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2009年 06月 07日
あきらさんが鴻上さんのことを書かれていて、そのなかに、
「仲間の役者が亡くなってしまった」 というくだりがありました。 亡くなってしまったその「仲間の役者」について思い出したことなどを、少々書いてみます。 私が第三舞台という劇団の「客」だったのは、1984年から1987年までの、非常に短い時期にすぎません。 とにかくこの劇団の芝居はすんごくおもしろいから、頼むから一度で良いから観てくれと、それは懇願というかほぼ無理強いのような体で。ものすごく強引で手前勝手な友人で、正直もう二度と逢いたくない女だが、1984年の2月に下北沢ザ・スズナリに引っ張り出してくれたことだけはまじりっけなしに感謝しています。 その日は大雪の日曜日。 とにかくたいそうな人気のある劇団だという話なので、整理券確保のために始発で下北に行って、くそ寒いのをこらえて、スズナリの前で列をつくった。電車が止まっていなかったのが幸いだった。9時ごろに制作の方があらわれて、雪のなかで長時間並ぶ私らを哀れんでくれて、特別に劇場に入って待っててもいいですといってくれた。 スズナリの桟敷にあがらせてもらって、すみっこにかたまって待ってた。昼近くなって、ジャージ姿の男のひとがほかほか弁当の袋をさげて入ってきた。あとから思えばそれは大高洋夫さんだった。そして役者さんたちがするすると集まってきて(あとから思えば小須田康人も長野里美も筒井真理子もそのなかにいた)、ストレッチなんか始めてるその横で、ちょっともじもじしながら、正午からの整理券発行を待ってた。 早起きの甲斐あって、最前列で観る事ができた。『宇宙で眠るための方法について』というのがそのときの芝居のタイトルだった。 そして、岩谷真哉というひとをはじめて、舞台まで数十センチの距離しか無い場所から見上げた。 岩谷真哉は華奢で色白、早口で、ちょっと舌足らずの男の子だった。おとなしやかで、どっちかといえばファニーでかわいらしい見た目に反して、ときおりみせる眼差しが狂気じみて物狂おしく、踊れば鞭のようにしなやかな足が自在に空を切り裂いて弧を描いた。自分がそれまで、一度もみたことのない生きものだった。 私の頬すれすれのところをナイフさながらにかすめていった岩谷真哉の爪先。 あのときあれが呼び起こした風を、私はいまも全然わすれていないし、きっとこの先もわすれない。 舞台の上の役者を見るというその愉悦。その官能。もっともなまなましく甘やかなかたちで身体に刻まれた、その記憶。 私にとってのそれは、あの大雪の日曜日の、岩谷真哉の爪先というものだった。 こんなにもしなやかに美しい男がいるんだと思った。冥い道をほのかに照らす光をたどるような気持ちになって、下北沢の駅までの道をあるいた。 ほとんど岩谷真哉のことしか考えていないような、ふわふわと浮かれた3ヵ月が過ぎ、5月に入って、岩谷真哉はバイク事故で死んだ。 岩谷真哉の死によって、6月に上演を予定していた『プラスチックの白夜に踊れば』は上演中止になった。 早稲田大学大隈講堂裏のテントで行われた劇団葬に行ったら、岩谷真哉のお父さんとお母さんと、岩谷真哉によく似た弟さんがいらしていた。鴻上さんが挨拶をした。たった一度の舞台で、人生のわずか2時間をともに過ごしただけの男の子の葬式で、なんであんなに泣いたものだろう。思い返すと些か滑稽なほどだが、「役者」というものは人生にそうした作用も及ぼすのだと、それも岩谷真哉が教えてくれたことだった。 岩谷真哉の死後も私はしばらく第三舞台の芝居に通ったけれど(だからいまだに大高さんや小須田さんや、筧さんや勝村さんや京さんなんかを、懐かしい思いで以てみてしまいます)、ついに「客」の域を出ることはなかった。 岩谷真哉が、そこにもういなかったからだと思う。 岩谷真哉が生きていたら、第三舞台との付き合い方は、きっともっと違うかたちになっていたと思う。 すこし残念なような気もするし、でも、たった一度の舞台で、人生のわずか2時間をともに過ごしただけの若い役者にそこまで翻弄されたのならば、「客」としてはそれも本望と思う。 私が次に「こんなにもしなやかに美しい男がいるんだ」と瞠目するのは岩谷真哉の死から9年後のこと。 そっちの彼──同じ「哉」という助辞をその名の末尾に持つ男(しかも誕生日も三日違い)──とは、2時間どころか16年の付き合いになってしまいましたが。 吉井和哉に岩谷真哉を重ねてみたことは、そういえば一度も無かった。 でも、私の頬すれすれのところをナイフさながらにかすめていったあの美しい爪先の記憶、あのときあれが呼び起こした風を、光を。 冥い劇場の客席から、冥い宇宙の底から、もう一度もう一度と卑しいほどに求めつづけて、いま私がここにいることだけは、たぶん、間違いないような気がするのです。
by red_95_virgo
| 2009-06-07 22:18
| theatre
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Comments(6)
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そうでしたか、そんな役者さんがいらっしゃったのですか。
そういう役者さんに出会えたレッドさんを羨ましく思います。 私は学生時代に、野沢那智さんのやってらっしゃった劇団薔薇座の公演をよく見にゆきました。 戸田恵子さん、高島雅羅さん、故・鈴置洋孝さんなどがいらっしゃいました。 その頃は小さな劇団のアトリエ公演などを主に見ていたのですが 自分自身もお芝居をやってみたくて、レッスンを受けた事があります。 スタニラフスキーシステムなんつーのを習いましたっけ。 今となっては懐かしい思い出です。
0
>ねこ江戸さん
私を無理やり連れ出した友人は、口を開けば「岩谷さんが」「岩谷さんが」ばっかりでした。第三舞台をというより、「とにかく岩谷真哉さんを見てください!」ぐらいな勢いで、でも、そういう感じになるのも無理はない、とひとめでわかりました。ほんとうに、全身からあふれる才能と魅力でキラキラしていた男の子でした。 生きていれば野田秀樹に比肩する役者になったろうと鴻上さんに言わしめた彼が、この世で最後に立った舞台にかろうじて私は間に合ったということになります。 一期一会という言葉のもっとも正しいかたちだよなあ、といまだに思い返します。 自分は演じる側に立とうと試みたことは一度もありませんでしたが、従姉が新劇の某劇団員だった関係で、そちらのアトリエ公演なんか、よく観に行きましたよ。薔薇座はでも、残念ながら一度も観た事がございませず。 いまテレビドラマなどで活躍されてる役者さんも、プロフィール見て 「えっ、当時あそこの劇団にいたんだ!」 みたいな事がよくありますよね(笑)。 ![]()
>「役者」というものは人生にそうした作用も及ぼすのだと
伺っただけでどこかジンジンするような気がします。 大切な思い出をお聞かせ下さって、ありがとうございました。 そんなおはなし伺うと、鴻上さんにもさらにいいおしごとして もらわなきゃならんと思いますね。 運も実力もひっくるめて才能でしょうが、いい歳になるまで芝 居つづけていらしたんですもの。 あつかましくトラックバックのお願いというのに初チャレンジして みましたが、これがまたうまくいっていないのかもしれません。
>あきらさん
TBありがとうございます。スパム除けに承認制にしておりますので反映まで時間かかりますが、うまくいってます。 自分という人間は基本的に惚れっぽく出来ておりますので、 「芝居を観る」=「まず役者に恋をする」 であり。 これまでいろんな役者さんによろよろしてまいりましたが、80年代初頭はそういう対象が自分より年長のかたばかりで、岩谷さんははじめて出逢った同世代の役者でした。 「ああやっと、思う存分よろよろ出来る役者さんに逢えた!」 と欣喜雀躍した矢先に、逝ってしまわれました。 世阿弥の言う「時分の花」の爛漫のときで、ただ一度の舞台であまりにも僅かな、あまりにも鮮烈な印象、それのみを残されたため、自分のなかで光はずーっと褪せないまま、在るのかも知れません。 『風姿花伝』には老境の芸を指して「誠に得たりし花」という言葉もありますが、自らの肉体で表現をする役者というものが老いを纏い始めたとき、それとどう折り合いをつけてゆくかということに、自分も年齢を重ねたいまは、とても興味があります。 それは役者に限らず作家も、いえ、与えられた命を生きる自分たちも、同じかな、と思ってみたり。 ![]()
私も岩谷さんの大ファンでした。。。しみじみ読ませていただきました。ありがとうございました。
>kesさん
岩谷さんについての文章をお読みいただきありがとうございます。 ここに書いたことがすべてというくらい、刹那の時間を共有しただけの方で、もうちょっと早く知っていればもっと彼の舞台姿を見られたものをと口惜しく思わないでも無いのですが、こういう縁のかたちもあるよなあという気がいまはしています。 劇団葬のとき、早大の男女一緒のトイレで大高洋夫さんと出くわしたことも懐かしく思い出しました(笑)。
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