15日から9日間かけて田舎の酒田に行き、ついでに近くをちょこっと回ってきた。
今回は、思い切ってジムニーで行ってみた。
というのも購入して1カ月弱で、走行距離もまだ250kmほどなので、長距離のハイウェイ走行はどんな具合か確かめることと、もう一つ酒田では、海岸の砂浜や狭い田んぼ道なども走りたかったので、ジムニーがうってつけ。
北陸自動車道をはじめハイウェイでは、大抵110km/hにセットし走った。
クルージング機能は前に車がいない時は、問題なくラクチンだが、前に車がいてその車がスピードを一定に保たず、時々遅くなったりすると、車間距離が詰まり調整せねばならず鬱陶しかった。
また、すこし急な上り坂になると、さすがに荷物をたくさん積みこんだジムニーにはきつくて、一気にターボがうなって稼働し、回転数もぐんと跳ね上がった。
以前乗っていたセダンなら、130km/hくらいでもアクセルを踏むと一気に160km/h以上に伸びていき、違反でつかまらない様にあわてて落とす必要があったことが、なつかしい。
まぁ、自分の齢も考え、おとなしく走ることにした。
自宅を出て3時間半が過ぎたので、ちょっとトイレ休憩。
昔は一気に酒田まで走っていたが、かなり飛ばしても約8.5時間あまりかかったので、ここ何回かは燕三条で一泊することにしている。
ここには、「燕三条地場産センター」と「ストックバスターズ」という燕三条の刃物や金属加工業のアウトレットの店があり、それらを眺めるのが楽しいことと、もうひとつ、ホテルの近くに「北野水産」という居酒屋があり、魚が美味しくて、飲んでも歩いてホテルに帰れることから、休息がてら一泊することにしている。
ホテルの駐車場にもなっているスーパーの駐車場に駐車してビックリ。
正面にまったく同じカラーのジムニーが駐車中で、しかもそのナンバーが「809」。
実はこちらのナンバーは「909」。
とても愛着を感じてしまい、記念に写真を撮った。
北野水産では、大好物の「川エビのから揚げ」と「刺身盛り合わせ」で、まずは乾いた喉へ水分補給。
そして、口当たりがなめらかで上品な 越後寒梅大吟醸 の盛りこぼし。
他にもいくつか食べたが、食べて飲むのに夢中で記録が残っていない。
ここは神林の道の駅。
昔から、地元産の野菜や山菜などをとても安く売っている。
ここには、昔は毎回立ち寄り買っていたが、何年か前に開通した自動車道が、ここから離れたところを通るため、ほとんど寄らなくなってしまっていた。
皇后、雅子さまのご実家の小和田家がある村上市。
その村上市の日本海沿岸にある風光明媚な笹川流れ。
海岸にアサギマダラ立ち寄るスギナビソウはないかと、停車できる場所を見つけては停車し、双眼鏡で探したが、結局スギナビソウもアサギマダラも見つからなかった。
山形県にはいると、まもなく温海温泉がある。
ここに「久太」というおいしいラーメン屋があり、いつも昼食がてら食べに寄る。
とても人気の店で、昼の営業時間11:00~14:00。
特に13:00過ぎまではとても、混んでいて店の前には長い行列ができているので、13:30過ぎに行くのがコツだ。
今回も途中で時間調整し13:30頃に入店した。
店内の壁張られていた新聞の切り抜き写真。
中央左にながい行列の写真が貼られていた。
温海温泉には、もうひとつ、こけし工人阿部進矢さんのご自宅がある。
今から12年前に、酒田へ道中でたまたま立ち寄ったのが始まりだった。
それがきっかけで、滋賀県の君ヶ畑の大皇器地祖神社や、惟喬親王伝説に関わり始めることになったので、私にとっていわばこけしや木地師、惟喬親王追っかけの原点だ。
その原点に関するブログ記事がこれだ。
今回も阿部さんのお宅に寄ってみた。
以前、私が君ヶ畑の大皇器地祖神社や関連の写真をアルバムにして送ったのを覚えてくれていて、箱から出してそのアルバムを見せてくれた。
阿部さんは今年87歳だそうで、まだまだ現役でこけしづくりを続けていたが、ペースは落ちたそうで、今も注文のバックログがたくさんあるとのこと。
後継者はおらず、いずれ特徴ある阿部さんのこけしづくりも終わることになりそう。
阿部さんは温海でこけしづくりをやってきているが、もともとはお爺さんが福島の土湯から温海に移ってこられたそうで、土湯系と言われている。
阿部進矢さんは、父親の阿部常吉さんからこけしづくりを学んだらしい。
その阿部常吉さんの作品という可愛らしいこけしのおもちゃが、最近阿部進矢さんのもとに送られてきたそうだ。
底の署名をみて、「間違いなく父親の字だ」と言っていた。
昭和53年(1978年)に作成したものだそうだ。
送ってきた人は、熱心なこけらーのようで、同じものを作ってほしいと、細かな各寸法を記して、注文してきたという。
ちなみに調べて見ると阿部常吉さんは平成3年(1991年)に86歳で亡くなられている。
「面倒だが、こうして細かく書いてきて、父の作った現物も送ってきたので、作らないわけにはいかない」と、阿部進矢さんはいっていた。
「温海のお祭りのときに作った赤飯を冷蔵庫に保存していたので、暖めたから食べて行ってください」と、奥さんが茶碗にもって出してくれた。
ラーメンを食べた直後だったが、せっかくなのでありがたくいただいた。
その後はスナビキソウを探しながら海岸沿いの旧道を走り、一路酒田へ。