北海道・十勝の中心都市、帯広の街中にある「HOTEL NUPKA(以下、ヌプカ)」は、一般的な宿泊施設とは一線を画す最近注目のホテル。ホテルというより、泊まれるカフェというほうが正しいかもしれません。
注目のポイントは、地域の賑わいと人のつながりを創り出す街中の交流拠点で、地域活性化のお手本のようなところ。なぜこのような施設ができたのでしょうか。ヌプカをメイン事業として展開する、十勝の街づくり会社「十勝シティデザイン」の社長、坂口琴美さんとヌプカのフロントスタッフ村津智美さんにじっくりインタビュー。設立に至るまでの想いや経緯とともに、現在の展開や今後の展望について伺いました。
ホテルから街を作り、十勝の魅力を発信
ヌプカは帯広駅から徒歩約3分、飲食店が数多く立地する帯広の繁華街のど真ん中にあります。客室はカップルなど2人組の旅行に便利なツインやダブルルームとともに、バジェットトラベラー向けのドミトリールームなど6タイプ。館内や屋上、別棟などにWi-Fi完備のラウンジがあり、ノマドワークやワーケーションにも便利です。
薪ストーブを備えたラウンジでゆっくり過ごせます
ホテル1階には「CAFE & BAR NUPKA」があり、十勝の食材をメインに使ったローカルフードやヌプカオリジナルのクラフトビール「旅のはじまりのビール」などを楽しめます。夜だけではなく朝も昼も営業しているので、宿泊客のほか近隣で働く地元の方の利用も多いお店です。
ヌプカではさらに、ばんえい競馬の元レース馬が曳く馬車に乗ってお酒とチーズを楽しみながら夜の中心市街地を巡る「馬車BAR」の出発拠点でもあり、定期的にマルシェも開催。十勝のチーズ工房をくまなく紹介するチーズマップや近隣のモール温泉を紹介する温泉マップなども用意し、案内しています。
ヌプカの狙いは、ホテルから街を作ること。だからこそ、宿泊施設でありながら泊まるだけではない魅力やサービスがたくさんつまっています。
ヌプカを基幹事業として運営する十勝シティデザインの事業ドメインは、食と農に強みがある十勝の魅力を、生産者やクリエイターなどと協働して、空間と時間と体験できる機会を提供すること。そのフラッグシップとなる施設がヌプカです。ちなみにヌプカはアイヌ語で原野を意味します。
このような想いに至った経緯や背景は、十勝シティデザインの社長、坂口さんが歩んできた人生と人の出会いが大きく影響しています。
想いの原点は北千住のジャズバー
坂口さんは帯広の隣の幕別町出身。高校時代にアメリカへ留学し、帰国した後は千葉県の大学へ進学します。
今に至る人生を決定的にしたのは、学生時代のアルバイト。音楽好きだったことから足立区の北千住にあるジャズバーでアルバイトに就き、音楽好きの人たちとともに地域の人たちと仲良くなり、エリアごとに異なる街の成り立ちや歴史・文化にも関心を持つようになりました。
「飲食物を提供するだけではないお店だから、こうやって人が集まるんだなっていうのをすごい感じました」と坂口さん。人が集い、語らい合う場があることで地域の魅力を知ることができ、文化も生まれていくということを日々体感したそうです。お客さんから「琴美ちゃん、お店やれば」と言われることがあるほど、接客も板についていました。
お店を続々と立ち上げ、街がブレイクするのを目の当たりに
大学3年生の終わりくらいに転機が訪れます。ジャズバーで知り合った方から「物件あるからお店出さないか」と声をかけられたのです。就職活動の道には進まず、近所でソウルバーを経営していた人とともに音楽中心のダイニングバーを足立区の竹ノ塚にオープンしました。ダイニングバーが軌道に乗ると、建築屋さんや近くの喫茶店のママなどから「隣の物件あいてるからやれば」と声をかけられることがしばしば。北千住の裏路地で古民家カフェや食堂など、次々と新たな飲食店を出店していきました。
ただ、「賑やかな街だったのでだんだん疲れちゃって、落ち着こうと思ったんですよね」と、その後は街の喧噪から少し離れた文京区の千駄木にハンバーガー店を出すことにしました。今ではすっかり観光客にもおなじみの人気エリアですが、坂口さんがお店をオープンしたのは2003年。谷根千と呼ばれてブームになる前のことです。オープンした動機をこう語ります。
「谷中は美容室で通っていて好きな街だったんです。で、アメリカでハンバーガーをよく食べていて好きだったんですよね。日本人もハンバーガー好きな人多いのに、当時はファストフードばかりで、なんで手作りのハンバーガー屋さんあんまりないのだろって思っていました」
当時は都内でも手作りハンバーガー店は軒数が少なかったことから、頻繁に取材を受けるなどして人気店に。北千住などのお店の経営に携わりつつ、谷中では自らお店に立って接客もする多忙な日々を送ります。谷中周辺の人たちと頻繁にイベントを一緒にやったことから人のつながりもでき、いつの間にか地域の歴史や文化なども説明できるようになったそうです。
気づくと次第に、何かしらのこだわりや鋭い感性を持った人たちが谷中でお店を出すようになり、谷根千ブームが到来。「人が集まることで文化が生まれ、ブレイクしていくのを目の当たりにしました」と坂口さんは回想しました。
同郷の仲間と故郷の十勝を想い、映画を製作
坂口さんは、十勝での事業に本腰を入れて取り組むために経営を引き継ぐまでの約21年間、谷中で店を守りながらさまざまな人との交流を重ねてきました。お店を訪れる人の中には、首都圏で活躍する十勝出身の方も多かったそうです。そのうちの1人が、十勝シティデザインの創業者で弁護士の柏尾哲哉さんです。同郷の仲ということもあり、十勝について語ることが多かったそうです。「柏尾さんとは、十勝は有名な観光名所になかなかならないのが課題で、自分たちができることは何だろうって話をよくしていました」と坂口さん。
東京で事業をしていて十勝にすぐに戻れない中、離れていてもできることをしようと話し合った答えが、十勝の魅力を世界に向けて発信する映画の製作です。坂口さんと柏尾さん、お店に来ていたテレビ局関連の方などを交え、台湾などアジア圏の方々に向けた十勝を舞台にした映画製作に取り掛かりました。2013年のことです。
当時世の中に出始めたばかりのクラウドファンディングを活用して資金を募り、2014年に十勝シティデザインを創業してクランクイン。十勝の魅力を伝える地元有志の自主制作短編映画「My little guidebook」は2015年に公開されました。作品自体を公共財とみなし、誰でも自由に観賞することができるのも特徴です。
人のつながりでホテルを経営することに
映画製作のために、十勝に行く機会が増えると新たな課題が見えてきたそうです。
「その当時、帯広の街中は『北の屋台』などのおかげで夜の賑わいは盛り返してきていたのですが、昼間に行っても遊ぶところがないし、朝お店が開いているところがないなって。ビジネスホテルはたくさんできて寝泊まりはできても、人が集まる場所がないなと。人が集まることでローカルな話題や知識を知ることができるし、新たな文化が生まれるのに。このまま映画を作っても受け皿がない、十勝に文化が育まれないなって」
映画を撮りながらそんな課題を感じていたところ、突然柏尾さんからこんなことを言われたそうです。
「帯広でホテルを買っちゃいました。琴美さん、ホテルやりませんか?」
帯広の繁華街で夫婦で経営していたホテルが閉館し、そのままになっていた物件を買ってきたのです。街のど真ん中にあるホテルが閉まったことを耳にして寂しさを感じた坂口さん。
自分が手を挙げなければ取り壊されて駐車場になってしまうかもしれないと頭によぎり、「2年後にオープンさせます」と、ほぼ即答で返したそうです。
2年後としたのは、オープンまでの準備期間とともに、都内のお店の引き継ぎをするための猶予期間です。足立区内のお店は当初共同で経営していたパートナーが代表で継続し、千駄木の個人店を継続しながら帯広での新事業の準備に取り掛かります。
「2年間暗くしとくのは街に対して失礼」と坂口さん。準備期間は地元のアーティストや街のイベントの仕掛け人に積極的に使ってもらいました。さまざまなクリエイターやアーティストとのつながりも増え、アイデアやスキルを借りつつ2016年にヌプカがオープンしました。
ヌプカの狙いは、十勝の日常を感じられる場で、ホテルがけん引する街づくり。坂口さんはこう語ります。
「宿とかホテルをやるというより、カフェに泊まれるような場所を意識していました。記念日に行くレストランではなく、日常で行くお店とか通えるお店。あとはモノ作りをしている人の感性に響いて集まる場です」
人が集うことで生まれる地域の賑わいとカルチャー。都内で体感してきた確かな経験を十勝にあてはめ実践しています。アウトプットの一例が、地元の方が朝から夜まで利用しやすいようホテル入口と別に入口を設けたカフェをはじめ、ワーケーションなどに便利な複数のラウンジ、街の魅力を発見できる馬車BAR、十勝の生産者をつなぐチーズマップなどです。
想いを実現し、支えたいというスタッフの声
ここで、フロントスタッフの村津智美さんから現場のリアルな声を聞いてみましょう。村津さんは帯広出身の3児のママ。クラフトビール好きで音楽好きなことからクラブで働いていたこともあるいっぽう、編み物も好きという多彩な趣味を持っています。勤務時間は午前から日中にかけてなので、宿泊客のチェックアウト対応とチェックインの準備と、カフェのモーニングやランチの対応などが主な業務です。
「ヌプカで十勝産大麦麦芽100%のオリジナルのクラフトビールを作っていて、喜んでもらえるとすごい嬉しいです。私もビール好きなので」と村津さん。夜の需要はもちろん、昼飲みの方もいますし、朝は出勤前のモーニングを食べる方がいるいっぽう、夜勤明けの方が仕事終わりの一杯として飲みに来るということもよくあるそうです。地域の公園のごとく、地元の方々が集う居場所としてしっかり機能している模様です。
カフェで提供する料理は、朝は地元の食材を生かしたモーニング、昼は「十勝牛の ボロネーゼ」や「とかちマッシュとエビの ドリア」などが好評で、夜はビールに合う「ヌプカ餃子」がかなり人気があるそうです。また、十勝各地の工房のチーズを5種類盛ったチーズプレートもおすすめ。馬車BARでも、おつまみとして2種類のチーズを添えています。
ホテルのラウンジには付箋が置いてあり、感想や意見などを自由に書き込んで壁に貼れるようにしているそうです。こうしたちょっとした工夫も人と人をつなぐコミュニケーションの一つの手段です。
「『帯広良かった』 『また来ます』とか書いてあるのをよく見るのですけど、嬉しいですね。『ヌプカ目当てに帯広に来ました』とか『馬が好きで馬車BARの馬を目当てにリピートします』とかのメッセージも時々あって、チェックアウトだとバタバタしてゆっくりお話ができなくても、メッセージを見てこう思って下さっていたんだなって感じられます」
ホテルのフロント業務では、宿泊客から近隣の観光情報について聞かれることが多いでしょう。そんな時に役立つのが、温泉銭湯マップやチーズマップなどです。
「今日入れそうなとこどこですかとか聞かれたりします。チーズ工房はショッピングできるところやカフェなどがあるところとか、マップを見ながらご案内します。工房に『こういう方に案内したので行くかも』と伝えることもあって、そうしたら訪れた時に会話もしやすいですし、人を知ってもらって印象にも残るかなって思います」
各地の施設や生産者と宿泊者をつなぐ橋渡し役であり、地域の魅力を旅行者に紹介するコンシェルジュです。坂口さんが目指している、十勝の日常を感じられる場で、ホテルがけん引する街づくりというヌプカの狙いどおりに実践しています。
「地域を大事にしたいとか生産者さんとつなげたいとか、そんな琴美さんの想いを実現したいというか支えたいです」と村津さん。坂口さんの想いはしっかりスタッフにも伝わっているようです。
人と人、人と地域をつなぐ核として成長する
坂口さんは「私は人のつながりだけで生きてきた」と言います。
「多分私は情報が集まる要素は持ってるんですよね。そこをうまく紡いでいけば、みんなにとってハッピーになるようなことが一つずつ形になっていけばいいなと思います。やっぱり、ジャズバーからなんですよね。しゃべりながら人の顔が脳裏に浮かぶんです。人に興味があるのだと思います」
人への興味から、人と人のマッチングや地域の魅力の発信や橋渡しへとつながってきたようです。
最後に、この先の展望や想いについてを坂口さんに伺うと、街中にレジデンスを増やしたいとおっしゃいました。
「街にいくらお店や商業施設を作っても、人が近くに住んでいないとお客様は来ないし、街中の駐車場は有料だから郊外の方は来ないし。ただ、郊外のほうが車があれば便利かもしれないのですけど、いつかは免許を返納しなきゃいけない時期が絶対来ますよね。街中にレジデンスがもっと必要になると思います」
将来を見据えると、街中に住環境をもっと整えていくことが大事だと説く坂口さん。ご自身も街中での生活を実践すべく、車を持たずに帯広で生活をしているそうです。
十勝シティデザインとしてレジデンスを建設するまではできないとしても、宿泊業を営んでいる強みを生かし、2拠点で生活をする方が使用しない時にヌプカが管理して民泊として運用代行するなど、さらなるビジネス展開も構想しているようです。
十勝シティデザインが展開するヌプカは、カフェを併設した宿泊施設であるとともに、人と人、人と地域をつなぐ街中の交流拠点です。ホテルというよりも、泊まれるカフェ。地域が盛り上がる重要な核としてより成長していくに違いありません。
- HOTEL NUPKA(ホテルヌプカ)
- 住所
北海道帯広市西2条南10丁目20-3
- 電話
0155-20-2600
- URL
NUPKA Hanare ヌプカハナレ
北海道帯広市西1条南10丁目18