【上川町】大雪山の麓、自分の場所を持てた充実の今 | 北海道の人、暮らし、仕事。 くらしごと

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大雪山の麓、自分の場所を持てた充実の今20190829

この記事は2019年8月29日に公開した情報です。

大雪山の麓、自分の場所を持てた充実の今

初めて志水さんのお名前を耳にしたのは、くらしごとチームが上川町の役場の皆さんや(役場の皆さんの記事はこちら)、着任したばかりの地域おこし協力隊員の皆さんの取材(そのときの記事はこちら)をすすめる中でのことでした。10名近い皆さんにお話を伺ったのですが、殆どの皆さんが、町のことを語る上で志水さんの事を口にするのです。
これは、いつかは会いに行かなければ! と思っていたところ、ついにその機会が訪れました。

これ以上ないという程爽やかに晴れた7月のある日、層雲峡の宿にいるという志水さんを訪ねました。
近隣の旭川市出身、山好きなお父様の影響で小さい頃から山は身近な存在だったという志水さん。教育大学を卒業後は北海道庁に入庁し「上川振興局 環境生活課」という山岳環境整備に関わる願ってもない部署への配属となります。
『山小屋やトイレ、山道などの施設を整備したり、鹿や熊による被害調査をしたりなどが主な業務でしたので、山に登っていることが多く、自分にとってはうってつけの楽しい仕事でした(笑)』と言います。
それなのに、3年でその仕事を辞め、旭川市からこの上川町に移住し、自分でゲストハウスを運営するという道を選んだその経緯を詳しく聞いて見ることにしました。

souunnkyou simizusann10.jpg大きな暖炉もあるリビングでお話を伺いました

ゲストハウスという目標が見つかるまで

『本当は2年くらい勤めたら辞めようと思っていたんです。そもそも大学を卒業した段階で、まだ本当にやりたいことがわからなかったから、それを考えるためにも、とりあえず自分の時間もとれる公務員になったんです』と志水さん。

なるほど、そうするとその「やりたいこと」が見えて来たから、次のステップに行くことにしたのですね

『そうですね。仕事は楽しかったし、上司や先輩にも恵まれていましたが。そんな中でもやりたいことにチャレンジしてみたいという思いはずっと胸にあって。仕事の合間にも1年に1回は海外に行ってたんですが、そこで会う色んな人達からも刺激を受けて、そういういろんな人と話せた場所というのがゲストハウスだったんですね。これというはっきりしたきっかけがあったわけではないんですが、ぼんやりとゲストハウスやってみたいな、という思いがだんだんと浮かんできていました』

上司の方やまわりの皆さんは引き留めたり反対したのでは?と聞いて見ると『とりあえず3年間は続けてみたら?』と言われたそうです。上司の方曰く『1年目は体験、2年目は理解、3年目で初めてやりたいことができる』とのことだったので、3年目が面白いのか、じゃあ3年はやってみようかと思い直したそう。
ちなみにその間『この仕事を辞めたら自分はどうなるのか、やりたいことに挑戦したら物の見方が変わるのか』といったワクワクする気持ちや不安な気持ちが入り交じって、それを吹っ切るように、努めてまわりの人には『ゲストハウスのようなことを始めたい!』と口に出していたそうです。

souunnkyou simizusann11.jpgフロントで受付をする志水さん。後ろの棚には熊よけのグッズも完備

夢の実現に向けて

そうして3年目には、いよいよ道庁を退職。退路を断って、夢の実現に向けて精力的に動き出した志水さん。
『色んな場所から訪れるであろうゲストに情報提供できるよう、日本各地のことを話せるだけの知識も欲しかったんです。半分は仕事で半分は遊びでしたが、まずは自転車で日本縦断の旅に出発しました。そうすると、自然に地元を宣伝する自分がいたんです。実際、旭川も大好きだったし。色んな人と知り合い、色んな事を見聞きした旅を終え、住んでいた旭川に戻ってからは、縁あった市内のゲストハウスをオーナーに借り受け、そこでマネージャー業の修行を始めることにしました』

souunnkyou simizusann22.JPG日本縦断旅の途中での一コマ

そこは、銀座商店街というすこしディープな地区にある、8人も泊まればいっぱいになってしまうようなゲストハウスだったそうです。

『でも、民泊というものがブレイクする少し前で、ゲストハウスというものの知名度が徐々に上がってきたタイミングだったので、お客さんはそこそこ入っていました。自分がそういうものに向いてるのか、お試し期間と決めて必死で取り組みましたね。まずは、部屋の壁をつくるところから大々的にリノベーションしました。お金が無いので道具は建築屋の友達に借りて、DIYの先生はユーチューブの中に見つけて。友人達が入れ替わり立ち替わり手伝いに来てくれて。知恵と工夫とで、お金がないところから何とか1年で黒字に持って行きました。お金の管理から、施設の修繕、営業まで一通りを訓練と思って乗り越えました。0からやってみたからこそ自信になりましたね。どろくさ精神って呼んでます(笑)』

souunnkyou simizusann19.JPGDIYにも挑戦!! できることは全部自分で!

挫折と出会い

そうして少しづつノウハウを身に付け、いよいよあとは物件を見つけるだけ、というところまできた段階で思わぬ壁にぶつかります。なかなか良い物件に巡り会わず苦戦している中、とうとう見つけた!という物件を決まる一歩手前で逃してしまいました。

『どうしても自分の宿が欲しかった』と志水さん。
その為に、あらゆる努力を続けてきたのに。そのショックは想像に難くありません。

当然というか、そうならざるを得ないというか、そこで一旦は完全にゲストハウスはあきらめたそうです。
『ゲストハウス立ちあげに向けて書いていたブログに『もうゲストハウス卒業します』という記事を書いていました(笑)。アラスカを自転車で旅行する計画を立てたり、それが終わったら、今度こそ先生になろうと思ってました』

そんな時に、たまたまクローズしていた層雲峡ユースホステルの建物を紹介してくれたのが上川町の人達でした。

souunnkyou simizusann18.jpg志水さんがこの建物を最初に見たときは、もちろんこの看板はありませんでした

たまたまコンビニで会った、公務員時代からお世話になっている層雲峡観光協会の人に『層雲峡に空いてる宿あるけどやんないの?』と声を掛けられたそうです。当初は旭川市内でと考えていたので、『層雲峡かあ、山は好きだけど住むことが想像できないなあ....』と思ったそうです。でも用事があって上川町に行く度に、空いてる宿があるらしいよ、おまえやればいいじゃん、と次々に声をかけられます。そこまで言われたら、『もしかしたらこれも縁なのかも』と思い直し、さっそく役場の担当者と一緒に建物を見にいくことにします。

建物を見た瞬間、
『ここ、そういえば学生の時に泊まったことあるな。こんな感じだったか〜、あんまり変わってないなあ』
懐かしい思いが蘇ると同時に、みんなにとても大事にされてきた場所だということが伝わって来たそうです。
『やってみるか』志水さんは決意します。

無我夢中の日々

しかし! やろうと決めたとたん、ライフラインのボイラーに重大な故障が発覚! 最初から予想外のスタートです。
そもそも、宿泊客20人規模の想定で準備していたのに、このもとユースホステルは60人規模の建物。とても1人では手が回りません。それでも、志水さんの人柄なのか、協力を申し出る人が自然と集まって来ます。

1人は前からの知り合いではあったけれど、別のところに勤めていたのにそこを辞めて来てくれたそうです。

souunnkyou simizusann13.jpgキッチンから続く広いベランダにて。ここで緑を眺めながら一休みするのも至福の一時

『信頼出来る人だったし、ただ手伝ってくれるのではなく、色々提案して一緒に考えてくれて、とても助けられました』

男2人で迎える最初のシーズンはまさに試行錯誤の連続だったそうです。
『自然の中での豊かな生活では、「葉の色が変わってきたね。木の色が変わってきたね。小さな滝が流れているね。毎日が小さな発見の連続だね」そんな会話しちゃってるんですよ(笑)』と冗談めかします。

移住してからは、地元の方達や、友達や、旭川のゲストハウスのつながりや、日本縦断旅の時のつながりなどの、本当にたくさんの人達が協力してくれたそうです。改修をすませ、怒濤のオープン準備を乗り越えて、現在2シーズン目に突入しました。
『想定外の規模で、まだまわせていると言えるのかどうか正直わからないです。でもスタッフの皆の協力も有り、おかげさまで最近は満員になる日もぽつぽつ出始めてるんです。昨年のある日なんか、部屋からあふれちゃって、食堂で寝る人も出る始末(笑)』

souunnkyou simizusann2.jpg明るく居心地の良いキッチン。ここで様々な交流が生まれます

支えてくれるスタッフもありがたいことに常時数名いてくれる状態だそうです。マックスで5名必要というスタッフは、大学生が夏だけ来てくれたり、ゲストがスタッフになってくれたり、基本的には来た人が広告塔になってくれることが多いとのこと。営業という意味だけでは無く、人とのつながりで良い感じに回り出してるようです。

ちなみに宿がクローズする冬はどのように過ごしているのか聞いて見ると
『良く聞かれるんですが、冬の間は旭川市で旅行業の仕事をしていました。上川圏内に来てもらうという意味ではこれも宿のPR業務につながりますしね。あとは2月に旭川の江丹別で行われる雪景色のランタンフェスティバルというイベントの実行委員長もやってるんですよ』
どうやら、1年中暇ということは無いようです。

souunnkyou simizusann9.jpg取材チーム用に、オリジナルの冷たいお茶を用意してくれました! すっきりさわやかな味が暑い日には最高でした

この場所で自分ができること

『ちなみにこの層雲峡と黒岳を結ぶロープウエイは、町民割引があったり、層雲峡地区の方に優遇があったりします。本当に感謝していますし、外からゲストが来ればいい、ではなく地元の人間も一緒に楽しめなければ意味がない、という地元企業の思いを感じますね』

上川町についてこう語ってくれた志水さん。その一方で

『でも、上川町の人達は現状に満足していないです。早くから町おこしに取り組んでいる他のメジャーな町に比べたらまだまだだと自覚しています。だからこそ外からの意見を柔軟に取り入れられるし、色んな苦労を一緒に乗り越えようとしているのでお互いのことも気遣えるんです。スタートしたばかりでまだまだ課題はありますが、外から来る人だけでなく地元の人も楽しめる豊かな場所を、自分も一緒に作り出して行きたいです』と、静かですが熱く話してくれました。

その為には、まだまだやりたいことがたくさんあるそうで
『今は、まずは宿を整えるのが先ですね。ハードもソフトも両方。特に雨の日にやることを充実させたいんです。毎日天気が良いとは限りませんからね。例えば、映像ルームを作って、みんなで見るものをつくったり、暖炉を整備して再生させたり、ボルダリング壁をつくったり、子供向けの遊びも作り出したり。それと、山のガイドの資格もとりたいのでその勉強もしているところです。自分は冬山も登れるようなプロではないので、山をやったことが無い人に向けて、山の楽しさを伝えたいと思っています。それが自分の役割かなと思っています』


souunnkyou simizusann1.jpg暖炉の整備ほか、まだまだ構想がたくさんあるそう

以前の記事でもお伝えしましたが、上川町は今、役場や観光業界の方達が一体になって町を盛り上げようと一生懸命です。その動きや、素晴らしい自然環境に惹かれて移住して来る人が少しずつ増えています。

志水さんはこれまでのことを『良い流れに乗せてもらった』と振り返ります。
「何となくひとりで支流をプカプカ流れてたら、上川町の取り組みやたくさんのイベントの勢いで急に流れが速くなって、他の支流(同じ境遇の人達)とどんどん合流して、いつの間にか大きな川を一緒に流れていた」と移住した時の心境や、出会えた人達との交流を、志水さんらしいユニークな言葉で表現してくれました。

その同じ川を流れる人達と過ごす、今の生活。何か以前と比べて変わったことはありますかと聞くと、

『一番変わったのは、職場が家でもあるということもあり、通勤時間が0になったということと、食生活ですね。宿ではスタッフのまかない作りも仕事のうち。生活が隣り合っているだけに食にも気をつけています。ほぼファストフードなどは食べなくなりましたね。お米はもちろん地元産で最高に美味しいし、野菜もお世話になっている方々が採れたてを持って来てくれたりするんですよ、贅沢ですね』

souunnkyou simizusann8.jpg
取材の合間にも、ひっきりなしに、宿泊者や、スタッフに会いに来た人や、ご飯を食べに来た人など、色んな方が訪れます。
『こんにちは!』『また来ますね〜』『ただいま!!』
ここは、まさに志水さんが思い描いた、色んな人がつながる場所になりつつあるようです。その中心にいる志水さん、これからも、色々な人をつないで縁を作り出していくことでしょう。

志水さんは言います。『今迄は誰かと会うためには休みをあわせなきゃならなかった。でも今はここに来てもらえばいつでも会える。仕事中でもお酒が飲める(笑)。だってここが自分の場所だから』

souunnkyou simizusann15.jpg各国からかけつけてくれるスタッフの皆さんと。もとゲストも多いそう

層雲峡ホステル オーナー 志水陽平さん
住所

北海道上川郡上川町層雲峡39

電話

080-2862-4080(宿)

URL

https://www.sounkyo-hostel.com


大雪山の麓、自分の場所を持てた充実の今

この記事は2019年7月9日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。