは普通にみられたたが、どういう訳かスナビキソウは見当たらかった。
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一人、熱心にサーフィンを練習している人がいた。
眺めていると、大きな波は来なかったがようやく少し大きめの波がやってきた。
なんとか乗ろうとするが、上手くいかない。
それでもあきらめずに、何度も何度もまた長い間ボードにつかまりながら次の波を待っている。
「がんばって!ここでうまく乗れなくても社会の波に上手く乗れれば、充分!」と、心の中で声援を送った。
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青塚海岸まで調べたが、結局スナビキソウは見つからず。
諦めて、遊佐の田んぼに鳥海山を撮りに行くことにした。
田植えはまだだったが、少し風があり水面はかすかに揺れている。
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鳥海山
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「種まき爺さん」も、かなり雪が融けてしまい、はっきりとは分からなくなった。
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このあたりの田んぼでは田植えが終わっていたが、風が止んだのでここで撮ることにした。
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ウスバシロチョウが飛んでいた。
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月光川河川公園付近で。
NKエージェントの納棺師、本木雅弘がこの場所でチェロをひいたところ。
すでに初代の椅子は風化したのだろう、別の椅子に変わっていたが、それも風雪にさらされ色が剥げていた。
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酒田 Day 2

運のいいことに、庄内町内藤秀因水彩画記念館で「あべとしゆき水彩画展」が開催中だった。
5月19日日曜日が最終日で、その前日に観に行くことができた。
阿部さんの作品展を直に観るのは去年10月のGinzaSix以来だ。
今回の水彩画展では阿部さんの2001年から最新までのたくさんの作品が年代順に展示されていた。
多分全部で40数点あったと思う。
年々徐々に進化して行く、光の表現や微妙なマスキングのやり方なども、とても興味深く拝見でき、また勉強になった。
それと同時に、阿部さんの作品を観ると毎回の事だが、とにかくあふれる透明感と柔らかな空気感に感動した。

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庄内町から眺める鳥海山。
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すでに田植えも大部分は終わっているようだ。
苗もかなり少なくなっている。
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この田んぼはまだ田植えはこれからだったが、風があり水面が漣におおわれていて、鳥海山は映らない。
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