沖縄旅行記の最終回、那覇空港の画像です。沖縄に出かけるには、空路もしくは海路となります。海路(フェリー)もありますが、本土からの場合、現在は発着便では鹿児島県鹿児島市の「鹿児島新港」のみとなっています。空路の場合、乗り継ぎが必要な場合があります。また、那覇空港は国内・海外からの便でかなり混み合っているようです。
ゆいレール那覇空港駅から 那覇空港を望む
ゆいレール那覇空港駅より撮影
那覇空港は今から90年前の1933年(昭和8年)、大日本帝国海軍(当時)により「海軍小禄飛行場」として開業しました。1936年(昭和11年)3月、海軍小禄飛行場は、逓信省(当時)の管理となり「那覇飛行場」と改称されています。その6年後の1942年(昭和17年)8月、那覇飛行場は再度、大日本帝国海軍の管轄となり「海軍小禄飛行場」と再改称されました。1945年(昭和20年)6月、アメリカ連合国軍により飛行場は占領され「那覇飛行場」としてアメリカ海軍および陸軍の管理下に置かれます。それから27年後の1972年(昭和47年)5月15日、沖縄県の本土復帰に合わせ、運輸省(当時)所轄の「那覇空港」として運用されることになりました。
ウェルカムホールから見た航空機の写真です。撮影時点では、まだ梅雨明け(速報)が発表される前でした。それでも、沖縄の青い空は真夏を思わせます。
ピーチ・アビエーション ソラシドエア(奥)
チャイナエアライン(台湾) 大韓航空(奥)
スカイマーク
チャイナエアライン
アシアナ航空
シーサー 吽 メス
撮影ボード 全体 両端のウインディはシーサー?
撮影ボード 一部を拡大
3泊4日の沖縄滞在のうち、最終日が最もお天気がよかったように思いました。青い空も海も美しかったです。もっと沖縄に滞在したかったのですが、そういうわけにもいきません。駆け足の沖縄旅行でした。後ろ髪をひかれる思いで沖縄をあとにしました。滞在期間自体が短かったので、沖縄島の北部や離島などに行くことも叶いませんでした。次回は1週間から10日ほど沖縄に滞在したいです。
午後、親族Nとともに福岡空港に到着しました。福岡空港を出た瞬間、通常の生活に戻される感覚に若干寂しさを感じました。ああ、これからまた元の生活に戻るたいね(´・ω・`)。
沖縄みやげ
沖縄みやげは、職場へ持って行くお菓子の他は、自宅の玄関用に小さいシーサーの置物と、那覇市指定のごみ袋を購入しました。親族Nはかりゆしウェアを購入、アロハシャツとかりゆしとで悩んで、かりゆしウェアを購入しています。
那覇市指定ごみ袋 下の取出口を破ってから撮影していないことに気づいた💦
沖縄旅行の記事はこれで終わります。3泊4日、移動日を除けば実質2日間という短い旅行でしたが、思い出に残る沖縄の旅でした。ここまで読んでくださいましてありがとうございました。