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2006年 03月 18日
かなり久しぶりに、非常なる幸福を肌で感じたライヴでした。
私は「すかんち」が大好きなんだ。 という事を、己の肉体に教えられたライヴでした。 およそ10年以上ぶりのライヴなのに、気づけば足は宙に舞い、歌詞が自然に口をついて出てくるんです。覚えてるんです、歌詞を全部。 泣けたね。 すかんちにもだけど、自分に。 ローリー寺西さん(敢えて“ROLLY”とは表記しません。だってそりゃ「すかんち」だから)もMCで仰っていましたが、 すかんち=お子様向けのポップロックバンド という認識は、90年代当時からありました。 それはたぶん、彼らが意識的にそういうスタンスをとって自分たちの表現を行っていたからです。 Don't judge a book by its cover.(本を表紙で判断してはいけない) という英語のことわざは、『ロッキー・ホラー・ショウ』に於けるフランクンフルターの歌の一節にもある言葉ですが、すかんちほど、この警句の意味を実感させてくれるバンドも無いでしょう。 自分の苦悩や、葛藤や、コンプレックスや、妬みや嫉みや僻み、そんなものを「表現」として昇華出来る人だけが、つまりは「アーティスト」になり得るのだと思います。 たが私は、そんじょそこらの「アーティスト」の、まるだしの苦悩や、葛藤や、コンプレックスや、妬みや嫉みや僻みを聴くために数千円の金を払うのなどまっぴらです。 「気取ってないで、金払った分愉しませろよ」と思います。 当然ですよね、消費者ですから。 あなたのセラピーのために金払ってんじゃない。 あなたの芸にもならないオナニーを見るために金なんか出したくないんですよ。 ローリー寺西さんという人は、オナニーを見事な「芸」として昇華させるという事に、ものすごく意識的な人です。 陶酔する自分と、その自分を俯瞰しつつ、憐憫と苦笑と共感を感じている自分。どちらもきっちり、「すかんち」というバンドの音楽の中で表現しています。 凄まじいスキルを持った音楽家であり、下世話なエンターテイナーであり、毒舌家であり小心者であり、尋常じゃないロマンティストであり、同時に己の抱えるロマンにはにかみつつ、ロマンの持つ嘘も限界も、苦い思いと共に理解している。 ローリー寺西さんはそういう人です。 すかんちとイエロー・モンキーは、その活動期間が若干重なります。 ロッキング・オンJAPANに、マルコシアスバンプ、ラブミサイルと一緒に、「内気ロック」というテーマの下、登場した事もありました。今のJAPANの編集体制じゃまずありえない企画ですけどね。 ローリーは当時から、吉井和哉のビジュアルに、ものすごく憧れていました。 手塚治虫描くところの「ロック」という魅力的なキャラクターがいますが、 「吉井和哉は手塚顔である。ロックに似ている」 という、慧眼過ぎる指摘をしたのもローリーでした。 (でも、「ロック」とはまた、手塚さんもなんという名前を彼に与えた事だろうか。) ロックスターになるために、苛酷なダイエットとメイクで「ローリー」というアイコンを作り上げた彼にとって、吉井和哉の生来の美貌(ま、彼ももとは肥満児だったにせよ)は、嫉妬混じりの憧憬の対象であった事でしょう。なので『ロッキー・ホラー・ショウ』初演の時、ボウィンマン(イエロー・モンキー所属事務所)ロゴ入りTシャツを着てのほほんと観ていた私は、客席に乱入したローリーにそのロゴを乳ごと蹂躙され、 「……こんなところに(まで腐れイエモンファンめがっっ)!」 と憎々しげに吐き捨てられたわけです。 その折に一緒に歴史の目撃者(笑)になってくださったローズ・セラヴィさん、MIKIさんと、昨夜はSHIBUYA AXで、「ROLLY DEBUT 15TH ANNIVERSARY YEAR VOL.3」であるところの、すかんち10年ぶりの復活ライヴに耽溺してまいりました。 “恋のT.K.O.”に始まり、アンコールの“恋のマジックポーション”に到るまで、正しく「すかんち」と言える粒の揃った名曲ばかりをラインナップした選曲、本当に見事でした。 今でこそ、メジャーデビューしたての小僧バンドが「キャラ立ち」なんて言葉を取材で口にする時代ですが、すかんちは、90年代初頭に既にメンバーそれぞれの「キャラ」というものをはっきり意識して打ち出していたバンドでした。 メンバー単体でよりも、なによりも「すかんち」という集合体として、各キャラのバランスが最強だった。 だから、10年を経た今回の再結成にあたって、 「みんな激変しちゃってたらどうしよう……」 と若干の不安もあったわけです。 たとえばドクター田中がつるっぱげとか。 小畑ポンプが激痩せとか。 そんなんなっちゃったらそりゃ「すかんち」じゃありませんから! でも、そんな心配は御無用だった。 皆さん、おそろしいまでに当時の記号の通りだった。(多少、いろんな部位の増減はあるにせよ) SHIMA-CHANGは相変わらず年齢不詳でお洋服もベースの音もブリブリだったし。 ドクターは相変わらずエキセントリックだったし(さしみこんにゃくが好物だそうです)。 ポンプちゃんはふた周りぐらい大きくなってたし。この人のドラムの音、本当に快感! ローリーはまあ、『時効警察』の雨田潮とか『TVチャンピオン』弾き語り王とかNHK教育とかでごらんになってらっしゃる方も多かろう。 客に毒を吐きながらも、実は最大限に気を遣いまくっているMCは相変わらず。 えーと、覚えてる限りの曲を列記しておきましょうか。順序はめっちゃくちゃですが。 ドクター田中の曲はまず“涙の転校生”。「涙」シリーズでは私は“涙のサイレント・ムービー”(from『恋の薔薇薔薇殺人事件』)が大好きなんですが、この人の曲のサビの展開、ぱぁっと空に広がるようなメロのせつなさは、本当に「涙」でございます。 そして、きゃー待っていたわ“恋人はアンドロイド”!!! ドクター、ハンドマイクにて熱唱です。名盤『OPERA』に於いて、“恋するマリー・ルー”からこの曲への流れがもう、死ぬほど好きなんですが、当然その大名曲“恋するマリー・ルー”も4曲目に演奏。 ローズさん曰く、 「この世には二種類の人間しかいない。“恋するマリー・ルー”を聴いて涙する人間と、そうじゃない人間だ」 名言ですね。勿論私らは前者。 今はスターになってしまった幼馴染みの女の子を、テレビのこちら側から見つめるだけの男の子の想いを歌ったこの曲は、 はなればなれだけれどのところで毎度涙腺決壊。 そして、アルバムでそのあとに続く“恋人はアンドロイド”の 恋の意味 瞳の奥でカリキュレイションというフレーズ。 このロマンティシズムの対比の仕方が、ある意味すかんちというバンドを非常に象徴しているように感じます。 SHIMA-CHANGがヴォーカルをとるのは“LOVE LOVE HOLIDAY〜ふたりはアイドル〜”“Suger Suger Baby”。 そして大曲(笑)“好き好きダーリン”。 「すかんちの曲の中でも、演奏するのが最も難しい曲」(ローリー談) との事ですが、ふと周囲を見渡せば、サラリーマンだの主婦と思しき中年女だのがみんなニッコニコで ♪すっきーすっきーダーリン 頭はピッコピコーよ! と熱唱しているではありませんか。「頭はピッコピコー」って……。いや、いいんだ! 俺たちみんな頭はピッコピコなんだ! それで残りの半生過ごしても、きっと後悔なんかしないんだぜ! というぐらい、すかんちのファンはこの曲が大好きなんです。 それから、兄妹相姦の匂い濃い名曲“Mr.タンブリンマン”。 携帯のことを「豆電話」と、ローリーならではの呼称がすっかり癖になっちゃいました“109で待っててよ”。 ライヴでのみ演奏されているあんぜんバンドのカバー“13階の女”。 本編ラストは、 裏切られても 裏切られても 僕を待っててよという名フレーズが、「バンド」と「ファン」の関係性をこれ以上無いほど見事に活写している“恋の1,000,000$(ミリオンダラー)マン”。 10年を経て今この曲の歌詞を読むと、当時は感じなかった感傷だの感情だのが津波のように押し寄せてくる。「虫が良い」と言えばそれまでですが、これを正面切って言える人こそが「ロックスター」なんだと思う。 たとえばアイドルだったりミュージシャンだったり俳優さんだったりを好きになってしまった場合、一対一の恋愛(あるいは片恋)以上に、闘わなければならないものは多くなる。 「僕は平気で君を裏切るよ。だけど、裏切られても僕を好きでいてよね」 という手前勝手に耐えてこそ、という局面に遭遇する事は多々ある。 それを乗り越える事も、スターに溺れる快感なのである。 けれども、 「裏切られた! 許せない!」 に容易くなっちゃうんだったら、そいつは当初からロマンティシズムなんてものを理解するだけの能力が備わっていないお馬鹿さんという事だ。“恋の1,000,000$マン”は、その辺りの機微を、 裏切られても 裏切られても 僕を待っててよという冒頭のフレーズだけで完璧に言い当てた楽曲だったのだな、と思う。 今回の復活についてローリーは、 「一度復活したので、解散はありません」 と嬉しい事を言っていたが、次のライヴは「10年ぐらい経ったらまた」だそうである。その理由が 「だってしょっちゅうやってたらあなたたち来なくなるじゃないですか」 というのも、さすが“恋の1,000,000$マン”を書いた男だよな、という感じがした。正直こんなに心の底から楽しいライヴはここ数年で初めてで、YOSHII LOVINSONだろうが吉井和哉だろうがこれには到底敵では無く、出来るなら毎月これを観たい、と思っていたところだが、ふと我が身を省みれば「慣れてしまうとすぐ飽きる」という性情に真っ先に突き当たり、それは誕生日一日違いのローリー寺西だって似たようなもんか、と思い、「うむ」と納得しつつ、はればれとした気分でAXをあとにしたのでした。
by red_95_virgo
| 2006-03-18 23:56
| music
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Comments(10)
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ども。頭はピッコピコーです。いや、本当に楽しかったですね!
もう難しいことヌキで思い切り楽しみまくっちゃったわけですが、すごく秀逸なスキルに踊らせてもらったというのもちゃんと理解できる自分になりました(笑)。 昭和40年代を少女漫画と歌謡曲で育った世代にしてみれば(歳がバレるな)“恋するマリー・ルー”で泣かずして何で泣くのよ?という感じですが、心のどこかでああいう表現というのは永遠に誰かがやり続けてくれるのを疑っていなかった気がします。しかし、気づけばいつのまにか日本のロックからあのような素敵なロマンティシズムは絶滅の危機。なんとも寂しいものです。 殺伐とした今の世の中、眉間にシワばかり寄せて生活している気がするこのごろだけど、そうだ、すかんち聴けばいいんだよ。などと真面目に考えている自分がおりました。 背景にバラ背負って、瞳にお星様光らせて、何が悪いよ? ねえ?
0
>ローズ
おはようございます。 ローリーのロマンティシズムって、ものすごくハッピーだったりものすごく残酷だったりものすごくシニカルだったりする中に、隠しようの無いピュアネスがときどきキラリピカリと煌めくところがあって、そこに涙してしまいますね。 これは久世光彦さんが沢田研二を評した言葉ですが、 「きれいであるということは、罪なことだが、それだけでみんな許せるとも言える。きれいであれば、それでいい。それは無用であってもちっとも構わない。もともと、幻に意味だの効用だの、ありはしないのだ」 素晴らしい見識だと思います。 日本の歌謡(ロックも含む)からは、確かにこういったものが姿を消しつつありますね。音楽の有用性ばかりを鹿爪らしく語る前に、見た目なんとかしろって感じの人が多いというか(笑)。 ![]()
私もすかんち復活コンサート行きました。私にとっては復活なのに初だったんですけど。
ローリーやメンバもみーんなカッコよかったです。当時、ちゃんと聞き込んでおけば良かったなぁと後悔しました。それくらいカッコよかったです。ヨシイ以外でカッコ良いと思うのって最近なかったのでそれだけでも良かった。 最近の音楽をやる方たちはなんというか見た目も含めて、「(聞き手と)同じ位置」、「特別じゃない」ということがカッコ良いことなのかなと思うときがあります。それでも構わないけれど、特別だったりゴージャスだったりが好きな私にはちょっと物足りないときがありますね。 そういう意味ではローリーって、舞台上で特別でありゴージャスにやってくれているんだなと感じました。あと、彼ってとっても真面目なお人なんだなということも。
>がんこ
すかんち、実はご一緒してたんですね! 仰るようにローリー、本当に真面目な人なんだと思います。昔インタビューで、 「何度やってもダイエットに成功しないという人は、死ぬ気でやった事がないからです!」 と語っていて、死ぬ気でやってほんとに死んじゃったらまずいけどなと思ったけど(笑)、そのくらい真面目に命削って「ロック」というものに取り組んでいる人なんですよね。 でも、そんなすかんちは遂に武道館のステージに立つ事無く終わりました。 ローリーはあんなにもあの場所に憧れていたのに。 「結局、すかんちは武道館に立つバンドではなかった」 というような事を解散時に彼は言っていましたが、その言葉を聞いて泣きました。 ローリーという人の抱えるロマンには、やっぱりどことは無し、不憫な匂いを感じます。そこも大好き(笑)。 ![]()
>ROOM441さま
なんか懐かしいHNがと思ったら(笑)。どうもいらっしゃいませ。 先日の武道館終演後は満員電車並みの混雑の中、押されながらの歩き話で失礼しました。 すかんち、適度にノスタルジックで、しかしおセンチになり過ぎず、ツボ外さない選曲で(出来れば“フローラ”演って欲しかったけど)、良いライヴでしたね。 スタンディングでMCがあんなにくそ長いライヴも筋少以来です。 毒吐きで結構狷介な性格であるローリーが、しかし演奏する時は全開の笑顔を客に見せる辺り、 「いい奴だなあこの人」 というのがバレバレで、大好きです。相模大野の弾き語りライヴも行っちゃおうかなあ……。でも握手会ってのがちょっとびびる(笑)。 ![]()
初めてカキコさせていただきます。
ローリーにTシャツを蹂躙されたエピソード! ちょうど10年前にある方から噂話レベルで聞かされたんですが、 当事者さんのブログを偶然発見できて感動してます! 突然ですみませんでした!
>じみーさま
いらっしゃ……ええええそんな噂話がっ!!!??? すみません取り乱しました。いらっしゃいませ(笑)。コメントありがとうございます。 現場を目撃したのは同行していたおともだちローズさん&MIKIさんだけなんですが、そのあといろんな方にもお話ししましたし、ネットとかでも書いたかと思うので、まわりまわってじみーさんのお耳に入ったのかも知れませんね。 いやー、こちらこそものすごい奇遇と申しますか。 そんな乳蹂躙(ていうかボウィンマン&大森社長蹂躙ひいてはイエロー・モンキー蹂躙・笑)話をよすがにご訪問&コメントいただきまして、ほんとうにありがとうございましたっ! いやぁ、こんな話も書いとくべきですねえ(笑)。 ![]()
返信ありがとうございます。
ちなみに、噂話だけに「Tシャツをビリビリに破かれた」という尾ひれがついてました笑 僕はイエローモンキーのファンで、この話を聞いた当時はすかんちについてよく知らなかったので 「売れたことに嫉妬したんじゃないの」くらいに思ってました(すかんちファンの皆さんすみません!) でも、ローリーが自分の顔を欧米風に変えるために小さい頃から手で目を押し込んだり痛い思いをしただとか、吉井さんとしまちゃんのテレビ対談を見て吉井ファンだったことを知って 「自分がこんなに努力しても手に入れられない顔を生まれながらに持ってる」ことに嫉妬してたんだな、と思うようになったんです。 そんなときにこのブログを発見して、蹂躙されたご本人も同じ意見で感激してる次第です!笑 長文失礼しました。
>じみーさま
>「Tシャツをビリビリに破かれた」 自分、いつの間にそんな目に!!!(笑) いえ、破かれてはおりません。ロゴ部分をブラごと、びよーんと摑まれたのみでございます。噂ってすごいわあ(笑)。 イエロー・モンキーとすかんちは、確か93年だったかと思いますがTVKのライヴ番組で共演しております。 その折にローリーがMCで、 「すかんちファンもイエモンファンも、喧嘩しないでね」 みたいな事を冗談まじりに言ってましたが、ほんとにファン同士の仲が悪かったのか、双方のファンを兼ねていた自分にはよくわかりません。ただ、ローリーはやっぱり吉井を心底羨んでいたのだろうと思います。 吉井和哉だって決して生来の美貌に胡座を掻いてきたひとではない、それは彼の自伝やインタビューを読めばわかりますが、ローリーこと寺西一雄さんの、文字通り血の滲むようなロックスターへの道というものを思うとき、やはり一抹のせつなさを感じずにはいられません。
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