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趣味の範疇を出ないへぼ短歌を時々作っています。

そのせいかどうかわかりませんが、時々、作者や背景を忘れてしまっても
何故か記憶に強烈に残る作品に出会うことがあります。

今朝の東京新聞の「本音のコラム」に寄稿の鎌田慧氏の文章の中の一文にそれを見つけました。
叫びたし寒満月の割れるほど と言う俳句。

西武雄死刑囚の詠んだものです。
この俳句は印象に残っていましたが、
どなたが詠んだものか、またどんな事情があったか等はすっかり忘れていました。

西武雄氏のことを知りたいと思いネット検索をしましたが驚くほどの少なさです。
たったの93件しかヒットしません。

罪を認めずに無罪を主張し続け28年後に刑を執行された西武雄氏
詳細は下記のURLにて興味のある方はご確認ください。

この事件は冤罪の可能性が極めて高いようですが、
政治的判断により犠牲にされたのではないかと言う意見も見られます。



昨今の取り調べは可視化され昔より冤罪は防げる様になったとは言え、
まだまだ取り調べで不利益を被ったり、
警察に連行されたことで罪を犯したごとく思われがちです。

昔の警察の取り調べは拷問に近く、自供がすべてでしたから冤罪はかなりあったと思われます。
最後まで罪を認めなかったために改悛の情が無いと判断されて命を奪われた者。
かたや同じ事件で死刑を宣告された共犯とされる者は、
罪を認めて無期懲役となり仮釈放までされています。

よくドラマなどで、「罪を認めれば刑を軽くしてやる」などのセリフを聞くことがありますが、
していないこと認めることはできないと筋を通した者が死刑だなんて・・・。

していないことの証明など不可能に近い。
絶対していない証拠を用意することなんて、よほど準備しないとできないことだ。
 
この西氏の無罪を信じて全国行脚迄した古川泰龍さんと言う方がいる。
教誨師で面接を続けるうちに無罪を確信したという。

無罪を信じ全国に行脚の旅に出たが80歳で亡くなり、
今は息子さん(古川龍樹さん)がその遺志を継いで再審請求などの活動を続けているという。

本人や遺族が亡くなっても再審請求ができるよう法改正を目的に今でも頑張っているそうです。


先にあげた俳句は冤罪事件を調べていて知ったのだろうか。
何とも哀しく、どうしようもない思いで目にした記憶がよみがえりました。

冤罪で人生を奪われた人たちがいる一方で、
可も無し不可も無しの平凡な日々が如何に恵まれたものか、
もっと大切に時間を過ごさないといけないとしみじみと思いました。

新聞を読んだりブログを読んだりすることは、
時に忘れている大切なことを思いださせてくれると感じた朝でした。


※補足
2019/8/27の東京新聞、朝刊を読んで。
下書きしたものを推敲して書きました。