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2005年 06月 09日
「あなたは、記憶の中の海で、誰と逢いましたか?」 傑作か駄作か、或いは怪作か。視聴者の評価がさまざまに分かれたドラマ『あなたの隣に誰かいる』。 2003年秋、公式HPの掲示板ではドラマに出てくるあらゆる事象についての深読み裏読みが噴出していました。そういう遊びをしたくなるドラマだし、そういう遊びがすんごく愉しい事は、生まれついての深読み野郎である私にはよく解る。でも、ドラマを観ていくうちにだんだん、「もはや深読みがまるで意味を成さない成り行きだなあ」と思うようになってしまって。 あれから1年半経った今、ちょっと変な方向からの妄想をしてみます。 『あなたの隣に誰かいる』に先立つ2003年夏、同じく林徹監督の手になる『大奥』において唯一消化不良だったのが、「柳丈」という人物の扱い方でした。 柳丈は、先代将軍徳川家定にうりふたつの顔を持つ僧侶で、勿論北村一輝さんが二役で演じています。 家定への恋慕を抑えつけて生きてきた瀧山は、初めて柳丈に会った時、「死んだ筈の家定がそこにいる」と錯覚し、おもわず心が揺らぎます。 うりふたつとはいえ柳丈には、家定にあった顔の痣が無い。そもそも実在の家定公には、あばたはあったらしいのですが、肖像画を見ても痣など無い(「貴人の肖像画にそんなもの描けない」という事情もあるかと思いますが)。『大奥』の家定に与えられた痣は創作でしょう。それは一種の聖痕として、敢えて彼に与えられたのではないでしょうか。 社会からはじかれ、或いは聖別された異人のしるしとして。 痣のある顔を恐れられ嘲笑され、虚弱さゆえに大人の男の社会からも疎外され、そのためにひどく狷介な性格になってしまった家定ですが(狷介さは彼の韜晦の手段でもあるのですが)、聖痕を持つ者ならば、そうした苛酷さは当然の宿命とも言えましょう。 外見的な聖痕を持たない柳丈はどうか。 彼は彼で、情を通じた人妻を誤ってその手に掛けて(彼女が身ごもっていた子供もろともに)殺してしまったという過去を背負っており、その贖罪のために命を長らえているような人です。やはり彼の上にも、目に見えないしるしが刻まれているのです。 そういうものを抱えている人間がエロティックでない筈など無く、この柳丈という坊さんは、「瀧山じゃなくてもこりゃクラッときちゃうよね」というほどのフェロモン坊主です。 北村さんはこの役をすごく静謐に(どこか投げ遣りに)演じているんですが、抑制が利いているからこそ、また墨染めの衣という禁欲的な衣装を纏っているからこそ、どうにもこうにも隠れも無くエロい。 柳丈は瀧山に逢うために、大胆にも江戸城大奥まで来てしまう。これが禍して、瀧山を失脚させたい実成院によって密通の疑いをかけられた柳丈は幕府の役人に捕縛されてしまい——で、それっきりです。 そのあとの柳丈がどうなったのか、ドラマを観ている私たちにはわかりません。 「釈放された」という事が家茂公の口から瀧山に伝えられるだけで、それきり柳丈はこの物語から消えてしまうんです。 「昔愛した男が死ぬ。死んだ男にそっくりな男が現れてヒロインを惑わせる。やがて彼もまた、何処へとも無く消えてしまう」。 或いは、「愛した女とその子供を殺す(殺し続ける)男」。 『大奥』と『あなたの隣に誰かいる』には、これらのテーマの連鎖が見えます。 林徹監督は、「家定」と「柳丈」を「澤村数馬」として、再びこの世に招喚したんじゃないのか。 いや、或いは最初から彼ら二人は、「澤村数馬」だったんじゃないのか。 ええ、どうせ私の腐れ頭に湧いた腐れ妄想に過ぎませんよ。林監督がそんな事考えてこの二つのドラマを演出してたかどうかまでは存じませんし。 でも、そんな風に妄想でもしない限り、「柳丈」というキャラの中途半端な謎に満ちた放り出され方が自分の中で納得できないんだもん。 ぶっちゃけ「拷問される北村さん」が見たかったのに見せてくんないだもん監督! 『大奥』第10話のラストで 「柳丈これで終わりかよ!?」 と愕然とした北村一輝ファンは、あなたの隣にも数百名はいる筈です。 さてそういう次第で「蟲の男・澤村数馬」のお話になります。ああやっと(笑)。 家定と柳丈に与えられた聖痕=この世界からはみ出した者としてのしるし。澤村数馬の場合、それは「青い眸」ではなかろうかと思います。 役作りにものすごくこだわる北村一輝が、数馬については林監督にお任せで、ブルーのカラーコンタクトも監督の指示で装着したものだと聞いています。 数馬の青い眸について、奇妙な事にドラマの登場人物の誰一人として、 「澤村さんの旦那さんはカラコンはめてるのね。おしゃれね」 とか、 「澤村さんの旦那さんの眸は生まれつき青いのかしら」 とか、 「澤村さんの旦那さんてハーフ?」 とか、そういうツッコミをしないのです。当たり前のように、数馬は青い眸の人としてなに喰わぬ顔で存在しているんですが、よく考えてみればそれは紛れも無い「異端のしるし」なんです。 ムラ(ドラマの舞台となる希里が丘は事実、かつては「霧子村」という村でした)という生活共同体=常民の社会において一人だけ皆と違う異常な容姿を持っていれば、その者はすなわち異人(ストレンジャー)なんです。 だから数馬に青い眸が与えられたという事は、 「この人はこの世ならぬ者なんですよ。そう思ってドラマを観てくださいね」 という、非常にわかりやすいメッセージが作り手から発信されている、という事なんですが、でもまさか、それが人ならぬ「蟲」だったとはね。 ところで、半端な知識でしょーもない深読みを試みるならば、ヒロインとその娘に与えられた「梓」と「鈴」という名も、数馬の青い眸と並んで「いかにも」な感じではあります。 梓の木で作った梓弓と鈴、どちらも巫女が神降ろしをする時に用いる道具です。この母娘がドラマ上でなんらかの触媒になるのだろうという予想は、二人の名前を聞いた時点でだいたいついちゃいますよね。 名前にこだわるなら久遠駿介の姓「久遠」は、 「時間が無限であること。遠い昔、または遠い未来。永遠」 の意(『大辞林』より)。 「駿介」も「数馬」も、どちらもその名に「馬」が含まれますが、十二支で言う「午」は、方角ならば南、季節は夏を表します。久遠駿介と松本梓が道ならぬ恋に堕ちたのは「夏」で、松本さんちの地獄巡りはその5年後の「夏」に始まる。 数馬の正体であるところの蟲、「斑猫(ハンミョウ)」は「夏」の季語。 更に「午」は、五行でいうなら「火」の属性を持っています。このドラマには「火」を巡るエピソードが異常に多い(それに対するかのように「水」も象徴的な使われ方をしていますが)。久遠駿介/澤村数馬が弄ぶマッチ、発火するハンドバッグ、柏木里美と澤村愛子の実家は放火によって消失。数馬本人も、もと妻・愛子によって 「地獄へ堕ちろー!」 という最高の決め台詞と共にガソリンを浴びせられ、ぼうぼう燃やされる始末。最終回では遂に火葬にまでされてしまいました。火の属性を持つわりには(むしろそれゆえに?)火に祟られる事が多かった数馬です(笑)。 月9『エンジン』においてAerosmithの“Angel”が「次郎のテーマ」だと言うんなら、「数馬のテーマ」は“勝手にしやがれ”です。“勝手にしやがれ”と聞いて 「ああ、稲葉さんの歌ね」 と言う方とはたぶん私お友達になれませんあしからず。 “勝手にしやがれ”といえばジュリーこと沢田研二で、私の中では、いつなんどきでもあの歌はジュリーの声でしか鳴っていません。 これは、女に捨てられる男の痩せ我慢の歌です。 「せめて少しはかっこつけさせてくれ」と哀願しながら、なけなしのダンディズムみたいなものに縋ろうとしているかっこ悪い男の歌。ジュリーが歌うから、それが一回ひっくり返って「かっこよく」聞こえてしまうんだけどね。逆に言えば、「ジュリーじゃなけりゃこの歌は本当の意味でかっこよく聞こえない」という事でもあります。カヴァーが非常に難しい楽曲なんです。それを敢えてカヴァーしたというのはある意味勇気があるなあという事でもあるんですが、結果的に、ジュリーの創り出した「鏡に映る厚化粧の自分に唾を吐きかけながら頬ずりしてる」みたいな世界は完全に消えてしまった。稲葉浩志さんの歌う“勝手にしやがれ”は、「かっこいい男がかっこよく歌うかっこいいポップソング」以上のものではなかった。 私は第1回の放映を観た時に、 「どうしてジュリーのオリジナルを使わないんだろう。北村さんにはそっちのが絶対似合うのに」 と思って、ちょっとその夜は腹が立って眠れなかったりした(笑)。でも、そうじゃないんだという事がドラマを観るにつれてだんだん解ってきました。 夜というのに派手なレコードかけて 澤村数馬という人は、詰まるところなにもかも「ワンマンショー」だった。彼のいる世界には結局自分しかいない。 思い出しませんか、第4話。「フランスで研究会がある」と言って出掛けた筈の数馬がどこでなにをしていたか。 「今、ニースのホテルにいます」とか言いながら、自分ちに閉じこもって、波音の効果音流しながら梓に電話を掛けている。ご丁寧にトリコロールのガラスの灰皿に煙草の灰落としながら。フランスでしか売っていない香水をわざわざ取り寄せてまで。 涙ぐましいまでにナルシスティックで、しかもそれがどうしようも無くセコい。んで、梓とこんな会話。 梓「海、綺麗ですか?」 ぶはぁ、「薄荷水」ときたか。 荒井由実の歌かと思った。《ソーダ水の中を貨物船が通る》(“海を見ていた午後”)へのオマージュでしょうか坂元裕二さん(笑)。いまどき「薄荷水」って単語を普通に会話に使う若い男なんか、まずいるわきゃあない。 でも、そんな滑稽なワンマンショーを繰り広げる北村一輝さんは、本当に一分の隙も無く、呆れるほどにかっこいいのです! そんじょそこらのつまんない二枚目が演ったら目もあてられない安出来のメロドラマになりそうなところを、北村さんだと絶対にそうはならない。どんなにセコい自作自演だろうと、女の哀れみを当て込んだ見え透いた芝居だろうと、彼が演じれば、ドラマの中でそれはちゃんと危険な罠としての効力を発揮するんです。 しかしこのドラマは、澤村数馬の正体が判明した時点でなにもかも一旦木っ端微塵に崩れ去ります。 数馬を「人間」だと信じて、 「こいつはナルシスティックなストーカー野郎なんだな。でもなんかどうも変だな……」 と思いながらも、ああでもないこうでもないと謎と格闘しながら観続けてきた視聴者は、 「え、こいつ蟲だったの!? 今まで観てきたのは全部蟲のワンマンショーだったの!?」 という事で腑に落ちるどころかますます納得できなくなり、もう一度始めから、今度は「澤村数馬は不老不死の蟲の男である」という視点に立ってすべての回を観直さなければならなくなった(それをやったからとて、それまでにばらまかれた謎がすべて整合されるわけじゃない大風呂敷っぷりも、私は大好きなんですけど)。 “勝手にしやがれ”は、そうなってから改めて聴いてみると、数馬を自虐的にかっこよく演出するためではなくて(図らずも北村さんがどんなに素敵に見えてしまおうと)、「人間という仮の姿にしがみついているちっぽけな醜い蟲」の化けの皮を剥ぎ取り、その胡散臭さや欺瞞を暴き立てる事を意図して使われたんじゃないか、と感じました。だからオリジナルではなくて、その複製=カヴァーだったんだと。 なに一つ腑に落ちない中で、その点だけはとても納得できた事を覚えています(笑)。 北村一輝が色悪として本領を発揮し始め、かつ、ドラマの最初の大きな転換点ともなった第4回はまた、こんなデジャ・ヴな場面から始まったりもしています。 松本家の玄関先で、数馬は梓にキスをしたあと、こう言います。 「あなたの見た夢って、これでしょ」 じゃ、『大奥』第10話をリプレイ。 瀧山を訪ねて江戸城にやって来た柳丈は、二人きりで向かい合うと、瀧山にこんなふうに言います。 「わたくしとあなた様の間には、何もございません。ただ心が寄り添うただけです」 そのあと彼はなんと続けようとしたのか。 脚本家は違うのに、この二つのシーンは、カメラのアングルも、北村さんの表情も芝居も台詞回しも、非常によく似ています。キーになるのは、 「僕だけが本当のあなたを知っている」 という殺し文句。 梓は、海岸での数馬とのくちづけを「夢ですよ」と言い、瀧山は柳丈とのそれを「気の迷いでした」と言い、どちらも一度は相手を拒絶する。柳丈はこのあと捕縛されてそれっきりですが、梓は、 「火曜日、ここで待っています」 という数馬の誘いに応じてホテル・カリフォルニアに赴き彼と寝る。瀧山と柳丈がひとつ間違ったら陥っていたかも知れない成り行きを梓と数馬がここで引き受けている。語る余地も無く宙に浮いたままだった柳丈の物語を、数馬が代行して果たしてゆく。 ああ、こういう形で片を付けようとしているのかな、と思いました。 さて、再びしつこくも“勝手にしやがれ”。 阿久悠作詞、大野克夫作曲によるこの楽曲は、1977年5月にリリースされて大ヒットし、その年のレコード大賞を獲りました。 1973年12月9日に、霧子村で秋月家の一家惨殺・放火事件が起こったその4年後。 数馬が「暗闇に住む子供」梓を地下室から連れ出した、その少しあとには、町にはジュリーが歌うこの曲が流れていました。 うんざりするほど長い時間を独りで生きてきた蟲は、その歳月、巷に流れる俗謡にふと気持ちを動かされる事なんかあったんでしょうか。 それとも、そんなふうに立ち止まる事すら忘れてしまうほど、彼は孤独と呪いに自分の身を喰わせてきたんでしょうか。 生まれ変わって、 私たちはみんな、一匹の淋しい蟲に過ぎないんだよ。 「澤村数馬」という不思議に懐かしく忘れ難い存在は、此岸と彼岸の境に立って、その青い眸に冥い微笑をたたえながら、そんな事を教えてくれたような気がします。 (というわけで蟲供養はB面に続きます。無駄に長くてごめんなさい……)
by red_95_virgo
| 2005-06-09 18:51
| 北村一輝
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Comments(7)
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レッドさんの豊かな表現力、ユーモアたっぷりの文才、一文字一文字かみしめて読みました。明日からに備えて、栄養をいただけたくらい笑っちゃいました。 私は梓の回想にでてくる 俊介との静かで濃厚なラブシーンが素敵で好きですね。TVではあれで限度でしょうね。。。(不満)
あとは 少しづづいい人仮面をはいでいく数馬の全身からほとばしる エロティシズムに酔いしれました。 柳丈さま 文句なくフェロモン炸裂お坊様ですね。 こまったお方。。でもおゆきちゃんを抱っこしていた時は一瞬で健康的 お父さんです!の顔の表情になったから うう~ん うまいなあと思わず 声がでたりしました。 話ちがってごめんなさい。「戦国~」のガイドブックに 『飯沼七衛兵の 想い人 濃姫』とありました。想われ人濃姫・・・素敵な言い方で感動して つい書きました。 ありがとうございました。 また楽しみにしています!!
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>葉さん
こんにちは、まつりの日が来ましたね(笑)。 私は柳丈と数馬の佇まいがそっくりなのがすごく気になってまして。餌が寄ってくるのを静かに待っていて、それが攻撃可能なサークルに入った瞬間にすぱーんと変身して本性を現すみたいな。 柳丈の「ただひたすらフェロモン出して待ってるだけ」という徹底して受け身なエロスは、 「こいつに引っ掛かったらたぶん命が無いな」 という危険な匂いを発散してました。ああステキだった……。 ちなみにマイベスト数馬(笑)は、愛子に火をつけられて、炎の中で金色に光ながらじりじりと皮膚が焼け爛れてゆく数馬と、最終回の、額に銃弾を受けて目をあけたまま倒れてる数馬です。どっちもものすごい美人でした。 ![]()
私も拷問シーンが観たかった(笑い)偏屈な家定と優しい穏やかな柳丈の違いに、さすがと思いました。滝山と柳丈のキスシーンは美しくて、メロドラマのようでした。実際禁欲を強いられていた大奥女中の唯一の楽しみは、寺参りと芝居見物で、お坊さんと歌舞伎役者とのスキャンダルは、物凄く多かったらしいです。絵島事件も有名ですし、何百人も処分されたとか。あんなフェロモンムンムンな坊さんでは女性は悩殺でしょうね。(ちょっと不謹慎)禁断の恋という所が、西洋の貴族女性と神父の関係を連想。「あな誰」は、北村祭状態。いろいろな北村さんが楽しめて良かったです。長さんに刺されて崩れ落ちるアップの顔が吸血鬼の様に妖しく美しく、ルイがレスタトに血を吸われて至福の表情を浮かべて宙を浮遊するシーンを思い浮かべました。北村さんて、あの時もこういう表情をするのかしらと、女性にあるまじき不謹慎な事を考えてしまいました。(汗が)でも厭らしくなく中性的で美しいです。私は、梓に「もう手遅れだよ。」と言うシーンの憂いを帯びた顔と梓の後ろで、車の中でタバコを吸うミステリアスな顔が好きです。彼の性を超越した色気を引き出してくれた監督に感謝します。
>めいさん
いらっしゃいませこんばんは。 やっぱりファンならみんな見たかった「柳丈様拷問シーン」でございますよねえ……。 でも、その恨みを晴らすかのように『あな隣』では、 ●レンチで頭を殴られ海に転落して死ぬ。 ●ガソリンをかけられて焼き殺されて死ぬ。 ●竹が胸にぐっさり刺さって死ぬ。 ●長さんに短刀で刺されて「蟲けら」とののしられながら死ぬ。 などなど北村虐待シーン連発で、林監督の趣味のステキさに震えながら共感(笑)。 吸血鬼といえば『インタビュー・ウィズ・バンパイア』の作者が本ネタにした萩尾望都さんの『ポーの一族』。B面ではエドガー・ポーツネルと澤村数馬について、妄想の赴くままに駄文を綴る予定でございます。 ![]()
ポーの一族は、文学性も高くて良かったですね。耽美的で、退廃的な負の魅力が世の中にあるということを知りました。そのあと、ウィスコンテやルードイッヒや“地獄に落ちた勇者ども”のヘルムートバーガーなど、19世紀のヨーロッパの退廃的で美しい物にひかれていました。その中で、北村さんもその系譜に入ります。監督に劣情を起こさせるせいか?(笑い)血まみれで殺されたり、水死体だったり、苦痛に顔をゆがめていたり…。林監督もそういう美意識の持ち主なのでしょうか?アン。ライスが、
ポーの一族を読んでいたとは知りませんでした。さすが日本のマンガは凄い(笑い) ![]()
こんにちは。いつも思うんですが、これだけしっかり深く書かれたレポを見たら、もうかけなくなってしまうんですよね。自分では(笑)。いいたいことを何倍も詳しく的確に書かれてて、そうそう、そうなのよーでもう満足してしまうんですわ。
「あな隣」は深読み派で、蟲だったときは(しかもごきぶりのような) 唖然としましたが。蟲でもX星人でも坊主でも武将でもやくざでも、なんでも成りきれるというか、存在に説得力があるってすごいことですよね。
>つーさん
いらっしゃいませ。コメントありがとうございます。 監督に劣情を起こさせる男。おっしゃる通り! 林監督の中には「俺の北村一輝はこうだ」というビジョンがきっちりあるんでしょう、きっと。ぜひまたタッグ組んで仕事して欲しいです。 「綺麗な死体」といえば『鬼火』もそうでしたよね。ジョン・エヴァレット・ミレーのオフィーリアさながらの美しさだったと思います。 あと、紛らわしい書き方ですみません、『ポー』が『インタビュー〜』の本ネタというのはあくまで「通説」です。でも、「こりゃオマージュだろう」ってくらい似てるなあとは思います。 >あいさん 幼時の梓と今のままの数馬の写真が出てきた時に、某掲示板に 「あんたエルフですかまさか」 とか書いたらそのあとあっさり「不老不死でした」という事になってしまった時は、さすがの私も 「ドラマでそういう展開もありなのか——!!」 とテレビの前でひっくり返りました(だったら山南さんが不老不死だってよかったじゃん……と妄想してみる)。 いろいろと腑に落ちない点が多過ぎて深読みも出来なくなり、一つも納得ゆかないままに北村さんの存在感に引きずられて最後まで観てしまった。そんなドラマでした。
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